第10話 あの約束を覚えていますか? 2
何はともあれ、とりあえずは如何にしてヒロちゃんと合流するかだ。
ヒロちゃんと合流予定のサビラ街へは人間の足ではどんなに急いでも一週間はかかるけど、馬とかを使えば二日も不眠不休で走れば着くことができる。
ヒロちゃんと連絡が取れない今、徒歩などと悠長なことは言っていられない。
だけど、まず街に入るのに一悶着。
ハクアリティスが街に入るのを渋りやがったんだ。
僕だってこの女が懺悔の街に何回か来たことがあるという情報を知らなければ、さっさと町外れに置いていった。
だけど、今は少しでも時間が惜しい。
だから、この街の様子を少しでも知っているハクアリティスの案内が必要なんだと、そう主張する僕にハクアリティスの言い分は次のよう。
「エヴァは知らないかもしれないけど、ここは普通のアーシアンの街とは違うのよ?!懺悔の街は天使がアーシアンに懺悔することを許した場所・・・、アーシアンだけじゃない天使やエンディミアンもいるのっ!私が見つかったらどうするのよ?!」
「はあっ?そんなの顔隠せばいいだろ?!だいたい、天使とエンディミアンがいるってどういうことだよ!?神の掟はどうなるんだよ?」
アーシアンに会うのは罪じゃなかったのかよと、僕は怒鳴る。
対してハクアリティスも、先ほどまでの怯えモードからから逆上モードに切り替わり言い返してくる。
「私に怒っても知らないわよ?!ただ、アーシアンたちが天使やエンディミアンに奉仕することこそが、神に対する懺悔だとされてるの!!だから、この場所だけは掟は免除されてるのよっ!」
「じゃあ、何?ここのアーシアンたちは天使やエンディミアンに奉仕をするためにいるっていうの?」
怒りのあまり僕の口調が段々荒くなるのをとめられない。
―――穢れだとかいってアーシアンを隔離したくせに、奴隷としてなら利用するのっていうの?!
ありえない!本気でありえない!!
だけど、今はそれについてハクアリティスと論議している暇はない。
僕はごねるハクアリティスに頭からマントを被せると、彼女を引きずって懺悔の街へ高ぶった感情のままに入っていった。
そして、僕らが倒れていたのは街外れだったから人気は全くなくて街の様子はあまり知ることができなかったけど、歩いてしばらくすると人と物が集まる市場みたいな場所に突き当たった。
そこは街の中央を貫く大通りで売買が盛んに行われ活気が溢れているように見え、ハクアリティスがいうように翼を持つ天使と小奇麗にしているエンディミアンと、みすぼらしいアーシアンが混在していた。
「馬を調達するにもお金が要るけど、持ってるの?」
そんな中、しぶしぶ僕に連れられてハクアリティスが言った。
「オカネ?」
聞き覚えのない言葉に聞き返す。
「ないの?」
「ていうか知らないよ。何それ?」
僕がそういうと深々とため息をつかれた。(何かムカつく)
「お金っていうのは何かを得るための対価のことよ。何だってタダじゃ手に入らないでしょ?」
それに対して普段は手に入った魔物の肉や皮と食べ物を交換したりしていると話すと、ハクアリティスは僕に背中を向けて歩きだした。
「じゃあ、そのいつも物々交換をしているものをお金に換えるわよ。説明するのも面倒だから付いてきて。」
「・・・」
本当にこの女の言い方はいちいち鼻に付くと一人げんなりとして、彼女の夫とやらもどうしてこんな一緒にいて不愉快な女と結婚したんだかと、先ほどまで街には入りたくないと駄々を捏ねていたことなど忘れて僕を引き連れるようにして歩くハクアリティスの背中を追いながら僕はそんな下世話なことを考えた。
そして、ハクアリティスを追いかけながら僕は市場の様子を観察した。
市場には新鮮な食材が並び、生活必需品だけではなく贅沢品まで見え、そんな活気溢れる市場の様子は懺悔とはまるで無縁の姿だ。
しかし、その裏で鞭打たれて働かされ天使とエンディミアンの足元にひれ伏しているアーシアンの姿が目に入った。
「・・・」
