第125話 流離人 2
注意:この話には流血表現、及び残酷な表現があります。苦手な方はご注意ください。
『ティア!!』
切羽詰まった二人の声を遠くで聞きながら、私は自分で刺したくせに酷く驚いた顔をしている蒼穹の天使の顔をただ眺めていた。
きっと、ある意味で発作的というか衝動的に私を刺したのだろう。
それとも『アイツ』が彼にそれをさせたのか…まあ、自分の行動に酷く傷ついた表情を浮かべる蒼穹の天使がいい気味だったから、この際それはどっちでもいいか。
―――神喰い
そんな蒼穹の天使の表情からも、この言葉が彼にとって如何に大きな意味を持つこということが分かる。
だけれど、それはなりそこねた神だって『同じ』。だから、思う。
「貴方達は…勝手だわ。」
そう呟いて、私は自身を貫く刃を握りしめた。
すると自分の感情に捕われ私のことなんか見ていなかった蒼穹の天使が、はっとしたように私を見た。
彼は自らが戦闘中に我を失うという、死に直結する失敗を犯したことに気が付き、剣を持つ手に力を入れたが、私が既に強く握りしめた剣はびくとも動かない。
刃が食い込む掌は痛みはしたが、私は蒼穹の天使が次に動き出す前に、剣を刺されたまま天使に足をひっかけて転ばせた。
そして、自分から剣を引き抜いて、それを今度は蒼穹の天使につきつけた。
「形勢逆転ね。」
とはいうものの、彼から受けた傷は浅いとは言い難い。
無理やり引き抜いた傷口からは大量の血が自分から抜けていくのがわかったけれど、今は苦痛すら凌駕する何かが私の中にある。
そして、体を貫かれたお礼だとばかりに、私の血がべっとりと付いた剣で天使の掌を地面に串刺しにした。
「があっ」
苦痛に歪む蒼穹の天使の顔と叫びに、これまで何が起こっているか分かっていないままに呆けていた天使たちが殺気立つ。
「動かないで。今の私に蒼穹の天使を殺すことなんて造作もないことなのよ?」
だけれど、私はそれを自分の剣で天使の首筋に近づけることで制止する。
更に剣で天使を地面に縫い付けるだけでなく、片足を彼の腹に体重をかけてのせ、一寸の隙すらなく剣を首筋ギリギリの所に突き付けた。
その距離は荒い息の天使が呼吸をしたり、ごくりと唾を飲み込むだけで、肌が僅かに剣に触れるほど。
「さあ、これでやっとまともに話ができるわね?」
尊ぶべき三大天使を人質に取られては、例え数や力で勝っていたとしても天使も簡単に手出しできないだろう。
この戦場にいる全ての者が時を止め、私と蒼穹の天使のやりとりを固唾を飲んで見つめていた。
色々と予想とは違う状況ではあるけれど、これはこれである意味良かったのかもしれない。
―――さあ、始めようか私の可愛いティア?
腹の底から囁きかけるどす黒い声が、私の中に酷い残虐性と嫌悪感を呼び起こす。
「結局、罪は罰として返ってくるのよ。貴方達は神から受けた苦痛を、なりそこねた神に与えた。それがどれだけの苦痛であり、悲しみであるかも知りながら、自分たちの都合だけで私たちを使って、自分たちの秘密を守るために私たちを抹殺しようとした。」
視界に入らない所で女が泣き叫ぶ声が聞こえた。
「取り乱すな!サンタマリア!!」
どうやら、それは深海の天使サンタマリアのものらしいけど、それを蒼穹の天使が大声で止める。
張り上げられた声で大きく動いた喉元に剣の先端が食い込んで血が流れたけど、蒼穹の天使は気丈なまま私を睨みつけた。
「それで?お前たちは俺たちを殺せば満足なのか?」
―――死ね死ね死ねっ!天使など全て死んでしまえ!!
