第137話 悪魔の封印 2-6
あれは今から1年ほど前くらいの出来事だった。
私たちは『呪われた街』を探す少年カイと出会い、彼のご先祖様の武器であるという黒の杖を求めていた。
今となっては『黒の』という言葉を聞けば、それが黒の武器であると容易に気がつけただろうが、当時の私はその厄介さも分からないままに事件に巻き込まれ、かつて黒き神と共に戦った黒の一族、いや、黒き神と契約を交わした異端の一族の生き残りに出会った。
恐らくカイも私と同じく異端の一族の末裔なのだろうが、彼は何らかの理由で黒の杖を求め、ニールティア―と名乗った異端の一族と私たちは戦うこととなった。
その詳しい説明はとりあえず省くが、最後の最後黒の杖を彼女から奪おうとしたエヴァがニールティアーに殺されかけた瞬間にそれは起こった。
何の力もないはずのエヴァが突如として不死身の異端の一族を消し去り、千年前の彼が知らないことを語り、見せたことのない残虐性を露わにした。
「さようなら、ニールティアー。君は本当に可哀想な人だね。」
消し去ったニールティアーに心のこもっていないそんな言葉を投げつけて、それからまるで人が変わったように笑顔になると私に抱きついてきたのだ。
「エヴァ?」
目の前で何が起こったか分からず、目を白黒させていた私に抱きついてきたエヴァの力は強すぎるくらいで、痛みすら感じた。
「会いたかったよ、ずっと」
そして、その言葉に疑問を感じた。
『会いたかった』?ずっと一緒にいたじゃないか、そう言おうとして見下ろしたエヴァの顔を見てその言葉は出てこなかった。
私を見てうっとりとする表情を浮かべたエヴァにぞっとする悪寒を感じた。
「…だけど、今はまだ駄目だね。もう、アイツが僕に気がついた。」
「アイツ?」
エヴァは私から体を離す。
「もうすぐこの街はなくなっちゃうから。早く逃げて、なるべく遠くに。」
その言葉の通り、その数分後には呪われた街は跡形もなく消えた。
『アイツ』が誰なのかは今でもよく分からない。
でも、私は気が付いた。
壊れた残骸すらなくぽっかりと空間ごと消えた街、それは罪人の巡礼地の末路との符号。
そこに共通するのは暴走した私の灰色の魔力と、エヴァの中で目が覚めた力。それは何だ?
「少しだけでも会えて良かった。千年ぶりでも例え転生しても貴方は貴方だ。」
そして、そう告げたきり、意識を手放し昏々と眠り続けたエヴァが目を覚ましたのは丸一日後。
だが、私はエヴァの様子が明らかに可笑しかったことを、その時のことを忘れている目の覚めたエヴァには告げることができなかった。カイにも黙っているように言い含めた。
私は怖かった。それを言うことで、私の知っているエヴァが消えてしまうことが。
でも、やっと分かった。
あれは神に忌み嫌われた子供だった。
そして、ニールティアーを消し去ったあの力は灰色の魔力だったのだ。
「万象の天使が神に忌み嫌われた子供なのか?」
たどり着いた結論は、悪魔が告げた言葉と同じもので、自分で口にしてもどうにも納得いくものではなかった。
先程までの記憶を見れば万象の天使とラーオディルは同時に存在していたし、そんな様子は微塵も感じられなかった。
だが、悪魔の封印を解いて見せた彼の力は、私と同じく灰色の魔力に深く侵されている証拠。
彼とラーオディルが同一人物だというのであれば、その説明はつく。
「正確にいえば、二人は一人だった。だが、神の傲慢さが、神の罪が、一人を二人にした。一人は全てに愛されるための存在。一人は全てに忌み嫌われるための存在。相反するほどに違う二人に別れたんだ。その答えはこの続きを見れば分かる。」
先ほどしたのと同じように悪魔は指を一つ鳴らすと、止まっていた記憶が再び時を刻みだす。
「貴方はそれ以外ならば全てが望むままなのに…どうして黒き神を愛した?どうして黒き神の愛を受け入れた?神同士の交わりは世界の理で禁じられている。なのにどうして交わった?子供を産んだ?」
記憶の中の悪魔が苦々しげに吐き捨てる。
白き神は狂った表情のまま、どこか何かに陶酔したように彼を見上げる。
「どうして?誰かを愛することに理由がいるというのですか?愛した人が偶然、同じ神であっただけなのにどうしてそれが許されないの?」
愛おしそうに醜い黒き神の顔をさする白き神。
白き神の中の狂気は激しさから穏やかなものへと変わりつつあった。
しかし、穏やかながらもはらむ狂気は不気味ですらあり、背筋に寒気がはしった。
「ならばどうしてその結果を受け入れなかった?愛する男との間に生まれた子供の醜い部分をどうして切り離したりした?神に忌み嫌われた子供と無色の神ヨイ…貴方は二人をどうするつもりだったのだ?」
その言葉を聞いて理解する。
やはり無色の神など存在しないのだ。
無色ではなく本来持っていた灰の色を取り除かれた神、それが無色の神ヨイ、その記憶はなくとも万象の天使が人形として生まれ変わる前の存在。
本当ならば彼こそが灰色の神と言われるべき存在だった。
禁忌の末に生まれた存在こそが、理に反するべき魔力の根源であったのだ。
そして、神という器から切り離されたラーオディルは人間でありながら、灰色の魔力の根源となった。
二人は一人。
まさか、最高神が世界の理を破る禁忌を犯していたとは思わなかった。
いや、白き神も黒き神もともにそれを破るために灰色の魔力を求めていた。
自分の持っている力だけでは飽き足らず、もっともっと強い力を強い願いを叶えるために求めていた。
だが、その力すらも自分たちが犯した罪の結果だというのか?
