兄貴の彼氏と俺の話
1作目「息子が彼氏を連れてきた!」2作目「弟の恋の話」につづく3作目です。先の2作を読んで頂いてから本作を読んで頂くとわかりやすいかと思います。大学2年生の広瀬篤紀には一つ上の先輩に明石実央君がいる。実は実央君は兄の彼氏。姉(腐女子)の命令で実央君を見守っていたが、ある日実央君の近くに気になる男が現れて…!?まさかの当て馬登場で篤紀はドタバタに巻き込まれてしまうのだった。
気になる男
「おーい、実央君、こっちこっち」
俺は手を振って学食の入り口に向かって、手を振った。
「篤紀君、ゴメン、ちょっと遅れちゃって」
実央君は小走りにこちらにやって来た。ここはK大の学食で、昼食を取る大学生で賑わっていた。そう、俺広瀬篤紀はもうすぐ二十歳のK大2年生。前途有望な若者である。
「戸田先生の講義、いつもギリギリまでやるもんな」
実央君と話していると、そこへランチの載ったトレーを持ってポニテの女子が近づいてきた。
「あっくん、早く注文してきなよ」
“あっくん”とは俺のことだ。きょとんとしている実央君に
「紹介するね実央君、これ俺の彼女の唯ちゃん、最近告られて付き合うことになった」
実央君はちょっと驚いて
「初めまして、明石実央です。篤紀君はいつもいきなりだね」
と,笑っている。
「話は食べながらゆっくりしよ。唯ちゃん先食べてていいよ。実央君メシ買ってこよう」
俺と実央君はそれぞれメニューを選んで、唯ちゃんのところへ戻ってきた。
「実央君て違う学部の人?うちらの学年にこんなカワイイ人いなかったよね」
食べながら唯ちゃんが聞いてくる。
「か、カワイイって…」
実央君は困ったような顔をした。
「学部は同じ経済だよ。でも1コ上の3年生」
「へー、センパイなんだ、何繋がり?サークル?あっくんはサークルとかは入ってなかったよね」
「違うよ、実央君は兄貴の恋…」
言いかけて慌てて水を一口飲んだ。
「ええとー、今年卒業した兄貴と同じサークルで…二人が仲良かったから俺も知ってんの」
「へー、そうなんだ。あっくんのお兄さん理工学部だっけ?一度あっくんといるとこ見かけたけれど、イケメンだよねぇ」
実央君はまた困ったように笑っている。危ない危ない、兄貴と実央君のことは大学じゃ極秘事項だった。
「唯さんは学部が同じなんだ、学科も同じなの?」
「学科は違うけど…やだー”唯さん”なんて。ちゃん付けでいいよ。ワタシも先輩だけれど”実央君”て呼んじゃうから」
唯ちゃんはフランクな子だ。実央君は笑顔で頷いた。そろそろみんな食べ終わろうかという時、背の高い男がこちらに近づいてきた。
「実央君、君もここで昼食だったんだ」
その男が話しかけてくる。
「加賀さん、こんにちは」
実央君が男の方を振り向いた。
「取り込み中?ちょっと白川教授に頼まれごとをしちゃってね、よかったら手伝ってもらえないかな」
加賀と呼ばれた男はチラッとこちらを見てそんなことを言った。
「いいですよ、今日はもう講義はないですから」
実央君は食べ終わったトレーを持ち、立ち上がった。
「実央君いいなあ、今日はもう講義ないんだ。俺らなんか午後2コマもあるんだよね」
俺がそう言うと、加賀…さんは明らかに俺を見て尋ねた。
「仲がいいんだね、お友達?」
「サークルでお世話になった先輩の弟さんで広瀬篤紀君と彼女さんの…」
「佐倉唯です」
唯ちゃんはフルネームで答えた。
「広瀬…」
加賀さんがぼそっと言ったのが聞こえた。
「二人とも同じ経済学部です。こちらは白川教授の研究室で一緒の加賀史彦さん、4年生だよ」
実央君の紹介が終わると
「じゃあ、行こうか。悪いね、失礼するよ」
加賀さんは俺たちに挨拶すると、実央君の肩を抱くように連れて行ってしまった。なんだよ、あれ。実央君も兄貴以外の男に触らせるなよ。
「俺らも行こうか」
俺が唯ちゃんを促した時後ろから声が聞こえた。
「今の国際経済の加賀だろ、あいつ…ってウワサあるけど、ホントなん?」
(…え…)
「えー、じゃあ今一緒にいたカワイイ男子とデキてんの?」
(おいおい、なんだよそれ…)
「あっくん、行くんでしょ」
唯ちゃんに言われて、俺は席を離れた。
講義が始まっても俺は上の空だった。隣では唯ちゃんがサラサラとノートをとる音がしている。
(さっきの加賀とかいう奴…)
俺はどうにも気になった。普通後輩の男子を下の名前で呼ぶか?それに俺が「実央君」と親しく呼んだ時も、「広瀬」って名前にも明らかに反応してたよな…。俺は実央君の「弟」だからいいんだけどさ(※違います)。
まあもうお気づきかと思うが、実央君は俺の兄貴広瀬暁人の最愛の恋人なのだ。俺の家は両親と姉・兄・俺の5人家族。父さんは現在アメリカ赴任中で家にいない。姉貴は6つ年上のOL、兄貴は俺より3つ年上で、今年同じ大学を卒業して社会人になった。二人は今も交際を続けていて絶賛ラブラブ中。もっともここに至るまで色々あったらしい。「らしい」というのは俺は事情をよく知らないからだ。
二人が付き合い始めたのは2年前、兄貴が大学3年・実央君が1年の時だ。兄貴が一目ぼれして入浴研究会とかいうサークル(※温泉研究会です)に勧誘したとか、そんな感じ?2年前の秋初めてうちに連れて来て、オフクロがエライ怒ったらしい。実央君と一緒にお母さんの実和子さんも来たらしいが、なんかうちの姉貴の綾乃と意気投合したとかで二人を応援しようと盛り上がったようだ(※篤紀は綾乃と実和子が腐女子であることを知りません)。ある日オフクロが俺に愚痴って来たので、何があったのか初めて知ったのだ。
―ある日の広瀬家再現―
「ちょっと篤紀、聞いてちょうだい!」
急にオフクロに声を掛けられ、当時受験生だった俺はまた勉強のことで何か言われるのかと内心うんざりした。
「暁人が…暁人が…」
「え、兄貴がどうかしたの?」
「男の恋人がいるっていうのよ!」
…はあ!?さすがにこれには俺も驚いた。あの兄貴に!?
「ありえないでしょ、しかも綾乃まで応援してるのよ、うちに連れて来た時に『いいじゃない』なんて適当なことを…」
オフクロは相当頭に来ているようだった。無理もないか。兄貴は小さい頃から優等生で親を困らせるということがなかった。正直兄貴と比べられると俺は勝てるところが何もなかったのだ。女の子にもモテていたし、順風満帆で生きていくんだろうなあと|羨ましかった。その兄貴が…
姉貴に
「兄貴に彼氏できたってホントー?」
と聞いてみたら
「暁人は真剣なんだから茶化すんじゃないわよ」
と言われてしまった。
―ある日の広瀬家再現終わりー
俺は茶化すつもりではなかったが、正統派だと思っていた兄貴が予想もしなかったようなドラマチック?…違うか…刺激的?…みたいな生き方を選んだことに、驚きとともに好奇心を抱いてしまった。
姉貴はその後も実和子さんと接触して色々相談していたみたいだ。正直なんで姉貴がここまで兄貴の恋愛成就に力を入れているのかよくわからなかったが、なんか異様な熱量だった(自分の恋バナはさっぱりなのに)。一昨年の正月、アメリカ赴任中の父さんが冬の休暇で日本に帰っていた時明石さん一家をうちに招くことになったが、
「いい?お母さんには絶対内緒だからね。間違っても口滑らすんじゃないわよ。バラしたらお年玉ナシだからね」
と姉貴に脅された。
「あんたも約束の時間には家にいなさいよ。あんたみたいにおちゃらけた奴でも険悪な雰囲気になった時に役立つかもしれないから」
と、けっこうヒドイことも言われた。
ところが当日俺はやらかしてしまった。友達と初詣に行ったが、あまりの混雑ですっかり遅刻してしまったのだ。しかも午後には別の予定も入れちゃったし…
(ヤバい、姉貴に怒られる…お年玉没収されるかも…)
とにかく急がねば…どうやって謝ろう、いや、ごまかそう…兄貴の恋人は男なんだろ…あ、そういえばクラスのフジョシがなんか言ってたな、俺のこと。んー、「年下ワンコ攻め」とかなんとか…。フジョシというのはBL=ボーイズラブ、男同士の恋愛が大好物らしい。男子二人、はたまた先生まで捕まえては「攻めだ受けだ」とワイワイやっている。「広瀬君は絶対年下ワンコ攻めだよね」なんて言われたので「なんだよそれ」と聞いてみたことがある。年下はわかるけど、ワンコってなんだよ、犬か俺は。「元気で明るい年下が年上をグイグイ攻めて致すんだよ」と説明されたが、「致す」って何?まあよくわかんなかったけど、これを使わせてもらうことにした。とにかく勢いよく突破して、サッと撤退しよう。
「やべー‼遅れちゃった!」と俺が勢いよく応接間のドアを開けると、案の定「篤紀、あんたは…遅い!」と姉貴に叱られた。全員立ち上がっていて妙な雰囲気だったが、とりあえず自己紹介して新年の挨拶をした。現在の状況を尋ねても誰も答えてくれないから、俺はとりあえず実央君と思われる男子の前に歩み寄った。実央君は俺より少し背が低くて、かわいい系だった。
「へぇ~カワイイね。兄貴はこういう子がタイプなんだ。ねぇ実央君、オレとかどう?」と言うと、俺は実央君を「顎クイ」してみた。「年下ワンコ攻め」ってこんな感じだろ?って、兄貴を見たらスゲーコワイ顔してるし、場の雰囲気はさらに妙なことになっていた。仕方ないので先程のフジョシのBL説明をして、「だから兄貴睨むなって、兄貴の彼氏にちょっかいなんて出さないよ、俺、女の子好きだし。でも第一志望受かったら実央君の後輩になるからよろしくね、お・に・い・さ・ん」とフォロー?した。そしてみんなで俺の合格祝いと兄貴たちの婚約パーティーをしようと提案して、さっさとその場を脱出してしまった。
(筆者注:この辺の詳しい経緯は一作目の『息子が彼氏を連れてきた!』をお読み下さい)
その晩恐る恐る姉貴にどうなったのか聞いてみると、意外なことに姉貴は怒っていなかった。オフクロは相変わらず認めていないらしいが、うちの父さんも実央君のお父さんも二人を見守る方向で落ち着いたらしい。ひょっとしたら俺の演出が結構良かったんじゃない?
その後無事K大に合格した俺のために祝宴が開かれたが、俺が実央君に絡むと兄貴は不機嫌になる。別に兄貴の彼氏に手を出すつもりはないが、なんとなく俺と実央君がじゃれ合うのはデフォになっていった。
…とまあこれまでの流れはこんな感じで俺は今2年生、実央君は3年生になっている。
「あっくん全然聞いてなかったよね。講義もう終わったから」
俺は唯ちゃんに声を掛けられ、早めに講義が終わったことに気が付いた。教室にはもう数人しか残っていない。
「ごめん、今日ノート貸して」
「もうー、仕方ないな」
唯ちゃんはさっきまで書いていたノートを渡してくれる。
「ところでさー、さっき学食で会った加賀さんだっけ?あの人も背が高くてイケメンだよね。あっくんの周りって何気にイケメン率高くない?」
唯ちゃんが笑って言ったので、
「加賀さんは俺の知り合いじゃねえし」
俺はそう言ってふいっと横を向いた。
「ヤダー、ヤキモチ?あっくんだって十分イケメンだよ。あ、でも実央君?はイケメンていうよりやっぱりかわいいって感じだよね。なんか男の人にも好かれそう」
俺は唯ちゃんの言葉にドキッとした。
「なんだよ唯ちゃん、もしかしてフジョシ?」
「えー、違うけど。あたしBLとか興味ないし。あー、でも高校の時いたな、そういうの好きな子たち。なんか色々説明してくれたけど、よくわかんなかったわ」
「俺のクラスにもいた。そいつらに言わせると俺って『年下ワンコ攻め』なんだって」
「なにそれ、ウケるんですけどー」
唯ちゃんと話しながら、俺はさっき学食で後ろにいた人たちの会話を思い出していた。「あいつゲイってウワサあるけど、ホントなん?」、確かにそう言っていた。ゲイって男が好きな男のことだよな。加賀さんがゲイ?それで実央君と親しいって、ちょっとヤバイんじゃないの?
