幸せな日々
3 幸せな日々
こうして僕の大家族の中での生活が始まった。楽しい日々が過ぎるのは早いもので、あっという間に2ヶ月が過ぎて10月になった。
お父さんとお姉ちゃんたちは太陽が昇り始めたころ家を出てゆく。それまで朝食の準備やら後片付けで忙しくしていたお母さんが一段落する頃だ。この時間が僕たちにとっても楽しい一日が始まる時間でもある。お母さんが美味しい朝食を作って、それぞれの食器に入れて出してくれるのだ。その時間になると四匹とも勝手口の前で待ち構えることになる。猫たちはその前に家の中で食事を貰っているようなので、その様子はよく分からない。
「は~い、お待たせ!」
お母さんはニコニコしながら大声を出して扉を開ける、四匹の犬は思い切り尻尾を振ってお母さんに愛嬌を振りまく。お母さんは一つづつ朝ごはんをそれぞれ離れた定位置に置いてゆく。この頃は、僕も他の犬のご飯を横取りしようなんて思っていないし、勿論この家に来た頃の僕みたいな人のご飯を横取りしようなんて根性の悪い犬は一匹も居ない。それぞれが自分のご飯にがっついて食べている。
食事が終わると散歩の時間だ。雨の日も風の日も多少の時間の違いはあっても、お母さんは必ず散歩に連れて行ってくれる。でもやっぱり晴れた日の爽やかな秋の空気に包まれた散歩は特に楽しい。お母さんが四匹の紐を引っ張って歩くのだが、特に雨の日はそれぞれのウンチの後始末が大変のようだ。ビニール袋に取ったり、スコップで穴を掘って埋めたりするのだが、時によっては紐を離してしまうこともある。犬たちは紐を放されたからといって、逃げようとするものは一匹もいない。
散歩のコースはいつも決まっている。家の横の桜並木の遊歩道を北回りか、南回りのコースを歩くのだ。お母さんは犬たちの好みを優先してくれて、犬たちが歩き出す方向に連れて行ってくれる。どちらへ行ってもゆっくり歩くので約1時間の散歩になる。でも、同じく犬を連れた顔見知りのおばさんたちと会うと世間話が弾んで長くなることもある。日によって会う顔見知りのおばさんは色々だが、4~5組の人たちが常連みたいだ。当然、彼らが連れている犬たちと僕たちも顔見知りになり、顔を寄せ合ったり、匂いを嗅ぎあったりして友情を暖めることになる。
お母さんは昼間は洗濯したり、買物に行ったり、たまには夕方遅くまで外出したりする。昼間は僕たちもあまりやることがない。四匹あるいは気の向いた相手とはしゃぎ合って庭を走ったり、ふざけあったり、時には遊歩道を歩く犬に吠えてみたり、特に「トラ」が通ると四匹揃って吠え立てたりするが、それ以外は芝生の上に長くなって寝そべっている。
一番早く帰ってくるのはやはりお母さんで、H姉ちゃんそれからY姉ちゃんの順に帰ってくることが多い。お父さんはかなり遅くなって帰ってくる。玄関は通りに面したところにあるが、みんな裏の車庫の入口から庭に入ってくるので、それぞれが帰ってくるたびに四匹総出でシッポを力いっぱい振って、愛嬌を振りまきながら出迎える。すると一匹づつ言葉をかけながら、頭を撫ぜてくれる。お父さんは滅多にしてくれないが、お母さんと姉ちゃんたちは一匹づつを抱き上げながら言葉をかけてくれる。ただし、年寄りのロンは抱かれるのを嫌がるので頭を撫ぜられるだけである。
暗くなる前にお母さんが夕飯を準備してくれる。夜の散歩は人間たちの夕食が終わってからになるので暗い中での散歩になるが、遊歩道には一定間隔に街灯が設置してあるので散歩には問題はない。夜の散歩もまた乙なものだ。夜の散歩では顔見知りと会うことも殆どないので、3~40分の散歩になる。
夜の散歩が終わると、一日が終わりとなる。夏の暑い間はそれぞれが好き勝手に芝生の上に寝ていたが、秋になると夜はそろそろ寒くなってきたので五つの犬小屋に分かれて入って寝ることになる。最初は何処に入って良いのか分からずに右往左往していたが、前から居る三匹は既に自分の場所を決めているようだったので、誰も入らない小屋を自分の小屋に決めて中に入って寝る。
小屋に寝そべりながら外を見ると、まん丸のお月さんが冷たい光を放っている。僕は今ではこうして月を眺めながらぬくぬくとした犬小屋で寝ている。野犬狩りのおじさんに追われることもない、外からの外敵に襲われる心配もない。明日になれば又美味しい朝飯が待っている。神様にお礼を言いながら眠りにつく毎日である。
