第15話 人間というものの定義 3
黒の剣は私のものだ。
だから、天使に取り上げられたはずのその剣を目の前に差し出されて、当然のことながら私は手を伸ばす。
細く身の丈は1メートルほどの銀色の鉄の刀身を持つ黒の剣は、一見すると何の変哲もない、どこにでもある普通の剣。
それでも迷うことなくそれが私の剣だと分かるのは、その柄の先に亡き母の形見である青い石が紐で結ばれて目印になっているから。
また父がいなくなってから私が譲り受けて以来は、ずっと共に戦ってきた唯一無二の相棒であるから。
そして、何より私と剣を結び付けているのが『彼女』だから、私は決して剣を見間違うはずなどなく常に共にありたいと思うのだ。
―――なのにどうしてだろう?
剣を手にしようとした瞬間に天使と戦った時のあの私には制御できなかった時の感覚が蘇り、胸に嫌な冷たさが落ちるのだ。
「あれ?あれれ?この剣、剣は、ちみのものですよ?!いらなのですか?!」
Dr.パルマドールのけたたましい声が、ぼんやりとしていた私を呼び戻す。
沈黙したまま黒の剣を手にしようとしない私に、彼は釈然としていない表情を浮かべていた。
だが、自分でもどうして自分の武器を手にしようとしないのか上手く言葉にできないのだ。
他人である上に変人のこの科学者様にそんな私の気持ちを説明したところで、理解してくれるとは思えなかったし、必要もないと思った。
それにこのDr.パルマドールは私がしゃべろうがしゃべらまいが、自分の好きなようにまた話し始めるのだ。
「心配しなくても、心配は無用です!わたくしは、ちみにこの剣を、返す、返すために、わざわざ天空騎士団から、この剣を拝借して、ちみを呼んだのですから。そう!だから呼んだのです!!」
―――いやいや、囚人の私に武器を返すなど誰が見ても怪しい行動だろう
しかして、そう冷静に心の中だけで突っ込んだ後、Drは更に突っ込みどころ満載の言葉を発する。
「しかし、しかしですね?この事態はわたくしの意志ではないのです。ないんですね!ラインディルト様の、ああ、ラインディルト様のご命令で、わたくしは今、ちみにこの剣を返しているだけなのです!そして、確かめるのです。確かめーる!」
そして、何だか段々とDr.パルマドールのテンションが上がっていっている気がする。
私は謎の生物の如く耳障りな鳴き声で喚く科学者を見ながら、拳に余計な力が入る自分を自覚していた。
狂った科学者様にはこのテンションが普通のことなのかもしれないが、慣れない私には正直会話するだけで大変な疲労感とストレスだけが溜まっていく感覚を覚るのだ。
しかし、今はまだこの男の目的を聞くことが先決である。
私は殴りかかりたい気持ちをグッと押さえた。
「ラインディルト?」
「『様』をつけるのです、『様』を!」
「ら・・・ラインディルト・・・様?」
Dr.パルマドールの血走った目をした顔をギリギリまで近づけられてので、私が引きつった顔のまま大人しく言うとおりにるすと満足したのか顔を離してくれた。
「うほん。ラインディルト様は万象の天使を支える三大天使。そう、三大天使!の一人、大地の天使であられるのです。ちみのような、低俗極まりない、低俗!なアーシアンがその名を口にすることすら、本来はおこがましいのです。全く、おこがましい!」
万象の天使の次は三大天使。
ここ最近、出てくる名前のあまりの大物っぷりにいまいち私は現実感が沸かない。
そのせいでDrの話を聞いて、私は驚くを通り越して呆れるような感情に捕らわれた。
「まあ、誰でもいいがその大地の天使様がどうして私に武器を返してやろうという気持ちになったわけだ?」
私の全く大地の天使を敬う様子のない態度にDr.パルマドールは、酷く不服そうな表情を浮かべる。
こんな非常識極まりない男でも天使には敬意をはらっているらしい。
「天空騎士団第一師団、副師団長エンリッヒの報告のせいです。あの若造天使の報告のせいなのです!」
とDrは今度はエンリッヒに対して怒り出したようで、その感情のままに黒の剣を怒りに任せて私の足元に叩き付けた。
どうも天使全てを敬っているというわけでもないらしい。
本当に分かりやすい男である。
床に転がった黒の剣が、僅かに私の足に触れる。
しかし、私はそれに気がつかないふりをして下を向かず、Dr.パルマドールに視線を置いたままにした。
Drは私の様子など目も向けず、ひたすら自分のペースで話続けている。
「大体、こんな何の変哲もない剣が黒の武器、あの黒の武器なわけはないのです!それをあの若造天使、若造天使が、言うのですよ!ちみがこの剣を黒く変色させて、神の力と同等の力を発したなどと法螺を、プププ、法螺を吹いたために、ラインディルトさまがそれを気にされたのです!」
若造天使とはエンリッヒのことだろうと予想できる。