気になる男2
実は大学に入るとき、俺は姉貴から重大な指令を受けていた。
「いい、篤紀、あんたは大学で実央君の周辺にはよーく気を配るのよ」
「気を配るって…何を」
「実央君の周辺に異常がないか、よ。まあ最初の1年はほどほどでいいわ。暁人もまだ残っているし、あんたも新しい環境に慣れないといけないでしょ。問題はその後、暁人が卒業した後よ」
「でも学年も違うし、ずっと実央君に張り付いてるわけには…」
「誰が四六時中見張ってろって言ったのよ。できる範囲でいいわよ、もちろん。お昼の時とか図書館で会った時とか、それとなく様子を探ってほしいの」
様子を探れなんて言われてもなあ…
「何か気になることがあったら、すぐに教えてよ。私も暁人もさすがにキャンパス内のことは知りようがないから、あんたが頼みの綱なのよ。てっきり落ちると思ったのに、よくぞ同じ大学に受かってくれたわ」
褒めてないよね、それ。
「暁人じゃなくて私に言うんだからね、いい、わかった?」
「前から不思議に思ってたんだけど、なんで姉貴は兄貴と実央君のことにそんなに熱心なわけ?」
「…それは…姉として茨の道を歩む弟の力になりたいからよ」
「俺のこともそんなに熱心に心配してくれる?」
「そりゃあね、でも篤紀は茨の道なんか歩まないでしょ」
姉貴は切って捨てるように言った。まあそうなんですけど。
とにかく加賀という男の登場で、姉貴からの頼まれごとを俺は思い出しちゃったわけだ。いや忘れていたわけじゃないけど、俺が大学に入ってからはわりと平穏な感じだったからな(俺自身は唯ちゃんの前に一人付き合ったコがいて、もう別れちゃったけどさ)。んー、これやっぱり姉貴に報告するか?加賀さんがゲイで実央君と距離が近いってマズイよなあ。今7月に入ったばかりでそろそろ前期試験も迫って来たから、ゴタゴタは避けたいところなんだけれど。大学の夏休みは小中高よりずっと長くて嬉しいが、その代わり試験期間も長い。
それでも後で姉貴に文句を言われると嫌なので、一応軽く知らせておこうかなと思った。
「姉貴―、ちょっとお知らせというか相談があるんだけど…」
「うるさいっ、今それどころじゃないっ!後にして!」
姉貴に一喝されてしまった。なんだよ、報告しろって言ったのはそっちだろうが。後で聞いたのだが、何でもオフクロが実央君と別れさせようと兄貴のお見合いを仕組んだらしく、姉貴はその対応で頭がいっぱいだったらしい。俺はてっきりオフクロも諦めたのかと思っていたから、「よくやるよ」と感心した。
俺がその一件を知ったのは、試験が終わって夏休みになったばかりの頃だ。夏休みとはいえレポートの課題が出されたので、早く片付けようと図書館に資料を探しに行った時実央君とばったり会った。
「今日暁人さんと綾乃さんがうちに来るよ」
実央君が言ったので、
「なにそれ、俺も行っていい?」
と頼んだら
「もちろん」
実央君はニッコリ笑顔でOKしてくれた。
姉貴にはなんで俺までいるのかと突っ込まれたが、その日は実央君の家でお見合い大撃破?の報告会だったらしい。姉貴は「戦後処理」とか言ってたけどな。お見合いの一件は実央君も知らなかったようで驚いていた。兄貴が美人の誘惑にも負けず(※誘惑はされていません)実央君を選んだので、実央君はたいそう感激して兄貴のことを熱い目で見つめていた。兄貴もこれが俺の兄貴かと思うほどデレていた。
兄貴は事前にお見合いのことを自分に知らせなかった姉貴に文句を言っていたが、姉貴は「暁人のことを信用していたから」と言い張り、俺なら美女の方に傾きそうだとかなんとかひどいことを言っていた。ちなみにお見合いを敢行させたのは、「お母さんの妨害工作を完膚なきまでに叩き潰して、二度とこんな愚行をさせないようにする」ためだったらしい。詳しい事情はわからないが、オフクロも散々な言われようだ。(筆者注:お見合いの経緯は『弟の恋の話』をご参照下さい)
実央君のお母さん・実和子さんが姉貴のことを褒めて「二人の幸せは綾乃さんのおかげ」などと言うから、俺は「俺もいい働きしてるでしょ」とみんなにアピールした。兄貴は「何もしていない」と否定したが、実和子さんは「篤紀君もいい立ち回りをしてくれているわよ」と言ってくれた。うん?「立ち回り」ってなに?まあいいや。喉が渇いた俺は実和子さんに
「コーヒーのお代わりもらっていいっすか、お母さん」
と頼んだのだが、その時兄貴は俺の肩をがしっと掴み、
「俺のお母さんであってお前のお母さんではないな、篤紀」
と、張り付いた笑顔で俺に圧をかけてきたのだった。
その日は兄貴に車の運転を任せ、3人で帰宅することになった。俺は知っているぞ、兄貴。帰り際隠れたところで実央君にキスをしていたことを。うちの車は父さんの物だが、今はアメリカにいて不在だから姉貴や兄貴が時々使っている。実は俺も大学に入った年の夏休みに免許を取ったが、なぜかあまり運転させてもらえない。俺が運転する時は必ず姉貴か兄貴が同乗している。そろそろ唯ちゃんとのデートに使いたいんだけどなあ。
今日はオフクロがお茶だかお花だかで遅くまで留守なので、帰りにスーパーによって夕食に各自好きな物を買うことにした。俺たち姉兄弟は母親の趣味には全く興味がない。着物で出かけるときはお茶かお花だと思っている程度だ。
「俺の分払ってくれるんだよね」
姉貴に近づいてから、チラッと兄貴の方を見た。酒売り場の方へ行ったらしい。それを確認して
「あのさ姉貴、ちょっと気になることがあって…」
と例の加賀という男のことを話してみた。姉貴はびっくりして
「はあ!? ゲイの男が実央君に近づいているですって!?」
と、けっこうでかい声で言うもんだから、俺は兄貴はもちろん周囲のお客さんの様子も気になった。
「ちょ、ちょっと声が大きいよ姉貴」
「あんたそんな大事なことなんで黙ってたのよ!」
「言おうとしたら『今それどころじゃない、後にしろ』って言ったじゃんか」
「あ…あの時か」
「まあ、お見合いのことで大変だったったていうのは今日わかったけどさ」
「もー、一つ片付いたと思ったらまた…」
口ではそう言っているが、姉貴はなんだかどこか楽しそう…な気もする?そんなはずないか。その時ビールをカゴに入れた兄貴が近づいてきて
「買うもの決まった?俺はどの弁当にしようかな」
とお惣菜のコーナーを物色し始めた。こういう時俺も兄貴も姉貴が何か作ってくれるかも、なんていう期待はしない。そんなことを言ったら「なんで女が作るって決まってるのよ!」と怒鳴られるのがオチだからだ。
「後で詳しく話を聞くわよ」
姉貴は俺に耳打ちした。
その晩俺は久しぶりに姉貴の部屋へ行った。姉とはいえ女性の部屋だから少しはドキドキするかと思ったが、全くそんなことはなかった。片付きすぎていて色気がないというか。フリルとかピンクとかそういう感じの雰囲気が微塵もない。何か隠してんじゃねーのか?(※BL本です)
「それでその加賀さんとかいう男がゲイっていうのは、本当なの?」
「わかんないよ、学食で近くにいた人がそういう噂があるって言ってただけだし」
「見た感じは?」
「そんなの俺にわかるかよ、まあ背が高くてイケメンだけど。唯ちゃんもそう言ってたし」
「唯ちゃんてあんたの今カノ?」
「そうだけど…」
「ふーん、それで学科も研究室も一緒で実央君と距離が近いと」
俺の彼女には興味ないらしく、さっさと本題に戻った。
「だって”実央君”呼びだぜ?俺が”実央君”て呼んだ時もなんか反応してたし、広瀬っていう名前も気になったみたい。兄貴のこと知ってたのかな」
「篤紀にしてはいい読みね。暁人と実央君のことに勘付いていたのかもしれないわ。暁人が卒業したから、一気に距離を詰めてきたのかも。実央君を狙っているならありうるわね」
篤紀にしてはって、失礼だな。
「そういや肩も抱いてたな」
「なにそれ、ヤバいじゃないの。絶対暁人に知られたらダメよ」
姉貴はちょっと考え込んで
「篤紀」
改まった口調で俺の方を見た。あ、なんかイヤな予感がする。
「あんた、その男の写真撮ってらっしゃい」
無理難題
「写真て…それはマズイだろう、盗撮になっちゃうよ。俺を犯罪者にするつもり?」
「篤紀、あなたはキャンパスの風景を撮影していた、もしくは彼女とのツーショでもいいわ。そこに件の男がたまたま写り込んでいた、たまたまね」
「そんなー、俺そんなのできないよ」
「やるのよ」
「やるのよって言ったって今夏休みだし、4年生じゃそんなに大学にも来ないんじゃないか、就活もあるから」
すると姉貴はスマホを取り出し、誰かにラ〇ンし始めた。
「実和子さんに実央君が大学に行く日を教えてもらうから、あんたもその日に行きなさい。食事代くらい出してあげるから」
「実央君がいても加賀さんが来るとは…」
「来るわよ、実央君狙いなら。学生の少ないこの時期に接近してくるかもしれないわ」
なんだか生き生きしてるな、姉貴。
「そもそも実央君狙いかどうかもまだわからないし」
「あんたが怪しいって言ったんじゃないの」
「それはそうだけど…」
「実央君の貞操の危機なのよ、実央君がその男に喰われちゃってもいいの!?」
「て、テイソウのキキ!? 喰われる!? 」
「実央君を救えるのは篤紀だけなのよ」
「いや、でも、写真なんか撮ってどうするんだよ。まさか兄貴に見せるわけじゃないだろ」
「当り前よ、暁人になんか見せたら大騒ぎよ。鑑定してもらうのよ、プロに」
「鑑定?プロ?」
姉貴はまた訳のわからないことを言い出した。
「私の知り合いにそういうものの見極めに長けた人がいるから、その人に見てもらうわ」
そういうものの見極めって…そういうものって何?
「だけど気が乗らないなあ」
俺がごねると
「あんたも男でしょ、意地を見せなさいよ。今まで役に立ってこなかったんだから、お兄ちゃんのためにここでひと働きしなさいよ!」
と、すごい勢いで迫ってきた。こうなるともう逆らえない。
数日後実和子さんから実央君が登校するという情報を掴んだ姉貴は、俺も大学に行くよう勧めてきた、いや命じてきた。仕方がないのでこのクソ暑い中用事もないのに大学へ向かう。
(カラ振りなら図書館でも寄ってくか…)
実和子さん情報だと実央君は研究室に行くらしいから、そちらの棟に行って様子を見た。
(2年だとまだ研究室に用事はないからなー)
それにしても実和子さんもよく姉貴に協力してくれるよな、息子が心配なのはわかるけど。姉貴まさか実和子さんに「実央君がゲイに狙われてる」とか言ってんのかな(※言ってます)。外は暑いので校舎の中をうろついているが、うーん、これどうしたらいいんだ?そもそも加賀さんは来てるのか?
と、思っていたらエレベーターの着く音が聞こえたので、反射的に見えにくい位置へ移動した。なんとエレベーターからは実央君と加賀さんの二人が出てきた。あまりに好都合な展開に俺は喜んだ…というより狼狽えた。急すぎて心の準備ができていない。スマホを取り出したが、人の少ないこの場所ではではシャッター音が聞こえそうだ。
(…にしても、相変わらず距離が近いな)
加賀さんは実央君に寄り添うように歩いている。時間的にお昼でも食べに行くのかな…夏休みで学食は開いていないから…。俺は実央君たちとは別の出入り口から外へ出て、二人が行くと思われる校外の飲食店の方へ先回りした。
(頼むから”イチ’S House”に行ってくれ…)
“イチ’S House”は学生たちが外で食事をするときに、よく選ぶ店だ。運良く二人はこちらの方へ歩いてきた。
(ヨシ!)
