第103話 堕神 2
「あらあら自分で堕ちた神なんて言っちゃたよ、この人は。」
からからとエンシッダが私と『堕ちた神』と間に流れる緊迫した空気に似つかわしくない声で笑った。
だけれど、オウェルは先までの動揺も消え去ったようで私だけをしっかりと見据えてくる。
「俺は昔から神として自覚なんかなかった。ただ、自分の幸せだけを追い求め、そのためならどんな存在を傷つけても罪悪感の一つも俺にはなかった。いや、俺だけじゃない千年前、神と呼ばれた者たちのほとんどがそうだったように今になって思う。」
その言葉で思い出したのは腸が煮えくりかえるようなドス黒い感情とあの汚らしい黒の神のこと。
確かにあの男はオウェルが言う通りの野郎だった。
「あははっ!あの傲慢だった君からこんな言葉が聞ける日がやってこようとはねっ」
うなだれるオウェルに楽しげなエンシッダの声が被さる。
しかし、オウェルはそんなエンシッダは無視してまっすぐに私を見つめてくる。
その視線の強さに私はたじろぎ、エンシッダはつまらなそうに眉を顰めた。(まあ、相手にされないんじゃ、どんなに的確な嫌味を言っても楽しくないだろう)
「そして、俺は自分のためにお前を・・・いや、お前の前世であるヴォルツィッタを俺は裏切ったんだ。親友であった彼を。」
だが、このままオウェルに話させたままでは収拾がつかないと、私は待ったをかけるように手をかざしてそれを中断させた。
「あんたはそれで私に許しを乞いたのか?」
「そうだ。」
「そうだって、そんなん私に許しを乞うことじゃないだろう?」
そもそも私にヴォルツィッタとしての記憶は一切ないのだ。
「分かっている。もちろん、それが俺の自己満足にすぎない。でも、分かってくれよ?俺だってこんな出口もない息苦しい場所で、後悔と罪悪感だけ引きずって懺悔を続けてきたんだ。ちょっとくらいの自己満足は勘弁してくれよ。」
言っていることはひどく重々しいのに何処か軽く言葉を紡ぐオウェル。
その端々から、恐らく神と呼ばれていた頃の彼は今の陰鬱な姿からは考えられないくらい明るかっただろうと想像できた。
―――それがどうしてここまで堕ちる結果になった?
誰もいない場所に一人閉じ込められ、千年という長きにわたり一人この血の壁画を描き続け、懺悔を続けていた・・・そりゃ、あんな風に狂気にとらわれもするってものだ。
私だったら、とうの昔に狂っているに違いない。
しかし、だからってさっきは思わず咄嗟に『許す』なんて言ってしまったが、彼の罪どころか彼と関係のない私がそれを彼の自己満足のために『許す』義理は何とつ無いのだ。
私は彼と同調しそうになる感情を振り切って彼に問いただす。
「それが分かっていて、どうしてわざわざ私をここに呼び寄せた?大体、この壁画の何が一体面白いものだっていうんだ?」
何しろ、そもそもオルウェは私に『面白いものを見せてやる』と言って呼び出したのだ。
しかし、実際にあったのは血で描かれた悲惨なる壁画だけ・・・部屋一杯に漂う血の匂いに私は気分が悪くなる。
「まあ、お前には何一つ面白いものなんかないんだろうな。悲惨な戦いの絵なんてな。きっと、ヴォルツィッタが見たなら感想のひとつも言ってくれたんだろうが。」
「言っとくが、千年前の事を何となく感じるというだけで、私には確かな記憶は皆無だ。」
千年前の悪魔をこの身に飼っているような感覚こそあるが、だからって、自分が自分でなくなるような感覚はあの罪人の巡礼地での一件のみだ。
すると口を歪ませてオウェルはこれは自分の感傷だと呟く。
「でも、千年前、俺が犯した罪はヒロ・・・お前自身にも深く関わることだ。」