今日は日曜日、今日もお母さんが四匹の犬を連れての散歩だ。遊歩道の桜並木も黄色く色づいて、その外側にある銀杏の木々は鮮やかな黄金の波となって風に揺れている。僕は秋の爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込んで歩いた。
「どうだ、羨ましいだろう」
僕は、お母さんと四匹の家族が揃って歩いている姿を誇らしく思うし、他の家族の犬に自慢したい気持ちでいっぱいだった。いつもと同じように北側のコースを歩き、今日も三組の散歩組に出会った。お母さんはいつものように朗らかな声で世間話を始める。その間、僕は連れの雌犬と鼻を突き合わせて、お互いの気持ちを確かめ合って楽しんだ。
しかし、僕は既に子供を産ませる能力はない。この家に来た数日後にお母さんが僕を病院に連れて行って去勢手術をやってしまったのだ。飼い犬として生きてゆく為には去勢手術をしなければならないのだそうだ。去勢手術は物凄く痛かった。2~3日は小屋の中で唸っていた。でもこの家の一員として生きてゆく為には仕方のないことらしい。家の全ての犬と猫は、雄は去勢、雌は不妊手術を済ませているということであった。
今日の散歩も終わりに近づいて家の近くまで帰ってきたとき、Y姉ちゃんが走って来るのが見えた。
「お母さん、大変!」
Y姉ちゃんは息せき切ってお母さんに言った。
「慌ててどうしたの?」
「ダニちゃんがオートバイにはねられた!」
お母さんの顔が引きつった。そしてその場所をY姉ちゃんに尋ねると4匹の犬を引っ張ったまま走り出した。途中で2匹をY姉ちゃんに渡して「ダニ!ダニ!」と叫びながら走っている。
ダニの交通事故の現場は家から直ぐ近くの道路の上であった。H姉ちゃんと男子高校生が何か話している。よく見るとダニはH姉ちゃんの腕の中に抱かれてぐったりしている。お母さんが駆けつけると男子高校生が言った。
「すみません、急に飛び出してきたんで避けられなかったんです」
高校生とH姉ちゃんに状況を聞いて、お母さんも仕方がないと思ったようだった。ダニは息はしているがぐったりしている。口から血を流しているが、どこをはねられたのかはっきり分からない。お母さんは急いで家から車に乗ってくると僕たちをH姉ちゃんに預けてY姉ちゃんと二人で病院に向かった。
お母さんたちが帰ってきてからの話では、病院では獣医が丁寧に診察してくれて、命には別状はないと言われたそうだ。口をオートバイにぶっつけたらしく、前歯が曲がって前に突き出していた。獣医の話ではこのまま放っておいても「命に別状はないので構わないでしょう」と言われたそうである。
ダニも病院で注射を受けてから元気を回復し、家に帰ってきたときはよたよた歩けるようになっていたが、口の怪我が痛々しかった。
ダニはこの春に生まれたばかりの茶のトラ猫でまだ6ヶ月にしかならない。猫にしては変っていて、人間には誰にでも平気で近寄ってゆくし、本来は敵同士であったか知れない僕たち犬にも平気で近づいてきた。母さんが名前を呼ぶと「ニャ~」と返事をするので人間の家族は「まるで犬みたい」と言っている。冗談じゃない、犬はもっとしっかりしてるよ、と僕は異議を唱えたかったが・・・
それだけにダニは人間の家族に可愛がられた。いつも誰かがダニを抱っこしているので、僕はいつも羨望の目で見ていた。しかし、ダニに意地悪をしたことはない。だって、ダニは僕が好きでいつも近くに来て座っているのだもの、意地悪なんかする気にもならなかった。
お母さんは勿論、この家の人たちは全員動物に何かあると大騒ぎするようだ。僕がちょっと調子が悪くて食事をしなかった時は、「この食いしん坊が食事しないなんて相当悪いんだろう」と言ってすぐに病院に連れて行かれた。あのへぼ獣医はすぐ注射をするので僕は病院にはあまり行きたくはないのに。このとき食べなかったのだって、昨夜、ジュンが食べ残したのをこっそり食べて、食べすぎでおなかを壊しただけだったんだ。それでもへぼ獣医は大きな注射を射ちやがった。痛いったらないよ、全く。へぼ獣医め!