外だし、この距離ならシャッター音は聞こえない。木陰からズームで2,3枚写真を撮った。「風景を撮ったら写り込んだ」というより、明らかに盗撮になってしまった。ごめんなさい、おまわりさん。絶対悪用しませんから(※盗撮はいけません)。
数日後俺は姉貴に連れられて、あるパンケーキ店に来ていた。俺たちの向かい側には姉貴と同じ年頃の女性がアイスティーを飲みながら座っている。髪が長くスレンダーでクールな感じの、なかなかきれいな人だ。なんでもフリーライター?みたいな仕事をしていて、色々書いているらしい(※BL漫画家です)
「アイミ、これよ、見てちょうだい」
姉貴は俺のスマホからプリントした写真をアイミという女性に見せた。
「これは…」
アイミさんはじっくり写真を見て呟くように言った。
「”本物”ね」
本物って何が?
「やっぱりね、私もそんな感じがしたわ」
姉貴が頷く。どうも二人の会話がよくわからない。
「あのー、何が本物なんですか」
「ゲイに間違いないってことよ。この人明らかに実央君のこと狙ってる。まさかこのタイミングで当て馬登場とは…」
「そんなことわかるんですか?」
「わかるのよ、アイミには」
「それにしてもコレ、暁人君には見せられない写真ね。まるでこの二人が恋人同士みたい」
男の二人連れが、恋人同士に見えますかね?
「もし何も知らずに私がこの二人を見たら、恋人認定しちゃうかも」
「それはマズイわね、アイミの眼もごまかせちゃうようじゃ」
やっぱり二人の会話がよくわからない。
「あのー、加賀さんが実央君を狙ってるとしても、実央君が靡かなければ問題ないんじゃないですかね。実央君は兄貴一筋だし、二人きりになるって言っても大学の中かせいぜいその周辺だし」
「……」
「……」
二人は黙って俺の方を見た。え、ナニ、怖いんですけど。
「わかってないわね篤紀、相手はプロなのよ、いろんな手練手管があるのよ、本気でかかられたらノンケの実央君じゃ太刀打ちできないかもしれない。実央君優しいから、ぐいぐい迫られたら絆される可能性もあるわ」
「のん…?絆され…?」
「今は物理的にも時間的にも暁人君より加賀の方が有利だしね。大学で噂になってるっていうことは、何かしら実績があるんだろうし、学校にはナゾの空き教室があるものだし」
「あー、実績はわかんないっすけど大学は空いてる教室たくさんありますよ、全部の時間埋まってるわけじゃないんで」
って俺もアイミさんの話に乗っかってみたけど、意味はよくわかっていない。アイミさん、加賀さんのこと呼び捨てになってるし。
「暁人も元々ノンケだからね、実央君をちゃんと満足させられているかどうか」
「姉貴”のんけ”って何?」
「篤紀あんたノンケも知らないの?ノンケっていうのは…」
姉貴は言いかけて面倒くさくなったのか
「篤紀パンケーキ好きだったわよね、なんでも注文していいわよ」
と違うことを言ってきた。
「お、おう…」
俺がパンケーキを食ってる横で、二人はなんか専門用語を交えて話をしていた。
話が一区切りついたようで、姉貴たちもパンケーキを注文した。
「アイミさんてBLにも詳しいんですか」
俺は聞いてみた。
「…なんでかしら?」
「最初に挨拶した時俺のこと『ああなるほど、年下ワンコ攻めね』って言ったでしょ」
「まあソコソコ詳しいわよ。仕事柄色々な人に会うし、そういうお店に取材に行くこともあるし。だからある程度はその人がどういう人かわかるつもり(※BL関係限定です)」
「…加賀さんて危ないんだ」
「危ないわね。でも実央君との関係性からいって、加賀と接触するなとは言えないしね」
「そこでね、篤紀」
あ、またイヤな予感…
「引き続き夏休みの間実央君が大学に行く日は、あんたも行きなさい」
完全に命令形になっている。
「あと校外でも加賀と会うってわかったら、後を付けてもらうから」
姉貴も呼び捨てになってる。って…
「えー、付けるって…んな無茶な。大学へ行ったって2年生が研究室に入るのは不自然だし、見張れないよ?まして校外でそんな探偵みたいなこと…」
「バイト代出すわ、彼女とのデート代欲しいでしょ」
「…いくら?」
「1日いち…5千円かな」
「今1万て言いかけたよね」
「…成果次第ね」
「でもさすがに校外は…把握できないでしょ、実央君の予定」
「そこは実和子さんに頼むわ。いつどこへ誰と行くか、調べてもらう」
「いくら姉貴が実和子さんと仲良しだからって、そんな実央君のプライバシーに関わるようなこと…」
「大丈夫よ、実和子さんだって実央君の身が大事でしょ。あとたまに篤紀が明石さんの家に遊びに行くのもいいわね。それとなく実央君に探りを入れるのよ」
なんだか大変な夏休みになってしまった。
「ところでアイミさんと姉貴って何繋がりなの?」
「…高校からの友達よ(※本当です)。アイミが執筆活動するようになって、色々手伝ってるのよ」
「お姉さんにはいつも助けられてます」
アイミさんはにっこり微笑んだ。
「うちも、まあ何かと助けられてるけどね」
うち?姉貴じゃなくてうちが助けられてるの?やっぱりよくわかんねーな。
混乱の連鎖
とはいえ実央君が夏休み中に大学に行くことはあまりなかった。言われた通り俺も足を運んだが、前回のように都合よく加賀さんの姿を見ることはなかった。このまま静かになってくれたらいいなと思っていたが、8月も後半になったある日、唯ちゃんと新宿で買い物デートしていたところ偶然実央君と加賀さんの二人連れに遭遇した。当然のことながら俺は慌てた。
(おいおいおい…マジか)
姉貴からの事前情報はなかったから、実和子さんも把握できていなかったのか。大型テナントビルなのでこちらには気づいていないらしく、二人でメンズショップを見ているようだった。
(実央君マズイじゃん、兄貴以外の男と出かけるとか…)
とっさにそう思ったが、いや、待てよ。確かに男女のカップルの場合、例えば俺が他の女の子と二人だけで出かけるとか、唯ちゃんが俺以外の奴と二人で出歩くとか、浮気でなくてもなんかイヤだよな。気に入らないよな。でも男の二人連れや女の子の二人連れは…普通そんなこと思わないよな。
「どうかした?」
唯ちゃんが声を掛けてきたので
「ちょっとこっちの店見てもいい?」
と、実央君たちとは少し離れた店に二人で入った。
「いいけど…ここファンシーショップだよ」
見ればサン〇オとかディ〇ニーの可愛らしいグッズが並んでいる。いや、おかしいだろこのテナント、なんでメンズの店とファンシーショップが同じフロアなんだよ!
「えーと、近々小さい従妹が遊びに来る予定でさ、なんかプレゼントしようかなーと」
「へー、あっくん優しいんだね」
「ま、まあね、唯ちゃんも好きなのあったらプレゼントするよ…ってちょっと大学生には幼なすぎるか」
「ううん、ウレシイ、こう見えてあたし可愛いのけっこう好きなんだ。従妹さんのも選んであげる、小学生?」
唯ちゃんは楽しそうに物色し始めた。後で姉貴に請求してやる。
「ゆっくり選んでていいよ」
言いながら俺はちらちらメンズショップの方を窺っていた。ネクタイを見ているらしい。そういえば兄貴が、就職祝いで実央君からもらったネクタイを毎日嬉しそうに締めていくなーと俺は思い出した。「同じネクタイを続けて使うと外泊を疑われるわよ」という姉貴からのアドバイスで、渋々変えるようになったが…。
どうやら買い物を終えたようで、店を出てくる二人の姿が目に入った。
(やべ、こっちに来る)
俺は唯ちゃんの腕を引いて
「こっちにも可愛いのあるよ」
と、奥の方へ誘導した。危ない危ない。その日は自分のデートということもあって、それ以上の尾行は諦めた。
その晩、俺は昼間のことを姉貴に報告した。
「篤紀、あんた何気に持っているわね。大学もちゃっかり受かったし」
絶対褒めてない。
「実和子さんに確認したけれど、実和子さんが外出した後急に実央君も出かけることになったらしいわ。実和子さんには実央君からラ〇ンで連絡があったらしいけれど、詳しいことはわからなかったんだって」
「ふーん、なんかネクタイ選んでたみたいだった」
「ネクタイかー、ネクタイはしっかり首根っこを押さえておくという…」
「あのさー、なんだかんだ兄貴は毎週末実央君と会ってるんだろ?そんなに心配することないんじゃねえの?」
正直俺はそろそろこの件から手を引きたかった。
「毎週末はやめとけって言ってるんだけどね、うざがられるよって」
「姉貴、これ」
「何よ」
「ファンシーショップのレシート、小学生の従妹と唯ちゃんにプレゼント買ったから姉貴が払ってよ」
「なんで私が…第一私たちに小学生の従妹なんかいないでしょ」
「しょうがなかったんだよ、なぜかそのテナント、メンズの近くにファンシーショップがあってさ、二人の様子を窺うのにその店が都合よかったんだよ」
「仕方ないわね…はい、今日の功績に少し色付けといてあげる」
姉貴は財布からお金を取り出し、レシートの額面より多めに払ってくれた。
「あざす」
それを受け取ると俺は姉貴の部屋を出たが、そのとき
「ネクタイかぁ、誰のだろ」
姉貴がぼそっと呟くのが聞こえた。
大学はほぼ9月いっぱい夏休みで、課題も終わった俺は自由な時間を満喫していた。単発のバイトでちょっと稼いだから、今日はまた唯ちゃんとデートを楽しんでいた。9月になってもまだ暑いから水族館とか涼しい場所の定番デートだ。二人で昼飯を食っているときに
「そうそう、これ」
唯ちゃんがバッグから一冊の本を取り出した。
「この間のお礼ってわけじゃないんだけどさ、読んでみたらと思って」
この間のお礼とはファンシーショップで小物をプレゼントした時のことだ。その時贈ったチャームは今日唯ちゃんのバッグに付けられている。
「何の本?漫画だよね」
俺はそれを手に取ってみる。
「うん、前に話したでしょ、高校の時BLが好きな子がいたって。これその子にもらったの、なんか特典が欲しくて同じの何冊か買ったからって。あたしは興味ないからいいって言ったんだけど、面白いから読んでみてって。まあ読んでもよくわかんなかったわ、エロい場面も多いし」
「エロ…いや、唯ちゃん、俺別にBLに興味はないよ、クラスのフジョシに『年下ワンコ攻め』とか言われただけで」
「それはわかってるけどさ、その表紙の男の子、実央君に似てない?」
唯ちゃんに言われて本を見た。すぐにはBLとはわからないけれどカワイイ男の子?が描かれていて、確かに実央君に似ている気がした。
「あたしはもう読まないし、ちょっと見てみたら?あとは処分しちゃっていいから」
無理に返すのも悪いので、俺は一応受け取った。
「サンキュ」
バッグに入れたが、俺はしばらくその本のことは忘れていた。
9月後半、そろそろ夏休みも終わりが見えてきたとき姉貴からまた連絡が来た。今日は平日だから姉貴も会社だろうに、ご苦労なことだ。実央君が大学に行くそうだから俺にも行けという指令だった。
(やれやれ…)
残り少ない貴重な休みなんだから、うちでゆっくり涼んでいたいのに。面倒なので今日はもう堂々と構内を歩いていた。ばったり会ったら自然に挨拶すればいい。この間口実を設けて実央君の家に遊びに行ったけれど、特に変わったところはなかった。加賀さんのことを持ち出しても普通に話していた。
(全部杞憂だったんじゃね)
と俺は思い始めていた…ところに
「やあ、広瀬君」
ふいに後ろから声を掛けられた。振り向くとそこに加賀さんが立っていた。
「あ…こんにちは」
突然のことで動揺したが、俺は平静を装って挨拶した。
「実央君ならもう帰ったよ」
「そうですか…っていや、実央君に会いに来たわけでは…」
俺は慌てて取り繕った。
「隠さなくていいよ、実央君の様子を確かめに来たんだろう?」
加賀さんは淡々と話し続けた。
「いや、実央君の様子というより”実央君と僕の様子”かな」
ば…バレてる…!? 俺が返答に詰まっていると、
「最初は偶然かなと思っていたんだけど…夏休みなのに実央君が大学に来る日は、いつも君を見かけるから。かといって実央君と待ち合わせをしている風でもないし、声もかけてこないし」
うぅ~、俺って尾行下手だったんだ。ごめん、姉貴。
「この間は新宿で会ったよね、彼女がいたからデートだったのかもしれないけれど」
あれはホントに偶然だったんだけれど…気付かれてたかー。
「じ、ジャマしちゃ悪いかなと思ったんで声かけなかったんですよ」
“二人に気付かなかった”という言い訳は通りそうにないので、そう答えた。
「邪魔ねえ…君たちと違ってデートしてたわけじゃないから、普通に声を掛けてくれて良かったんだけれどね、面識もあるんだし」
そ、その通りですね。隠れたのは確かに不自然だった。
「もしかしてお兄さんに何か頼まれた?」
加賀さんの言葉に俺は頭が真っ白になった。真っ白にはなったが「お兄さんではなくお姉さんに頼まれたんですけど」と考えるだけの余裕はあったみたいだが…ん、待てよ、「お兄さん」てことは…こいつ、やっぱり兄貴と実央君が付き合ってることを知ってるのか!? 暑さと緊張で口の中はカラカラだったが、俺はなんとか唾を呑みこんだ。
「兄貴…兄は何も知らないです…」
「”何も”っていうのは実央君に妙な男が接近しているってことを指しているのかな」
ここまでバレていてはもうごまかしようがない。
「そうですよ、実央君のこと”実央君“とか呼ぶし、やたら距離近いし。4年生なのに大学来る回数も多くて…就活とかで忙しいんじゃないんすか」
俺は開き直った。もうヤケクソだ、なるようになれ!
