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東方の天使 西方の旅人  作者: あしなが犬
第五部 最先にて最果てなる世界
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第142話 絶望が貴方を殺す 5

注意:この話には残酷表現が含まれています。そういったものに嫌悪感を抱かれる方は避けてください。

―――ドス


 鈍い音と同時に手に伝わる重い衝撃とあふれ出た血の温もり。

「あ…」

 何が起こったか分からないといった貴方の瞳に映る俺の表情は無表情で、まるで他人のようだった。

「貴方を愛してた。」

 絶対に告げることのないと思っていた言葉を囁いて、自分の罪の深さを認識する。


―――俺は愛していた人をこの手で殺した


「でも、だから貴方のことが憎いんです…ハクアリティス様」

 出会った頃、何の不幸せも持ち合わせていないような笑顔に惹かれた。

 そして、そんな彼女が抱える苦しみを取り除いてやりたかった。

 例えそれが吐き気がするほどの俺のエゴであっても…


「ど…して?アラ…シ―――」



<SIDE アラシ>



 人間の未来を決める大切な戦いを前に、たった一人の女の尻を追いかけているなど…俺という人間は普通に考えれば馬鹿としかいいようがないんだと思う。

 だけれど、『たった一人の女』、その言葉の前に『愛する』という単語を付けただけで、ちっぽけな俺には世界と天秤にかけるだけの価値が生まれる。

 世界、神、天使、人間…戦いはあまりに大きな規模で動いている。

 だけれど、その一つ一つを構成するのは結局のところ個人の集まりであり、個人の感情によってその戦いの意味は千差万別であっていいはずだと俺は思う。

 その意味が正しいか正しくないかは別にして、ヒロの戦い、ケルヴェロッカの戦い、そして、俺の戦い。

 俺はその意味に世界よりも、たった一人の女を選んだだけのことなのだ。

 そのことに何の後悔はない。

 明らかに様子がおかしかったハクアリティス様を変質者一歩手前の状況で監視し、戦いの直後にふらふらと一人で出歩く彼女を追いかけた。

 神の子マイマールの真実…すなわちアオイが語った事実と、神の眠る棺を開こうとしていたハクアリティス様の後ろ姿。

 目の前を走る彼女の後ろ姿に、その先日と同じ様子を見てとった俺は嫌な予感がしていた。

 だから、つかず離れずの距離を保ち、彼女が何かしたらすぐに止められるような態勢でいた。

 今となっては何を言っても仕方のないことなのだが、あの時、止められるときに止めておけばよかったんだ。

 まさか、先日と同じように子供たちが俺の後ろについてきていて、途中で天使の攻撃により崩落した瓦礫に子供たちが巻き込まれようとは思わなかった。

 目の前の子供たちを見捨てることもできず、幸いに3人とも大した怪我もなかったのでさして時間はかからなかったが、次の瞬間にはハクアリティス様を見失っていた。

 それでも俺には彼女が何処にいるのか見当がついていた。

『アラシ!?』

 子供たちを助けると、俺の名を叫んだ子供たちを置いてすぐに駈け出す。

 あの場所からここまではそんなに距離がない。

 彼女は間違いなくあの場所にいる。そして、あの時と同じことをしようとしている。


『彼女がここから出たがっているの。』


 そういって聖櫃に手をかけようとした彼女が目に焼き付いている。

 贖罪の街で、たくさんの仲間の命を奪っていた聖櫃。

 神の子マイマールたちにとっては、自分たちの命を繋ぎ力を与えてくれる聖櫃。

 聖櫃には様々な思い入れがあるが、それでも道具に罪はない。

 要はそれをどのように扱うかなのだろうが、命を対価に作動する聖櫃を俺はやはり好きになることはできない。

 だから、神の子マイマールになることはやめた。

 しかし、はたと思いなおせば、自分だって聖櫃に似たような道具を持つことに気が付く。

 そう考えながら力を持たぬ黒の雷オルヴァラに目を向ける。

 力を持たなくとも、両親から受け継いだこの黒の武器カシュケルノを俺は肌身離さず身についていた。

 昔は力がないことが嫌で、どうしたらこの力を発揮できるかばかり考えていた。

 その真実をヒロから聞いた瞬間にそれをすることを諦めた。


―――黒の武器カシュケルノは使用者の大切なものの命を対価にその力を発揮する


 ヒロが何を誰を対価にあの力を手に入れたかは俺は知らない。

 だけど、何か大切なものを対価に力を手に入れては意味がないんだ。

 だって、俺は大切なものを守るために力がほしいのに、それを失ってまで力を手に入れて…それでその後はどうすればいいんだ?

 だから、俺は力がないままでもいいんだ。

 ヒロみたいに全てを守れる力がなくても、目の前にいる大切な人たちだけを守れればそれで…なのにどうしてだ?


「何をやっているんだ!!!」


 俺はその状況を見た瞬間に叫んでいた。

 最悪のシナリオだった。

 それを避けたくて、仲間と戦わなくてはならないところを振り切って、俺はハクアリティス様を監視し続けていたというのに、俺は結局彼女を止められなかった。

 俺が部屋に入った時には、開かれた聖櫃と解放されてしまった女神、そして嬉しそうなハクアリティス様がそこにいた。

 もう、何が何だか分からなくなった。

 ハクアリティス様を愛しているからこそ、彼女に罪を犯してほしくなかったはずなのに、最悪のことをしでかした彼女に対して今までに感じたことのないほどの怒りと憎しみを感じた。

 彼女が俺の感情を、俺の行動を知るはずをないのだから、こんなことを思うのはお門違いだと分かっていても、俺がこんなにも彼女のこと考えているのに、悉くそれを最悪の形で壊していく彼女に裏切られたと感じてしまう。

