第127話 君こそが僕の罪の証 1
『あんたを絶対に許さない』
君の瞳が僕を責める、君の言葉が僕を苛む
君は僕を永遠に許さず、僕を恨み続けることだろう
君は僕にとって苦しいだけの存在でしかなく、ただただ逃げたいと思うのに
罪の重さに気が狂いそうになる僕を、現実につなぎとめているのがその苦しさなんて…
だから、僕は君から目を逸らさない
―――だって、『君こそが僕の罪の証』だから
【君こそが僕の罪の証】
―――ブルー・ナイツ
『ティア。その名前は呼ばない約束だろ?』
巨大で人というよりは魔物に近いこの姿こそが、俺の真実の姿。
だけれど、この真実の姿で人前に出ることは、ほとんど無かった。
だって俺はこの姿であることも、『神』であることも何百年も前に捨ててしまっているのだから、それは当然と言えば当然のこと。
だからこそ、俺が何百年かぶりに神であった姿を晒したばかりに、思わずティアも俺が捨てた名前を呼んでしまったのだろうけれど、そう言えばはっと我に返り、俺の本当の名前を呼ぶ。
「…アオイ」
彼女の赤い赤い深い色の瞳が、苦々しく歪んだ。
<SIDE アオイ>
実は俺ことアオイは、かつて神と呼ばれた生き物だった。
『だった』というのは先ほどから言っているように神であることを捨てたから。
だけど、言っておくと俺は決して神として犯した罪は捨てた覚えはなく、ただ神としての地位を捨てたという意味。
「どうして、あんたがここに?」
『君たちから女神の十字軍にいつまでたっても連絡がないと報告があったから心配になって…』
かといって未だ銀月の都近くで天使と交戦中の神の子に偵察を頼む訳にもいかないから、俺が一人こうしてやってきた。
「エンシッダ様は知っているの?」
ピンチのところを助けてやったというのに、ティアが俺を見る目は冷たく厳しい。
だけれど、それは俺が彼女にしたことを思えば仕方がないことだと分かっている。
―――何しろ俺こそがティアを『なりそこね』にした張本人なのだから
だからこそ、俺はティアに本当は笑いかけてほしいと思っていても、その言葉を一度だって声に出したことはない。
余計なことは言わず、ただ彼女の問いだけに答える。
『エンシッダはもう銀月の都にはいないから、許可の取りようはなかった。これは俺の単独だよ。』
「いない?」
そう。この戦いについては銀月の都で指揮を執るものと思っていたエンシッダは、気がつけばその姿はヴィ・ヴィスターチャとともに消えてしまっていた。
指揮系統については女神の十字軍の司令官ハレに一任されているから、今のところ何の問題も出ていないし、神の子たちや、銀月の都に残っている非戦闘員たちには知らせていない。
いらない混乱を招くだけだと思うし、今はまだエンシッダというかヴィ・ヴィスターチャの授けた策のままに行動した方がいいと思ったからだ。
ただ、嫌な予感は俺の中で無視できないほどの大きさで横たわっている。
だから、それを少しでも振り払うためにも、俺は俺の考えでこうして動いた。
『今はいないエンシッダよりも先にこの状況を打破することが必要だろう?折角、悪魔の槍の封印は解けたんだ。後は神の子たちのために道を開くだけ…そうだろう?』
「ええ、ただ…ヒロが万象の天使に攫われたの。」
それを聞いて初めてあたりを見回す。
確かにイフリータやキシンはいたが、ヒロの姿は何処にもない。
『まじで?敵の親玉に攫われるなんて、何たるヒロインキャラなんだ、ヒロ!』
だいたい、先日の罪人の巡礼地での戦いでも、彼は一人戦場の中で忽然と姿を消していたはずだ。
それはエンシッダの思惑のうちだたっとはいえ、またも同じようなことが起こるなんて(まあ、ヒロが望んだことではなかろうが)思わず叫んでしまった俺に罪はない。
それにしても、俺たちにとってたった一つの天使に対する切り札といっていいヒロが攫われるなんて、これはヴィ・ヴィスターチャの予言にはない展開だ。
「その意見には同感だけど、ヒロがいないことをどんなに嘆いても仕方がないわ。違う展開が起こったからって、戦いを初めからやり直せる訳はないんだから。」
俺が助けに入った瞬間は、何となく諦めているような…千年前、何もかもに絶望していた時のあの表情と重なる姿をしていたティアだが、今ははっきりと自分を取り戻しているようだ。
「だから、さっさと天使たちを片づけて。アオイ、あんたはそのために来たんでしょ?」
そして、俺に向ける憎しみの表情も変わらない。
それが『愛おしい』て思うなんて…俺ってまぞっけでもあるのかもしれないな。
そんなことを思いながら、俺は初めて天使たちと相対する。
『イフリータ・キシン、離れていろよ?』
俺が言うまでもなく、俺の出現に呆気にとられていた天使たちの群れからいつの間にか距離をとっている二人に一応の声を掛けておく。
そして、俺が天使たちを見据えたことで、やっと天使たちもこの状況に追いついてきたらしい。
「なんだ?」
