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東方の天使 西方の旅人  作者: あしなが犬
第五部 最先にて最果てなる世界
124/174

第116話 嵐の前の静けさは胸に痛く 1

 嵐は静けさの後にやってくる

 止める術も、逃げる術もなく、私の上に降りかかってくる

 だから、胸が痛む

 嵐がやってくることが分かっていても、その静けさを前にして何もできないから

 自らの無力さに、大いなる運命の偉大さに、我々は胸を痛めるしかできないから



【嵐の前の静けさは胸に痛くて】



<SIDE ヒロ>


「決戦は最果ての渓谷ロシギュナス!!全ては人間の自由のためにっ!!」


 女神の十字軍イヴィスタン・ディードの司令官であるハレの宣言とともに、快晴の下にある広場に集められた銀月の都ウィンザード・シエラにいる全ての人間たちが歓声を上げた。

 私はそれに参加することはなく、広場を臨むことができる自室からその様子を見下ろす。

 エンシッダが私に告げた様に、銀月の都ウィンザード・シエラは新たなる大地を目指して最果ての渓谷ロシギュナスへと進路をとり、そこで待ち構えているという情報のある天使たちとの最終決戦を前にハレによる作戦の説明がなされていた。(どうせ、ヴィ・ヴィスターチャが天使の動向などは予言したに違いない)

 どうやら天使も黙って人間たちを逃がしてはくれないらしい。

 しかし、ずっとぎりぎりの生にしがみつかなければ生きて行かれなかったアーシアン達にとって、天使からの解放は夢に見ることすらも難しい悲しいまでの悲願。

 例え天使が目の前に立ちはだかろうとそれに立ち向かうだろうし、彼らの眼下の熱狂ぶりとてその気持ちは痛いほどに私も理解できるつもりだ。

 だから、その先にあるのが人間たちの本当の自由だというのであれば最果ての渓谷ロシギュナスの封印を解くことに躊躇いはない。だけど、


―――白き神も俺も互いを利用しているだけなのさ


 エンシッダのあの嫌味な笑顔が、そして、白き神の存在が私の決心に不安の影を落とす。

 エンシッダが信用できないことはもとより、神であることを捨てても欲した万象の天使を裏切ってまで、彼女が最果ての渓谷ロシギュナスに求めるものとは何だ?

 罪人の巡礼地アークヴェルでは天使の悪行を止めたいなどと言っていたが、オウェルとエンシッダの話を聞く限り、白き神が天使を裏切った理由は嘘にしか思えてならない。

 寧ろ、いざ天使との戦闘になればころりと天使側に寝返る様子の方が想像するに容易い。

 しかし、そんな存在をエンシッダが易々と身の内に入れている状況が、更に私の頭を悩ませる訳で…全く見えてこない最果ての渓谷ロシギュナスでの展開に思わずぐしゃぐしゃと髪の毛を掻きむしる。

「物思いに耽るなんて、らしくないんじゃない?」

 と、そこに私を嘲笑う楽しげな声がかかる。

 部屋には鍵を掛けていたはずなのにと、私はその声の主をじろりと睨む。

「ティア。エンシッダの右腕がこんな所にいていいのか?」

「別に右腕なんかじゃないわ。」

 私の言葉に笑顔を引っ込めたティアの表情は硬い。

 彼女は窓に腰かけている私の横までやってくると、壇上のハレを通じたエンシッダの言葉に熱狂する人々を見下ろす。

「私も彼らも何も知らないまま、希望だけを信じて命をかけて戦うゲームの駒にすぎない。」

 その瞳には喜ぶ人々への憐みと悲しみの色、そして

「でも、それを分かっていても私たちはエンシッダ様にすがるしか…ない。」

 私の身の内にも確かに存在する、自らに対する不甲斐なさが浮かぶ。

 結局、間違っていると感じても、自分の中で何一つ納得のいくものがなくても、自分というちっぽけな存在がいくら足掻いても何も変わらないという事実が悔しくて辛い。

 そんな彼女の気持ちが分かるからこそ、かける言葉が見つからない。

 ハレの声高な演説と人々のざわめきだけが響く室内で、私とティアの間には重い沈黙がたれ込めた。


「…ヒロ、貴方はこの戦いの先に何があると思う?」

 それを断ち切るのは、ぽつりと落とされたティアの囁きのような問い。

 人々の歓声にかき消されかけた言葉は、私がティアに気を懸けていなければ思わず聞き逃しそうなほどに小さくて掠れていた。

 エンシッダにとってティアがどれほどの位置にいるのか、私にはいまいち理解できなくて彼女が何処までを知っているのかも分からない。

 女神の十字軍イヴィスタン・ディードでも神の子マイマールでもないが、ティア達は何かしらエンシッダの密命を受けて行動をしているティアは、私や何も知らずに喜ぶ人間たちよりは明らかにエンシッダに近い場所にいそうなものだが、私などにこんな風に不安を打ち明けてくのであれば、単にそういう話でもないのだろう。

 エンシッダの言葉を盲目的に信じる皆よりは知っているが、エンシッダの思惑の全てを知る訳ではない。

 恐らく私のように何らかの役割を担うための情報を知っているだけで、それ以上は何一つ知らされてはいない微妙な立ち位置。

 しかして、どんなに足掻いたところで何も分からないし、知る術も見当たらなくて、今の私の如く時間だけがぽかりと空けば、無理やりつけたはずの決心がぐらぐらと揺らいでくる。


―――これで本当にいいのだろうか?私は間違っていないのか?


