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漣に猫を沈めて

作者: shifour

ここは思いが形になる世界。夢の世界。

今日は浜辺。水平線には夕日が沈みかけ、海はサンライズ・イエローに染まっている。

「………」

私は時々足を止めたり夕日を眺めたりしながら、無言で浜辺にいた。

辺りには誰もいないし何も無い。大量の砂と水と私が一人。大量の砂は砂浜で大量の水は海。時々、波がやってきて私の足元を濡らす。そういえばさっきカニが私の前を横切り、すぐに消えた。カニもいる。

私はまた立ち止まり、夕日の映る海を見る。昔見た海は小豆を転がしたような音をたてていたが、ここの波は本当に静かで何の音もしない。物音の全く無い世界は耳に痛かったが、波は何度も帰ってはやって来たが、夕日は止まったままだ。波は寄せては帰るものでなければ波とは呼べないが、夕日は止まったままでも夕日で太陽だ。それが私には不思議と嬉しかった。

私は夕日に置いてかれない。

「………」

再び歩き出す。

悲しい事に、私にはこれがはっきりと夢だと分かってしまっている。ここの時間は止まったままでも、夢を見ている間も現実の時間は刻々と過ぎているはず。


にぁ――――――……


確かな、猫の独特な鳴き声がした。しかもかなり近くから。私は足元を見下ろしてみる。そこには猫はいないし、カニもいなかったが、代わりにそこには小さな“石”が落ちていた。小さな“石”を拾ってみると、長く川の底にあったように全体的に丸く表面は滑らかで、鋭く尖っているほどの角はない。しかし完全に丸いというわけではなく独特な形をしていた。

“猫”の形だ。

私はすぐにそう思えた。丸みを帯びた三角の耳に丸い顔、その下の少し長細い胴体の裏には途中から二股に分かれた尻尾が付いていた。途中から二つに分かれた尾を持った “猫”の形をした“石”を私は拾った。

「………」

しばらく、その“石”を見つめていた。

可愛いけど可哀想だ。これは夢だから。私は君を持って帰ってあげることはできない。

私はその“石”を持っていた手を大きく振り上げた。何故そうしたのかは分からないけど、浜辺にあったから海に返そうと思ったのかもしれない。


《また 捨てるの?》



瞬間、その世界は壊れてしまった。

重たいながらも開いた目に入ったのは、枕元にあったディジタル時計。時刻は七時半。いつもならもう起きなくてはいけない時間だけど、今日はまだ寝ていても大丈夫なのに。きっと昨日目覚ましを解除するの忘れたんだ。

「………」

最悪だ…と頭の中では思いながらも口には出さなかった。

しばらくベッドから出ずに部屋の中を呆けて見ていた。ベッドの中は温かく部屋は寒い。顔のほてりを急速に外気が冷ましていく。目はもう覚めたのに、まだ耳の奥に“猫”の声が残っている。

仕方ないじゃん……。あの時は仕方なかったんだ。小さい頃に、雨が降っている中に猫が捨てられていたから拾って帰ったら、親にこっぴどく怒られた。それで、お決まりの台詞を母親に言われて、言われるままに泣く泣く返した記憶がある。あの頃の私はまだ小さい子供で、親の言いなりだった。あの時は仕方なかったんだ。子供の私は悲しいほど無力だったんだ。

私は胸のあたりでこぶしを握り締めた。手の中にあったものはとても冷たく、細い部分が折れないように握り締めた。

「………」

しかし、あの時から月日は流れて私は成人になった。成人を迎えてすぐに親元から離れ、自立するために仕事を始めた。仕事に就き暇な時間はとても少なくなったが、それは収入を得るための僅かな犠牲だった。新しい住まいはペットが飼える所にした。あの子供の頃のように捨てられてる猫に会ったら、今度はちゃんと温めてあげよう、って。

「………」

一つ溜め息をつくと、このままベッドに寝ているわけにもいかず、仕方なくベッドから起きる。フローリングの床は冷たく、温まっていた足は一気に冷気に当てられ全身に鳥肌がたった。季節はまだ真冬で、空気は肌に痛いほど冷たい。吐く息が室内でも白くなる。急いでルームソックスを履き、電気とカーペットを付ける。キッチンまで行きコンロに薬缶をかける。狭い部屋の中をバタバタとまわっているとき、ふと、窓の外から波の音がした。


ザァァァサァァァ―――――――

ザァァァサァァァ―――――――


南むきの窓のカーテンを開け張り付いていた結露を拭い取ると、外では重たい雲から雨が降っていた。窓を開けなくても分かる。空気と一緒で、冷たい空気をたっぷりと含んだ冷たい雨だ。

そして、瞬時に抱いた感情は紛れもない、怒りと憂鬱。

あんな夢見た後で、この天気か…

部屋の中と私の耳の奥には雨と波の音、それと時計の秒針の音が響いていた。秒針が一秒一秒進むに比例して、手の中の小さな“石”は次第に冷たさを失い、体温と同一になっていく。体温が吸い込まれているのか?