(除夜の鐘の後、家族揃ってお宮参りへ)
こうして楽しい毎日があっという間に過ぎて、冬が来た。人間たちも、猫たちも、そして僕たち犬たちも全員元気で病気をするものは一人、一匹もいなかった。お父さんは相変わらず忙しそうで、アメリカ出張が多すぎるとブツブツ言っている。
お母さんは相変わらずの毎日で日米友好協会にボランティアで参加し、交流会で通訳のまね事をやったりしているそうだ。兄ちゃんや姉ちゃんたちも仕事で頑張っている。ただ一人大学生のY姉ちゃんは相変わらず青春を謳歌しているようだ。毎年夏休みにはアメリカの語学学校に一~二ヶ月の短期留学をやっているらしい。
そして今年の終わりの大晦日がやってきた。僕にとってはこの家での初めての年末年始だ。
今年はM兄ちゃん夫婦もやってきて、家族一同大賑わいだ。ただS姉ちゃんは相変わらずカナダで頑張っていて帰国できなかった。「家族が一人でもいないと何となく淋しいな」とお父さんがぼやいている。
みんなでテレビの紅白歌合戦を見て、除夜の鐘を聞きながら年越し蕎麦を食べて、それから団地の中にある神社に初詣をするのがこの家の慣わしだ。もっとも正式な初詣は正月二日に全員揃って大宮の氷川神社に行くことになっているが・・・
年越し蕎麦は、猫たちが食べるかどうかは知らないが、僕たち犬にはおすそ分けがあった。犬用に作られているのか大いに美味しかったので全員ガツガツ食べていた。
年越しそばを食べ終わると全員で5~600メートルほど歩いて、団地の中の小さな神社にお参りに出発する。人手がいっぱいあるので、ひとり一匹の割で紐を持ってくれる。僕はお兄ちゃんと一緒に歩いた。お兄ちゃんも去年結婚したばかりのお嫁さんと手を繋いで楽しそうに歩いている。
ロンはお母さんが引っ張っている。ロンは人間の年で言うと既に九十歳を越しているそうで、もたもたと歩いていた。皆に遅れそうになるとお母さんが抱き上げて連れて行ってくれる。
ミーとジュンは足軽やかにシッポを大きく振って歩いている。この深夜に猫を除く家族全員で歩くなんて、僕にとって初めての経験で、嬉しくて、うきうきする気分であった。外気は冷たく、吐く息が真っ白になるが、僕たち犬にはむしろ気持ちの良い最高の温度だった。
途中でお父さんが写真を撮ってくれる。お父さんがカメラを構えるとみんなそれぞれのポーズを取っている。Y姉ちゃんなんか大袈裟な身振りで構えている。勿論、ポーズを取るときは僕たち犬も、抱かれたり、ポーズを取らされたりで大賑わいであった。カメラのフラッシュが真っ暗な闇に光る。照らされた被写体が一瞬見え、そのまま動かない映像になって暫くの間脳裏に残る。
やがて小さな神社に着くと、お母さんが一人ずつ小銭を渡してくれる、勿論、僕たち犬にはくれないけれど、犬用の小銭も「はいこれはジュンの分」と言って、それぞれ紐を持っている人に渡してくれる。僕の分はお兄ちゃんが貰ってくれた。一人づつ小銭を賽銭箱に投げ入れて、今年の抱負を祈り、幸運を祈る。
「ガス、お前もしっかりお祈りしろよ」
というお兄ちゃんの指示に従って、僕もM兄ちゃんと一緒に今年の感謝と来年の幸せを祈った。
全員がお参りを終わると全員で社の前と鳥居の前で記念撮影。交代でシャッターを切るのだが、これがまた大賑わい。他の家には団地の中の神社にお参りする習慣がないのか、お参りしているのはうちの家族だけであった。
それからまた全員で歩いて家に帰る。団地の中はひっそりしていて静かなものだが、それでも、ところどころの家の明かりが灯っている。普通の日の真夜中ではあり得ないことである。僕がノラをやっていたころは深夜に食べ物を探して歩いたこともあるが、何処の家も真っ暗で明かりの灯っている家はなかった。