ならばどうしてその罪を切り離した。その罪を見捨てたというのであろうか。
「だって禁忌の証を残す訳にはいかないではないですか。だから、子供も罪の部分だけ切り離して捨てました。そうしなければ私の手元に置いておけなかった。まさか、その罪が灰色の魔力になるとも知らずに…でも、もう全ては済んだことではないですか。私もウ・ダイももうあの子にさびしい思いはさせないわ。親子三人、今度こそ幸せに―――」
「だってじゃねえ!!!」
悪魔が絶叫する。
その声に怯えた子供のように白き神の表情が強張った。
「捨てられた子供はどうなる?いらない部分だと捨てられて、『忌み嫌われた』と名付けられて…その子供の気持ちを考えたことがあるのか?俺がアイツを拾った時の見ているだけで泣きたくなる、叫びたくなるくらいの絶望をお前は考えたことがあるのか?今からがよくても、あんたがラオを捨てた事実は永遠に消えないんだぞ?」
捨てられた子供を拾ったのが悪魔。
彼はそれを拾って育てた…そういうことなのだろう。
そして、だからこそラーオディルの悪魔への想いは強くなった。それこそその体が失われ、転生した私にさえ執着するほどに…。
愛情を持って育ててくれた両親がいた私にはそんな生い立ちには無縁であり、ラーオディルの本心のほどをはかり知ることはできない。
だが、想像するだけでそれは彼の心に大きな傷を残したに違いないのだ。
―――それこそ両親の一族である神全てを滅ぼしたいほどの深い憎しみを抱くくらいに
「でも、それは貴方だって同じでしょう?ヴォルツィッタ、貴方もあの子の強い思いに耐えかねてあの子を手放した。あの子の力が引き寄せる絶望を恐れてあの子を捨てた。あの子は神に忌み嫌われた子供。全てから見放され、全ての不幸を身にまとう子供。貴方が自分さえ犠牲にしてラーオディルを見捨てなければ、こんなことにはならなかったのではない?」
その言葉に悪魔の表情から感情が消えた。
「貴方も所詮は私と同じ。全ては自分のために行動しているにすぎない。あの子のために自分が不幸になることなんてできない!でなければ、どうしてさっき貴方は全てを終わらせようとしなかったでしょうか?貴方は一体何を考えているのですか?…まさかっ!!!」
黒き神を胸に抱き怯えるような仕草で彼女は言葉を続け、それから重要なことに気が付いたと言わんばかりに大声を上げた。
「白き神!?それはどういう意味なのですか?奴は異能者との対面で一体何をしたというのですか?!」
そのただならぬ様子にエンシッダが悪魔と白き神の間に入って、彼女を守る様に立ちはだかる。
「あっ…うう」
しかし、突然に白き神は声を発することを止めた。
それは恐らく彼女の意志とは別のものなのだろう。
まるで溺れた魚のようにパクパクと口を動かし、顔を真っ赤にしいかにも苦しそうだ。
「白き神?どうしたというのですかっ?!」
そして、白き神はたちまちに小さく幼く縮んでしまったかと思えば、気が付けば生まれたての赤子の様な姿となった。
―――オギャアオギャア
広く続く空間にものを語ることもできぬ、ただ生きているだけの赤子の強い泣き声が木霊する。
「きっさまぁ!なっ何を!?」
動揺と怒りに口がまわらないエンシッダ。それとは対照的にひどく感情が見えない悪魔。
「白き神には本来の姿に戻ってもらっただけだ。生を象徴する赤子…それこそが白き神の本当の姿。」
輝くばかりに美しい赤子と今にも老い果てようとする醜き翁。
相反する生と死。しかし、それは繰り返される生き物の営み。
その二つが交わる姿は強く私の心に焼きつき、そして、次の瞬間に爆発した。
「?!!」
轟音とともに白黒二つの神から強い力が発せられる。
「エンシッダ、教えてやるよ。灰色の魔力、異端の力は神と神の混じり合いにより生まれる。だが、それがどうやって混じり合うのか知っているか?それは神の本性と本性が重なった時さ。だから、神は普段は本性ではなく人型をとって対面するんだ。そうしなければ神と神は瞳を見つめ合うことすらできない。」
本性と本性…とは、正にこの今の状況ではないのか?
