第1話 いと高き豚の声
昔々、どれくらい昔のことかも分からなくなるほど遠い昔、恐ろしい魔物が支配する地獄のような世界に二人の神が降り立った。
二人の神の名前は生命を司る白き神イヌア・ニルヴァーナと、死を司る黒き神ウ・ダイ。
二神はこの地獄のような場所を自分たちの世界にすることを決めると、黒き神はその死の力を使って全ての魔物たちを死の世界へと追いやり、白き神は魔物たちの代わりに神様を13人と3種の種族を誕生させ、広大なる世界の大地を東西南北の4つに分けてそれぞれの種族を住まわせた。
東方の楽園には二神を頂点とした神族
西方の魔境には獣人
南方の樹海には妖精族
北方の氷壁には巨人族
4つの大地と4つの種族。
二人の神が創造した世界には調和が成り立ち永い永い平和な時間が、ただただ穏やかに流れていった。
しかし、5つ目の種族・人間が世界に生まれ落ちたことにより、世界は大きくその均衡を崩していくことになる。
種族の領域ともいえる大地を持たぬ人間たちは、それを持つ全ての種族を妬み、他の種族の大地を奪おうという欲望を持ちその手に武器を取ったのだ。
―――そうして争いの火種が安穏たる平和に終わりを告げ、混沌と悲しみに支配される世界が産声を上げたのである
【いと高き豚の声】
「ブヒィィィィンッ!!」
遮るものが何もない果てしない荒地に、その日怪物豚の雄叫びが響いていた。
学名・怪物豚。
姿かたちは豚そのものなのだが、その体長は10メートルはあろうかという巨体、口は人を丸呑みしてしまいそうに大きく、牙は人を一突きで串刺しにしてしまいそうな鋭さを持つ。
しかして、その生態は肉食だが草なども食し、大人しい気性で人を襲うことはほとんどないという、不浄の大地に少数だけ生息するといわれる希少種。
ちなみに人間が好物であるという俗説もあるのだが、それは未だ証明には至っていない単なる噂にすぎない。
そして、普段は岩のように動かず大人しいこの怪物豚が雄叫びを上げて猛スピードで爆走している理由はただ一つ。
すなわち好物であるご馳走を目の前にしているから。
―――ちなみに、そのご馳走とは・・・『私』
有難くないことに私は非常に物騒なこの俗説を身をもって証明してしまったわけである。
「来るなぁぁぁっ!!!!」
しかして、私は怪物豚に追われながら、死に物狂いで走りながら叫んでいるのだ。
何せ怪物豚は、正に人参を目の前に吊るされた馬のごとき様相で唾液を垂れ流し鼻息も荒く、刻一刻と私との距離を縮めているのだ。
現在、私と豚の鼻先の距離、おおよそ5メートル。
正に万事休す。
私としては無論、怪物豚の胃袋なんかには納まりたくないが、如何せん豚如きにスピードで負けているのだ。しかも、体力的にも私は限界に近づいている。
更に、逃げ切れないのであればどこかに隠れる場所はないかと周辺に視線をはしらせるが、見渡しの良い荒地には隠れられそうな場所もない。
高いところに逃れることも考えたが、生憎と怪物豚が上ることができなさそうな高所は見当たらない。
「だあぁーっ!こんの馬鹿豚がぁ!」
おかげで私はこの八方塞がりとしか言いようのない状況に、悪態を腹の底から吐き出すことくらいしかできない。
果たしてこのまま体力が尽き怪物豚に私は食べられてしまうのか。
正直自分はまだ若いのにこんな形で人生を終えるとは信じたくない。
しかし、私が信じなくても現在の状況に変化があるわけでもなく、怪物豚はもう一息で好物にありつけるとばかりに更に走るスピードを上げたのだ。
「!!!!」
そうしてその牙が私の背中に僅かに当たる感触がして、私には混乱する思考の中でその胃袋に収まる自分がありありと想像できた。
ギュッと、最悪の未来を思い瞼をつむった。
ガウンッ
しかして、私の耳に届いたのは好物を口にして喜ぶ豚の声ではなくて、銃声が一つ。
「ぐふっ」
銃声の後、更に何かが背後から覆いかぶさってきて、私はその何かに押しつぶされる。
何が起こったか分からなくて、私はうつ伏せの状態のまま首だけ背後に向けた。
「っ!?」
―――そこにあったのは、驚くことなかれ怪物豚の恐ろしき超迫力の顔面ドアップ!