「就活の心配なら無用だよ、親族の会社に入ることが決まってるからね、まあ一応筆記試験と面接は受けたけれど」
くそー、お坊ちゃんめ。
「ていうかやっぱり実央君は君のお兄さんと付き合っていたんだね」
あ、カマかけられた?やべー、しくったか、姉貴にどやされる…
「付き合ってたらなんですか、いいでしょ別に、二人は深―く愛し合ってんだから! 」
「深く…愛し合ってるねえ」
加賀さんは皮肉な笑みを浮かべている。
「それって本当に”愛”なのかなあ」
意外なことを言い出した。
「ほ、ホントウニアイ?愛ですよ、もう弟の俺が見ていられないくらいデレデレでメロメロですよ!」
「でも君のお兄さんはノンケだよねえ、別に男が好きってわけじゃない。今は実央君の可愛さに上せてるだけじゃないの」
「そ、そんなことは…」
「可愛いよね、実央君は。僕も一目惚れしたくらいだから。でも可愛い実央君もいずれはおじさんになり、おじいさんになる。そうなっても君のお兄さんは彼を愛してるって言えるのかな」
こ、こいつ…今サラっと告白したな、実央君が好きって。
「で、でもそれは加賀さんだって同じでしょ、今の可愛い実央君に惚れてるだけじゃないですか」
俺は言い返した。
「違うよ」
加賀さんは食い気味に否定してきた。
「知ってるかもしれないけれど、僕はゲイだから。女性には一切興味がない。だから生涯のパートナーを選ぶときは当然先のことを考える、10年先20年先…お互いがどんなに老いても一緒にいたいと思う人を選ぶ」
ゲイであることもあっさり認める加賀さん。
「君のお兄さんにその覚悟はあるのかな。実央君にシワができたり白髪が生えたりしてきたときに、やっぱり女性の方がいいってことになるんじゃないの」
俺は何も言えなかった。何を言い返せばいいのかわからなかった。
「まったく…大切にしようと思っていたのにノンケに攫われるとはね」
だから”のんけ”って何なんだよ、”のんけ”って!
「実央君はサークルのことを話すときにお兄さんのことを熱い口調で話していたし、僕がそれとなく好意を示しても全然気付かないし、それに君のお兄さんも…」
加賀さんはクスリと笑う。
「バレバレだよね、実央君のことがっちりガードしちゃってさ、お昼も一緒帰りも一緒って…執着が過ぎるだろう」
まあ兄貴の執着については俺も至極同意だけれど。
「兄貴は俺と違って真面目なんだ!先のことだってきっと考えて…」
言いかけた俺を遮って加賀さんは
「先の話だけじゃないよ、今だって実央君を満足させられているのかな」
満足?なんか姉貴もそんなコト言ってたような…
「無知なノンケが手を出したところで大したことはできないだろう、実央君もかわいそうに。僕ならテクニックがあるからきっと彼を満足させられるのにな」
テクニック…って何?と思っていると少し離れたところに数人の人影か見えた。
「とにかく今後僕と実央君の周りをチョロチョロしないでくれ、目障りだ。弟を使って妨害するなんてフェアじゃない。僕は諦めていないからこれからも実央君を落としにいくよ」
堂々と宣戦布告した加賀さんは大学のゲートの方へと向きを変えた。
「兄貴は関係ありません、俺何も知らせてないし、俺が勝手にやってるだけで…」
正確には姉貴の指令なんだけど…。加賀さんはもうこちらを見ずに一言言った。
「兄想いの弟さんでお兄さんは幸せだね」
カルチャー・ショック
その晩加賀さんとのやり取りを早速姉貴に報告しようと思ったが、あいにく会社の飲み会で遅くなるらしいので諦めた。俺は独り自分の部屋で今日のことを思い返す。
(なんかオレあんまり反論できてなかったな)
相手は2歳年上だから仕方ないのかもしれないけれど、ちょっと不甲斐ない。そもそも俺わかってないことが多すぎるんじゃないか?そう思ってノートパソコンを起動させた。とりあえず…「のんけ」…あ、ノンケか。異性愛者ね、ゲイじゃないってこと。え、「フジョシ」って「腐女子」って書くの?腐った女子!? 俺勝手に「浮女子」とか「富女子」かと思ってたわ、根拠はないけど。
んー、そもそも男同士ってどうやって付き合うんだ?兄貴達はよくデートしてるし、キスしてるのも見かけたことあるけど…未知の世界過ぎて考えたこともなかったわ。まあ女の子とならあんなことやらこんなことをしてみたいってなるけどな…そうしているうちに俺はいけない扉を開いてしまったらしい。
…え?エ?えぇっ!?……男なので自分の身に置き…換えられるかっ!! ちょっと待って、え、男同士ってこんな事すんの!? 昼間加賀さんに問い詰められた以上の衝撃が俺を襲ってきた。1日に2度の衝撃は若い俺でも身が持たない。
(アレをこうして…こう…?)
キャパオーバーなので、一度パソコンから離れてベッドに仰向けになる。
(マジか…兄貴達はああいうことをしてるのか?兄貴と実央君が…実央君…)
その時ふいに唯ちゃんからもらった漫画のことを思い出した。
(そうだ、あれ…)
バッグに入れたままだったのを取り出して、急いで読み始める。唯ちゃんエロいとか言ってたけど…読み進めていくうちに唖然とした。
(なんだこれ、18禁じゃないのかよ、こんなの小学生や中学生が見ちゃっていいのか…)
そして俺はやってはいけないことをやってしまった。唯ちゃんが実央君に似ているといったキャラと相手の方(※攻め)を兄貴達に脳内変換してしまった。うわ、ヤバい、ダメだ、やめろ、俺。なんかもう兄貴と実央君の顔がまともに見られなくなるぞ、これ…
そう思ったはずなのに次に俺はいつも利用しているコミックのアプリを開いて、BLを探してしまった。無料試し読みの中からいくつもチョイスして読んでみた…姉貴とアイミさんが話していたことが少しわかる気がした。俺、なんにも知らずに二人のこと応援してたんだな…いや、怖くて知ろうとしなかったのかな。その日はたくさんのことがあり過ぎて、たくさんのことを考えすぎて、疲れた俺はいつの間にか寝落ちてしまっていた。
「そっかー、加賀にバレちゃったかー」
アイミさんに言われて
「スミマセン…」
俺は頭を下げた。なぜ俺がアイミさんに謝らなければならないのか、よくわからないが。
「篤紀はトロいんだから、もう」
姉貴が横でため息をつく。俺たちはまたあのパンケーキの店に来ていた。
「でも加賀の本心を引き出せたのはお手柄よ」
アイミさんはそう言ってくれたが、本心を引き出したというよりカマかけられた俺がひっかかって結果的にそういう話になったわけで…
「引き出したところでどうするか。向こうは宣戦布告してきたんでしょう?」
「宣戦布告っていうか、まだ諦めないって」
「魔性の男だねー、実央君は。いい男二人手玉に取って」
手玉にとってはいないと思うけど…。
「少なくとも加賀は自分の卒業頃までは手を出さないんじゃない?実央君今は暁人君と付き合ってるわけだし、関係が気まずくなるようなことはしないでしょ」
「直接告ったりしなくても、実央君の心を揺り動かすようなことはしてくるかもよ」
「あの…」
俺は恐る恐る聞いてみた。
「アイミさんはこの間BLにはそこそこ詳しいって言ってたけど、姉貴も詳しいの?」
「…詳しくはないわよ(※ウソです)。ただ暁人と実央君のことを知ってから色々勉強したのよ(※これもウソです)。アイミがそこそこ詳しいのは、職業柄知見が広いから」
そうなのか。確かに兄弟がそういうことになれば、知識を得ようとするか。俺が遅すぎたんだな。
「なんだか自信ありそうだものね、加賀は。10年先20年先おじいちゃんになっても…は痛いところを突かれたわね」
アイミさんは苦笑いする。
「兄貴は…そんな先のことまで考えて実央君を選んだのかな…」
不安に思っていたことを口にしてしまった。
「暁人は慎重派だからいい加減な気持ちでは付き合っていないでしょ」
姉貴はそう言ったが、人は恋をすると夢中になっちゃうじゃん。朝から晩まで好きな人のこと考えて、遠くからでも姿を見たくて…そんな状態で先のことまで考えられるか?
「まあでも歳をとるのは女の人も同じだもんな、オフクロだってすっかりオバちゃんだし、姉貴だってアイミさんだって今はキレイだけどいつかはシワシワのおばあさんになるんだし」
「…」
「…」
気を取り直して言ったつもりだったが、なんか微妙な空気になった。気まずいので話題を変える。
「ところで…今日アイミさんがいるのはどうして?」
「何よ、アイミがいるのがイヤなの」
「そうじゃなくて、前回は加賀さんの鑑定をしてもらうっていうことだったけれど、今回はそういう話はないだろ、うちの問題に何度も付き合わせたら迷惑じゃないのかなって」
「わかってないわね篤紀、こういうのは第3者目線が大事なのよ、家族だけだと甘くなっちゃうし感情的になりやすいから客観的に判断できる人が必要なの」
「はあ、なるほど?」
「迷惑じゃないわよ篤紀君、失礼な言い方かもしれないけれど私の方もマン…原稿執筆の参考になるし」
アイミさんの言葉に、役に立っているのならいいかと納得した。
「そういうことで引き続き頼むわよ、篤紀」
「は?」
「は、じゃないわよ。実央君のガードよ」
「いや加賀さんの目的ははっきりしたし、卒業までは大丈夫そうなことさっき言ってなかった?」
「手を出してこない保証はないでしょ、相手はテクニシャンなんだから。あの手この手で実央君が絆されちゃったら、あんた責任取れるの?」
「それは俺の責任じゃないのでは…」
「いいからなるべく実央君の近くにいなさい。いいわね」
姉貴からさらに強い圧力がかけられた。
姉貴たちと話した時、オレは自分がBLについて学んだことは言わなかった。男の身でそういう話をするのはなんだか気恥ずかしかったからだ。BL学習した日の翌朝兄貴に「おはよう」と声を掛けられたときは、「ワーッ」と大声を出してしまった。兄貴はびっくりして
「どうした」
と聞いてきたが
「む、虫がいて…」
とごまかした。兄貴の顔がまともに見られない。実央君の顔も多分まともに見られない。BL漫画のあれやこれやが勝手に兄貴達に脳内変換されてしまうからだ。
とはいえ俺はあれからも時々BL漫画を読んでいる。スマホだと読みづらいから、PCの電子書籍を使うことにした。紙の本でなきゃバレないし。
(コレ試し読みの後が気になるんだよなぁ、購入しちゃおうかな…でも履歴に残るのもなんかなあ…※試し読みでも履歴に残る場合もあります)
過激な描写には相変わらずドキドキするが、兄貴達のように応援したくなるカップルもいて思わずきゅんとしてしまうのだ。
(兄貴って執着攻めってやつなのか?年下ワンコ攻めは…これとかこのキャラか…俺ってこんな風に見えてんのか)
腐女子のサイトなんかも見て日々研究中?なのだ。いつか役に立つ日が来る…かもしれない。俺自身はノンケなので、あくまで兄貴達のためだ。
夏休みが終わって後期の授業が始まると同時に、大学は学際の準備で騒がしくなる。俺はサークルもクラブも県人会も入っていないので気楽なものだ。ある日俺は思い切って白川教授の研究室に行ってみることにした。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」だ。2年生が足を運ぶことは滅多にないがどうにかなる、いや、する。
「失礼します」
研究室のドアをノックして開けると先輩達が数人いて、見慣れない顔の俺に驚いているようだった。白川教授もいる。実央君もいてちょっとほっとした。横に加賀さんもいたけどな。
「国際経済学科2年の広瀬篤紀です。来年白川教授の研究室を希望しているので、失礼を承知でお邪魔しました」
「篤紀君」
実央君はちょっとびっくりしている。
「元気な子だねえ、今ちょうどお茶してたんだよ、まあ入りなさい」
白川教授は優しそうなおじさんという感じだ。いきなりの来訪を注意することはあっても、きつく怒ることはないだろう。この時間研究室がティータイムなのは実央君から聞いて知っていた。
「とんだ闖入者だね」
加賀さんがイヤミっぽく言う。これは無視。先月のことがあるので当然気まずいが、俺は頑張って平静を装った。
「驚いたよ、この研究室を希望してたの?知らなかった」
実央君が言った。正直研究室なんてどこでもいいんだけどな、単位さえ取れれば。
「なに、明石君の知り合いなの?」
女の先輩が話しかけてくる。
「卒業した兄が実央く…明石さんと同じ入浴研究会で仲が良かったんです」
「温泉研究会だよ」
実央君が笑った。あの漫画の表紙のキャラみたいだ。妄想しちまった。
「へえ、お兄さんも経済学部?」
「いえ、理工学部です」
「うちで一番偏差値高いとこじゃない、頭いいんだね。どこに就職したの?」
「三松さん、そこまで聞くのは失礼だよ」
加賀さんが割って入る。
「いいですよ、大室精密です」
俺はちょっと得意げに答えた。
「えー、大手じゃない、君のお兄さんてことはイケメンでしょう?うわー、もっと早く知りたかったわ」
三松さんと呼ばれた先輩はおどけたように笑ったが、加賀さんは面白くなさそうだ。実央君は嬉しそうにニコニコしている。彼氏が褒められたら、そりゃ喜ぶよね。
「加賀君も今日はスーツで決まってるね」
「午前中インターンで内定の出ている会社にね。インターンと言っても親族の会社だからけっこう実践モードで働かされたよ」
話す加賀さんの首元を見て俺は(あっ)と心中で思った。あれはあの時の…新宿で遭遇した時見ていたネクタイだ。遠目だったけれど間違いない。こいつ自分が使うネクタイを実央君に選ばせたのかよ!