「そうね…ある意味、貴方達が死んでくれれば私たちは救われる。」
天使たちに対するこの凶悪なる憎しみがなくなるのであれば、それをしても失くした大切なものたちが返ってくる訳じゃないとしても、きっと楽になれる。
そう思ってにっこり笑うと、苦笑を返された。
「…だろうな。『アイツら』にはそれだけ恨まれている自覚はある。だが、それと同じくらいの憎しみもある。だからこそ、俺たちは千年前、全てを賭けて戦った。そして、勝った。」
「だけど、それになりそこねた神は関係ないでしょ!?なのに、どうして私たちを巻き込んだの!?」
私は天使の腹にのせた足に思いっきり力を込めた。
「天使がしたことを私は絶対に忘れない!千年前、神から解放されただけじゃ飽き足らず、天使は更なる力を得ることに貪欲だった。神から解放されたといったって、神と一つの命を共有しているのじゃ解放された気にならないものね?だから、貴方達は過去の神同様に聖櫃を使わない天使になる方法を求めた。」
そうしなければ、本当の意味で神からの解放とは言えないからだろう。
その考えが分からない訳じゃない。
だけど、その方法を求めるために天使は力のない人間ではなく、魔力を持ち且つ、天使の台頭により種族の数を増やすこともなく、守るべき大地も役割もない流離人を選んだ。
少しでも実験の効率を上げるためだったかもしれないが、それによって私たちは天使に迫害され続ける運命を辿ることとなった。
実験台がなくなるたびに、天使によって繰り返される『狩り』に追い詰められ、捕えられたら最期、実験による苦痛とその先にある死に怯える毎日。
神が天使のいいなりとなり、流離人が世界から抹殺された日から、私たちに安息は一度としてなかった。
「同時に天使は人間のときにはあった生殖能力を失い、子孫を増やせなくなった。だから、神がなくても天使の数を増やす方法を見つけなければ、永遠の命を持つとはいえ天使を増やすことはできない。繁殖ができない種族は破滅の一途を辿るもの…だからこそ貴方達は死に物狂いで聖櫃以外の天使になれる方法を求め続けた。」
天使は生殖能力を持たない。
だから、天使の中の家族とは本当は血も繋がっていない赤の他人にすぎず(人間の時からの家族は別として)、人間の記憶を失った時に植えつけられた新しい記憶によってそうだと思っているだけ。
ああ、でも、三大天使のサンタマリアの血筋だけは子孫を残すことができているはずだ…でも、その血は天使というよりは『ワタシタチ』に近い。
「それこそ、今もあんな魔人なんて外道を許してまで。そして、なりそこねた神はその過去の実験の一つで、貴方達が最も消したい過去。」
だからこそ、なりそこねた神は実験の後に私たち3人以外は天使たちに抹殺され、ヴォルがいなければ私たちも恐らく殺されていたに違いない。
「でも、分かったでしょ?千年も実験を繰り返しても何の成果もない以上、聖櫃を使う以外には神喰いとなるしか神と同じ力を得ることはできないことが。神喰い…すなわち神を喰らう以外には―――」
「…やめろ」
苦しみに満ちた表情で、絞り出すような声で蒼穹の天使は私を止めるが、私が口を閉じることはない。
「今更?貴方は自分の気持ちは私には分からないといったけど、なりそこねた神には分かる。天使たちの実験によって無理やり神を喰らい、神の力を得たのは私も貴方も同じ。そして、力を得た代償に三大天使となりそこねた神は永遠に神から逃げられなくなった。」
―――アハハハハハッ
そう考えたとたんに、腹底から気色の悪い笑い声が木霊した。
「それは聖櫃で神と命を繋いでいるよりも、深く強い業。」
そして、私は剣を突き立てたままに蒼穹の天使の胸に指を突きつけた。
「喰らわれた神は未だに私たちの中に存在する。」
神の力を他の種族に与えるために存在するたった一つの方法は、神と他の種族の融合そのもの。
一対多数ではなく、一対一の契約。
神の胸に剣を立て、神の血をすすり、神と一つとなる。
―――その力も、命も、そして、その感情さえも…
結果として三大天使もなりそこねた神も、神と一つになり、その身に神を飼う事となった。
それは単に神が命と引き換えに…というような黒の武器とは違う、その存在も意識も確かに身の内に感じるほど大きいままに彼らは私たちの中に存在し続けているのだ。
―――さあ、天使どもに復讐をするんだ!ティア!!!
そう。忌々しき神は私の中にいる。そして…
「紅の神イソルマンナか…久しいな」
蒼穹の天使の瞳が青く光り、その声がガラリと変わった。
「貴様か蒼の神レギュー。」
私…いや、男の声を持つ私の中のイソルマンナが蒼穹の天使の中にいる神の名を呼んだ。
きっと、私の瞳は紅い光を放っているに違いない。