思わず身動きできないのに逃げ出そうとしてしまったくらいだ。
だが、よくよくその顔を落ち着いて見てみると、その豚が死んでいるのは一目瞭然で頭を一撃で撃ち抜かれていた。
どうも私は怪物豚に倒れこまれ下敷きになったらしい。幸い顔だけは下敷きにならなかったので窒息せずにすんだ。
怪物豚は重かったが、とりあえず助かったとばかりに安堵の息をつく。
「ヒロちゃぁん、大丈夫?」
そうして、いつまでもその下敷きになっているわけにもいかず、のそのそと死体から這い出ていると男の癖に妙に甘ったるい声が聞えた。(ちなみに、申し遅れたがヒロというは私の名前。)
男・・・というよりはまだ少年である彼は私のすぐそばまで来ると、満面の笑みを浮かべる。
「良かった!怪我はなさそうだね!」
「良かったじゃない!」
しかして、私の無事を喜ぶその少年・エヴァの頭を私は思いっきり叩いた。
「痛いっ!助けてあげたのに何するのさぁ?」
さほど強い力ではなかったはずだが、大げさに顔を歪めるエヴァの手にはライフルがあった。
それを見れば怪物豚を一撃で仕留め、私を助けたのがこの少年であることはすぐに分かる。本来ならば、感謝こそすれ暴力をはたらくことなど罰当たりであることも十二分に分かっているさ。
―――しかし!しかしである
「お前、私が誰のせいでこの豚に追いかけられたと思っているんだ?」
死んだ怪物豚を指差して憮然として私が言えば、エヴァはへらりと笑った。
「あれ?」
「そもそも、エヴァが怪物豚が珍しいから近くで見たいとかいって、一人で近づいて勝手に追いかけられてたんだろうが!どうしてお前じゃなくて、私のほうが追い駆けられないといかんのだっ。」
そう、私は止めたのだ。
確かに怪物豚に出会うことは稀だ。
しかし、奴は野生の、しかも人間が好物であるという物騒な噂を持つ動物なのである。見つかったら食べられるかもしれないという想像はできないものだろうか。
それなのにこのエヴァという子供はへらへら笑って、大丈夫だと怪物豚に一人で近寄っていったのだ。
結果は現在の状況を見てもらえば説明するまでもないと思う。
離れて様子を窺っていた私は程なくしてエヴァの悲鳴を聞いた。案の定、怪物豚に見つかり、先の私と同様に馬の鼻先に吊るされた人参と同じ状況になったエヴァが逃げていた。
なのにどうして私が追いかけられる羽目になったかといえば、遠目にそれを見ていた私に向ってエヴァが怪物豚を連れて走ってきたのだ。
「ヒーローちゃぁぁん!!!」
「こっちに来るなっ!」
・・・結局、私も一緒に逃げる羽目になっていた。
しかも、気がつくと怪物豚に追いかけられていたのは私だけで、エヴァはいなくなっていたのだ。
―――何かがおかしい
私が思い出してふつふつと静かに怒っていたところで、エヴァはまたあっけらかんと言いやがるのだ。
「まあ、日頃の行いじゃない?ヒロちゃん、悪いことばかっりしてるから。」
ちなみに僕は良い事しかしないからと、エヴァの言葉を最後まで聞くより先に私は再びエヴァの頭を叩いていた。今度は本気である。
「何が日頃の行いだ!!それなら寧ろ逆だろ。逆っ。」
「〜〜〜っ」
さっきとは違いエヴァは言葉なく頭を抱えた。(余程痛いらしい。いい気味である)
大体いつもそうなのだ。
エヴァは厄介な問題ばかり起こす くせに、結局いつもその尻拭いをさせられ苦労ばかり背負わされるのは私。正直、ぶん殴るだけでは気分が晴れない。
「ヒロちゃん!今本気で叩いたでしょう?!」
「黙れ。誰のせいで死にそうになったと思ってるんだ。これぐらいですんで良かったと思え。大体、ちゃん付けで名前を呼ぶなといつも言ってるだろうが!」
「だって、ちゃん付けの方が可愛いじゃん!」
「男の私に可愛さはいらん!大体、お前はいっつも―――」
そして、その後怪物豚の屍を挟んで、私とエヴァは殴り合いのケンカをはじめた。
ケンカは決着が付くことなく熾烈を極め、気がつくと夕日をバックに私たちは共に精も根も尽き果てるところまでやり合っていた。
そして、私もエヴァも限界を感じ次の一撃で決着が付くことを予感していた。
「エヴァ・・・。」
「・・・ヒロちゃん。」
互いに一歩も譲らず緊迫した空気が流れ、夕日が荒地に二人の長い影をつくり、二人の間を風が流れた。
相手の間合いをはかり、息を呑み呼吸を殺す。
『今だっ!』
しかして、互いに勝負を仕掛けようとしたその瞬間であった。
―――ぐるきゅ〜
妙に間延びした音が私とエヴァの体の動きを止めた。
言わずもがな、腹の虫というやつである。
『・・・・。』
相手に殴りかかろうとしたまま、二人とも固まってしまった。
「・・・・・お腹すいたね。」
「飯にするか・・・。」
エヴァが先ほどまでの険悪な雰囲気を打ち切って力なく笑い、私もそれに頷いた。
どうして今まで気が付かなかったのか、両者ともに腹が死ぬほど減っていたのだ。
しかして、私たちの喧嘩はあっさりと幕を閉じた。(意地で腹は膨らまないのだ)
「そういえば、結局僕たち何で喧嘩してたんだっけ?」
「・・・・・忘れた。」
「東方の天使 西方の旅人」第一話を最後まで見てくださってありがとうございました!これから長く続くヒロの物語を楽しんでいただければ幸いです。
また、現在、鋭利加筆修正をしている最中で若干話の内容が繋がらない部分もあるかもしれません。(詳しくは第82話の後書きにあります◆お知らせ◆をお読みください)なるべく、その辺りは少なくするよう努めたいと思っていますが加筆修正が終わっていない時点で読み始めて頂いた読者様にはご不便をおかけするかもしれません。できるだけ、早く終わらせたいとは思っていますのでよろしくお願いします。
ちなみに加筆修正しているものはサブタイトルに英数字を使っており、そうでないものは漢数字を使用しております。
加筆・修正 08.4.12