要約すればDr.パルマドールはエンリッヒの私との戦闘における報告の真偽について、確かめるよう敬愛する大地の天使に命じられているようだ。
この傍若無人な科学者も、自分が敬っている大地の天使には絶対服従らしい。
「『カシュケルノ』というのは、何だ?黒の剣のことをいっているのか?」
エンリッヒの報告が今言ったとおりであれば、特に偽装された報告というわけではないだろう、ということは黒の剣は、三大天使に目をつけられるほど何か特殊なものだということなのだろうか。
―――しかし、『カシュケルノ』という言葉には、とんと聞き覚えがない
「・・・ほら!見てみなさい!見てみなさい!」
しかして、素直に私が尋ねると誰に言っているのか分からないが、元々高かったDrのテンションが更に上がった。
「きぃー!!こんな黒の武器が何たるかも知らない低脳な、低脳すぎるアーシアンが、天使すらも滅するといわれる黒の神の力を持つはずが、いいえ、持つことが許されるはずもありません!!!」
頂点に行ってしまった科学者は狂ったように笑う。
そして、その狂った勢いのまま黒の剣を踏みつけて、私に見せ付けるように目が血走ったまま笑みを浮かべた。
「所詮、低俗で、低俗なアーシアンがもつ剣など、わたくしたちに踏みつけられるぐらいが、ちょうど良い・・・、ひひひ、ちょうど良いのです。」
―――プツン
それを聞いていい加減に、色々溜まっていた私は・・・きれた。
「言わせておけば。おい。この変人科学者、誰が低俗?何がちょうどいいって?」
静かに頭に血を上らせた私は黙ったままDr.パルマドールに近づくと、鎖に両手を縛られたまま腕を振り上げて、そのいけ好かない顔を思いっきりぶん殴った。
「ピギャッ!」
Dr.パルマドールはそれまで従順だった私が、殴りかかってくるのとは予想もしていなかったのだろう。
驚愕に目を見開いたまま呆然として、情けない声を上げて床に転がった。
鎖の効力のせいで拳の威力は強くないだろうが、その分は堅い鎖を顔にクリーンヒットさせていることで補うことができただろう。
みっともなく転がったDrを見下ろして、ちょっとすっきりした私である。
アーシアンにだって最低限のプライドはあるし、黒の剣は私にとって特別なものなのだ。
踏みつけられて怒らない人間などるはずもない。
「ななななななん、何をするのですか!何を!!!こここの天才科学者である、わたくしを殴って、ちみ!ただで、ただですむと思っているのですか!?」
思わぬ反撃に気の動転したDr.パルマドールが何事かまくしたてるが、どっかの何かが切れた私は、脅されるように言われたところで何も感じない。
「じゃかぁしい!こっちは一ヶ月も拷問され続けるは、何にも状況が分からないは、あんたみたな変人に付き合わされるはで、鬱憤がたまりまくなんだ。まさか、あんたこそ一発殴られるだけですまされると思ってないよな?幸い、部屋はあんたしか出入りできないらしいし、邪魔は入らないよな?」
私は小心者の癖に昔から切れてしまうと後で激しく後悔するのに、何もかも忘れて突っ走ってしまう。
本来は自分で言うのも何なのだが、単細胞としかいえない人間なのだ。
そして、単細胞な今の私にはこの科学者を気が済むまでぶん殴ることしか考えられない。
恐らく顔に笑みすら浮かべて、私は床に転がった男にまた一歩近寄った。
すると、恐怖に顔を引きつらせたDr.パルマドールが、声をあげた。
「やめるのです!はい・・・、やめるのです!!わ、わたくしなど殴っても、何の生産性もありません!あるわけないでしょう!むしろ、自分の立場を悪くしますよ!!」
しかし、私の切れ具合は変わらない。
「生産性はなくても私の気がいくらか晴れる。」
「ぎゃー、野蛮人!野蛮人です!」
実際は神経を逆撫でしかしてないが、本当は私を必死で宥めようとしているらしい。
そんなDr.パルマドールを、私は一言で切り捨ててやると、ついに彼は絶叫した。
それを見て酷く気分がいいと感じる私は、よほど一ヶ月の囚人生活でストレスを溜めていたらしい。
「さあ、覚悟してもらうか?」
そういって今は凶器と化した鎖をジャラリと鳴らし、もう一歩踏み出した瞬間だった。
それまで恐怖に顔を引きつらせていたDr.パルマドールが、私を見てにやりと笑ったのだ。
「?」
しかして、おかしいと思うよりそれは速かった。
足元の床がなくなる同時に、落下していく浮遊感が私を襲ったのだ。
「うわぁぁぁぁぁっ・・・・・・・・・!」
ベシャッ(←私が底にぶち当たった音。)
「イダッ!」
両手が縛られているので、碌な受身が取れずに体に衝撃が襲った。
「いたた。一体、なんだ?」
落下した距離は短かったので、衝撃とはいってもさほど大きくなかった。
しかし、予想もしない事態だったので驚きが先立った。
