第121話 悪魔の封印 1-2
―――このままこの暗闇の中から出られなくなったら、どうしよう?
そんなありえもしない想像が頭をもたげるのも、仕方がないだろう。
なにせ、あるのは足元を僅かに照らす光のみで、あとは狭く息苦しい暗闇の中をただ黙々と歩き続けてきただけなのだから。
時間の感覚は次第になくなり、へんてこな妄想が頭を支配し、その妄想に天使との戦いという異常な状況が拍車をかける。
よって、遠くに漏れる僅かな光を見た瞬間は、頭上には恐らく天使たちがわんさかいるだろうとは分かっていても、思わず飛び上がって喜びたくなった。
しかし、問題はこれからなのだと現実に戻る。
「この先はどうなっているのかしらね?」
僅かな光に近づいてみると、それは洞窟の出口を塞ぐ大きな岩の隙間から洩れているもので、その向こう側には何かが動く気配はするものの、その先がどうなっているかはこの場からは一向に分からない。
ただ、天使がいることが分かるだけで、それがより一層の恐怖を煽る。
せめて悪魔の槍の位置だけでも掴めないかと、私は目をつぶり意識を集中させる。
自分の中の灰色の魔力が、磁力に引き寄せられるかの如く反応するのを感じ、私はその位置と距離を測る。(これはこれまでの訓練の成果だと、訓練に協力してくれた神の子やアオイに心の中だけで感謝した)
「どうやら位置的には悪魔の槍の近くらしいな。この場所から10時の方向に500メートルくらい先に気配を感じる。」
急襲をかければ、動揺に付け込んで天使たちを突破することが可能な距離ではある。
「さすがエンシッダ様の作戦ははずれがないな。まあ、ヴィスがいるからだろうけどよ。」
「始めから分かっているなら、どのあたりに出るかも教えてもらえると助かるところだがな。」
神の子のようなエンシッダの狂信者とは思えない、皮肉のこもった言葉に私は心の中で僅かに目を見張った。
しかし、そういえばティアからもエンシッダに対する似たような発言を幾度となく聞いてきた気がする。
「じゃあ、私がこの岩を吹っ飛ばすから一気に突っ切るわよ。ヒロは私たちが突破口を開くからその後を付いてきて。…どうかした?」
私がそんな彼らのやり取りに呆然としていると、ティアが不思議そうに私に問いかけた。
「なあ…君たちは一体何なんだ?」
エンシッダを信じていないのに、彼の意のままに命令され続ける彼女たち。
ティアに聞いた時は、『天使に復讐をしたいから』というような言葉を返された気がする。
だけど、それだけじゃない気がした。
いや、彼女たちにとってそれが理由だとしても、それは私が想像できるものとは違う気がした。
そう。ティアが天使が憎いといった時、彼女の瞳に宿っていたのは虐げられた私たち人間が持つ憎しみの色じゃなかった。
「―――何だと思う?」
「おい!ティア!!」
天使が近くにいるのだ。
声をあげるのにも、息を吐くように小さなものにどうしてもなり、ティアが謎かけのようにつぶやいた言葉に、そんな微妙な声でイフリータが先ほどまでのおどけた様子から一変して厳しい様子で彼女を静止する。
「別に構わないじゃない。誰に隠しているわけでもないんだし。」
「だが…」
キシンも戸惑っているようだ。
それでもティアはそれを振り切って私に詰め寄りながら、語りかける。
「ねえ、私たちが貴方には何に見える?」
覗きこまれた瞳は、初めて会った時から印象的なぞっとするほどに美しい深い赤。
「少なくとも魔力を持つ君らは人間じゃない。」
「ええ。」
「そして、ティア、君は私に自分は神の子ではないと言った。」
「あら。よく覚えてるのね。そうよ、私たちは神の子なんて可愛らしいものじゃない。」
「だから、聞いている。君たちは何だ?」
少なくとも人間に見える彼女たちが、魔力をまとう理由を、その存在の名を私は知らない。
「ふふ。そうよね。貴方が知るはずがないのよね。悪魔の記憶がない貴方は…私を知らない。それが当然なの…よね。」
暗闇の中で光る赤に一瞬の揺らぎが見えたが、ティアの言葉に私はそれに気がつかない。
「どういう意味だ?ティアは悪魔を知っているのか?」
しかも、悪魔という存在の名だけを知っているだけという雰囲気じゃない。
その言い方はまるで悪魔ヴォルツィッタという個人を知っているかの様な…だが、悪魔は千年前に処刑されたのだ。
では、ティアは千年前に生きていたということになる。
「ええ、知っているわ。千年前から私たちは生き続けてきた。」
「君たちは神なのか?」
辿りついた答えはティアの表情を歪ませた。
