第130話 君こそが僕の罪の証 4
―――魔力は本来、何色とも混じることのない純粋な色である
他の魔力を取り込むなど、灰色の魔力という規格外の存在だけで、魔力同士は本来、反発しあい混じり合うということはありえない。
故に魔力の源である血に違う色の魔力が入ったことにより、反発しあう魔力が血管の中で沸騰し体中を熱くする。
そして、その熱さのすさまじさは痛みへと変化する。
痛みは永遠にも似た強烈さで刻みつけられ、俺は痛みのあまりに体を大きく揺らした。
俺の体に足をかけて剣を突き立てていた天使は、その揺れに剣を突き立てたままに俺から離れる。
「俺とラインディルト、三大天使のうち二人の魔力を注ぎ込んだんだ。貴様が真の力を発揮しようが何をしようが終わりだ。」
先ほど俺が天使たちにしたように、違う色の魔力が体内に割り込むということは毒に等しい。
その魔力が強ければ強いほど、量が多ければ多いほど、その有毒性は増す。
剣を通して注ぎ込まれた魔力は、俺が羽でつけた傷よりも遥かに濃く多い量。
魔力を研究する上で様々な実験をしてきたが、神という個体に対して三大天使の魔力という、ある意味、世界最高峰の魔力のぶつかり合いは想定したことがなかった。
ましてや、それが自分の体の中で起こっているなんて…、研究者としてはこんな時には何だが、非常に興味深い実験のような気もしないでもないが、それは体中を駆け巡る痛みがない前提の話だな。
体にまわる強い毒は俺の体の中で拒否反応を起こし、予想していない事象を起こし始めた。
鼻がもげるような腐敗臭とともに、ジューっと何かが焼けるような音がどこからともなく聞こえてくる。
―――そこにあるのは爛れ腐りゆく、我が体!
まさかな展開に言葉が出なかった。
しかも、その腐敗はすさまじいスピードで浸食している。
ぼたりと落ちる肉片に、滴り落ちる血は変色し、羽は抜け、むき出しになった骨にひびが入る。
腐り崩れ落ちる体に、痛みも苦しみも最高潮に達した。
『ギアアアアアッ』
俺の叫びは更に強く、激しいものになる。
「終わりだ、ブルー・ナイツ。この世から神なんか一匹たりともいなくなればいい。神さえいなくなれば、俺たちは天使として生き続けられる。」
なのに、どんな音だって叫びにかき消えるはずなのに、シェルシドラの言葉はどこまでも静かなままに俺の耳に届くんだ。
それは俺の中にある、彼らへの罪悪感ゆえなのか?
神は人間を天使に変えた。
なりそこねた神同様に、彼らの人間としての生を奪い、捻じ曲げた。
さりとて、俺たちは天使を人間に戻すことはできない。
だから、彼らは天使であり続ける…そのために必死だった。
人間を自分たちとは違うものだと切り捨て、そのために同胞すらも騙し、憎むべき相手である俺達すら利用した。
偽りを真実に変えるために、彼らはいくつの罪を重ね、痛みに耐えてきた?そして、同時に俺は思う。
―――偽りのまま生き続けて、それは天使たちの幸せなのだろうか?
だが、不意に浮かんだその問いは、痛みのあまりに朦朧とする思考の中では、たちまち消えていく。
左翼が崩れ落ち、空中で態勢を維持できなくなって乾いた大地に堕ちる。
そのまま起き上がる力もなく、乾いた大地に倒れこんだ俺の視界は現実を映さなくなる。
『お父さんっ!』
目の前いっぱいに広がる、愛しい娘シラユリの笑顔。
俺はこのままあの子を置いて、醜く朽ち果てるのか?
―――嫌だ!!!
死ぬことを拒む本能が叫ぶ。
だが、もはや俺の命は風前の灯火。
骨や体だけではなく、内臓までも腐り始めた俺は声すら出せず、息をすることすら苦しい。
だが、それでも俺はまだ生きている。そうだ…生きているんだ。
『マダ、イキタイ?』
そんな俺に誰かが囁く声が聞こえた。
気が付けばシラユリの笑顔は消え、視界には現実でもなく、見たこともない淀んだ世界が広がっていた。
淀んだ世界、様々な色が混じり合い、その美しい色の全てが損なわれ、汚く朽ちた色の世界。
見たこともない気味の悪い空間の中に、小さな影が一つ。
『イキタイナラ、ボクガ、チカラヲ、アゲル』
たどたどしいというよりは、まるで壊れた玩具のような途切れ途切れの声。
シラユリよりも恐らく小さいだろう子供の姿が、すっぽりと黒い布に覆われて俺に話しかけていた。
「君は誰だ?」
そう声に出して驚いた。
先ほどまでは腐り落ちゆく体で声も出せなかったのに、この空間で俺は人間の姿を取り、傷一つ負ってもいなかった。
『ボクハ、キミノ、ココロ』
布の隙間から見える口元がにっこりと笑みをつくる。
『イキタイト、ノゾム、キミノ、ココロ・ムスメニ、アイタイト、オモウ、キミノ、ココロ・ソシテ・スベテノ、ツミカラ、ノガレタイト、オモウ、キミノ、ココロ』
「!」
『ボクハ・キミノ・ネガイ・キボウ・ヨクボウ』
思ってはならないと思っても、弱い俺が願わずにいられない心を言い当てられて俺はぎくりと心を揺らした。
願い・希望・欲望、言葉にすると様々に意味合いが変わる言葉だが、その全ては心に強く思う存在。
どんな存在にだってある、心の支えであり、そして、強すぎるその思いは時として心を壊す可能性を秘める存在。
『ネエ?モウ、イイデショ?』