私はすばやく起き上がると、周囲を確認した。
先ほどの豪華な部屋とはうってかわり窓や出入り口さえない、継ぎ目のない白い壁が無機質に、だだっ広い空間が広がっていた。
「ここは・・・」
私が落ちてきただろう天井を見上げてみるが、落とし穴は既になんの痕跡も残っていなかった。
「しししししし!」
私が辺りを見回していると、変な動物の鳴き声のような笑い声が空間に反響した。
「いい気味です!わたくしを殴った当然の報い。報いなのです!アーシアン、アーシアンめ!!」
「ここはどこだ?私の剣が『カシュケルノ』か確かめなくてもいいのか?」
声は聞えても姿は見えない。
私は気配を探りながら声を張り上げた。
「あんな普通の剣が黒の武器であるはずが、あるはずないのです!しかし、しかしです。たとえ可能性がゼロに等しくとも!科学者たるもの、わたくしのような天才科学者たるものですよ?ちゃんとその確証を得てから結論は、結論は下すものです!」
私の声に答えるようにDr.パルマドールがけたたましく持論を述べるた。
すると天井の穴がまるで生き物の口のようにパクリと開き、上から黒の剣が落っこちてくる。
そして、Drの話は続く。
「まあ!ちみ如きに、わたくしがわざわざ手を下して、確証を得る必要はないのです。はい。全くないのです。なので、ちみにはここで死ぬまで戦って、戦ってもらうのです!」
「どういう意味だ?」
何が『なので』かさっぱりわからない。
脈絡のないDr.パルマドールの言葉に私が問うと、それには律儀に答える。
「だから、だからよ?今から、ちみにはわたくしの協力者と戦っていただくわけですよ!もしそれがあの黒の武器だっていうであれば、ちみは、協力者を倒すことができるです!で、それが間違いであるならば、ちみは、死ぬしかないのです!死になさい!」
響き渡る声が大きくて耳鳴りがした。
その叫びに答えるように、音もなく私の目の前20メートルの壁がパクリと人一人くらい通れるほど開いた。
その先にマントで全身を覆っている人影が一つ。
叫びと笑い声が収まると付け足されるように声が続いた。
「まあ・・・それが黒の武器であるはずはないのですから。間違いなく、ちみは死ぬんですがね?せいぜいわたくしに無礼を働いたことを後悔して死ぬが良いのです!」
本当に言うこと、なすことムカつく男だ。
さっき、もっと殴っておけばよかった。
そう後悔しながら、目の前に現れた『協力者』を見据えた。
「協力者だか何だか知らないが。剣など必要なく私がこいつを倒したら、どうるすんだ?」
「しゃしゃしゃ・・・、その拘束された素手で、まさか素手で倒せると?このわたくしの協力者の真の姿を見ても、同じことがいえるのかしら?」
真の姿とはどういう意味だろう?
私は距離を保ったまま沈黙を守る『協力者』をみた。
『協力者』と言うのは、恐らくDrの研究の協力者ってことのはずだ。
まさか、天使とか?
それであるならば黒の剣を使わざるを得ないだろう。
Dr.パルマドールに力を見せることには、いささか躊躇する思いがないわけではないが、
―――今はここを切り抜けることだけ考えよう
頭を切り替えると『協力者』との距離を確認し私は駆け出して黒の剣に手を伸ばした。
しかし、黒の剣までもう少しというところで、私は剣との再会を別の力に阻まれた。
「ぐ・・・」
そして、そのまま私はマントで何もかもが覆われたままの『協力者』に、首根っこを掴まれたまま体を持ち上げられていた。
首が締まる。
―――なんて力だ・・・
私と大して体格も変わらないはずだが、私を片手で持ち上げてその首を絞めるなど、その力は私など比較にならない怪力だ。
「ひひひひひ。さあ、わたくしの愛しい、愛しい『協力者』よ。その姿を見せてあげなさい。きっと、驚いてくれますよ?きっと・・・。」
私のそんな姿を見て酷く嬉しそうな声でDr.パルマドールは、『協力者』に命令した。
そして、その命に従い『協力者』は私を掴んでいないほうの手で、頭にかぶっているマントをとった。
「!」
その姿に私は目を見張る。
「紹介しよう。わたくしの人体実験の『協力者』。」
―――『協力者』?
違う。それは『被験者』の『犠牲者』の間違いだろう。
「フシュー。フシュー。」
規則正しく息を吐く唇からは、人間のものとは思えないほど大きな牙。
苦しむ私を見るのは、もう何の感情も移さない、瞬きもせず赤く光る瞳。
私の首を掴む手は、もはや魔物としかいい様のない爪と大きさを持つ。
そして、部屋の照明にさらされた肌は、死んだ人間のように青紫の傷だらけの肌。
―――それは人間の原型は保ちつつも、もはや人間とはいえない魔物だった
よくドクターが「ちみ」と言っていますが、「君」という意味です。
加筆・修正 08.5.30