俺の視線に気が付いたのか、加賀さんはちょっと勝ち誇ったように微笑む。兄貴だって実央君にもらったネクタイ毎日嬉しそうに締めてんだよ!(※毎日はやめました)
「このネクタイね、実央君に選んでもらったんだ」
「お似合いですよ、そのネクタイ」
実央くーん、そういう合いの手いらないからー。ってかこいつ、人前でも”実央君”呼びかよ!
「え、明石君が選んだの?」
三松さんが聞いてきた。
「ああ、彼はセンスがいいからね。身だしなみの印象も大事だろう?」
「ネクタイ選びは…ちょっと自信があるかも…」
実央君が照れくさそうに言う。それは兄貴のネクタイを買う時に色々調べたからだろう?
「そうだよねえ、うちの兄貴…兄もみ…明石さんが就職祝いに贈ってくれたネクタイ、そりゃあ気に入って使ってますよ」
俺はなぜか加賀さん向かってそう言った。俺が加賀さんとバチバチやり合ってどーすんだ。実央君は自分と兄貴のことに触れられて、驚いている。わかってるよ、二人の関係は”内密に”だよな。でも今日の頑張りは姉貴に報告してバイト代上げてもらおう。
「ああ、そういえば加賀君、例の件は大丈夫そうかね」
白川教授が思い出したように話しかけてきた。
「ええ、もちろん大丈夫ですよ」
加賀さんはなぜか意味ありげに笑っている。
「明石君も頼んだよ」
「はい」
実央君も絡んでいるらしいので
「なに?」
と小声で聞いてみた。
「ああ、経済学部は毎年学科ごとに3,4年生の希望者が校外で実習とか研修みたいなことをするんだよ。例えば株式のディーラーさんの話を聞くとか他の大学の講演を聞くとか。国際経済学科は政治がらみの話もあったりするんだけど、今年はインバウンドを対象にしようってことになったんだ。教授のお知り合いのホテルが箱根にあるから、そこでスタッフの人や外国人観光客の話を聞いてみたりしてね。それでその下調べと打ち合わせに加賀さんと僕で箱根に行くことになったんだよ」
日本は今円安も手伝って外国人観光客で賑わっている。箱根も例外ではないらしい…って、そんなことはどうでもいい。
「加賀さんと…箱根…?」
「うん、ホテルのご厚意で1泊で」
俺は叫び出しそうなのを必死に抑えた。怖くて加賀さんの顔が見られない。きっとさっき以上に勝ち誇った顔をしているに違いない。実央君だめだろそれは。兄貴以外の男と外泊するの?確かめるのも恐ろしいけど、多分同じ部屋だよね…いや、男女なら問題だけれど男二人が同じ部屋に泊まったところで誰もおかしいとは思わないか…
「実央君は温泉に詳しいみたいだから、色々教えてほしいな」
しれっと加賀さんが言う。
「ええ?詳しいって程じゃないですけど…調べておきますね」
実央君も気軽に応じる。
「篤紀君?」
急に俺が黙り込んだので、実央君が不思議そうな面持ちになっている。
「篤紀君にもお土産買ってくるね」
実央君は加賀さんがゲイで自分に好意があるなんて知らないから危機感がないのか、無邪気に言ってくる。危機…これが「テイソウのキキ」ってやつなのかー!!
ケガの功名?
その日俺は姉貴に「緊急事態発生」とだけラ〇ンした。詳しいことは直に話したかった。あいにくその日は姉貴、ついでに兄貴も残業で帰りが遅かった。俺はオフクロと二人で夕食を取ったが、
「なんなの篤紀、せっかく母親が作った料理をそんな顔で食べて」
とオフクロに文句を言われてしまった。
「あ、ごめん、まずいわけじゃないよ、ちょっと考え事をしてて…」
「お勉強のこと?」
「う、うん、課題が難しくて…」
「あら、そう」
適当にごまかしておいた。オフクロは勉強とか課題とか言っておけば、たいていのことは見逃してくれる。風呂に入って部屋に戻って姉貴の帰りを待っていたが、ベッドで考え事をしているうちに寝落ちてしまったらしい。
「篤紀、入るわよ」
ノックの音とともに姉貴の声がして、目が覚めた。
「やだ、寝てたの」
「待ちくたびれたんだよ」
「相変わらず汚い部屋ねえ、少しはちゃんと片付け…」
言いかけて姉貴はベッドの一点を見つめた。
「なに、これ」
「あ…」
「BLじゃない、あんたBL漫画読んでるの!? 」
姉貴はさっと本を手に取った。表紙とタイトルだけじゃBLには見えないのに、姉貴はよくわかったな。
「それは…唯ちゃんにもらった本で…」
「なによ、唯ちゃんて腐女子なの?」
「違うけど…」
仕方ないので、俺はその本をもらった経緯を姉貴に説明した。
「ふーん、で、あんたはこれを読んだの?」
「…読みました…」
「どうだった?」
「どうだったって…俺にはもう未知の世界過ぎて…それを読む前にネットでも調べてみたんだけどさ」
「調べたって、何を」
「だから…男同士のアレやソレを…」
姉貴はハーっと大げさにため息をついた。
「遅いのよ、今頃?お兄ちゃんが男と付き合ってるって聞いたらもっと早くに調べない?」
「…スミマセンでした…」
「あんたは昔から自分が興味ないことは完全スルーだものね、勉強も好きな科目と嫌いな科目の成績落差が激しすぎ。よくK大に入れたもんだわ。私絶対落ちるって思ってたもの」
姉貴の攻撃が容赦ないので
「そんなことより大変なんだよ」
俺は強引に本題に入った。
「そういえば緊急事態って何よ、実央君が加賀に空き教室にでも連れ込まれたの?」
何言ってんだ姉貴は…。俺は昼間の話を姉貴に報告した。
「なるほどね…」
「ヤバイよな、これ。これが『テイソウのキキ』なんだろ?」
「うん、まあそうね」
「どうする?実央君に加賀さんはヤバイ奴だって言う?でも加賀さんだっていきなり手は出さないか…」
「どうかしらね、加賀はテクニシャンなんでしょう?」
「自分でそんなこと言ってたけど。なんかしようとしたって、当然実央君は拒否るだろ」
「でもねえ、お酒でも入って雰囲気に流されて…暁人より上手だったらマズイわよねえ」
「上手って」
「(ピーッ※自主規制)に決まってるじゃない」
「そ、それは…」
二の句が継げないとはこのことだ。俺が絶句していると
「それで?その箱根行きはいつなの?」
「…聞いてない…」
「バカなの?」
「だってあの流れで俺が聞くのは不自然というか…」
「まずそれを確かめなさい」
「確かめて…どうすんの」
「…ペンディングね」
はあ!? さんざん人のことをこき下ろしておいて、ペンディングだあ!?
「そこは兄貴に知らせるとか…」
「バカなの?」
また言った。
「こんなこと暁人に教えたらますます紛糾しちゃうじゃない。刃傷沙汰になったらどうすんのよ。私や暁人が大学に乗り込むわけにはいかないし、動けるのはあんただけよ」
さすがに刃傷沙汰はないと思うけれどな。
「アイミさんに相談したら」
「アイミは…今ちょっと忙しいのよ、締め切り前で。私も近々手伝いに行かなくちゃだし」
姉貴は何の手伝いをしているんだろう。アイミさんが書いたものも見せてくれないし。
「何よ、その手は」
「バイト代。俺今日頑張ったよ、2年生が滅多に行かない研究室に勇気をもって入ってさ、箱根の予定だって聞きだしたんだぜ、功績大きくない?」
姉貴はしばらく考えて
「今回の件が片付いたら、成功報酬として一括で支払うわ。必要経費はつけておいてね」
と、あっさり言った。なんだよ、それ。失敗したらナシってことかよ。とにかく実央君の予定を確かめるよう念押しして、姉貴は部屋を出て行った。
それから数日後、休み時間に唯ちゃんと廊下の椅子で缶ジュースを飲んでいたら
「あら、広瀬君…だっけ?」
三松さんに声を掛けられた。
「あ、この間はどうもお邪魔しました」
「いいのよ、彼女さん?」
「そうです、同じ学部です」
俺が答えると唯ちゃんもペコリと頭を下げる。
「いいわねぇ、若者は」
「いや、2コしか違わないじゃないですか、ええと…箱根の研修楽しみですね」
俺は無理やり三松さんに話を振ってみた。
「まあねー、まだひと月以上先だけど。私英語はあんまりだから気が重いわ。加賀君は留学経験があってペラペラでね」
くそー、スペックが高いな。
「そういえば実…明石さんは箱根に下調べに行くんでしたっけ。いつ頃行くのかなあ」
できるだけ自然に聞いてみた。
「いつだったっけ、学際のちょっと後だったかな」
そう言った後三松さんは少し意味ありげに笑って
「加賀君、明石君と一緒に行けて喜んでるんじゃないかなあ」
…!? なんですと?