家に帰ると全員庭側の入口から庭に入り、暫く庭で犬たちと戯れてからそれぞれの寝室に散っていった。僕も自分の小屋に入って眠りにつく。この一年、と言っても、僕が意識が出来てからはまだ半年と少しにしかならないが、僕にとっては激動の年であった。そして運よく最高の家族に拾われて幸せな人生のスタートとなった。どうぞ、この幸せが永遠に続きますように。
楽しかった正月もあっという間に終わって、連日寒い日が続いた。寒い日でもお母さんと僕たちの散歩は変らず行われた。特に夜の散歩は寒かったが、お母さんは寒いとは一言も言わなかった。たまにお父さんと散歩すると、腰の悪いお父さんは腰にマフラーを巻きつけ、その上に分厚いオーバーを着て歩いた。夜だから良いもの、昼間だったら僕たちが格好悪い思いをするところだった。
「ウ~寒いのぉ~」
お父さんはブツブツ言いながら僕たちの紐を引っ張って歩く。お母さんによると、お父さんは若い頃水泳の飛び込みで腰をひねって悪くし、それ以来、冬は腰を冷やすと痛むのだそうだ。
今夜もお母さんと遊歩道を散歩していたが、遊歩道から少し入ったところから犬の低い声で唸る声が聞こえてくる。何とも悲しげな不気味な声である。
「何だろう?」
お母さんは少し首をかしげて声の方に道をそれてわき道に入った。そこは結構大きな家であった。声はその家の屋根なしの車庫から聞こえていた。よく見ると僕より少し小さめの黒い犬がコンクリートの上に座って声を出していた。全身を震わして声を出している、寒いのだ。
お母さんが小さな声で言葉を掛けた。
「ワンちゃん、どうしたの?」
しかし黒い犬は振り向きもせずにうわ言のように声を出し続けている。僕にも何を言っているのだか分からない。
「このワンちゃん、この寒いのにコンクリの上に紐でつながれて、寒くてどうしようもないんだよ、可愛そうに・・・」
お母さんは怒ったように言った。僕たちは毛布を沢山敷いた犬小屋で毎晩
ぬくぬくして寝ているので、コンクリの上で寝るなんて考えもしなかった。コンクリの上は夏は涼しくて気持ち良いが、冬は確かに寒い。その上に短い紐に繋がれて夜通し寝るなんて考えただけでもぞっとする。
「犬は寒さに慣らしたほうが良いんだという人がいるけど、あれは嘘だよね。そりゃ、北で育った犬は寒さに強いかも知れんけど、こんなに暖かいところで育った犬は寒さに弱いんだよね」
「そうだよね、お前たちもやっぱりあったかいところの方が良いよね」
お母さんは僕たちの顔を見回しながら呟いた。
「まさかこの家の人に怒鳴り込むわけにもいかないし、困ったわね。この家の人は、こんな犬の飼い方をしていたらその内に罰が当たるよ」
お母さんと僕たちは暫くその犬を見つめていたが、やがて諦めて家路についた。
それからいうものは、お母さんは散歩の途中に必ずその家の横を通るようになった。昼間見ると茶色と黒のビロードのような毛の犬で、お母さんに言わせると僕たちより上等の犬で本来は家の中で飼う犬だと教えてくれた。お母さんの意見には少々不満もあるが僕たちはあんな目に合わなくて良かったとお母さんに感謝。
その犬は昼間は唸ってはいなかったが、夜通るときはいつも悲しそうな声で唸っていた。僕たちからみるともう既に気が触れているような感じだった。
それから3週間後の夜に通りかかった時その犬は突然姿を消していた。お母さんは死んでしまったに間違いないと悲しそうに言った。そして犬がいた方向に向かって手を合わせた。
「あんな目に合わせるくらいなら、犬を飼わなけりゃいいのに、この家の人は必ず罰が当たるよ」
お母さんは悔しそうに言った。その後数回その家の横を通ったが、あの犬は二度と現われなかった。その家の人に罰が当たったかどうかは知らないが、その後、僕たちはその家の横を通ることはなくなった。
「動物を飼うからには、責任を持って飼ってほしいわ。飼うからには可愛がるべきだわ、でなきゃ初めから動物を飼おうなんて思わなきゃいいのに!」