その存在そのものだと名乗った子供が無邪気に言う。
『ボクヲ、オモテニ、ダシテ?』
「駄目だ!」
彼の登場にたじろいだ俺だったが、その要望には瞬時に反対した。
「俺は願いなんてもっちゃいけない!罪を償うためだけに生きているんだっ」
『イイジャナイ、スコシクライ・キミハ、コンナニ、キズツイテ、クルシンダ・チョットクライ、ネガッテモ、イインダヨ?』
「っ」
甘い言葉。誰かに言ってほしくてたまらなかった、優しい言葉。
『ダイジョウブ・ボクガ、キミヲ、マモッテアゲル』
誰かに全てを委ねられる、心の安寧がぐらりと俺の決心を揺らした。
『ネエ?ダカラ、ボクト、イッショニ、ナロウ?』
「一緒に?」
差し出された手が俺を誘う。
『ウン・ヒトツニ、ナルンダ・ボクト、ヒトツニ、ナレバ、ダレモ、キミヲ、キズツケナイ・スベテカラ、カイホウサレル』
誰にも傷つけられず、全てから解放される。
願うことすら許されなかった希望が目の前で俺を誘っている。
頑なな俺が弱い俺に屈服した瞬間だった。
結局、俺という人物は千年前と何も変わらない。
とことん自分に甘く、自分が辛さから解放されるのであれば、何を裏切っても、自分のプライドすらかなぐり捨ててしまえるんだ。
俺は僅かに戸惑った後、すぐに子供に手を伸ばした。
「アオイ!!!こんな簡単に死ねると思うんじゃないわよ!」
だが、現実と精神世界の壁を打ち破って飛び込んできた強い強い声に、俺の意識は急速に覚醒へと促された。
「ティア?」
伸ばそうとした手を引っ込めて、俺を呼ぶ彼女の姿を探した。
だが、淀んだ世界の何処にも彼女はいない。
「約束したでしょ!?どんなに辛くても、苦しくても生きるって!私の傍で永遠に罪を償うんだってっ!」
ティアの声は大きく振動して、淀んだ世界を揺らすように響く。
揺れた世界は安定をなくしたように、小刻みに震え始めぐらぐらと崩壊を始めた。
俺は彼女に会いたくて世界を駆けだそうとするが、その俺の腕を強い力が引きとめた。
『ダメ、キミハ、ボクト、イッショニ、ナルンダ』
「放せ!」
咄嗟に小さい子供相手に俺は力いっぱい腕を振り払い、子供はどさりと倒れこみ、すっぽりと被った布がばさりと落ちる。
「っ!」
そして、現れた姿に俺は絶句する。
―――ああ、何て醜い生き物だろうっ!
それは人間の形を取ろうとして、失敗した何かだった。
瞳も鼻も口も耳もあるが、それは全て歪な形で、本来あるべきでない場所に配置され、肌は爛れたような色や死体のような色の斑で、髪は針のように硬そうだった。
見たこともないおぞましい生き物に俺は呆然とした。
『ドウダイ、ミニクイダロウ?』
ぎょろりと恐らく黄色い瞳であろう物体が俺を見て笑みの形をつくる。
『コレガ、オマエタチノ、ネガウ、ココロノ、カタチサ・ミニクク、オゾマシイ』
何かを願う心は、求める思いは、これほどまでに醜いものなのか?
『ヒトハ、イツモ、ソノ、ミニクサヲ、ミナイフリヲシテ、ウツクシイモノダケヲ、ミツヅケル』
そうかもしれない。
必死に求めること、願うことは、浅ましく醜いことだが、俺たちはそれとは知られないように、色々な理由を繕って欲望を隠し希望という名にすり替えているのかもしれない。
『ダケド、ソレモ、オワリ・セカイハ、モウスグ、ボクト、イッショニナル』
「え?」
『キミヲ、ソノ、ハジマリニト、オモッタケド、マア、イイヤ』
生き物はそういうと俺を見て、今にも壊れそうな均衡を保つ顔を嬉しそうに歪めた。
その表情に俺は酷く見覚えがあるような気がして、同時に、酷く不吉な予感を感じた。
『ボクハ、アッチデ、メザメルコトニ、スルヨ』
このままこの生き物を行かせてはいけない。
咄嗟に感じた直観のまま、先ほどは振りほどいた手をつかもうと俺は走った。
だが、ティアの声が響いてから崩壊を始めた淀んだ世界の足場は、俺が一歩踏み出しただけでもろくも崩れ始め、
「うわぁああああっ!」
淀んだ世界の下に広がる底のない暗闇に、真っ逆さまに落ちてゆく。
そんな俺を見下ろして醜い生き物は、骨と皮だけしかない手を大きく振る。
『バイバイ、マタネ』
その言い方に俺は気が付いた。
―――バイバイ、ブルー・ナイツ
間違いない。
アレは『アイツ』だ。
そうだ、どうして気が付かなかった?
淀んだ世界・願いを叶えるという甘い言葉…あの気配は千年前、俺が出会った『アイツ』でしかなかったのに、姿が違うだけで気が付かないなんてっ!
しかし、今になってどうして『アイツ』が俺の中に現れたんだ?
ずっと、俺の中にいたというのであれば、俺と一つになろうとするチャンスはいくらでもあったはずだ。
―――まさか、『アイツ』を呼び起こすきっかけがあった?
それは俺が死にそうになったこと?生きたいと願ったこと?それとも、別の何か?
急速に回転する思考はとめどなく膨らんでいく、何しろもし『アイツ』が呼び起こされるきっかけが分かれば、俺の研究は飛躍的に進歩する。
もしかしたら、ティア達を天使すらも救える手段が分かるかもしれないんだ。
だが、時は既に遅し。
堕ち行く暗闇に俺の意識は同化するように、色々もっと考えたいことがあるはずなのに気が遠くなっていった。