第115話 最果ての最先
3年前、私は父親が追い求めいた翼の伝説が真実であったことを知った。
『さあ、叶えたい願いを言って?』
あの時は人の姿を持たなかった魔力の塊が少しづつ少年の姿へと変化していく。
そして、彼の声はうっとりするような美しい声だったが、何か恐れを抱かせるような不気味さも兼ね備えていた。
5年前にユイアを失い、エヴァに出会うまで私は生きた屍のように、ただただ不浄の大地を流離い歩いていた。
しかして、ユイアをあんな形で失った私は何処かおかしくて、記憶も未だとして曖昧な部分も多い。
そして、どこをどう歩いたのか絶望の内に不浄の大地を流離い歩き私は不思議な場所に辿りついていた。
―――それは大地に繋がれた巨大な翼
十字で鎖に抑えつけられ、無残な姿で大地に繋がれたその翼を見た瞬間に私は父親が追い求めた願いを叶えてくれるという翼の伝説を思い出した。
しかし、伝説の語られていたような純白の翼ではなく、その翼はまるでつい今しがたもぎ取られたかのように赤い赤い鮮血で彩られていた。
乾いた大地で見ることのない眩しいまでの白と赤のコントラストは、3年経った今でも鮮明に思い起こすことができる。
そして、何も考えることなく気がつけば、その鎖を大地に繋ぎとめていた楔を解き放ったいた。
だが、今から思い返してみればあの時、私はどうやって楔を解き放ったのかも覚えておらず、何もかも自分のことなのに記憶が途切れ途切れだった。
そして、更に可笑しなことに、それまでの記憶は曖昧なのに、翼の封印を解いた瞬間に私の記憶ははっきりしてくる。
自分という存在の意味を何も知らなかった頃はただの不思議でしかなかったことだが、今から考えてみればあの時の私はもしかしたら半ば悪魔に支配されていたのかもしれない。
そう考えれば自分の記憶が曖昧なのにも納得がいくし、知らない封印をあっさりと解いたことにも説明がつく。
何しろ万象の天使の翼を切り落として封印したのは悪魔なのだ。
しかし、そう仮定したとしてどうして自分でした封印を千年の時を経て再び解いたのかまでは私には知るすべはない。
そして、急に意識がはっきりとした私に対して翼は魔力を暴走させて私を襲ってきたのだ。
急に封印を解かれ、制御するということを忘れた魔力はまるで竜巻のように私を攻撃し続けた。
正直、ユイアのこともあり何もかも投げやりだった私としては、始めは反射的なものでエヴァの攻撃を避けたりもしていたのだが、それが続いてゆくとだんだんとそれをしていることすら馬鹿馬鹿しくなってくる。
絶望と悲しみに支配されていた私は、このままエヴァの魔力に進んで殺されようとすらしたのだ。
そして、確かに逃げることをやめた次の瞬間に私は何かに貫かれた。
全てを諦めて瞼を閉じた私には何が私を貫いたかなど分からないのだが、皮膚を肉を骨を貫く何かの感触を痛みを私は確かに感じたのだ。
―――しかし、瞼を開いた私を貫く存在は何もなかった
それどころか翼の魔力は暴走をおさめ、それに代わるかのように今度は黒の剣が突如の暴走を始めたのだ。
迸る黒の魔力に私は驚き混乱した。
そして、しばらくして黒の剣の暴走が終わった所で、あのエヴァの第一声である。
そりゃ、目の前に現れたのは子供だったとしても、誰だってその言葉を不気味がるだろうし、恐怖するだろう?
だけれど、やはりあの時の私は精神的にどうかしていたんだと思う。
『ユイアを彼女を蘇らせてくれ!!!』
願いをと言われて、躊躇いもなく私はそう叫んでいたのだから。
しかして、死者の復活はオウェルの話を聞く限り神とて叶わぬ禁忌なのだ。
『ユイアっていうのは死んだ人でしょ?願いを叶えるには対価が必要だけど、貴方はそれを支払えるの?』
『私の命をやる!』
自分が死んだってユイアが蘇るのなら構わなかった。寧ろ願ったり叶ったりだと思った。
『無抵抗に死んでもいいと思う命で、大切な人の命の対価が支払えるとでも思っているの?』
『!』
もっともな言葉に言葉に詰まった。
しかし、あの当時の私にユイアに勝る価値のある存在などあるはずもなかった。
『願いはそれだけ?うーん、それじゃ僕が困るんだよね。君の願いを叶えてやらないと、僕の願いを君に叶えてもらえないじゃない。』
そして、伝説通り翼たるエヴァは私に契約を持ち掛けてきた。
『僕にも願いがあるんだ。まあ、君が大切な人を蘇らせたいほどに強くて大きな願いじゃないんだけどね。それは―――』
『切り落とされた天使への帰還・・・か?』
父親の研究が真実ならばそれは間違いなかった。
そして、何の穢れもない子供姿をしたエヴァは笑った。
実際、私と3年間共にあったエヴァにはあの時の記憶はなかったし、彼とは別物だという認識が私にはあるのだが、あの笑顔だけは同じだったように思った。
『その通りだよ。話が早くて助かるなぁ。ねえ、だから他の願いを言ってよ。実体のない僕は一人じゃ、この世界に存在できない。君との契約という形をもって、本当の意味で僕は現実世界に実体を持てるんだから。』
しかし、ユイアを蘇らせる以外にあの時の私に切実な願いなど思い起こせるはずもなく、それにこんな怪しげな存在の願いを聞いてやる謂れなど本当は何一つないはずなのだ。
だけれど、弱い私は愚かしい願いを口にしてしまうのだ。
『翼よ!この願いだったら、お前は叶えてくれるのか?!』
弱った時、人は何にだって縋ってしまう。
少しでも楽になれるなら、心が救われるなら、何を犠牲にしたって人はそれに手を伸ばす。
それが悪いだなんてその時は微塵も思わずに、後になって血の涙を流すくらいに後悔するくせに・・・。
『うん。さあ、願いを言って。』
今の私がまさにそれだ。
最果てが迫る今になって、この契約の本当の意味を私は知った。
そして、苦しいほどに後悔をして、懺悔をして、もう、どうしていいかも分からない。
だから、私はこの時になって初めて気がついたのだ。
―――ああ、この契約が【最果ての最先き】なのだ・・・と
『私の心をこのまま・・・絶望という名のままに凍らせてくれ!!!』
それは残酷な時の流れという癒しを私に与えないための贖罪だった。
あの時の私には心安らかになることこそが恐怖だった苦痛だった。
苦痛でいることで安心していられた。
そして、それ以来、私は永遠にユイアという存在に捕われ、心はそこから何一つ動かない人間の形をした過去の遺物となり果てた。
その本当の意味など、何一つ知る由もなく。
「さあ、俺と契約をしよう。ヒロ」
そして、私は最果てに辿りつき再び契約を持ちかけられる。
それが世界の最果てとなるか最先きとなるか、全ては私の決断に委ねられて・・・。