これがお母さんの口癖だ。散歩中、自転車に乗って犬を引っ張って散歩している人をよく見かけるが、その度にお母さんは不愉快な顔をする。
「犬だってシッコしたり、匂いを嗅いだりして楽しく散歩したいんだよね。人間も歩いて散歩させて欲しいわね」
とお母さんは呟く。ある時、僕らの目の前で、自転車で引っ張られて走っていた柴犬が突然走らなくなり倒れた。よく見るとお尻から腸の一部が飛び出している。恐らく病気の犬を無理やり自転車で引っ張って走らせたので無理をし過ぎたに違いない。買主は自転車を止めるとその状況を見て舌打ちをしたが、流石に荷台の籠に犬を乗せて走り去った。
全く不愉快な光景だったが、僕たちだってあんな目にはあいたくない。お母さんに拾われて本当に良かったと思う。それに、お母さんは最近、近所の人と話すときは僕たちを自分の子供たちです、と紹介してくれる。そういう時は僕たちも自慢げにシッポを最大限に大きく振ることにしている。犬にも運、不運があるもんだ。
時は3月に入ったある朝、目を覚ますと回りは真っ白な銀世界だった。年寄りのロンは小屋にうずくまって寝ていたが、ミーと若いジュンは雪の上を走り回っていた。僕は初めて雪を見たが、ミーとジュンの戯れている姿を見ていると何だか浮き浮きしてきて小屋を飛び出すと仲間に入った。雪は冷たかったが寒さは感じなかった。そんな僕たちをお母さんやお姉ちゃんたちが窓から笑いながら見ていた。
やがてH姉ちゃんとY姉ちゃんが長靴をはいて庭に飛び出して来た。そうすると年寄りのロンも遊びたくなったらしく、小屋の外に出てきた。しかし、一緒に走り回るには体力がない。みんなの外側でウロウロしていた。
お姉ちゃんたちは雪が降っても仕事と学校はあるので、暫く遊んでから慌てて電車の駅に向かった。雪の上を歩きにくそうに歩いてゆく。それを見送っているとお母さんが朝ごはんを持って出てきた。この日の散歩もいつもと変わりなく出来た。一日中雪のぱらつく天気で、夜は気温がぐんと下がった。
翌日の朝、雪は堅くなって滑りやすくなっていた。それでもお母さんはいつもと同じように、元気に僕たちを散歩に連れて行ってくれた。いつもの友達も散歩に来ていて、相変わらずの世間話。そして帰り道、家の近くの道路の継ぎ目のところでお母さんが「あっ!」と声を上げた。そして僕たちの紐が思い切り引っ張られて首がぎゅっと絞まった。
「ぎゃっ!」と声を上げた僕たちのそばにお母さんが倒れていた。一寸した坂ですべってすってんころりとひっくり返ったらしい。お母さんは「ウ~ン」と唸って暫く起き上がれないようだった。僕はびっくりすると同時に心配になってお母さんの顔をぺろぺろ嘗め回した。
お母さんは腰をいやっというほどコンクリの地面にたたきつけたらしい。少しづつ体を起こして、やっと立ち上がるまでにかなりの時間がかかった。でも、頭を打たなくて良かった。もしお母さんに万一のことがあったら僕たちはどうなる・・・考えただけでもぞっとする。
お母さんは見るも哀れな姿勢で僕たちを連れて家に帰った。そして、その日は一日中寝てたらしく、庭には一切出てこなかった。Y姉ちゃんとH姉ちゃんが帰ってきて、状況を知って心配し、医者に行くように勧めたがお母さんは頑として言うことを聞かなかったそうだ。
お父さんが帰ってきて、次の日に医者に行くように勧めたが、
「医者に行けばお尻を見せなければならいんでしょう、人にお尻を見られるなんて、お~いやだ!」
と言って頑として言うことを聞かないらしい。お父さんも呆れてしまったようだが、それから2~3日はH姉ちゃんとY姉ちゃんが僕たちの面倒を見てくれた。休みの日はお父さんがご飯から散歩まで全ての面倒を見てくれた。
雪もすっかりなくなり、三日を過ぎた頃から、お母さんはこわごわと庭に出てきて歩くようになった。何とも情けない格好で歩くお母さんの姿は可哀想でもあるがおかしくもあった。何はともあれ、僕たちが頼りにするお母さんは大丈夫のようだったので、僕たちも安心した。お母さんが普通に歩けるようになるまでに1ヶ月ほどかかった。