ぴたりと私に見定められたオウェルの瞳が、散漫な光の瞬きから強い一つの光を湛えた色へ一瞬だけ変化したように思えた。
だが、それは一瞬で消えたので、もしかしたら私の気のせいかもしれない。
「だからこそ、俺はお前の前にこうして醜態を晒したし、このエンシッダがそれを許可したんだ。」
それからそれまで全く無視していたエンシッダにちらりと視線を向けて、ちょっとおどけたように肩を上下させて
「でなきゃ、俺の自己満足ためのだけにこの性格の悪い男が俺のために動いてくれるなんてこたぁないからな。分かるだろ?」
―――確かに
力強い同調と共に心の中で大きく頷いてみたが、それを実際に口にすることはなかった。
何しろエンシッダがこちらをすごい目でにらみつけていたし、何となく話が脱線しそうだった。(だが、そんなエンシッダの視線が妙に気分が良かったことは間違いない)
「じゃあ、エンシッダの無言の圧力が怖いことだし、それに俺もいつまでこうして自分を保っていられるか分かったものじゃないからな。さっさと話を始めるか。」
言いながら小刻みに震え続けている右腕をオウェルが抑えているのが目に入ったし、見え隠れする瞳の色が何だか不安定に揺れているように感じられる。
自我を取り戻したように見える彼だが、その言葉と行動の端々に先に見た彼の狂気を感じた。
しかして、時々『ああ』なるといったオウェル。
まるで発作でも起きたかのようなその言葉を思い出して、私は眉を顰める。
確かに彼の境遇は自我を狂気に乗っ取られたとしても可笑しくない状況だとは思うが、こうして自我を保っている彼とのあまりに違いに私は違和感を感じた。
「まず、壁画を見てくれるか?これは単に戦いの悲惨さを描いたわけじゃない、俺はこの壁画に千年戦争の全てを描いた。そして、その千年戦争と物語の中心にいるのは神や天使でもない、たった一人の人間の少年だ。」
そう言われて血に彩られた壁画に目をやれば、どうやら嘆きの間の中央天井あたりに一人の少年がまるで母親の胎内に漂う赤子のように蹲り丸まっている姿が描かれいた。
だが、それははるか昔に描かれていたのだろう。血は変色した様子でこびりつき所々が掠れたように見え、はっきりと知ることはできない。
ただ少年と言われればそうなのかもしれないが、その姿はどちらかというと髪が長く線の細い描写で描かれ少年といえど中性的な雰囲気を醸し出していた。
「彼の名前はラーオディル・オヴァラ、古き世界の言葉で『神に忌み嫌われた子供』。そして、千年戦争を始め、今も動き続ける世界の中心にいる世界の禍。」
―――ラーオディル・オヴァラ、神に忌み嫌われた子供
聞いたことのない名前・言葉のはずなのに、不意に胸を塞ぐこの感情はきっと悪魔のものなのだろうが、それにしてもその一瞬に襲ってきた衝撃の大きさに私は胸を思わず押さえ、見上げた天井の少年を食い入るように見つめた。
「そして、同時にヴォルツィッタのたった一人の家族でもあった。」
しかし、その一言でぐるりと私はオウェルを振り返った。
私がどんな顔をしていたかは私自身が知るはずもないのだが、きっと酷く驚いた顔をしていたのだろう。
髪に隠れて見ずらい彼の口元に苦笑が広がるのが見えた。
「とはいっても血は繋がっていない。お前は子供を拾って育てたんだよ。・・・その子供が灰色の魔力の根源とも知らずに。」
アオイの話によれば魔力とはその色の神を魔力の根源としている。
だが、灰色の神という神はこの世には存在せず、だからこそ灰色の魔力とは他の魔力とは一線をかくし異常だと言われた。
「では、この少年が灰色の神なのか?」
「馬鹿だな。オウェルの言葉を聞いてなかったのか?ラーオディルは神でも天使でもない『人間』だといっただろう?」