「あの化物は?!」
「人間たちの生物兵器か!!」
天使の多くは自分たちが神に作られた存在だということを知らない。
まあ、俺たちが天使にしたときに人間の時の記憶を消したのだから、それは仕方ないのだが、同時に彼らのほとんどは神の真実の姿を知らない。
神の僕として成り立っている天使にでさえ、神はその真実の姿を晒すことはなかった。
だが、それはある意味では仕方のないことで、神の中で禁忌に近い形で真の姿を他に見せることはタブーとされていたのだ。
しかし、魔力の暴走や、それこそ死に瀕した時は人型を保てず、真の姿になるしかない時もある。
もしくは、真の姿になると魔力が飛躍的に上がるので、今のような決戦時などは過去にも何度かこの姿になったこともある。
要するに神の真の姿=神の本気という図式があったりするんだ。
だから、せっかくこの姿になったんだし俺はティアの要望に応えるべく、本気の神の咆哮を一つ上げる。
喉から迸った魔力、震える空気…神に支配されるように作り上げられた天使たちは、本能的に俺が持つ神の魔力に恐怖し震える。
だが、そんな中で恐怖ではなく、驚愕で目を見開く天使が一人。
「ブルー…ナイツ、貴様…生きていたのか?」
シェルシドラがぽつりと呟いた。
『自分が殺したはずの俺が生きていて驚いたか?』
俺は七百年前ほどにシェルシドラに殺されかけた。いや、ほとんど殺されたといってもよかった。
千年前、天使たちの反逆と黒き神と人間の暴走により神の時代は終わりを告げ、結果ほとんどの神は天使によって殺されるか、もしくは聖櫃に入れられた。
だけど、俺のように天使によって利用価値がある神は、一般の天使には伏せられていたが幽閉という形で生かされ続けた。
現に『あの』白き神も天使にとって神という権威、自分たちの正当性を示すために生かされ続けている。
そして、千年前の俺も三百年程の間は利用価値があるものとして生かされ、それがなくなった時、このシェルシドラによって殺された。
『エンシッダに助けられたんだ。お前も甘いよね。いくら俺の死体を『彼女』に見せないようにするためとはいえ、すぐに死体を誰の目にもとまらない場所に処分するなんて。しかも、シラユリも一緒に…』
俺を瀕死状態、いや、ほとんど仮死状態にして、シェルシドラは俺を不浄の大地の真っただ中に捨てていった。
それは今、俺が言ったように『彼女』に俺の死体を見せないため、天使の領域に俺の死体でもあったならば、『彼女』が壊れてしまうから。
かといって、神は死体となっても腐ることはなく、燃やしても灰になることはないので、苦肉の策として『彼女』が感知できないほどに遠い不浄の大地に俺を捨てたんだ。それも…俺のたった一人の娘シラユリと一緒に。
―――わあんわあんっ!お父さん!!!
今も耳を離れない可愛い娘の悲しい泣き声。
俺は殺せても子供は殺せなかったのか、もしくは、純粋な神ではないシラユリは不老ではあっても、人間と変わらぬ力と体力しかないから、不浄の大地に捨てただけで死んだも同じだろうと思ったのか、俺と一緒に捨てられたシラユリは傷一つ負わされていなかった。
だから、誰も助けにこない場所でシラユリは力の限り泣き続けた。
それを聞いた俺は死の淵から引き上げられる。
恐らく片端は棺桶に突っ込んでいただろうが、娘の泣き声に生へと呼び戻されたんだ。
そして、どれくらいそんな意識はあっても、指一つ動かせないままに、半分以上は死にかけていた俺のもとに、あの爽やかな厚い面の皮をもった魔王のような男が現れたんだ。
―――助けてほしいかい?だったら神をブルー・ナイツという名を捨てるんだね
エンシッダはそう言って俺を見下ろした。
―――そして、俺の元でまた天使を造るんだ
この言葉とともに、『天使』、後に『神の子』と呼ばれる彼らを俺は造ることになる。
だが、それを理解した瞬間に当時の俺は拒否した。
俺は神として罪を重ね続けた。
それがわかっていたから、もう、これ以上の罪は犯したくなかった。
誰にも恨まれたくなかった。苦しい思いをしたくなかった。
いっそ、このまま死んでしまいたいくらいだったが、なおも聞こえ続けるシラユリの泣き声だけが俺を世界に引きとめる。
―――へえ…だけど、お前はもう償いきれない罪を散々犯してきたじゃないか
エンシッダの声が俺を詰る。
―――なら、これ以上罪を重ねたところで、君の罪状は変わらないよ?永遠に恨まれ苦しみ続けながら生き続ける…心穏やかな時など一時もなく、罪を目の前にしながら生き続ける…そんなのいっそ死んでしまったほうが楽だろうね?
その酷く楽しそうな声に賛同して、このまま何もかも捨てて消えてしまいたかった。
だけれど、シラユリの泣き声以上に強い声が俺を現実に引き戻した。
―――そんな楽な死に方、絶対に私は許さない!
それは数百年前に俺の前から消えた声だった。
その声に忘れたかった過去が、捨ててしまった感情が一気に噴き出していくのを感じた。