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東方の天使 西方の旅人  作者: あしなが犬
第五部 最先にて最果てなる世界
134/174

第126話 流離人 3

―――キモチワルイ


 自分の中に誰かがいるというのは、本当に本当に気分が悪い。

 頭に胸に腹に、あらゆる場所に自分でないものを感じる。

 どんなに振り払いたいほどの不快感であっても、自分の中で自分の一部となったそれを永遠に私は切り離すことはできず、その感覚に慣れるということもない。

 なりそこねた神リーヴァネルとなり神を喰らったあの日から、目の前にいる天使には憎悪を、そして身の中の『神』にはただただ苦痛を私は感じ続けていた。


「我らの目的を忘れたか、イソルマンナ。」

 青い瞳が私の中の神を射抜く。

 それは蒼穹の天使のどこまでも澄んだ空の青ではなく、どことなく濁った青。

 しゃべり方も人相も変化した彼は、もはや蒼穹の天使の気配すら感じられない。

 どうやら、天使たちも未だに自分の身の内に住む『神』を封印する術を発見できていないことを知る。

 神食いグリプスによって力を得た人間にとって、神に主人格を取られない方法は必要な術なのだけれど、完全なるそれは見つけることが出来ていない。

 むしろ、千年前、神と一つとなった直後は神によって体を支配されていたぐらいだった。

 そして、今はなりそこねた神リーヴァネルも三大天使も主導権を神から取り戻せているけれど、こうして油断をしたり自分を見失うと、神が体から出てきてしまう。

「それはお前たちの方だろう。どうして天使に大地を支配させ続けている?奴らは神を裏切ったんだぞ?」

「しかし、それが我らが母の意志。それを知らない汝ではあるまい?我は天使に、いや、人間などに支配されているのではない。我の主はただ白き神のみ。」


―――その白き神が『・・・』だとしてもか?

―――もういい加減にしてっ!!!!


 思考が私と神の二つが混在することで混乱する。

 体は一つ、心は二つ。

 私を介してされた記憶、神を介してされた記憶、それらは基本的にそれぞれに共通として蓄積されていくけれど、二つの心の感情が共有されることはない。

 いいえ、二つは限りなく近い場所で一つになっている。

 だけれど、混ざり合うはずのないもの同士が混ざり合い、気色の悪いものになっていく。

 どんなに私という存在が優位になっても消えることのない神という汚点は、私の中から出ていかない害虫の何物でもなかった。

 自分が主体となっているときは、神を奥底に封じて彼の精神を限りなく無視し続けているから、何とか耐えられているけれど、こうして神に体を乗っ取られたとき神は限りなくオープンな状況でいる。

 それは私が主体であるときとは違って、近くに神の気配を感じて彼を無視できず、不快感と苦痛が私の心を支配する。

 ふとした瞬間にだけ体の感覚が戻ってきては、神の精神が私に触れて、それが嫌で私が奥に隠れる。

 気色の悪いことに、私はいつだって神に消滅してほしいのに、神のほうは私との共存を願っていた。いや、むしろ…


―――ティア、もっと近くにおいで、一緒にいよう?一つになろう?


 そんなただ吐き気だけしか及ぼさない囁きは、神が表に出たときだけじゃない、彼を無視し続けている間も常に続いていた。

 神は体だけじゃない、精神の統合すら願っている。

 私はそれが恐ろしくて恐ろしくて、今は神から体を取り戻したかったけれど迂闊に神には近づけずにいたし、常に神に身を取りこまれなりように気を張り続けていた。

 神に絡みとられた瞬間、きっとこの気色の悪い神に私は無理やり取り込まれる。

 その様がありありと想像できて、悪夢にも何度も見続けて、私は気がおかしくなりそうだった。

「それをイソルマンナ…貴様は白き神に刃を向けるようなことをして、それでいいと思っているのか?我らのすべきことは白き神の為のみにあるべきだ。」

 私のそんな思いはどうやら蒼穹の天使の方も同じらしく、うっとりと語られる言葉と連動していない不快感もあらわにした顔が、天使の感情を露わにしていることが分かった。

 彼も私も神から体を取り戻す瞬間を探りながら、不快感や苦痛に耐えている。

 どちらが先に神から体を取り戻すか、ある意味、この驚きの展開を打開する手はその一言に尽きると思う。

 そのためにも今は冷静にならなくては…、いつもの自分さえ取り戻せれば神から自分を取り戻せる。

 そもそも、蒼穹の天使の動揺により現れた神の気配に、私は巻き込まれただけだと言ってもいいのだから、今のところ神から自分を取り戻すのは後はタイミングだけ…私はひっそりとそれを狩人のように息をひそめて待った。