「加賀君てさあ、明石君が可愛いみたいなのよね。ホラ”実央君”呼びしてたでしょ?ネクタイまで選ばせちゃって。箱根で食べられちゃったりしてねーとかみんなで言ってるの」
俺が返答に困っていると三松さんは、
「あ、冗談よ、冗談だからね。ヘンな心配しなくて平気よ」
ヘンな心配、してるんです。
「じゃあね、また研究室に遊びに来てよ、教授喜んでたよ、来年来てくれそうな学生がいるって。良かったら彼女さんも一緒に」
そう言うと三松さんは手を振って行ってしまった。三松さんは加賀さんがゲイだとは知らないようだ。
「あのさあ」
唯ちゃんが口を開く。
「実央君と加賀さんに初めて会ったとき、あたし聞いちゃったんだよね、近くにいた人が『加賀はゲイらしい』って言ってたの」
驚いた。唯ちゃんにも聞こえていたのか。その上で実央君は男性にも好かれそうとか言ったり、俺にBL漫画をくれたりしてたの!? 女子ってよくわからない。
「あたしもなんかアブナイ気がするんだよねー。加賀さんてさ、実央君に気があるんじゃないの?二人でいるところよく見かけるし。まああたしは腐女子とかじゃないからBL系の話はよくわかんないけどさ」
唯ちゃんはそう言ってから
「でも実央君も加賀さんが好きなら何も問題ないのか」
と付け加えた。
「それはない」
俺は即座に否定した。
結局俺は無為無策のまま学際初日を迎えてしまった。姉貴は去年も一昨年も実和子さんと学際に来ていたらしいが(※漫研のBLの同人誌にはまったからです)、今年はアイミさんの手伝いで忙しいから来られないらしい。毎年学際に来る家族って珍しいと思うけど、加賀さんを一目見たかったと残念がっていた。来たところで都合よく遭遇できるかどうかは、甚だ疑問だが。
学際のときは前後の準備・後片付けも含めて1週間程度講義がお休みになるが、多分実央君たちの箱根行きまであまり時間はない。俺は三松さんや唯ちゃんの言葉が気になっていた。もたもたしてはいられないよな。実央君の「テイソウのキキ」なのだ。俺は覚悟を決めた、そして姉貴に電話した。
「何よ篤紀、いま忙し…」
「姉貴、俺言うよ」
「はあ、何を?」
「実央君に加賀さんのこと。一緒に行くなって」
「ちょ、ちょっと待ちなさい篤紀、いくら加賀があんたにゲイだって教えたからって、それを実央君に伝えるのは違うわよ、プライバシーの侵害になるわ、やめなさい!」
スマホで話しながら俺は白川教授の研究室に向かっていた。実央君は今日はサークルの方ではなく、研究室に用があると言っていた。学際の間講義はなくても、研究室や図書館は開いている。
「篤紀、聞いてるの?ダメだからね絶対…」
俺はエレベーターを待ちきれずに階段を使った。最後の階段を上がりかけた時、そこへちょうど資料や本を抱えた実央君と加賀さんが現れた。エレベーターの方へ向かうらしく、俺には気づかないようだ。俺が声を掛けようとしたその時、実央君は抱えていた本が落ちかかり、それを押さえようとしてバランスを崩してしまった。
(危ない!!)
俺は階段側に落ちかかった実央君を、とっさに支えようとした。が、支えきれずに二人一緒に数段階段を転げ落ちてしまった。
「いってえー」
バサバサッと本の落ちる音と俺の声に驚いたのか、繋がったままのスマホから姉貴の声が聞こえてくる。
「篤紀、篤紀、どうしたのよ!」
「実央君‼」
本を放り出して加賀さんが階段を素早く降りてきた。俺は加賀さんが実央君に触れないよう、実央君の体を両腕で支える。
「大丈夫?立てそう?」
実央君は俺の腕に掴まって立とうとしたが、
「いたっ」
顔を歪めてへたり込んでしまった。騒ぎに気付いたのか、研究室にいたらしい三松さんが駆け寄ってきた。
「大丈夫!? 落ちたの?もう、だから言ったじゃない加賀君!無理しないでカートを使いなさいって。面倒がるから…」
三松さんはそう言ったが、おそらく加賀さんは実央君と一緒に図書室に行きたかっただけなのだろう。
「足首?捻った?」
俺が聞くと
「うん…右側…捻ったかも…」
実央君は辛そうに言う。
「とにかく医務室へ行こう。僕が…」
言いかける加賀さんを遮って
「俺が運びます」
実央君に背を向けた。
「ホラ、実央君」
実央君は何とか俺の背中に体を預けて、両腕を前に回した。
「加賀さん、三松さん、本の片付けお願いします。あ、そこのスマホ、俺の尻ポケットに入れてもらえますか」
三松さんが床に落ちていたスマホを拾って、デニムのポケットに押し込んでくれた。
「あとそこのバッグ、すみませんけど研究室で預かっといて下さい、後で取りに行きますから」
俺は実央君をおんぶしてゆっくり立ち上がった。
「わかったわ、頼むわね」
「僕も後ですぐに行くから」
三松さんと加賀さんが続けて言うと、
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
俺におぶわれたまま、実央君は頭を下げた。えーと、医務室ってどこだっけ?エレベーターで1階まで降りたところできょろきょろした。
「A棟だよ」
実央君に言われてそちらに向かう。学際で人出は多いから、すれ違う人がみんな何事かと俺たちを見る。
「ごめんね、篤紀君、重いだろ?」
「大丈夫大丈夫、実央君軽いよ」
兄貴は怒るかもしれないが、実央君が加賀さんに背負われるのは避けたかった。俺は模擬店や催事で賑わう構内の通りを、時折ふらつきながら歩いて行った、
なんとか医務室にたどり着くと学際のせいなのか、案外混んでいた。ケガをする人とか具合が悪くなる人とかがいるのかな。
「あらあら、どうしたの」
養護教諭らしい女の先生が俺たちを見て声を掛けてきた。
「捻挫かもしんないです」
俺が言うと先生が手招きして、
「この部屋のベッドで休んでて、ちょっと待っててね」
そういって一度その場を離れた。実央君をベッドに腰かけさせ、ふーっと息を吐く。
「ごめんね、迷惑かけて」
実央君はまた謝った。
「何言ってんだよ水臭い、俺と実央君の仲じゃんか」
もしかしたら謝るのは俺の方かもしれない。あのとき本を抱えた実央君は階段を駆け上がる俺に気付いたんじゃないのか?だから気が逸れてバランスを崩したんじゃ…そんなことを思っているとスマホが鳴り始めた。姉貴からだ。
「ちょっと、早く出なさいよ!いきなり切れるから驚いたじゃない。なんか音がしてたけど何があったの?実央君ケガしたの?」
「あーゴメン、階段から落ちちゃって…詳しいことはまた話すけれど、多分実央君捻挫だわ」
「今どこにいるの?」
「医務室、実央君を運んできた」
「へえ、あんたにしては頑張ったわね」
「だって…」
実央君を加賀さんに触らせるわけにはいかないじゃないか、とはさすがに実央君の前では言えなかった。
「暁人が車でそっちに向かってるから」
「えっ」
「実央君に何かあったみたいだから暁人に連絡したのよ。今日土曜日で休みでしょ。そしたらサークルに顔出しに学際へ行くつもりでちょうど車を走らせてたんだって」
姉貴が俺の電話でどこまで聞いていたかわからないが、すぐに兄貴に知らせるとはすごい行動力だな。そのとき「お待たせ」という先生の声が聞こえた。
「電話切るわよ、医務室ね、暁人に伝えておくわ」
それだけ言って姉貴は電話を切った。
「どれどれ、ここね」
先生は実央君の右足首をそうっと触って
「色はまだあまり変わってないけれど、少し腫れてきたわね、どうしたの?」
「階段から落ちました」
俺が答える。
「頭は打っていない?」
先生に確認されて
「はい」
俺と実央君は同時に返事をした。
「見た感じ骨折ではなさそうだけれど、ここでは詳しい検査はできないから。一応湿布は貼っておくけれど、痛みはどんどん増してくると思う。どうする?早く医療機関に見せた方がいいけれど、保険証持ってる?」
「持ってます、研究室のバッグの中ですけど」
「俺が取ってくる。今俺の兄貴が車で迎えに来てるんで。たぶん南門の方に着くと思うんですけど」
「そう、じゃあ先に守衛さんに伝えておくわね、名前は?」
「広瀬暁人です。卒業生なので証明カード持ってると思います」
学際中とはいえ大学の構内に部外者が勝手に車で入ることはできない。卒業生専用の証明カードがあるので、守衛さんに連絡が行けば兄貴が手間取ることはないだろう。
「えっ、暁人さんが来るの?」
先生と俺のやり取りに実央君はびっくりしている。
「ちょうどこっちへ来るところだったんだって、良かったね」
先生が守衛さんに知らせに行ったので、俺は実央君の横に座った。
「広瀬兄弟にはいつも助けられるなあ」
実央君が言うので
「いつも?」
俺は尋ねた。
「うん、僕が温泉研究会に入ったばかりの時ね、日帰り入浴に行く機会があったんだけれどお風呂で足滑らして、今日みたいに足を挫いちゃったことがあったんだ。その時に先輩…暁人さんが色々面倒見てくれて。荷物持ってくれたり今日の篤紀君みたいにおぶってくれたり、すごく優しくて…」
なるほど、そんな心温まるエピソードが…。そこへ先生が戻ってきた。
「守衛さんに連絡しといたから。じゃあ湿布だけ貼っておくね」
先生は手際よく処置をしていく。痛みがあるのか時々実央君は顔を歪めた。
「はい次は君ね」
実央君の処置が終わると先生は俺の方を向いた。
「俺ですか?俺はなんとも…」
「ほっぺた、擦りむいてるよ」
慌てて頬を触ってみると左側がヒリヒリしていた。全然気付かなかった。きっと落ちてきた本が当たったのだろう。名誉の負傷ってやつだ。先生は俺の傷を消毒して薬を塗ってくれた。
「ごめんね、篤紀君、僕のせいで…」
「大丈夫だってこれくらい、実央君何回謝るんだよ」
俺が笑ったとき
「実央!」
兄貴が飛び込んできた。走って来たのか汗をかいている。まっすぐ実央君のところへ駆け寄って抱き寄せた。
「暁人さん…」
実央君はちょっと恥ずかしそうだったが、それでも兄貴に寄り添った。
…あのー、俺も先生もいるんですけどー…ってか、弟はスルーですか?
「アラアラ」
先生は何かを察したように手を口に当てた。先生と俺が見守ること十数秒…兄貴は先生に向き直って
「卒業生の広瀬暁人です。実央がお世話になりました」
と挨拶した。実央君を呼び捨てにしちゃってるし。今日の兄貴は休日スタイルでラフな格好をしていたが、明るめのジャケットを羽織っていて、弟の目から見てもカッコよかった。
「いえいえ、仕事ですから」
と先生は応じたが、
「キミのお兄さんなんだよね?」
と小声で俺に確認してきた。
「はぁ…ソウデスネ…」
俺も小声で答えておいた。先生はコホンと咳ばらいをすると
「捻挫だと思うけれど油断しないでね。軽ければ早く治るけれど、結構長引く場合もあるから。それと階段から落ちたなら他の部分の打撲の可能性もあるから、二人とも注意深く様子を見ること。これはこの近くで土曜日でも受け付けてる医療機関のリストね」
そういって兄貴に紙を渡した。
「ありがとうございます」
「歩くの厳しかったら松葉杖貸すし、車椅子もあるけれど」
「そんな大げさな」
実央君が手を振る。
「でも痛いでしょう?車は?」
「守衛さんのご配慮でA棟の近くに停めさせてもらっています」
「そう、よかった。それからキミ、そこの用紙に利用者名と学部、学生証番号も記入しておいてね。そしたらもう帰っていいよ」
先生はそれだけ俺に言うと部屋を出て行った。
「ごめんなさい、暁人さんにまで迷惑を…」
「迷惑なんかじゃないよ、俺が動ける日でよかった」
あのー、お兄様、俺のこと見えてます?俺がちょとグレかけたところに
「失礼します」
と、入ってきた人がいた。
「あ、加賀さん」
実央君が言う。加賀さん…加賀さんて…えーっ、ここで兄貴と加賀さんがバッティングーっ!? こ、これはまずいのでは?俺はどうしたらいいわけ?姉貴ならこういう時どうする!?(※面白がります)よく見ると加賀さんは俺と実央君のバッグを持って来てくれていた。
「遅くなってすまない、落ちた本で破損したものがあって、ちょっと図書館で手間取ってしまった。これ、二人のバッグ」
「あ、ありがとうございます」
ドギマギしながら俺は二人分のバッグを受け取った。
「加賀さん、ありがとうございます。こちらは篤紀君のお兄さんで暁人さん。暁人さん、今来てくれたのは同じ学科の先輩で加賀さんです」
実央君は普通に紹介する。
「初めまして、広瀬暁人です。実央がいつもお世話になっています」
兄貴―、いま呼び捨てはヤメロ、いや、やめて下さい。
「初めまして、経済学部4年の加賀史彦です。こちらこそ実央君にはお世話になっています」
うわー、こっちも”実央君”呼びかよーっ。そこは明石君にしとけよーっ。
兄貴は加賀さんを知らないが、加賀さんは兄貴を知っている。「実央君のことがっちりガード」していた男として。兄貴が実央君と付き合っていることも結果的に俺がバラしちゃったし。こんなところに兄貴がいて加賀さんは心中面白くないはずだ。
「実央はこのままクリニックか病院へ連れて行きます。すみませんが白川教授と研究室の方によろしくお伝え下さい」
兄貴が加賀さんにそう頼んだ。
「…わかりました、伝えておきます」
加賀さんは兄貴に答えた後、
「実央君お大事にね。詳しいことは後で知らせてくれ」
と、ちょっと?馴れ馴れしい感じで実央君に言った。今ハラハラしてるの、俺だけなんだよね?
