第133話 悪魔の封印 2-2
白き神は灰色の魔力に侵されていた。
その事実は先日聞いたオウェルの話からも理解していた。
白き神は人形として無色の神ヨイを蘇らせるために、神に忌み嫌われた子供と契約し灰色の魔力に囚われた。
オウェルはその灰色の魔力に侵された白き神を目の当たりにしたと言っていた。
だが、東方の楽園ごと封印されるほどに、その彼女は危険だったのだろうか?
少なくともオウェルの話だけでは、そんな危険性は感じられなかった。
「この話、もっと君は驚くかと思ってたけど、ある程度は千年前の話も知っているんだな。エンシッダが話したのか?」
「まさかあの野郎が親切に私に説明してくれる訳ないだろ?」
それをいうとなるほどといった感じで天使は神妙に頷く。
「私に千年前の話をしてくれたのはオウェルさ。」
しかし、私がそう告げた途端に彼の瞳の色が一瞬だけ変化したように見えた。
「銀色の神か…まだ生きていたのか。」
「知っているのか?」
「え?あ、いや…俺は…それより話を戻そう。」
煮え切らない態度を変に思ったのは確かだったが、大したことではないかと私は気にしないことにした。
大体、何が可笑しいと問われると明確な何かは説明できない。
違いというよりは、以前見たことのある何かと万象の天使がダブったような、強いデ・ジャビュに近い気がした―――だが、それが分からない。
「銀色の神なら千年前の全容も凡そも分かっているだろうけど、彼もまた全ての真実を知っている訳じゃない。ヒロ…君には全てを話そうと思う。」
「どうして、お前は私にそこまで?」
「俺はヒロが欲しいからだ。」
「ほっしぃいいい?」
その言葉にずさっと自分でも過剰じゃないかというくらいの勢いで私は後ずさった。
体中に鳥肌が立ち、顔は自分でもわかるくらい血の気が引いた。
「何、変な誤解をしているか分からないけど、別に俺は男を恋人にしようなんて酔狂な趣味はないよ。まあ、誘われたことはあるけど、全部ねじ伏せてきたし。」
「あ、そう…ははっ。」
私の反応をえらく白い目で見られたが(しかも何気に重大発言じゃないか?)、そもそもこの男とは天使の間で男の恋人だという、あまりに情けない称号まで頂いているのだ。
私が過剰反応するのも無理はない。
「じゃあ、どういう意味だよ!」
「さっきも言ったろう?俺はエヴァとヒロを幸せにするという契約を結んでいる。だが、君が人間側にいる限り、それは不可能なことだ。人間と天使は決して相容れない種族だからな。」
元は同じ種族だというのに、それはあまりに悲しく皮肉な運命だ。
「だから契約を守るためには、君が天使側にきてもらう必要がある。」
「冗談じゃない!私に人間を裏切れって言うのかっ!?殺されたって御免だ!!」
―――そうだ…それでいい、やはりお前は私だよ、ヒロ
―――駄目だっ!これ以上『ヤツ』に深入りするな!
叫んで誰かの声が腹の中から響くのを感じた。
二つの意見、だが、一人の声。
誰かなんて考えなくてもわかる―――私の前世だという悪魔・ヴォルツィッタ。
自分の中に誰かがいるという感覚が当たり前になりつつあることを気分悪く感じたが、振り切ることのできない存在を私はいつしか目をつぶってやり過ごすようになっていた。
だが、今回の言葉には彼の存在という嫌悪感にまして、奴が自分と私を同一化しようとするその考え方が嫌だった。
私は誰が何と言おうと『私』だ。
前世だろうが、転生だろうが私が誰かになることはないし、またその逆もない。
ヴォルツィッタの中にもそんな葛藤があるのか?
同じ意識から聞こえてきた二つの声に私は、嫌悪感とともに不可解さも感じた。
しかし、今は自分の中のその葛藤に構っている暇はない。
「何故?それが君の可愛がっていたエヴァの願いだ。」
それに悪魔はあちらから一方的に意識を私に伝えてきても、私の意識を捕まえ罪人の巡礼地の時のように体を乗っ取ろうとする気配は見られない。
だからこそ、私は悪魔に対する拒否感のまま強い気持ちで天使に言葉をぶつけた。
「エヴァの願いは私の幸せだ!私に天使の仲間になれってことじゃないっ」
人間の未来の為に戦うと決めたのに、その私が天使に寝返るなんてありえない話だったし、それを聞かされるだけでも酷く嫌悪感が先だった。
天使の悪行の数々を目の当たりにしてきた。
千年前の天使の不幸や悲劇を知っても、だからって彼らが人間にしてきた非道は許されることじゃないはずだ。
「そういうと思った。だから、全てを話すのさ。」
「何?」
「この話を聞けば君はもう悪魔の封印を解こうなんて思わないはず…いや、それが不可能なことを知る。封印が解けなければ、人間に未来がないことは自ずと分かるはずだからね、俺の言うことも少しは聞く気になるだろう。」
―――不可能?