僕は黙ってその様子を観察していたけど、この街の歪みみたなものに顔をしかめずにはいられなかった。
「エヴァ!ここよ!」
ハクアリティスが大通りに面した、一つの建物の前で立ち止まる。
看板が掛かっているが文字が読めない僕には何が書いてあるかは不明だ。
「ここが換金所っていう、物をお金に変えることができる場所よ。」
「ふーん。」
「店や施設は天使かエンディミアンしか使えないわ。私が換金してあげるから、換金するもの出して。」
僕は昨日の戦利品である怪物豚の皮と骨の入った袋を鞄から取り出した。
ハクアリティスは中身も確認せずに僕からそれをふんだくると、さっさと店の中に入っていく。僕もその後を追う。
『いらっしゃいませ。ようこそピエフ換金所へ!』
店の中に入ると店員たちが笑顔で一斉にこちらに向かって頭を下げた。
明るく清潔感に溢た店内に、にこやかな女性たちと初めて目にする光景に一瞬目が点になる。
しかし、ハクアリティスはこれが当たり前なのか、気にした風でもなく店の中に進んでいく。
奥にはカウンター5つあり、その内4つは既にほかの客がいたので、空いていた残りの一つに目を向けるとハクアリティスはマントをとった。
「おいっ!どうしてマントとるんだよ。ばれたら、どうするんの?」
僕は驚いて小声でハクアリティスに耳打ちしたけど、馬鹿にしたように笑われた。
「こんなぼろいマントしてたら、エンディミアンに見えないでしょ。エンディミアンの証明はアーシアンとは違う美しさってやつなの。」
なるほどエンディミアンとアーシアンでは、その見た目は生活環境の違いから同じ生き物とは思えないほどに違う。
ハクアリティスは数日の不浄の大地逃走劇により多少やつれてはいるけど、性格はともかく見た目はとてもアーシアンに見えないくらい綺麗だ。
「いらっしゃいませ。今日はどういった御用でございましょうか。」
そして、彼女の思惑通りエンディミアンとしてすぐに認めてもらえたらしく、女性店員はにこやかにハクアリティスに微笑んだ。
「これの換金をお願いしたの。」
ハクアリティスは僕が渡した袋を店員の前に置いた。
「拝見いたします。動物の骨と皮でございますね。動物の種類は?」
ハクアリティスが僕のほうを見る。
「怪物豚だよ。」
「畏まりました。少々お待ちください。」
そう言って店員がカウンターにある機械に何かを打ち込む。
それから袋に入っていた骨と皮を機械の端末に触れさせ、そのまましばらく待つと、ぴぴっと電子音がした。
「はい。間違いなく怪物豚のものあることが確認されました。」
機械で怪物豚かどうか判断できるらしい。
不浄の大地は基本的に人力と自然しか存在しないけど、天使文明は魔法科学という分野が発達していて、色々不思議なことができると聞いたことがある。
その媒介が『機械』というもので実際に機械を見るのは初めてだけど、ハクアリティスにあらかじめ教えてもらっていたので、驚かずに様子を見つめることができた。
「怪物豚の相場から計算いたしまして、買取価格30万ヴァルドでいかがでしょうか?」
「え?そんなに高く買い取ってくれるの?」
それまであまり気乗りしなさそうに、髪の毛を触っていたハクアリティスが身を乗り出した。
「はい。相場ではこのくらいが妥当だと思われますが、いかがでしょうか?」
「もちろん!お願いするわ!キャーッ!!!こんなに高く買い取ってもらえるなんて!」
僕にはよく分からないがハクアリティスが興奮したように叫ぶ。
店の中にいる他の客たちが、大声を出しているハクアリティスをまじまじと見ていて、僕は内心まずいと思った。
「ちょっと、あんまりうるさくしないでよ。」
「だって、30万ヴァルドよ?!1ヶ月は余裕で生活できるわよ!」
お金なんてどうせ不浄の大地では使えないから、ただ馬さえ調達できればいいのにと、僕は一人興奮しているハクアリティスを白い目で見る。
―――この女は自分のことばかりだ
自分が怖いから周りの状況など考えず自分を見失い、自分が嬉しいからこんな場所ではしゃぐ。