「加賀さん、すみません、よろしくお願いします」
実央君が加賀さんに頼むと
「じゃあ行こうか」
と言って兄貴は実央君を…実央君を……お姫様抱っこだとーっ!!
「あ、暁人さん…」
さすがに実央君は顔を赤くしたが、兄貴はおかまいなしで
「実央、ちゃんと俺の首に手を回して、落ちるよ」
そう促すと、加賀さんに
「失礼します」と言って一礼し、
「篤紀、実央のバッグ、車まで持って来てくれ」
俺に声を掛けてきた。あ、見えてたんですね、俺のこと。
「し、失礼します、バッグありがとうございました」
俺は加賀さんに頭を下げ、慌てて兄貴の後に付いて行った。振り向かなかったが、加賀さんはどんな表情をしていたのだろう。
A棟は学際の模擬店やイベント会場からは離れているので比較的静かだが、それでも医務室や売店の利用者がそれなりにいる。男二人のお姫様抱っこが先ほどの俺のおんぶ以上に目立ったのは、言うまでもない。
「暁人さん、さすがにこれは…さっき篤紀君がしてくれたみたいに背負ってくれればいいから…」
実央君がそう言ったのが、兄貴の後ろを歩く俺にも聞こえた。実央君、頼むから今それを言わないでくれるかなー…
「篤紀が実央を…?」
兄貴はいったん立ち止まった。俺も合わせて立ち止まる。
(うわ、これまた何か言われるやつー?)
「篤紀…」
「ハイ…(汗)」
実央君を横抱きしているので、兄貴は後ろを振り向かずそのままの姿勢で言葉を続けた。
「実央が世話になったな」
「イエ…トンデモゴザイマセン…」
兄貴はそれだけ言うとまた歩き始めた。どんな顔をしているのかわからないが、怒っているのだろうか。
(でもねお兄様、実央君が加賀さんにおんぶや抱っこをされるよりは弟の俺の方がマシだったと思うんだよね)。
俺は心の中で呟いた。前方に見慣れた車が見えてきて、「開けてくれ」と兄貴に頼まれた俺はドアを開けた。兄貴は実央君を助手席に乗せると
「俺はこのまま実央を医者に連れて行くけど、お前はどうする?」
と、聞いてきた。
「オレ?」
俺はちょっと考えて
「このまま大学に残るわ。彼女と見て回る予定だし」
と、答えた。
「そうか」
兄貴は軽く頷き、
「今日は色々ご苦労様だったな。お前からも研究室の人によろしく伝えておいてくれ」
それだけ言うと運転席に乗り込んだ。いやもう俺当分あそこへは近づきたくないんですけど。
「篤紀君、今日は本当にありがとうね。またお礼するね」
窓を開けた実央君が言い終わるのを待って、兄貴は車を出した。俺はうちの車が南門の方へ走っていくのを見送りながら、ちょっとヒリつく自分の右頬(※キズは左です)を押さえていた。
(大変だったなぁ…)
ちょっと感傷的になっていたところに、「詳細を知らせろ」という姉貴からのラ〇ンが届いたのだった。
その日兄貴は実央君を病院に連れて行った後、明石家まで送り届けて帰宅した。俺の方が帰宅は遅かったので、
「実央君、どうだった?」
と、家に着くなりすぐ兄貴に聞いた。兄貴と実央君からラ〇ンは来ていたが、詳しいことを知りたかった。
「やっぱり捻挫だった。数日は痛くてあまり動けないかもな。学際が終わった後あまり辛かったら松葉杖を使うようお医者さんに勧められた。貸し出してくれる実央の家の近くの病院や外科も紹介してくれたよ」
「すぐ治りそう?」
「どうかな。一週間様子を見てまた病院へ連れて行く」
いや、それは実和子さんやお父さんに任せればよいのでは?今日の兄貴の一連の行動は、伴侶に対する夫の行動みたいに見えるんですけど…。
「篤紀が階段で庇ってくれたって実央が言ってた。ありがとな」
結果的に実央君は捻挫をしてしまったので、庇ったとは言えないんだけど。その時台所の方からオフクロが出てきてこちらを見た。俺たちの会話は聞こえていたと思うが実央君のことには一切触れてこない。
「オフクロに実央君のこと話したの?」
俺が小声で聞くと
「まあ、一応」
兄貴は答えた。
「何か言ってた?」
「何も」
お見合い大作戦が失敗してオフクロはまた何か企んでいるんだろうか。いい加減懲りてほしいものだ。オフクロは二言目には「孫ができない」という。それは仕方がない、男同士なんだから。BLのオメガバース設定が現実にもあればいいのにと思った。兄貴は当然αで、そうなると必然的に実央君はΩ…兄貴は実央君のフェロモンにやられまくりで、二人の間には可愛い子供が…(※オメガバースについては各自でご学習下さい)
「暁人も篤紀も今日は先にお風呂に入りなさい。夕飯はそれからよ。なあに篤紀、顔の傷は」
妄想がいきなりぶち切られた。
「あーこれは…大荷物運んでた人とぶつかっちゃって、それで」
実央君を庇って、とは言わなかった。
「ちゃんと消毒しておきなさい」
オフクロはそれだけ言ってまた台所へ戻っていった。唯ちゃんと模擬店で色々食べたからあまりハラは減っていなかったが、食べないとまた機嫌が悪くなりそうだ。
お風呂に入って3人で夕食を食べたが、なんとなく気まずい。
「あー、今日姉貴は?」
「お友達のところで食べてくるから、いらないんですって」
「ふーん」
アイミさんのとこだな。噂をすれば…のタイミングで姉貴が帰ってきた。
「ただいまー、あれ、みんな揃ってんの」
「お帰りなさい、お夕飯は?」
「食べてきたからいいや、後でお腹空いたらお茶漬けでももらう」
そう言いながら姉貴は俺を見た。俺は姉貴に今日の一件の詳細は知らせていなかった。
「篤紀、後で用事があるから、あんたの部屋に行くからね」
「ハイ…」
「綾乃、”あんた”呼びは下品だからおやめなさいって前から言っているでしょう」
「はいはーい」
姉貴はオフクロの小言をあっさり流して2階に上がっていった。
「姉さんがお前に用事とか珍しいな」
兄貴が言う。
「ソウデスネ…」
俺はね、お兄様、大学に入ってから色々なことを姉貴に頼まれ…いや、命じられてるんだよ、実央君絡みで。特に今年の夏から秋にかけてはもう大変なことになってるんだよ。その晩遅く俺は姉貴に事の顛末を説明させられた。
「そう…そんな(萌え萌えな)ことが…」
「そうだよ、その後唯ちゃんと学際回ったけど、なんだが色んなことが気になっちゃってさー」
「でもケガした実央君には悪いけど、当面の危機は回避できたってことよね」
「え」
「実央君よ、捻挫した足じゃ箱根に下調べなんて行けないでしょう?捻挫は甘く見ると長引くわよ」
「そうか、そうだよな、痛めた足で箱根行きは辛いよな。当分松葉杖使うようなこと兄貴も言ってたし」
「それにしてもあんたは悪運強いわね」
「なんだよ」
「実央君は足捻ったのにあんたは無傷でしょ」
「無傷じゃないよ、コレ」
俺は自分の頬を指さした。オフクロだって気付いてくれたのに。
「何よそんなかすり傷、舐めときゃ治るわよ(※傷を舐めるのは衛生上よろしくないという説があります)」
姉貴の雑な対応に俺はため息をついた。
実央君送迎計画
「あーつーきーくんっ!」
学際が終わって大学が通常モードに戻った日、構内を歩いていると俺の後ろから3人の男子学生が近づいてきた。そのうちの一人が後ろから腕を回して勢いよく俺に寄りかかってくる。
「重いよ海里」
俺が文句を言うと
「最近付き合いが悪いじゃん」
その学生は大げさに口を尖らせた。この3人は大学で仲のいい友人だ。二人は大学で知り合ったが、俺に寄りかかった渡瀬海里は高校から一緒である。
「言ってやるな海里、彼女ができたらそんなもんだ」
「そうそう、友情より彼女との時間が大事になるんだよ」
他の二人、福田優也と磯塚智が続けて言った。
「そういうわけじゃないけど…」
いや確かに唯ちゃんとの時間は優先させてたな。させてたけど…それだけじゃなかったんだよ。様々な懸案事項があって、時間と体力と気力を奪われていたんだ。夏休み中に海里が「海行こうぜ」と誘ってくれた時も、姉貴からの指令が出ていて叶わなかった。
「悪かったよ、ちょっとイロイロあったからさ」
「ふーん」
そう言った海里は自分のスマホを取り出すと
「お前、これ知ってる?これってお前の兄貴だよな」
そう言って写真を見せてきた。
(……!?)
それは兄貴が実央君をお姫様抱っこしている写真だった。
「なんで…それ…」
「ここに小さく写ってんの、お前だろ」
写真は何枚かあって、そのうちの一枚には俺の姿もあった。荷物持ちをさせられている俺の姿が…。あの時撮られていたのか、ダメだろう盗撮は。
「あ、俺も見たわ、それ。へえ、篤紀の兄貴なの?イケメンじゃん」
「そうなんだよ、これ学内のラ〇ンから広まったみたいでさ」
「”イケメンが美少年を姫抱っこしているんだが”とかコメントついてんじゃん。抱っこされてる方、俺ら会ったことあるよな」
「うん…実央君…」
「そうそう実央君、なにこれ、どういうシチュなの?」
俺は仕方なく学際初日にあったことを、ざっくり友人たちに説明した。
「へー、顔の傷ってそれか」
優也が俺の頬を軽く突つく。
「学際の後ってさ、なんかこういう写真SNSに上げられるよな。大学から『個人の写真は勝手にネットに上げないように』って注意されてんのにさ、『有名人が来てましたー』とか」
兄貴は有名人ではないが…なんかこういう写真、腐女子が喜びそうだなと思った。一応兄貴に教えといた方がいいか…?それと姉貴にも…いや、姉貴は腐女子ってわけじゃないからいいか…(※腐女子です)。てかこれ実央君本人も加賀さんも見てる可能性あるよな……怖いことになってねーか、これ。
写真のイケメンが俺の兄貴であることがバレて、しばらくの間俺は周囲の人間から質問攻めにあった。例の写真は一応姉貴にも送っておいたが、ソッコー「グッジョブ!! 」というネコがグーサインをしてるスタンプが送られてきて、何が「グッジョブ」なのか意味不明だった。
ちなみに実央君と加賀さんが行くはずだった研修の下調べは、三松さんともう一人の女子学生で行ったらしい。実央君が行けないのでは加賀さんが行く意味はなかったのだろう。
俺は兄貴に頼まれて大学の中で可能な限り実央君のフォローをした。ただ学年も受ける講義も違うから、限界がある。俺の知らないところでは、加賀さんの助けを借りていたに違いない。本意ではないが、こればかりは致し方ない。実央君は学際後数日は松葉杖を使っていたが、かえって歩くのに時間がかかるからとやめてしまった。でも治ったわけではないから、足首を庇いつつ歩いている。可能な時は実和子さんやお父さんが駅まで車で送ったり、駅から大学まで普通は徒歩のところをバスやタクシーを使ったりしていた。兄貴だって会社員だから、平日は何もできない。
三松さんは「また来てね」」と言ってくれたが、俺はあれから研究室へは行っていない。実央君には助けが必要な時は呼んでくれと伝えてある。おそらく加賀さんは実央君の講義に合わせて動いているだろう。あの後たまたま三松さんと会ったとき、そんなことを言っていた。ちなみに加賀さんは就活だけでなく卒業研究もすでに終えているそうだ。ホントイヤミなくらいスペック高くて、腹立つな。そう言えば箱根の研修、実央君はどうするんだろう。
「俺が実央を車で送迎するよ」
ある日兄貴はあっさり言った。
「送迎…とは?」
「だから実央の家と箱根を往復するってことだよ。うちと実央の家は車だとわりと近いだろう?新宿で集合してロマ〇スカーを使う予定らしいけれど、それだと効率悪いよな、うちも実央の家も神奈川だし。東名と小田原厚木道路を使えば早い」
「それはそうだけど研修は平日で2泊3日だよ、2往復すんの?てか、そもそもお休み取れんの?」
「俺も泊まるんだよ」
「……」
突拍子もない兄貴の発言に、俺は戸惑うばかりだ。
「足の腫れは治まったけれど、まだだいぶ痛いらしい。それでも実央は研修に参加したがっているから助けてやりたいんだ。確かに電車に乗っている間は座っていられるし、箱根に着いてからはホテル内での研修と、外での活動はほぼ車移動みたいだから問題ないだろう。でもそれ以外は自分で移動しないといけない。途中の駅でロマ〇スカーを乗り降りするのも手間だろう」