この家に来て半年もすると猫たちともすっかり仲良くなった。ニャンは滅多に庭に出てこないからよくは分からないが、それでも天気の良い日は窓から外を見ていることがあった。ニャンは犬たちと接触がないせいか、未だに用心して近寄っては来ない。お母さんの話では最近病気がちで引っ込み思案の性格はますます酷くなっているとのことだった。相変わらずびっこをひいて歩き、家の中でも居間の隅の方、ピアノの壁側の隙間とかテレビのうしろとかにひっそりしているらしい。でも流石にお母さんには慣れて、時々抱っこされることはあるらしい。
メイは優雅な真っ白のチンチラだが結構愛嬌の良い猫で、しょっちゅう庭に出てきては僕たち犬を馬鹿にしたような目で見ては走り回っている。でも前みたいに逃げることもなく、僕が近寄って行っても平気な顔をしていて、ただ馬鹿にしたような目つきで見るだけであった。メイはあまり遠出をせずに家の庭で遊ぶことが多かった。お母さんはメイがお気に入りでよく抱いて歩いていた。
ハナは白黒のブチが牛に似ているのでみんなから「牛猫」と呼ばれている。顔の悪い猫でお父さんは「ブス猫」と冗談に言っている。僕たちを見ても知らん顔をしているが、何となく愛嬌があるので、僕は時々追いかけてみる。すると素早く木に登ったり、走ったりで結構素早い行動をとる。僕が知らん顔をしていると、「早く追いかけて」と言わんばかりに僕の前をウロウロしている。
またハナは時々トカゲを捕まえてきては自慢そうにお母さんのところへ持ってゆく。最初のうちはお母さんも「きゃ~」と大袈裟な悲鳴を上げていたが、その内なれてきて、ハナの頭を「頑張ったね」と撫ぜてから、トカゲをそっと逃がすようになった。
ダニはあの事故以来、歯の一本は相変わらす口から前に突き出しているが、すっかり元気を取り戻した。雄だけに体も他の猫より段々大きくなりつつある。人懐っこい性格は変らず、機嫌の良い時は犬の僕にも体をこすり付けてくる。僕はダニが大好きだ。
最後にココだが全く愛嬌のない猫だ。メイと同じチンチラだが、いつも何処で遊んでくるのか汚れがついて薄黒くなっている。他の猫は家の中やら庭で昼寝することが多いが、ココだけは滅多に庭で遊ぶこともなく、一日中外に遊びに出てゆく。
ココは先にヤブ獣医から腎臓が悪いと言われて、お母さんが心配していた。冬になってからは特に元気がなくなって、家にじっとしていることが多くなってきた。そしてお母さんが腰を怪我してから1週間後、家に帰って来なかった。お母さんは心配して痛い腰を引きずりながら探し回ったが何処にも居なかったということだ。
「私が腰を打って暫く面倒見れなかったからねぇ~」
お母さんはココが帰ってこないのをまるで自分のせいみたいに言っていたが、お父さんが慰める。
「猫は自分の家で死ぬことは滅多にないんだよね。怪我で死ぬ時は家に帰って来てから死ぬことが多いようだけど、ジジみたいにね、でも病気や老衰で死ぬ時はいつの間にか居なくなることが多いんだよね。小さい頃、チョンという三毛猫を飼っていたけど、年老いてよぼよぼになったころ、やはり突然居なくなったね。自分の死期を感じて、誰も居ないところでそっと天国に登るんだろうね」
「かわいそうに」
お母さんは目にいっぱい涙を浮かべていた。ココはそれ以来二度とこの家に帰ってくることはなかった。お父さんが言うように死期を察知して、そっと一人で天国に行ったに違いなかった。お母さんはココの写真と若干の遺品を北側のサイドボードの上に飾って、毎朝水とご飯を供えてお参りしている。サイドボードの上にはココ以外にもこの家でなくなった5枚の犬猫の写真が大切に飾られている。