 神の意識が私を求めるより、目の前の天使の皮を被った悪魔に向くその瞬間を。

「白き神は確かに俺たちの母だ。絶対的の存在…そのことは今も変わりない。だが、俺たちはそれだけでいいのか?」

「何?どういう意味だ?」

「だって、そうだろう?俺たちには自分の感情があるんだ!」


―――ねえ、そうだろう、ティア?

―――キモチワルイ・キモチワルイ!!!


 ざらりと私の心に直接、触ってくる神に今は自分の意志では動かない体に鳥肌が立つのがわかった。

「自分のために、自分の考えで本当は動くべきなんじゃないのか?白き神の命令とはいえ、俺は自分の納得のいかないことはしたくないんだ。」

「馬鹿な!貴様は人間に取り込まれたことで、頭がおかしくなったのではないのか!?白き神に逆らうなど愚かにも程がある!」

 白熱しだした会話に、僅かに私を求め続ける神の意識が外れた気配がした。

「それはお前だろ!いくら白き神の命令とはいえ、お前が天使の皮を被って殺し続けてきたのは俺たちの兄弟だ!お前、一体何人の同胞をその手に掛けた?天使の言うままに力を貸して、神はもはや聖櫃に入っていなくて生きているのは両手で数えられるほどになってしまったというのに!!」

「だが、それが命令だ!」

「命令だから?!俺たちは白き神の僕か?俺たちはあの方の子供じゃないのか?」

「子供だったら、親の言うことを聞くべきだろう!」

「母親が子供を殺せと言うのか!?」

 遂に言い合う中で激昂していく神たちの感情が大きくぶれる。

 同時に私の中で膨れ上がる神の意識が、耐えがたいほどの苦痛を私の精神に与える。


『やめて(ろ)!!!!』


 そして、女と男、二つの声が緊迫した空気にこだました。

 それは私と天使の間に同時に発せられた声。

「いい加減に黙ってくれない?」

「神の戯言なんて聞いている暇は今はない。」

 興奮のあまり混乱していった神から、取り戻された私と天使の意志。

 何も知らない人々から見たら私たちは、さぞおかしな行動ばかりとっていることだろう。

 今もお互い顔を突き合わせながら私たちは微妙に合わない会話を続けている。

 そして、自分を取り戻すことで精一杯だったお互いが、やっと現実に戻る。

「どうやら害虫に苦しみ続けているのはお互いらしいわね。」

「害虫…?」

 一瞬だけきょとんとした緊張感のない顔になってから、蒼穹の天使は驚くくらい輝く顔で破顔する。

「何よ、なんで笑うの?」

「ククッ…いや、あまりに的をえた言葉に感嘆しているのさ。」


―――ドウシテ?ドウシテ?


 頭の中で腹の中で胸の中で、声が聞こえ続けている。

 神は私と一つとなることを望んでいる。だけれど、私はそれを永遠に臨むことはない。

 体だけでさえ、一つになってこれほどの不快感と苦痛を伴っているというのに、一番大事な場所を神などにくれてやらなくちゃいけないの?