嫌な汗が背中を伝ってゆく。
からからに乾いた喉で生唾を飲み込んだ。
「だが、誰かを愛すると皆貪欲になる。相手のことの何一つ知らなくては安心できない。しかも、それが愛する者の本性であれば尚更だ。だから、それが禁じられるとかえって知りたくなる。そして、何十年も前に灰色の魔力という名の、後に二人に別れる赤子が産まれた。そして、彼の兄弟が今誕生した訳さ。」
二人の神の間で巻き起こった力の爆発は、悪魔の言葉通りすぐさま大きな灰色の魔力に形を変えた。
それもただの灰色の魔力ではない。
『キアアアアアア』
耳が痛くなるほどの高い泣き声は、白き神の赤子の泣き声とは異質なるもの。
悲しみや怒り、絶望、全ての負の感情がむき出し叫びが空間を支配し、形作られる魔力はまるで人の形をとり、その人型は身もだえながら広い世界の胎内の中を飛び回る。
醜く腐り落ちたような灰色の魔力のその結晶の姿に私は見覚えがあった。
「朽ち果てた白?」
人の形はしていても人になり損ねた腐りかけたその姿は、現実の世界の胎内の中で見たそれに間違いなかった。
「悪魔!貴様は何がしたい?!灰色の魔力をまた生み出させて世界を破滅させたいとでもいうのか?!!!」
やむことのない悲鳴は激しさを増し、二人の神から生まれる灰色の魔力は尽きることを知らず朽ち果てた白は大きく悲惨に成長してゆく。
それを青い顔をして見つめならがエンシッダは悪魔に怒鳴った。
「まさか、俺はそんな破滅願望は持っていないさ。3人の王と約束したように世界を守るために、これから東方の楽園とともにこの灰色の魔力は全て封印するさ。」
悪魔が何を考えて行動しているのかなどと、もうこの時の私には理解できる範疇をはるかに超えていた。
自分で仕掛けて新しき灰色の魔力を誕生させたのにもかかわらず、今度は自分でそれを封印するという。
何かに気が付いたような白き神、消えたラーオディル、呆然とした万象の天使、死にかけた黒き神、そして、産声を上げた第二の灰色の魔力・朽ち果てた白…その理由の全てが欠落した異能者との邂逅にあるに違いない。
悪魔の様子は全てあの時を境に変わっているのだ。
私は記憶の傍観者である悪魔を睨みつけた。
「あんたは一体何がしたかったんだ?」
支離滅裂としか言いようのない悪魔の行動の理由を聞くなら、本人に聞くのが一番手っ取り早い。
「さあ?でも、これで分かっただろう?悪魔の第二の封印を解けば第二の灰色の魔力、それもラーオディルのように意志を持っているかも定かではない、暴走の赤子が解き放たれる。これが世に出れば、間違いなく世界はあっという間に灰色の魔力に喰われ朽ちるだろう。エヴァンシェッドがお前にそれはできないに違いないと告げた理由も理解できただろう?」
万象の天使の意図は理解できた。
そして、この記憶を通して彼の中に感じた違和感もおぼろげながらに理解した気がする。
「質問をすり替えるな!私が聞いているのは悪魔!あんたの思惑だっ」
私の中にいる悪魔は実に悪魔らしく笑った。
果たして彼はこんな風に笑う男だったか?
「それは今から分かる。そのためにお前がここにいるのだからな。」
厭らしく笑ったその表情に私は自分がここにいる理由を想い返した。
―――悪魔の封印を解く
だが、それは果たして一体誰のために?
そして、私は再び意識が遠のくのを感じた。