そんな彼女に感じたことのないくらいの嫌悪感が湧いた。
「ともかく、用を済ませてさっさとここを出るよ。お姉さん、それでいいから早く換金してください。」
だけど、何となくこちらを見ている視線の中に、きな臭いものを感じて僕はハクアリティスの腕を引く。
「ありがとうございます。では、こちらが30万ヴァルドです。」
店員から金を受け取ると僕はさっさと店を出て
「またのご利用をお待ちしております!」
女性たちの麗しい声が、明るく僕らを見送った。
「なんなのよ?もっと喜べば?」
早歩きの僕を追ってきたハクアリティスが憤慨したようにいった。
少し話をしときたくて、僕はハクアリティスの腕を取ると大通りから一本細い道に彼女を引き込んだ。
人気のない建物と建物の間の細道は薄暗い。
「・・・お金なんて、馬さえ調達できればいいんだ。興味ないよ。それよりあんた追われてる立場なんだから、もうちょっと大人しくしててよ。」
気が付けばハクアリティスは換金所を出てもマントをとったままだ。
あまりの無防備に苛ついた。
「なっ・・・!どうしてそんな言い方するの?!お金はあったほうがいいでしょ?折角だから買出しとかすればいいじゃない!不浄の大地にないものがたくさんあるわよ。私も急いで出てきてなんの準備もしてなかったから、欲しいものもあるのよ。ね、いいでしょ?」
そんな暢気な言葉に僕の中の何かが震えた。
「あんた、今このときもヒロちゃんが誰せいで戦ってると思ってるんだ。」
悪人だとは思わないが、彼女はよくも悪くも目の前のことしか頭にない。
「・・・え?」
「ヒロちゃんのことだから、あんたのためとは言わないだろうさ。結構負けず嫌いだから、今頃、天使相手にやられっぱなしは嫌だとか言って戦ってるんだろうね。僕の気も知らないで!」
僕の中で静かにだけど、何かがきれた。
「でも、あの天使をヒロちゃんと出会わせたのはあんただ。あんたさえいなければ、僕もヒロちゃんも天使と関わることなんてなかったのにっ!あんたはそれを忘れたわけ?!」
初めて彼女を見たときから、何故だか嫌な予感が僕の胸にあった。
何か明確な理由があるわけじゃなかったから、ヒロちゃんにこの女と関わるのを強く拒否することができなかったけど、こんなことになるなら強引にでも、あの時この女がどうなろうと不浄の大地に置いていけば良かった。
そうしていたら、きっと今頃ヒロちゃんとアルヴァーナの街でのんびりしていたはずなんだ。
そんな僕とヒロちゃんの未来をめちゃくちゃにしておいて、この女は・・・
「僕は一刻も早くこんな街でてって、ヒロちゃんの所に行きたいんだ!それが嫌なら、もう僕らに関わらないでくれないか?!金なら、馬が調達できた後の分はやるから・・・」
僕の言葉に泣きそうになっているハクアリティスを見ても、罪悪感すら感じなかった。
そして、最後に言い切った。
「もう、僕らに関わらないでっ!!」
それは、僕の本心だった。
「あ・・・・わ・私は・・ただ・・・。」
他人を強く批判するくせに、誰かに強く批判されたりすることには慣れていないのだろう。
僕に言い返すことも、今のハクアリティスにはできない。
「ああ、あんたの境遇はかわいそうだろうさ。ヒロちゃんは優しいからな、昨日慰めてくれただろう?でもそれはヒロちゃんが特別優しいからだ。普通のアーシアンがあんたの言ってること聞けば、普通は僕みたいな反応だよ。」
優しいヒロちゃんを、悲しませたくなくてヒロちゃんの前では何も言えなかったけど、言えなかったことが言えて少し気分が落ち着いた。
これでもうこの女と関わるのはお仕舞いだ。そう思うと清清しい気持ちがした。
「じゃあ、お金は半分あげる、後は一人で―――」
そして、そう言ってハクアリティスにお金を突きつけてやろうすると、呆然としている彼女の代わりに誰かがそれを横取りした。
「何?坊やたち喧嘩でもしたのかなぁ?金が要らないなら、俺に頂戴よ?」
見ると換金所で僕たちを舐めるように見ていた男だ。
30万ヴァルドという大金に釣られて僕らを追ってきたのだろう。