カーテンを閉めもう一度ベッドに戻って寝ようかと思ったけど止めて、テレビをつけ、薬缶で沸かした湯で珈琲を入れる。テレビではこの時間のニュースをやっている。

「………」

現実では私にゆっくり考えている暇はない。時間は電光石火の如くに過ぎ去ってしまう。私は置いていかれてしまう。置いていかれないように私はしっかりとついて行かなくてはいけない。

私は小さな“石”を火燵の上に立たせ、のろのろと一日を始める



部屋に帰ってきた私は、一日がやっと終わったと、なだれ込むように火燵に入った。そこから手を伸ばし、カーペットの電源を探して電源を入れる。数分してやっと暖まってきたところで、溜め息を吐いた。再び手探りで、今度はテレビのリモコンを探し、テレビをつけた。沸きかえるような歓声がしたのでテレビに目を向けてみると、そこではヤラセのようなバラエティがやっていた。そのヤラセのようなバラエティに沸きかえる歓声が馬鹿らしかったので、消した。

眠いなぁ……ダメだよなぁ…ちゃんとベッドで寝なきゃ。着替えて、カーペット消して、電気も消して…


《まだ 捨てているの?》


耳の奥で“猫”の声がした。

待ってて。今度はちゃんと飼ってあげるから。ごめんね。

声は出なかった。声は出なかったけどずっと思っていた。ごめんね。今度は…


《違うよ。そんなこと望んでいない》


手の中の“猫”が言う。

私は顔のない“猫”を見る。“猫”の声はまたどこからともなく聞こえてきた。

周りを見やると景色は変わり、海は静かな漣に満ち、水平線上にあった太陽は沈み、紺碧の空では月が輝きを放っていた。しかしその澄みきった空からは雨が降り注いでいた。それでも、ここから見える世界は依然として沈黙したまま。ここでは“猫”と私以外の全てが、存在を現しながらもその心を黙秘していた。

雨は“猫”にも降り注ぎ、その滑らかな頬を濡らした。


《捨ててしまわないで、自分の心を。自分の思いを捨ててまで嘘をつかないで》


“猫”はない目で泣いていた。

「………」

驚き、私は結局何も言えなかった。雨に打たれていることしかできなかった。


《ごめんね。雨を流させてしまって》


”猫”は言う。



「………?」

まだ頭がぼうっとしていた。

いつのまにか私は火燵で眠ってしまっていたらしい。カーペットも電気も付けっぱなしだ。

「………はぁ…」

温かい火燵からのろのろと這い出て洗面所に向かう。顔が熱い。少しだけ目を覚まそう。このままだったらすぐにベッドに入りたくなってしまう。洗面所の電気のスイッチを手探りでつけ、鏡に向かい覗き込む。

「……?」

頬が赤いのは鏡を見る前から分かっていたけど、何で目も少し赤いんだ?

私は顔を冷水でおもいきり洗ってからタオルで水気を拭った。そしてもう一度鏡を覗き込む。まだ頬が赤いのは引いていなかったが、目が赤いのはだいぶ引いていた。

洗面所の電気を消したあと、火燵とカーペットの電気を消した。部屋の電気を消そうと手をのばした時に、ふと、机の上に立たせておいた“猫”が目に入った。

捨ててしまわないで、自分の心を。自分の思いを捨ててまで嘘をつかないで。“猫”の声が記憶の中でこだまする。

私は“猫”を手に取り、じっと見つめる。顔のない“猫”に表情などないけれど、そうすることで“猫”の気持ちが分かるような気がした。

「………」

自分の心に嘘をつかないことが、君にとって良いとこになるのか?私は大人になり、我慢する事を覚えたのに。我慢…?…違う。本当は分かっているんだろ。“猫”にとって何が幸せか。けど、認めたくない。例え“猫”にとっては良くても、私には自分勝手で身勝手なほど好都合な方法だから。でも、君がそれを望んでいるなら。