 しかし、全ては始まってしまったのだ。

「さあ、人間たちよ!自由を勝ち取ろうではないか!!!」

 ハレの強い言葉が人々を奮起させ、本日何度目かになる人間たちの歓声による空気の震えが私の鼓膜を大きく揺らした。

 もう、勢いづいた人間たちを止めることは不可能だ。

 それを見て、無知ということが如何に罪であり、幸いであるかと私は思う。

 その先が本当に自由であるのか何の保証もないのに、信じきれることは無知であり幸いだ。

 だから、せめてもう前を見ることも、夢を見ることもできない私には、その罪が露わにならないままに全てが終わるように願うことと、それを手伝うことしかできない。

「何があるかなんて私に分かる訳がないだろう。始まってしまった以上、私たちは戦うしかないんだ。その先のものが自分が願うものだと信じて。」

「それはそうだけど。」

「それに人間と天使、二つの種族のあり方はもう修復が不可能なほどに捻じれた。両者がこうして対立した以上、もう何かしらの決着がつかない限り私は何も始まらない…とも思う。」

 エンシッダと白き神にとっては大したことではないのかもしれないが、人間と天使という二つの種族は元は同じ存在のはずなのに、千年前、その道を大きく違えた。

 そして、私はそれが東方の楽園サフィラ・アイリスの悲劇だと思う。

 神に天使、世界の成り立ち、全てが嘘に塗り固められた世界は天使に優越を人間に劣等を植え付けて、生まれながらにその運命を決めつけた。

 だが、本当は運命など神とて決めつけていいものじゃないのだ。

 だから、少しづつ歪は大きくなり、今、決壊しようとしている。

 エンシッダによって仕掛けられた戦いは、ためにため込んだ人間たちの悲しみ・憎悪・怒りを天使たちへの闘争心に書き換えて、世界を揺るがす戦争へと姿を変えたのだ。

 ハレの言葉に天使を罵る野次が飛ぶ集会に、天使たちに弓を引くことすら考えられなかったはずの人間たちの姿は今はもうない。

「…そうね。少なくとも天使をここで倒していかなくちゃ。私たちは始まらないのかもしれない。」

 それを私の横で見下ろしながら、揺らいでいたティアの表情が定まった。

 気の強い彼女の意外な一面を見たような気がしたが、それとてこの先に待ち受ける戦いのことを考えれば不思議に思うことなどないのだろう。

「でも、貴方は天使と戦うことになってもいいの?」

「何が?」

「貴方はアーシアンなのに人間たちとは少し天使たちへの接し方が違うから。」

 その言い方は酷く不自然だった。

 自分だって人間でアーシアンだろうにティアは、まるで自分が違うとでも言いたげだった。

 だが、瞬間的に湧いたその疑問は、天使を恨む気持ちしか持てない人間ではない自分を責められているような気がして、すぐに忘れた。

 いくらでも嘘や言い訳を思いついたが、僅かに考えて私は正直な言葉を口にする。

「そうだな。確かに私はここにいる皆より天使に対する気持ちが違うかもしれない。自分でもよく分からないんだが、少しの間でも天使と対等の関係で生活をしたから…だろうな。」

 あれを対等といっていいものか分からないが、少なくとも万象の天使に囲われて生活した暫くの間はある意味、種族の枠を超えた付き合いがあったように思う。

「だが、天使を許せない気持は偽りようがない。贖罪の街や罪人の巡礼地アークヴェルでの事を許せる人間なんて…」

 顔を歪めた私と同じことを思い出したのか、ティアも眉を顰めている。


―――天使の領域フィリアラディアスの豊かさを保つために生贄を捧げる贖罪の街の聖櫃

―――反旗を翻した人間に報復するために無抵抗な人間すら殺された罪人の巡礼地アークヴェルでの戦い


 胸を満たす気持ち悪い血の匂い・生々しいまでの紅。

 天使の皮を被った卑劣な悪魔たちの表情を、無残なまでの人間たちの苦渋の死顔を私は忘れることはできないだろう。

 例え、千年前に天使に何があろうとも偽りを真実にするために天使たちが塗り重ね続けた罪は、私の中で鮮明に刻みつけられたのだから。


―――この心が動かずとも、心はそれを記憶する


「そうね。私もそう思う。だから、勝ちましょう。」

「そうだな。」

 勝敗がつくような結果が望めるかどうかは定かではないが、私は頷いた。

 それを見て、やっとティアはいつものような勝気な笑顔で私をのぞきこんだ。

「だから、そのためにも今日は付き合ってもらうわよぉ?」

「は?」

 そして、ぐいっと腕をとられると自室から連れ出される。

「な…なんだ?」

「子供たちがヒロに遊んでほしいんだって。貴方が最近、塞ぎこんじゃったもんだから。皆、寂しがってるの。」

 オウェルの話を聞いてから考えることが多くて、アオイの研究に協力する以外は自室にこもることが多かった。

「だからって、どうして今?」

 決戦が近い今なのか分からなかった。

「馬鹿ねぇ。『だから』でしょ?戦いが近いってことは、貴方が命を落とす可能性があるってことじゃない。子供たちに最後の思い出をつくってあげなきゃ。」

「おまっ…なんつー縁起でもないことをっ!!」

 シリアスに決めていたというのにと思わず出た言葉は汚いもので、ティアは声を出して笑う。

「私も貴方も、こんなところで考え込むのは柄じゃないってことよ!」

「それはティアだけだっ!」

 と叫んではみたものの、彼女のそんな物言いに久々に口元が緩むのがわかった。

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