男は小奇麗なエンディミアンだと一目でわかったけど、ハクアリティスのように際立った美しさはなく、あまり特徴は見つからない平凡な容姿だった。
僕は泣きそうに顔を歪めるハクアリティスに、この男と面倒ばかりが起こるのにため息をついた。
―――僕はただヒロちゃんのところに行きたいだけなのに
「あらあらぁ?この娘、すっげー上玉!泣いてる姿がそそるねぇ〜!姉ちゃん、こんなこえー彼氏は放って俺と一緒にこいよ!」
そういってハクアリティスに下品な顔を近づける。
「勝手にしろよ。僕には関係ないから。そこをどけ。」
「はあっ?!死にたくなかったら金は全部おいてけよ!大体てめぇ、アーシアンだろ?俺様たちはエンディミアンだぞ!アーシアンがそんな大金持つこと自体が罪なんだよぉ!」
エンディミアンっていう奴は本当にどいつもこいつも嫌な奴ばっかりだ。
僕はこいつらと話すのも面倒になってきて、腰にあるライフルに手を伸ばした。
相手は一人、僕一人でも問題ないだろう。
そうして、僕が物騒なものを出そうとすると、新たな乱入者が建物の上から男たちに襲いかかった。
「ぐはっ!」
「ウグゥっ!」
「ゲチャっ!」
男は奇声に似た叫びを上げると、乱入者にあっという間に倒された。
エンディミアンを倒したのは、おそらくアーシアンと思われる若い男。この男もさっき換金所で見た顔だった。
「くそぉ!野郎ども出てこい!」
しかし、倒された男には奥の手があったようである。
ボロボロになりながらも男が叫ぶと、仲間らしき十数人の男たちが路地の奥からぞろぞろと出てきたのだ。
さすがにあんなにたくさんの相手は面倒だなと思っていたら、アーシアンの男が僕に声をかけた。
「少年!来い!!!」
「へ?」
「逃げるんだよっ!」
「きゃあぁ!」
だけど、僕が展開の速さについていけず、呆気にとられていると男はハクアリティスを肩に担ぎ上げて大通りに向かって走り出した。
一瞬迷ったけど、それに僕も従って街に繰り出す。だけど・・・
―――本当に、ここは懺悔をするための街なの?
そんな思いに改めて囚われながら、市場でにぎわう人々の様子に目を背ける。
アーシアンの誰一人も神に懺悔を捧げている様子もなく、ただ天使とエンディミアンにひれ伏して許しを請うように、涙と汗をかいている。
そして、天使とエンディミアンはそれを嘲笑うかのように見下し、奉仕と称してアーシアンたちを働かせている。
彼らにとってアーシアンは人間ではなく罪人であり奴隷であり、そして、アーシアンは誰一人もそれに対して逆らおうともしない。
しかして、追いかけてくるエンディミアンたちを撒くために僕はハクアリティスを担いでいる男に従って、人の多い市場のある大通りから細い裏街に入る。
裏街には疲れた目をして道端に座り込むアーシアンの姿ばかりが目に付いた。
そのアーシアンたちが一様に力尽きている様子なのに、下を俯かないで、ただただ上を見上げている。
異様な光景に彼らが何を見ているのか気になって、全力で走りながらも僕も視線を彼らと同じように上へ向ける。
すると、その視線の先には一点の陰りもない白い空が光り輝いている。
それは、天使の領域と不浄の大地の境界線。
あの街外れから見えた白壁が太陽の光で反射して輝いている姿。
白壁は懺悔の街の空を遮るほどに高くて、この位置からは白壁がまるで空のように見えた。
「おお、神よ。罪深き、我々をお助けください。」
そして、走り続ける僕の耳に白い空を見上げるアーシアンの掠れた声が聞える。
天使やエンディミアンがこれを聞けば、きっとこの言葉は懺悔の言葉であると思うんだろう。
でも、僕の耳にはこの世界で生きることに絶望した人間の最後の懇願のように聞えた。
―――どんなに懇願したところで『神は誰も助けない』のに・・・
そんな風にふとアーシアンの声を聞いて心に浮かんだ言葉が、何故だか以前に聞いた事のある言葉のような気がして、それなのに誰の言った言葉か思い出せなくて僕は気になった。
加筆・修正 08.5.10