「いいえ、違うわ。私たちはなりそこねた神。神が作った4種族でも人間でもない。天使によって葬り去られた忘れられた存在。」
自嘲するようにティアは笑って続けた。
「天使という存在が現れる前、神は人間の次に第六の種族を作ろうとしていた。人間は他の種族に比べて繁殖能力には長けていたけれど、魔力を有していないという決定的な弱点を持っていた。次には自分たちにより近い、その両方を併せ持つ存在を作ろうとしていたのよ。神は繁殖能力がない訳じゃないけど、その機能は0に近いほど少ないから。」
なるほど天使や神の子の原型ともいえる存在というわけだ。
しかも、それは人間を改造して作られたものではなく、神々によって創造された正当な第六の種族ということになる。
「だけど、私たちによく似た天使という神の王である白き神の寵愛を得るものが現れたことによって、私たちは用済みになった。そして、天使にとっては自分たちと同じ力を持ちながらも、虐げられることも使役されることもない私たちは憎悪と嫉妬の対象でしかなかった。」
天使はかつて神の奴隷であり、それに反旗を翻し神々を殺した。
そんな彼らの憎悪がなりそこねた神にも向けられたということだろう。
「結果として昔はもっと素敵な名前があった私たちはなりそこねた神なんて名前をつけられ、天使によって迫害され続けた。ヴォル…かつての貴方の前世に助けられるまでは。」
「え―――?」
思わぬ言葉に目を見張った。
「ほとんど迫害され全滅に近かった私たちを助けてくれたのはヴォルだった。彼は私たちに未来を与えてくれた。だから、こうして私たちは生き続けていられるの。」
ヴォル―――オウェルも悪魔のことをそう呼んでいた。
そこからティアと悪魔の間には間違いなく個人的な関係があったことが分かる。
「貴方が悪魔の生まれ変わりだって知った時は驚いたわ。だって、貴方、彼とは全然違うから…ううん、よく考えれば似ている。ただね、私が忘れていただけ。時の流れは怖いわよね。どんなに忘れないでいようと思ったことも、気がつけば曖昧になる。」
そういって私を見たティアの表情は、見たことがないほど寂しげでか弱い女性のようだった。
しかし、その表情は一瞬で消えると、いつもの勝ち気で強い赤い光が灯った目で私を見据えて言いきった。
「だから、私は一番忘れたくない感情を忘れないために、天使に復讐を果たすために、天使への憎しみが一番強い人に従うことにした。」
「それがエンシッダ?」
得体の知らない、未だにその目的が掴みきれない男ではあるが、彼女たちから見ると天使への憎しみは並々ならないものがあるということらしい。
「まっ、本当はもっと色々複雑な事情があるんだけど。何だって千年だし?でも、時間もないし、詳しい話はまた今度にしましょう。」
そう言って、話を打ち切ると彼女は身の丈ほどもある剣を魔法で出現させた。
「そうだなっ!全部終わったら酒盛りでもしながら話そうぜ!!」
イフリータが小声で叫ぶという器用なまねをやってのけた。
「仲間の話も最近はしてなかったしな。ヒロだけじゃない、神の子たちにもいつか話してやりたいもんだな。」
きっと、仲間とは天使に殺されていった彼らの同族。
天使への復讐の後に、彼らを忍ぼうということなのだろう。
キシンが口元だけで渋く笑った。
「お前の場合はスノウちゃんに!だろう?最近、いい雰囲気だもんだぁ。」
「僻みか?」
「あははっ、キシンがもてるからって妬くのはみっともないわよ。」
明るい彼ら。
千年もの年月、重く苦しい長いその時間ををきっと彼らは三人で、こんな風に生きてきたのだろう。
ティアが私に自分たちのことを急に話す気になった理由は、最後の戦いを前にしたティアなりの何か心境の変化があったということだろう。
だけど、私はその変化が何かは聞かない。
私にはきっと聞く資格はないんだろう。
いや、本当なら今の話だって聞くべきじゃなかった。聞いても答えてはくれなかっただろう。
だが、私が悪魔の生まれ変わりだから、ティアはそれを話してくれただけだ。きっと。
彼らには彼らの物語が、彼らの聖域があるから、私が踏み込めるのはここまでだと感じた。
それにこれだけ聞ければ、私の腑に落ちない部分も十二分に解消できた。
私は戦いを前にしても笑みすら浮かべている彼らに頷いてみせる。
「じゃあ、行くわよ。準備はいいわね?」
―――ガァンッッッ!!!!
ティアが振り上げた剣は、重々しいい岩を軽々しく打ち崩した。
岩が砕ける音の次の瞬間に外からの光の眩しさに瞳を細める。
「走って!!!」
そして、私たちは今度こそ本当に最後の戦いへと突入した。