 聞こえてくる神の声にせりあがってくる吐き気が襲ってくるけど、今は戦場で目の前にしているのは笑っていようが敵でしかない存在。

「ずいぶん余裕ね?貴方、自分の置かれている立場が分かっているの?」

 神が去っても状況は何一つ変わっていない。

 私は相変わらず剣と足で天使を地面に押さえつけている状況で、天使にとっては絶望的状況には変わりないはずなのに、彼には焦りも絶望も感じられない。

 だけれど、その理由を私はすぐに知ることとなる。


「それは貴様のほうだと思うがな。」


 ひやりと冷たく暗い声が耳元でしたと思った瞬間に、腕を取られ私は地面に押し倒された。

「!?」

 それまで全く気配を感じなかった上に、蒼穹の天使に気を取られていた私は驚いたままに地面に倒れむ。

 驚いたままに半身を起し、私を倒した人物に襲いかかろうとするが、ぎらりと鈍い光を放つ剣が再び私の首元に突き付けられる。

「またまた形勢逆転だな。」

 貫かれた掌を庇いながら蒼穹の天使が嫌味なほどの笑みを浮かべ、その横に…

「大地の天使ラインディルト…」

 呆然と私が呟いた名をもつ、もう一人の三大天使がそこにいた。

 その体の3分の1ほどを大地の中に沈めているところをみると、大地の名をもつ彼の能力を使って大地に身を沈めながら私に近づいたよう。(道理で気配を感じなかった訳だわ)

 だけれど、彼がここにいる大きな問題が一つある。

「あんた…天使を裏切ったんじゃなかったの?」

 そうだ。彼は天使を裏切り、エンシッダ様との協力関係を結んだ。

 少なくとも私はエンシッダ様にそう聞いていた。

 なのに、その彼がどうして蒼穹の天使を助け、私に刃を突き付けているの?

「まさか、この俺がエヴァンシェッド様を裏切る訳がないだろう。俺はあの方のために、エンシッダを利用していたにすぎない。」

「どういう意味?」

 天使の領域フィリアラディアスでもエンシッダ様に協力し天使を混乱させたり、天使の情報などを流していた。

 だけど、彼にとってそれ以上の天使にとっての有益なことが銀月の都ウィンザード・シエラにあったということ?

 私は表情こそ変えないが、不気味なほどの静けさを纏った大地の天使に残してきた仲間たちのことが無性に心配になった。

「種は既にまいてきた。後は結果を待つのみ。」

「何をした!?」

 思わず声を荒らげる。

 天使たちもいきなり現れた行方不明だった三大天使の登場に驚いているようだけど、私と同じようにイフリータもキシンも不安そうな顔をしている。

「だが、それは貴様らが知ることはない。貴様らはここで死ぬのだからな。」

 ズズズ…と大地から足まで完全に出てきて、私に向かって剣を振り上げ、一気に振り下ろす大地の天使。

 先ほどの蒼穹の天使とは違い、彼には一分の隙もなく私に魔力を発せさせる隙間も与えない。


―――こんな所で死ぬなんてっ


 私の中に満たされる後悔。


―――だから、ねえ、俺と一つになろう?そうすれば神の力を完全に自分の物にできる。天使なんかすぐに倒せる


 こんな時ですら、いや、こんな時だからこそ、私の弱みに付け込んで囁き続ける神。

 だけれど、それだけはできないとすぐに思った。

 神を喰らった私の体は化け物でしかない。だけど、せめて心だけは自分のままでいたかったから。

 だから…私は意を決して目をかたく瞑った。


―――キエエエエェ


 だけれど、そんな覚悟をした私の耳に聞こえてきたのは、さっきも聞いたはずの二人の私を呼ぶ絶望的な声ではなく、鼓膜が破れそうなほどに高い獣の声。

 そして、目の前にいたはずの天使の気配が吹っ飛び、次いで私の前に大きく力強い気配が一つ。

「…?」

 何が起こったのか一瞬分からなくて、恐る恐る瞼を開けた先に飛び込んできたのは『アオ』。

 蒼穹の天使の空の『アオ』でも、群青の神の濁った『アオ』でもなく、それはまるで冷たく厚い氷のような白みがかった『アオ』。

 だけど、その『アオ』に触れた瞬間に感じる大きな魔力と、温かな体温。

 それは大きな大きな獣。

 美しい8枚の翼をもつ、体長は20メートルはあろうかという大きな鳥。

 その姿は決して美しいものじゃないけれど、その姿はまるで魔物のように禍々しくすらあるのに、荘厳で畏怖を感じさせる佇まいをしている。

『ティア、大丈夫か?』

 私はこの獣を知っている。

 それは千年前、私たちを流離人ではなくした存在。


「ブルー・ナイツ」


 『あの男』の本当の名前を私は千年ぶりに呟いた。

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