家の横にある用水路は幅が五メートル、深さが三メートルくらいの大きなコンクリートの川で、猫が下に落ちることが多かった。下に落ちたら三メートルの垂直のコンクリートの壁なので、猫は自力では登れない。
この川は普段は底のほうに少ししか水がなく両サイドに歩けるように段差がついている。猫はそこを狙って飛び降りるのである。しかし、一旦雨が降ると突然水かさが増して、あっという間に一番上のレベルまで水で溢れてしまう。もし猫が下に居たらひとたまりもない、成すすべもなく水に流されて貴重な一生を終えるだろう。
一度僕が見ている前で黒猫が落ちた、と言うより自分で飛び降りたというのが正しいようだ。そして上に登れずに夜通し「ミャーミヤー」と泣いていた。お母さんは盛んに気にしていたが、暗い夜の、暗闇の黒猫ではどうしようもない。
翌日、お父さんが梯子を持ってきて、川底に下りて黒猫救出に当たった。黒猫は段差のところを走って逃げ回る。その段差も50メートルくらいでその先が切れているので、黒猫は仕方なく水の中にザブン。底のほうにしかない水と言っても30センチくらいはあるので猫にとっては泳げない限りお陀仏である。
この黒猫は泳ぎはあまり得意ではないらしい、あえなくお父さんに捕まってしまった。顔を膨らませて「フーッ」盛んに威嚇し、つめを立ててお父さんの手を引っかきまわす。しかしお父さんは前にも経験があり、引っ掛かれるのは先刻ご承知で、分厚い冬用のスキー手袋をはめている。
お父さんが梯子を登って土手の草むらに離すと、黒猫はお礼も言わずに逃げ去った。僕はその黒猫の恩知らず振りに腹が立った。お父さんはあれだけ努力して助けてあげたのに、ものも言わずに逃げてゆくとは何事か!
それから暫く経った夜、また用水路の下の方から猫の泣き声が聞こえた。子猫らしくビービーと泣きたてる。夜中なのでこれまたどうしようもない。お父さんも気になるらしく用水路を覗いている。
「小さい猫みたいだがこの暗さではどうしようもないな、明日も晴れの予報だから水が増えることもないだろう、明日にしよう」
と言って部屋に帰ってしまった。お陰で僕たちが一晩中子猫の泣き声を聞く羽目になってしまった。五月蝿くて眠れなかったけれども仕方がない。
翌日10時頃から、お父さんとお母さんが救出作戦を開始した。二人とも長靴を履いて、軍手をはめて、梯子を持って塀を乗り越えて用水路の土手に立った。
「小さな三毛猫だ」
とお父さんが言っている。
「小さくて可愛い」
お母さんに言わせると、小さな動物は全て可愛いのだから、三毛猫の子猫が可愛くない訳がない。
二人は梯子を使って用水路の中に降り立った。ところが子猫はそれを見て段差の上をすばしこく走って下流の方へ逃げた。五十メートルも行くと段差は切れる。お父さんがそこへ近づくと今度はきびすを返して上流に向かって走る。子猫のくせにすばしっこい奴だ。
ところがどっこい、上流にはお母さんが待ち構えている。子猫は下流に走ったり、上流に走ったりして、お父さんとお母さんが段々その幅を狭めてくる。遂に二人の手が届くところに追い詰められて、今度は水の中へざんぶりと飛び込んだ。
水の上に生えている藻草を使って素早く走って、今度は反対側の段差に飛び乗った。お父さん、お母さん対三毛の子猫の戦いは30分にも及んだ。そして子猫は力尽きて水に飛び込み、少し深くなっている水の中へ沈みかけたところでお父さんの手で救い上げられた。見ている僕の方が疲れてしまった。でも無事に救出されて良かった。
上流の橋の上にはこの救出劇を何事かと、野次馬が数人集まって見ている。お父さんは子猫を抱いてその方へ近づいた。
「誰かこの子猫を飼ってくれる人はいませんか」
お父さんは橋の上の人たちを見上げながら叫んだ。しかし飼ってやろうという人は誰も居なかった。お父さんが梯子を使って土手に上がり、橋のほうを見たときは既に誰も残ってはいなかった。薄情な人ばかりだな、全く!
