第117話 嵐の前の静けさは胸に痛く 2
『ヒロだぁ!!』
大人たちが集会に駆り出されて留守番を言いつかったのだろう。
広い一室に集められた子供たちは私を見ると退屈そうにしていた表情をきらりと光らせた。
それが私に会えたことに対する嬉しいという気持ちであれば本望なのだが、生憎とその表情には面白い玩具を見つけたといった妖しげな光が宿っていて、集まってくる子供たちに私は一歩後ずさる。
「ほら、保父さん?しっかり働いてくださいよ。」
だが、すぐ背後にいたティアにどんと押し出され、私は問答無用で子供たちの群れの中へ、一人放り投げられたのであった。
―――そして、どれほど時間が経っただろうか?私は非常に疲労困憊していた
「なに大げさなモノローグしてるの?」
「あれ…口に出してたか?」
心の中の言葉のつもりだったのだが、ティアにははっきり頷かれて私は空笑いを浮かべた。
「まったく、たかが小一時間ぐらい子供の相手をしたからってばてないでよね?情けない!」
「『たかが』って、ティアもやってみれば分かるぞ?子供が10人も集まれば、モンスターのできあがりだよ。」
壁際に凭れかかり疲れた表情で言えば、ティアは『おっさんねぇ』と失礼な事を言いながら、子供たちの群れに入っていった。
私はそれを手を振りながら見送る。
まあ、ティアの言うことも分からないでもない。
子供と言っても、本当に化物並の体力を有す神の子の一員である半数近くの子供たちは集会に出ていて不在なのだ。
普通の子供たち相手に、この様は確かに情けないかもしれない。
さて、その集会は果たしてどうなったことやら…と、思考の中に入りこもうとした瞬間、私の横に小さな気配が一つ腰を下ろす。
「大丈夫?」
その優しい言葉に嬉しくなる。
何しろ私が疲労の余り使い物にならないと分かった途端、ガキどもは私に興味をなくして他の遊びに興じ始めたのだ。(素直というか現金というか、子供とはかくもシビアな生き物だっただろうか?)
「私は大丈夫だ。君こそ遊びに加わらなくていいのか?」
「うん。私はあんまり皆と群れるのは好きじゃないから。」
「そうなのか?誰かに苛められてもしてるのか?」
しかし、なんて優しい子供だろうと思ったのに、『群れる』とは中々皮肉な言い方ではないか。
十にも満たないだろう幼い子供の物言いとは思えぬ言葉に私は僅かに目を見張り、そこで初めて自分の横に座っている子供の姿をまともに見た。
「ううん。そんなんじゃない。」
黒い髪のお下げの大人しそうな少女が物言いと同じく、子供のくせに妙に大人びた笑みを浮かべている。
その顔に見覚えがあった。
「君はこの間、聖櫃の部屋にいた…」
先日、オウェルが暴走した際に聖櫃の部屋にいた子供の内の一人だ。
「クリエスよ。皆にはクゥって呼ばれてる。」
大人しそうな様子の割に、はきはきとした言葉を紡ぐものである。
拙い声に乗せられるそんな大人びた言葉遣いがアンバランスだが、妙なことにこの少女にはそれがぴったりだと思えた。
「では、クゥ。子供が子供らしく遊ばない理由が群がるのが好きじゃないってのは、どういう意味なんだ?もしかして君は子供の姿をしているが、実は中身は大人とかそういう落ちじゃないだろうな?」
冗談のつもりだったが、最近の異常事態を鑑みればあながち冗談でもないかもしれないと、頭の片隅で考えたが、
「まさかっ!私は正真正銘のぴちぴちの9歳だよぉ。」
というクゥの力一杯の否定で、それはすぐに打ち消された。(それにしても『ぴちぴち』という言葉自体が、どうにも死語のように思えるのは私だけなのだろうか?)