私は小さな“石”を持ったまま急いでベッドに潜った。ベッドの中かなり冷たく、しばらく私はその中で無機質な冷たさに震えながら耐えた。手の中の“石”も同じくらいに冷たかった。

今だけ…今だけ君を温めさせて。


《また 嘘を吐くの?》


雨はまだ降り続いている。私も“猫”も全身ずぶ濡れになっていて、髪の先からは雫がポタポタと落ちていた。けど、髪や服が肌に張りつく不快感は不思議とない。

私は静かに目を閉じる。まぶたの裏の暗闇には何もなく、音さえもない中で、私はひどく落ちついていた。心は決まっている。

どこからともなく聞こえてくる確かな“猫”の声に、私は静かに首を振った。


《そう 良かった》


“猫”の声は今までと違い、とても満足そうで穏やかに響いた。

「ごめん」

暗闇の中からゆっくりと抜け出し“石”を見つめる。

雨は先程よりも雨脚を強めて降っていたが、依然として静かだった。


《君が望んだことを望んだようにすればいいんだ。これで 良かったんだよ》


“猫”は嬉しそうな声を響かせた。そんな“猫”の声は私の心の中の罪悪感を増加させていったが、これは君が望んだことでもあり私の心が望んだことでもあるんだ。

「………………ごめん」

それ以外に君にかける言葉は見つからなかった。

「じゃあね」

私は“猫”に別れを告げ、“石"を海に向かいできるだけ思い切り投げた。


ひゅぅん―――――


小さな“猫”は風を切って空を翔けてゆく。その姿は名残を惜しむかのようにゆっくりと小さくなっていった。それでも“猫”は翔けながらこちらに振り返り、最後に私に別れの言葉を残してくれた。


《偽らないで。もう誰も君を縛ったりしていないんだから。君はもう自由なんだから。今のボクみたいに》


君のおかげだ、ありがとう。そう言うと“猫”は消えていった。漣は拒むこともなく優しく“猫”を受け入れた。私は嬉しかった反面、少しだけ淋しかった。

雨は急に音を取り戻し、なお私に降り続いた。漣もいつの間にか音を取り戻していた。澄み切った空には満天の星が小さな輝きを放ち、月は青白く、清閑と光の粉を降らせている。

私はしばらく“猫”の翔けていった先の海を見ていた。この世界がまた崩れ壊れるまで見ているつもりだ。

ごめん。捨ててしまってごめん。私はただ、それだけしか言えなかった。他にも言いたかったことは多かったのかもしれないけれど、結局はそれだけ言えれば良かったのかもしれない。でも私はこれから、一人でも大丈夫なんだって証明していたいんだ。今、君が居てしまうと、君に依存してしまいそうだ。だからもう一度、私は君を捨てなきゃならなかった。

今ある目標はただ一つ。大人になろう。年を重ねるだけじゃ、大人にはなれないことを知った。時間に身を委ねるのはもうやめよう。立派な大人なんてよく分からないモノなんかじゃなく、自分自身の思い描く“大人”になろう。

この気持ちを残すために君を捨てることを選んでしまった私を愚かだと思う人もいるかもしれないけど、私にとって君が依存の対称になってしまうのは、私自身をまたダメにしてしまうだろう。許せないだろう。だから私は、あえてまた君を捨てることにしたんだ。この気持ちを捨てたくないから。

“猫”は多くの事を私に教えてくれたが、自分を縛っているものはもう何もない、それだけが分かっただけでも、充分過ぎるほどだった。

だから、今度は私が君を救ってあげる。その時までには、私は私なりの大人になって頑張っているはずだから。

だから、その時まで。

「……またね…」



夕日が姿を隠そうとする時分、力無い月が現れるころ。

きっと君にも聞こえるだろう。ソレのささやき声が

《また 捨てるの?》

と。

初めて短編を書いてみました。短編というともっと短いはずだから…と思い、削って足して削って削って足して足して…を繰り返して、やっとできた作品です

(何をしてもやっぱり駄作…)

このようなものをここまで読んで頂いて感謝感激です

そして、これからもよろしくお願いします

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― 新着の感想 ―
[一言] 初めまして。夢と現実をいききしながら物語が進み、幻想的な感じがしました。  猫型の石を通して、色々伝えられていくので思い出を語るには良い小物の発想だと思いました。それでは失礼致します。
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