エンシッダが私を馬鹿にしたように言った。確かにそうかもしれない。だが
「人間が魔力の根源なんてことが―――」
「そうだ、ありえるはずがない。だからこそ、彼という存在は禁忌とされ、神に忌み嫌われ、世界全てから拒絶されていた。ヴォルツィッタに出会うまではな。」
そう言ってオウェルはラーオディルの描かれた右横あたりで、背後から誰かに剣で突き刺されている男を指さした。
その男は血で真っ赤に塗りつぶされた一つの翼を手に持っていた。きっと、万象の天使の翼をもぎ取った悪魔ヴォルツィッタを表現しているのだろう。
「どうして、ヴォルツィッタがラーオディルを拾ったのか。育てることになったのかは、俺も詳しくは知らない。だが、俺と出会ったとき、彼はすでにラーオディルと共にあり、そして、既に灰色の魔力に感染していた。」
『感染』とは何となく嫌な響きだ。
「その身に灰色の魔力を宿しているのならお前にも分かるだろう?他の全ての魔力をその色に吸収してしまう灰色の魔力の能力を、だが、それだけじゃない。知っているか?灰色の魔力にその魂までも感染させられたら最後、その存在は永遠の命と灰色の魔力を得ると同時にその隷属となり下がる。」
「そんなもの神と天使、神と神の子たちにも言えることだろう?魔力による繋がりは全て私には同じに見えるが?」
今のオウェルの言葉から、少なくとも私には両者の違いは感じられれない。
しかし、オウェルは大きく首を横に振った。
「いいや、違う。」
きっぱりとした迷いのない言葉だった。
何が違う?神との契約・神の血という名の鎖、全ては神が永遠の命と力を引き換えに人間を隷属させるためのものだ。
「何故な―――グッ」
しかし、何かが確信に迫ろうとしたその途中でそれまで、平然と冷静に物事を語っていたオウェルが呻き、その場に膝をつく。
「だ、大丈夫か?」
そもそもこんな所で血を流し続けていたのだ。神といえど、どこか体を悪くしているのかもしれない。
私は咄嗟に崩れ落ちたオウェルに近づいて、彼の肩に触れようとする。
「ヒロ、やめろっ!」
厳しいエンシッダの声と同時に、私は俯いていたオウェルが顔を上げたことで彼と目があう。
それは、それまで色々な光に反射していた色ではなく、見たこともないほどに深い蒼を湛えた右目とその蒼の色が何かに濁ったかのように灰色の混じった蒼の左目。
そして、その瞳の色に気を取られた瞬間、私は突如として巻き起こった強い風に吹っ飛ばされて血で描かれた壁に打ち付けられたのである。
エンリッヒ:というわけで、インタビュー第三弾は天使界のナイスガイことエンリッヒさんでぇす!(一人でぱちぱちと拍手)
エヴァ:何が『というわけ』か知らないけど、進行役の僕を無視しないでくれる?それに自分のことを『ナイスガイ』やら『さん』づけで呼ばないでしょ、フツー(エンリッヒを大いに引いた目で見つめる)
エンリッヒ:まあまあ、そう固いこと言わんとぉ。エヴァさんの仕事を少しでも減らせたらと思っただけやしまへんか
エヴァ:気持ち悪い声出さないでよ。それに何なのその変な言葉遣い。天使は皆そんなしゃべり方するわけ?
エンリッヒ:いんや、今までこのしゃべり方をする人はわいも自分のおじさんしか見たことありまへんなぁ
エヴァ:ふーん、まあいいや。じゃ、さっさと始めようか
エンリッヒ:あら?ここはじゃあどうしてそんなしゃべり方をするの?とか会話が広がっていく場面やありまへんの?
エヴァ:別に僕、君に興味ないから
エンリッヒ:ああん、エヴァさんったらツ・レ・ナ・イ
エヴァ:・・・本気で気持ち悪いからやめて