「それに別に子供だからって皆が皆、ああやって騒いで遊ぶのが好きっていうのも大人の偏見でしょう?個性って大事でしょ?」
言うことが一々正論なのも気になるが、彼女がいうようにそれが個性だと言ってしまえば言い返す言葉もない。
「あんなことしても疲れるだけだし、それよりはここでこうやってヒロとお話してるほうが私には有意義なの。」
大人びているだけでなく、主張もはっきりしているらしい。
私は昔からこうした我の強い女性ばかりに好かれてきているので、彼女の物言いからこのクゥにも懐かれるだろう自分の未来が見えて心の中で大きくため息をついた。
「それは光栄だな。じゃあ、この間クゥといた他の二人はあの中かな?」
何が楽しいか分からないが、走り回り笑い転げる子供たちの集団。
その様子はこれから人間の命運を聞ける戦いが待ち受けているとは思えないほど、見ていて何の緊張感も感じられない。
「オーヴとテレサのこと?うん。二人ともいるよ。」
そう言って彼女が指さした方を見ると転んだらしい少女と、彼女に手を差し出している少年が笑い合っている。
「あーあ、オーヴったら赤くなっちゃって。オーヴはテレサが好きなの。あの可愛らしい顔にころりとやられちゃってるのよ。」
その言葉に何となく棘を感じて思わず『嫉妬しているのか?』と聞きそうになって、子供とはいえ女性相手にいきなりそれはないなと言葉を変更した。
「二人とは仲は良いのか?」
「何?まだ私が誰かに苛められてるんじゃないかって思っているの?知り合ったばかりの子供に随分優しいんだね。」
先の返答でその可能性を否定されたわけではなかったので、そういわれるのは心外だったが、彼女の言い分にも一理ある。
「優しいわけじゃなくて、お人好しってだけさ。」
「それって自分で言ってて情けなくないの?」
「そういわれると立つ瀬がないが、せっかくお知り合いになれたお嬢さんが苛められてたら悲しいからな。別に何ができるわけじゃないが、話くらいは聞いてやれるし。」
彼女の様子から苛められている訳じゃないことは分かっているが、お節介と言われようとももし彼女が困っているなら何かの力にはなってやりたい。
彼女だけじゃない、私はきっと誰と会ってもそう思うに違いないのだ。
そう、最近、気がついた。そして、その理由にも…
「…貴方は未だに囚われ続けているんだね。」
しかして、返ってきたのは静かなる声。
「私には見える。貴方の中にある絶望…普通の人間ならそれを忘れたいと願うのに、貴方は寧ろそれを永遠に自分の中に残すことを選んだ。そして、貴方の他人に対するその優しさはその代償。」
『翼よ!契約を!!』
蘇る記憶が胸を抉る。
それはエヴァがまだ万象の天使の一部として封印されていた時の話。私と翼との契約。
だが、どうしてそれをこの少女が知っている?
「どうして…?」
「ごめんなさい。知ったかぶりをしたけど、別に私は貴方のことを知ってるわけじゃない。」
すくりと立ち上がるクゥは腰掛ける私を見下ろして笑う。
不意に頭の中にそんな彼女と重なる映像がよぎったような気がしたが、それはすぐにあっという間に消えた。
「私は貴方の前世を知っているというだけ。前世の貴方も絶望を忘れる事じゃなくて、絶望によって腐っていくことを選んだ。いいの?このままいけばヒロは絶望によって身を滅ぼすことになるんだよ?」
「君は一体誰なんだ?」
千年前の私を知っているというというクゥから、しかして『悪魔』という言葉は出されないが、私と同じだという彼女の語る私の前世は的を得ている。
単なる少女が急に私の前で得体のしれないものに変化する。
「…それは私も分からないよ。ただね、私は夢を見るんだ。貴方はその登場人物。それが千年以上の過去の話だと知ったのはつい最近だよ。まあ、誰もこの話をしても信じてくれないんだけどね。」
「夢?」
「うん。千年前の話だけじゃない。私はいろいろな夢を見るの。それがいつのことかはわからないけど、きっとそれはこの世界の歴史だと思う。」
馬鹿ばかし子供の戯言だと片づけるのは簡単だが、クゥの話をそんな風にしてはいけないと思った。
「どうして今、私にその話を?」
「…きっと、この戦いは過去になぞらえられる。すべての条件が同じだから。でも、私はあんな悲しみを繰り返して欲しくない。だから、ヒロに私の見た夢の話を聞いてほしいの。」
クゥの大きな瞳には嘘も偽りも隠されていない。
「私は夢を見るだけで皆を守る力はないから。お父さんもお母さんも友達も…私は何も失いたくないから。お願い…ヒロ。」
大切な人を守りたいという他愛もない、だが、何にもまして強いその想いは、私だって嫌というほど理解できる。
彼女の夢というのは不思議だが、それが嘘だろうと真だろうと彼女の言葉に一つ大きく頷いてみせた。