 どんなに他人のことを思っていても、所詮人間は一人で生きている。

 誰かを100%理解できるはずもないし、誰かの立場になれるはずもない。

 自分の立場でしか世界を見れない以上、結局は自分の感情が先行してしまう。

 恋愛に関して言えば、それが顕著に現れる。

 そして、それが顕著であるからこそ、誰かと衝突したり拒否されたりしたとき大きな傷を造り、そして、結びつき合えば強く強く絆が作られる。

 だからこそ、自分の思うようにことが進まなかった時、裏切られたと感じた時に自分というものが大きく揺らいでしまうのだ。

 揺らいだ自分と共に襲い来る、大きな無力感。

 その無力感は俺から思考や理性といったものの全てを奪い去り、気が付けば俺はオーヴからナイフを奪い取りハクアリティス様を刺していた。

 彼女に愛されなかった自分、彼女を守れなかった自分、失われたたくさんの命…俺は自分を失うほどの無力感と許されることのない罪の重さを『再び』感じた。

 『再び』?

 そう思って何か脳裏に引っかかるものを感じた。


『アラシ…お前は俺と同じ間違いは犯すなよ?』


 瞬間に俺は全てを思い出す。

 俺に罪を犯すなと言ったのは、俺を育ててくれた父親。

 その足元に美しい女が横たわっていた。

 それは子供時代に俺は封印した記憶。

 本当は俺は知っていた…黒の雷オルヴァラの力を解放するための手段も、そしてその力が解放された瞬間も見たことがあったのだ。

 横たわる女は俺の母親…だけど、母親は一度だって俺を見て微笑んでくれたことはなかった。

 少女のような無邪気で何も知らなかった母親は、不浄の大地ディス・エンガッドで生きるには弱すぎた。

 父親と出会い、俺を産み…そして、父親の力無さのために美しい母親は強者に攫われた。

 そして、晒された現実の過酷さに母親は壊れてしまったのだ。

 父親ともに母親を救いだしたとき、俺は初めて自分の母親に出会ったというのに、彼女は俺を見て酷く怯えた。

 いや、俺だけじゃない、父親にも、世界の全てに怯えて泣き叫んだ。

 美しく、笑顔が絶えなかったという母親の話を聞き続けていた俺は愕然として呆然とした。

 今になって思う。

 俺がハクアリティス様に強く惹かれたのは、俺の中で求め続けた母親の面影に彼女を重ねていた部分が大きかったのかもしれない。

 だが、俺以上に母親の状態を受け入れがたかったのは、彼女を誰よりも愛していた父親。

 父親は何とかして元の母を取り戻そうと必死だったが、それは最後まで叶わなかった。

 母親を求めて不浄の大地ディス・エンガッドをさすらっていたころより、泣き叫ぶ母を宥める毎日のほうが辛かった。

 終わりが見えない現実、誰を責めてもいいかもわからない苦しみ、まだまだ子供だった俺を抱えて、壊れた人形のように泣き怯え続ける母親を支え、父親が次第に心身ともに疲労していく様は子供の俺でも分かった。

 どうすれば父親を母親を救えるのか?

 小さい頃、俺はそんなことばかり考えていた。

 無力な自分が嫌で嫌で仕方なくて、もっと力が欲しいといつだって思っていた。

 だけど、そんな日々は突然に終わりを告げた、それも父親が母親を殺し、その後自らの命を絶つという最悪の形で…

 俺はどうして忘れていた?

 いや、忘れていた訳じゃない…俺は自分で思い出さないようにしていたんだ。

 そして、母親を殺した父親の手から立ち上った黒い影が、今目の前で同じ形を現す。

 今なら分かる。

 これは黒の魔力、黒の武器カシュケルノに宿る黒き神の力。

 それがあの時と同じようにみるみるまに女の姿で現れる。

 しかし、それはあくまで黒の魔力が女の姿をしているだけ、表情があるわけではなく、しかし、その顔らしき場所には口が存在して、俺を見つめてその口から声が発せられる。

 それもあの時と同じ言葉。

「貴方は大切な人の命と引き換えに何を望むのですか?」

 笑いたくなった。

 こんな形でハクアリティス様への気持ちを確認するなんて…同情でも勘違いでもない俺は間違いなく彼女を愛していた証明がそこにあった。

 彼女を愛していなければ、こうしてこの黒の魔力の女が俺の目の前に現れることもなかったに違いない。


『俺を殺してくれ。』


 かつて、父はそう言って黒の魔力に貫かれて死んだ。

 最後に俺にあの言葉を残して…。

 父は間違っていたんだろう…どんな苦しい状況でも命を絶って全てを終わらせることは決して許されることではない。

 俺はそのショックで恐らく記憶の一部を欠落したのだろうし、今だってこんな状況でなければ泣き叫び思い悩んだことだろう。

 だけど、俺はその父親よりもきっと更に罪深い。

「力が欲しい。」

 躊躇いはない。

 愛する者を踏みにじって、俺は力を手に入れる。

 大切なものを守るための力を得るために大切なものを失って、そして、俺はもう何も奪われないための力を手に入れるんだ。

「了解しました。異端の一族…黒き神の僕よ。貴方にその対価に見合う力を与えましょう。」

 今まで一度として感じることのなかった力が黒の雷オルヴァラから迸り、女の姿をしていた魔力は槍のように鋭く形状を変えると、そのまま俺を貫いた。

 体に痛みはない。

 しかし、体のもっと奥…自分を形成する魂みたいなものが貫かれたような気がした。


『よお…力がほしければ俺様にその体を寄こせ。』


 それが誰の声なのかは定かじゃない。

 しかし、俺はその言葉に確かに頷いた。

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