訝しむ私に向かって天使は笑った。
その笑顔は誰が見ても美しいと思うに違いない輝きを放っていたが、どうしてか私には何か暗い闇を纏って見えた。
「第二の悪魔の封印・朽ち果てた白の封印を解けば、世界は灰色の魔力で死の世界となり果てる。君はそれでも封印を解くのか?」
突きつけていた剣を手で弾いて天使は私に詰め寄る。
「意味が分からない。灰色の魔力で世界が?何の冗談だ。」
「君も見ただろう?罪人の巡礼地で君が起こした灰色の魔力の暴走。あれが世界規模で起きれば世界がどうなるかなんてすぐにわかるじゃないか。」
そう言われてもあの時の記憶は曖昧で、思わず分かるかよと毒づいた私。
「あれ?そうなの?じゃあ、灰色の魔力の性質くらいは知ってるよな?灰色の魔力は全ての魔力を吸収し増大する。そして、魔力とは生命力に近い存在だ。」
それは分かるのでこくりと頷く。
「そこに大量の灰色の魔力が投入されたらどうなるか想像してごらん?灰色の魔力は世界に生きとし生けるものの生命力を吸収し、増大し、最後には世界の全てを覆い尽くすことだって時間の問題さ。」
確かに万象の天使の言い分は理解できた。
「だが、これまで世界は灰色の魔力に覆い尽くされてはいないじゃないか?神の大部分が灰色の魔力に犯されていた千年前の状況を考えれば、とっくの昔に世界はその状況になっていてもおかしくないだろう?」
「そうさ。千年前はいつそうなってもおかしくない状況だった。だから、東方の楽園は他の大地から隔離されるために封印された。」
「だが、封印したのは悪魔だろ?」
封印ということは外、すなわち万象の天使の言い分から言えば東以外の他の大地から施されたはずのもののはずだ。
しかし、東方の楽園の封印は悪魔が、この大地で施したもののだ。
「悪魔は世界を救うために自分を犠牲にしたのさ。他の大地の王たちに東を封印することを約束し、同時に自分が犠牲になることで東の中の灰色の魔力の全てを道ずれにした。」
「悪魔を処刑したのは天使だろうっ!?」
それも万象の天使の片翼を切り落とした罪で、罪人の処刑台で白き神によって処刑を執行されたはずだ。
「その結果、悪魔は全ての力を失った。だから、いとも簡単に処刑された。でなければ、灰色の魔力を唯一支配できたあの悪魔が処刑なんかされるものか。」
だが、それであるならば灰色の魔力を封印するだけで自体は収集するはずだ。
どうして他の大地の王たちは東の封印を悪魔に約束させた?
そして、どうして悪魔はそれを了承した?
「ねえ、どうして悪魔がそんなことをしたかヒロは知りたいだろう?」
心を読んだような囁きにギクリと心臓が嫌な音で鳴った。
いや、話の流れから考えれば、私の思考など万象の天使には手に取るようにわかるのか?
だが、思っていたことを言い当てられただけではない、私の中の第六感ともいうべきものが何かを警告していた。(私の第六感はこれでも結構あたるのだが、如何せんいつも役に立つことがない)
「でも、ヒロは俺の言葉を100%信じはしないだろう?だから、俺は考えたんだ。ヒロが千年前の真実を知るとってもいい方法を…ね。」
ふふと笑いながら万象の天使は酷く楽しげだった。
しかし、私といえば何やら嫌な予感がビンビンしていて、突き付けていた黒の剣とともに万象の天使から少しずつ後退を始めた。
「嫌だなぁ。どうして俺から離れていくの?こんなにヒロのことを考えているのに。」
「貴様は絶対、何かおかしいぞ?」
私に対して何らかの執着を見せているのは分かっていたが、それはあくまでエヴァとの契約があればこそだと理解できれば納得がいく程度だった。
だが、ここにきてこの天使の私に対する様子はどう見ても異常だ。
思わず思ったことを口にしたが、万象の天使はきょとんとした表情をした後に、一瞬だけ苦しげな表情を浮かべた。
「だ…て、俺は―――」
しかし、それは再び消える。
万象の天使は見たこともないほどに晴れやかな顔に変わると、動揺する私との距離と詰めた。
天使のおかしな様子に気を取られていた私は、一瞬のことに対応が遅れる。
「『僕』の話は今はいいよ。さあ、千年前の記憶を思い出して…貴方の魂に刻みつけられた悪魔の記憶を体験してくるんだ。」
そう小さくつぶやいて、天使は私が想像だにしない行動をとった。
―――私の唇が天使の唇で塞がれた…のだ
(ギヤアアアアアアアア!)
心は絶叫を上げたが、突然のことに動けず私は完全にショートした。
だが、妙に体の神経は敏感になっていて、触れる唇の柔らかさと一緒に天使から送られてきた気配にびくりと体が動いた。
(これは…灰色の魔力?)
唇を通して入り込んできた灰色の魔力を感じた途端に、ぐらりと揺らいだ視界と体。
私はこれが夢なら早く覚めてしまいたいと思いながら、意識が急速に混濁していくのを感じた。
そして、気が付いた。
万象の天使にダブる、いや、いまや万象の天使を覆い尽くさんばかりのその正体が…
―――エヴァ?