「参ったな、一人ぐらい飼ってくれても良さそうなもんだけどな。家にはもう4匹も猫がいるんだぞ、犬だって4匹いるし・・・」
お父さんはブツブツ言っている。お母さんは愛おしそうな顔をしながら子猫をお父さんから受け取った。
「お前は家に来る運命なんだよね、良かったね・・・」
と小さな声で囁きながら、子猫に頬ずりしたりしている。お父さんの反対にもかかわらず、結局子猫は家で飼うことになった。名前は例によって、今日の日付の7月(July)からジュリーと名づけられた。
この日の夜、大雨が降って用水路が増水した。もし、今日お父さんとお母さんがジュリーを助けていなければ、この小さな三毛猫は短い人生を閉じていたことだろう。こうしてジュリーはこの家の家族の仲間入りをした。
後の話になるが、ジュリーは成長とともにすばしこい猫になり、鳥を捕まえては家に持って帰ってくる。いつかは鳩を捕まえてきて、家の廊下で手で動かしては戯れていた。お母さんが何度言って聞かせてもこの悪いくせは治らなかった。
こうして幸せな毎日が過ぎ去って行った。最近はロンの様子が気になる。人間の年で言えば相当な年齢で、いつ逝ってもおかしくない高齢者だ。このごろは小屋で寝ていることが多く、お母さんも食事を小屋の前に置くようになった。ロンはよろよろと小屋から出てきて、ゆっくり食事を済ませる。前はあれほど良く食べていたのに、最近は半分以上を残すことが多い。勿論、後は食いしん坊の僕がおすそ分けに預かることになる。
ロンが逝ったのは丁度S姉ちゃんがカナダから帰省しているときだった。まるでお姉ちゃんが帰ってくるのを待っていたかのように、家族全員に見守られながら天国に昇って行った。お母さんの話では、ロンと同じ頃家に来て長く家で飼われていたコロも、死ぬ時は丁度家族全員が揃った時だったそうだ。
この家の犬の始まりはロンからだったそうだ。まだ四人の子供たちが小さかった頃、子供たちが犬を飼いたいと両親にお願いに来た。散歩も連れて行くし、絶対に可愛がるから、との約束でお父さんは犬を貰ってくるから、と約束した。
お父さんとしては、この四人の子供たちが心の優しい人間に育って欲しいとの願望があった。動物を可愛がることは、自然とその優しい心を育むに違いないし、動物は死ぬこともあるので、その時は命の尊さをしっかり教育しよう、そう思って犬を飼うことを決めたらしい。
お父さんは仕事の同僚の家で子犬が産まれて困っているとの話を聞いて、その同僚の家にお母さんと出向いてまだ生まれて間もない柴犬の子犬を貰ってきた。ロンと名前を付けて子供たちは大喜び、犬好きのお母さんも大喜び、家族で大事に可愛がった。ところがその子犬は不衛生の環境で生まれたらしく、腹に回虫がいて弱々しい。薬を飲ませて駆除はしたが、その内風を引いて死んでしまった。貰ってから1ヶ月後のことであったそうだ。
ロンが死んだ時、子供たちは全員が涙を流してロンの死を悼んだ。お父さんはさっそく命の尊さを子供たちに教育する羽目になってしまった。子供たちの立ち直りは早かったが、お母さんはなかなか立ち直れなかったそうだ。ガックリしてご飯も喉を通らない。ため息ばかりついて、いつも涙ぐんでいる。
「ロンは天国に行ったのよね」
と自分を慰めるように言ってはまた涙ぐむ。お父さんはそんなお母さんを出来るだけ外に連れ出すようにして、特に食事はお母さんが作らなくて良いように、外食に連れ出したりしていた。外食にありついた子供たちは大喜びだったが・・・ お母さんがやっと心のふん切りがついて、元気なお母さんに戻ったのは3週間くらい経ってからであったそうだ。
お母さんが近くの動物病院から、再び柴犬を貰ってきたのはそれからすぐのことであった。
「死んだロンだと思って、大事に育てようね」
お母さんは新しい子犬を子供たちに紹介した。柴犬にしては顔の真ん中が真っ黒で丸々太った子犬だった。お母さんと子供たちでこの子犬も同じ「ロン」と名前を付けて、大事に育てようと衆議一決した。これがロンがこの家に来たいきさつだそうだ。ロンはそれ以来十数年、すっかり家族の一員になっている。ロンはY姉ちゃんが幼稚園の時から飼ったそうだが、そのY姉ちゃんは間もなく大学を卒業の時期を迎えようとしている。ロンは幸せな犬だったんだなぁ、・・・とつくづくそう思う。僕もそうなりたいなぁ