はいはい、とにかく兄貴は実央君を守りたいんですね。
「でも新卒の社員が有休取ったりしたら睨まれないの?そもそも予約取れんの?」
研修は11月の終わり、平日とはいえ秋の観光シーズンだ。宿泊予定のホテルのオーナーと白川教授が古くからの知り合いで、なんでもホテルが傾きかけた時教授の助言で持ち直したことがあったらしい。そんなこともあって恩を感じたオーナーが色々融通を聞かせてくれるらしいのだ(もちろん早くから予約しているしタダで泊まるわけではない)。
「うん、さすがに紅葉シーズンだからほぼ満室だったわ。今は外国人観光客も多いしな」
「そりゃそうだろ」
「でも高い部屋が一つだけ空いてたんだよ。直前にキャンセルが出たらしくて」
「高いとは?」
PCのホテルサイトを兄貴に見せられて
「じゅっ…」
俺は絶句した。露天風呂付きの高い部屋。実央君のためとはいえよく兄貴も思い切ったな。実は兄貴は実央君の卒業を待って同棲を目論んでいる。なんなら自分の就職のタイミングでそうしたかったらしいが、さすがに明石さんからストップがかかった。兄貴はそれにもめげずに着々と準備を進めている。当然軍資金を貯めるため節約を心掛けている。手痛い出費であるはずなのだが…。
「お前も行くか?」
「え」
兄貴はまた意外なことを言い出した。
「一応二人で予約してあるし、こんないい部屋一人で泊まってもなあ。お前にはいろいろ面倒懸けたし」
うん、兄貴が知ってる以上にね。
「実央君と泊まるんじゃないの?」
「何言ってんだよ、実央は研修でみんなと一緒の部屋だろう。いくらなんでも俺の部屋に泊まったらおかしいだろう」
それはそうだ…一応団体行動だしな。
「送迎はあくまで実央の足のことを考えてだよ。もちろん事前に教授の許可はもらうつもりだ。ただお前も大学の講義があるよなあ。休ませるのもまずいか」
「姉貴は?」
「姉さんも仕事があるだろう」
「オフクロは?」
「……」
「ゴメンナサイ…」
俺はちょっと考えた。あのホテルのランク高めの部屋で温泉入ってうまいもの食って酒も飲んで…(※この時点でハタチ過ぎてます)、しかも全部兄貴持ち。
「俺がいたら車の中でお邪魔じゃない?」
「なに言ってんだよ」
兄貴は笑った。
「どうにかなるかも、その3日間で専門科目の1コマは教授が学会に行くから休講なんだよ。一般教養は講堂や大きい教室だからダチに代返頼めそうだし、あとは…ノート見せてもらって試験頑張る!」(※ホントはサボってはいけません)
「そうか、弟をサボらせるなんて悪い兄ちゃんだな」
兄貴はまた笑う。
「オフクロにはなんて言う?」
「俺は出張ってことにしておく。万一会社に連絡するようなことがあってバレたら、その時考える。お前は…研修に欠員が出て、急遽声が掛かったことにすれば?」
「2年生は参加しないんだぞ」
「そんなシステム母さんは知らないだろ。あとは姉さんにフォロー頼んどくわ」
「兄貴の方こそ会社は大丈夫なのかよ」
「有休はちゃんとした権利だろ。こういう時のために日頃残業したり、勤務の交代をしたり…頼まれごとはイヤな顔せにず引き受けて徳を積んでおくんだよ」
「参考にナリマス」
「なあに、暁人も篤紀も留守になるの?」
オフクロは怪訝な面持ちで言った。
「俺は前から出張が入るかもしれないって言ってただろ」
ぬかりのない兄貴は少し前からオフクロに出張のことをチラつかせていたらしい。俺は急に研修に参加することになったと説明した。
「なんかね、普通2年生は参加できないんだけれど、急に欠員が出たとかで教授から特別に声が掛かったらしいわ」
姉貴が真偽織り交ぜてオフクロに補足説明した。すでに姉貴には事情を打ち明けている。
「教授から特別に…」
「そうよ、驚いたわ私、篤紀は遊んでばかりだと思ってたら意外とやるのねえ、見直したわ」
姉貴、ちょっと大げさだって。でもオフクロは信じたらしい。
「費用は大丈夫なの?箱根のホテルなんでしょ」
「それは…急な交代だから大丈夫だって教授が…特別に配慮してくれて…」
兄貴持ちだけど。
「あら、そうなの」
「お土産頼むわよー」
「何言ってるの綾乃、お勉強しに行くのよ」
俺が優秀だと勘違い?したオフクロは案外あっさり納得した。お勉強どころか大学サボって行くんですけどね。万が一ばれた時は全部責任をかぶると兄貴が言ってくれた。俺は友人と唯ちゃんにはヘタなウソはつかずに「急な旅行」とだけ言って、代返とノートを頼んだ。
「土産頼むぞー」
海里達にはそう言われた。唯ちゃんには
「えー、いいなー、アタシも行きたい」
と言われたが、唯ちゃん、それは無理だからいずれ機会を改めて二人で行こうね。
研修当日の朝はいい天気で旅行日和だった。
「あら、車で出張行くの暁人」
オフクロはちょっと不審に思ったようだが、
「うん、出先で何か所も寄るから車の方が便利なんだ。慣れた車の方が気楽だからさ。高速代とガソリン代は会社で負担してくれるから」
オフクロはずーっと専業主婦だから、こう言われるとそういうものかと思ってしまう。
「何かあったら直接俺の携帯に連絡くれよ。会社に知らせると二度手間になって迷惑かけるから。あとついでに篤紀も駅まで送っていくよ。荷物があるから大変だろう」
日頃真面目で誠実な兄貴だが、実央君のためだと流れるようにウソを吐く。母に見送られて俺たちは実央君の家に行った。
「申し訳ないわね、暁人さん。無理せずやめるように実央には言ったんだけれど」
実和子さんが出迎えてくれる。
「いいえお母さん、実央はずっと研修を楽しみにしていたからいいんです。俺も実央とドライブが楽しめてラッキーですよ」
「篤紀君まで巻き込んでしまって…」
「ははは…」
いいんですよ実和子さん、俺はもうずーっと巻き込まれてるんで今更です。今回なんてついてる方ですよ。
「平気です、フタイキュウヨ?ってやつですかね(※付帯給与です)」
奥から実央君の姿が見えると兄貴はすかさず駆け寄った。
「大丈夫か実央」
手で支えて靴を履くのを助けている。
「すみません、暁人さん、こんなことまでお願いして」
「お願いじゃないだろ、俺が勝手にやったことだ」
実央君はまだ右足を庇いながら歩いている。ちょっと無理をすると痛みがぶり返すようで、なかなかすっきり治らないらしい。兄貴が腰を支えて車まで連れていく。俺は車中ずーっとこの二人のイチャイチャに付き合わされるのだろうか?
「篤紀、実央の荷物をトランクに乗せてくれ」
へいへい、俺はポーター代わりですね。兄貴が実央君を後部座席に座らせたので、
「えっ、俺が助手席?」
と、兄貴に聞いた。
「長時間だと後ろの方がラクだろう。眠くなったら寝ていいからな、実央」
「うん」
実央君はコクリと頷く。うわー、俺兄貴の横で二人のイチャつきを見せられるのかー。俺が実央君の隣りに座るという選択肢はないワケね。実は俺は姉貴から随時様子を報告するように仰せつかっている。でも加賀さんが絡まない場面を報告する必要があるのだろうか?兄貴が車で送迎すれば、電車内で実央君と加賀さんが隣り合って…という構図は避けられる訳で…。
実和子さんは目を細めて二人の様子を眺めていたが、
「これ、良かったら車の中で食べてね」
と、軽食を持たせてくれた。
「ありがとうございますお母さん、安全運転で実央を送り届けます、行ってきます」
今度は実和子さんに見送られて、俺たちは箱根に向けて出発した。
途中パーキングエリアで休憩した時は、例によって甲斐甲斐しく兄貴が実央君のサポートをした。なんとなく周囲の視線が兄貴達に集まるので、俺は少し離れて歩くことにした。近くの外国人が「Oh, what a lovely couple!」と言っていたのを、俺は知っている。
今日研修ご一行は箱根のホテルに15時到着予定。事前にホテルの人が頼んでおいてくれた外国人観光客数組に話を聞く予定らしい。時間を取らせるのはまずいので、1組長くても30分程度だ。俺たちは一行より少し早めに着いたので、ホテルのロビーで待っていた(俺も少しは運転したかったのに、させてもらえなかった…)。箱根湯本の駅からは少し奥まったところにあるが、大きくて落ち着いた雰囲気のいいホテルだ。15分程経って一行が入って来るのが見えた。
全員で15名、定員一杯だ。基本的には白川教授の研究室に属する3,4年生の希望者で先着順である。費用は各自負担だがホテルの厚意で安くしてもらっているらしい。
兄貴は立ち上がると、まず白川教授の前に立ち
「初めまして、理工学部の卒業生で広瀬暁人と申します。明石実央君の付き添いとして同行いたしました。今回はこちらの勝手な申し出を御了承頂き、ありがとうございます」
そう言って深々と頭を下げた。俺も
「こんにちは。お久しぶりです」
と頭を下げた。
「初めまして、白川です。今日はご苦労様。明石君が参加できて私もうれしいよ」
二人とも「初めまして」とは言ったが、実は兄貴は実央君のスマホを通じて今回のことを教授にお願いして了解を得ていたのだ。白川教授は俺が大学をサボったことはスルーしてくれた。実央君も挨拶をしている横で、女子学生たちがざわついている。みんな兄貴の方を見ている。
「ねえねえ」
三松さんが俺に寄ってきて言った。
「お兄さん、超イケメンじゃない、”例の写真”私も見たけれど、実物ハンパない」
「ははは…」
“例の写真”とはお姫様抱っこのアレだ。兄貴にも見せたがあまり気にしていないようだった。女子学生がきゃいきゃい言っている横で、今度は加賀さんが俺に近づいてきた。
「大学はサボりかい」
ぐう~、ホントのことなので何も言えない。
「兄弟そろって騎士気取りとは恐れ入るね、部屋は実央君と別なのかな」
嫌味を言ってきたので
「別です、常識ありますんで」
と、俺は返した。
「常識ねえ」
皮肉な笑みを浮かべると、加賀さんはチェックインの手続きをしに三松さんとフロントへ行ってしまった。二人がまとめ役らしい。確かに大学サボったのは、常識ないかもだけど…
「じゃあね、実央、研修頑張って。何かあったら呼ぶんだぞ」
兄貴は実央君の肩をポンとたたいた。
「はい」
(女子たちの「キャー」は何に対しての「キャー」なのか…)
俺たちもチェックインしていったん部屋に入った。部屋に向かう時実央君の方を窺ったが、女子たちに囲まれて何かを聞かれている様子だった。
箱根の夜1
「うおー、すげー」
ホテルとはいっても観光ホテルだから、仲居さんが付いてくれて部屋まで案内してくれた。通された部屋は二人には十分すぎる広さで、贅沢な造りで見晴らしも良かった。和室とは別に洋間があって、ベッドが二つ並んでいる。表には露天風呂も付いている。二人でも入れそうだ。本当のところ兄貴は実央君と泊まりたかっただろうなと、ちょっと申し訳ない気持ちになった。
「お夕食は何時になさいますか」
仲居さんに聞かれて
「篤紀、何時ごろ食べたい?」
と、兄貴が俺に確かめてきた。
「兄貴に任せるけど…結構ハラ減ってるかも」
「じゃあ6時半頃で」
「かしこまりました。では6時半にこちらにお持ち致します」
仲居さんはお茶を入れてくれた後挨拶をして下がっていった。一服すると
「ぶらっと近くを歩いてみるか。その後大浴場に行って、それからメシだな」
「部屋のお風呂は?」
「寝る前でも朝でもいいだろう、ここの大浴場は広いぞ」
兄貴がそう言うので、俺たちはホテルの近くを散策した。
「おーっ温泉饅頭うまそう、出来立てホカホカ、兄貴買ってよ」
「夕飯食えなくなるぞ」
笑ってそう言いつつも兄貴は饅頭を買ってくれた。こういう感じは久しぶりで年甲斐もなく俺ははしゃいでしまった。ホテルに戻って大浴場に行くと、立派な風呂がいくつもあった。研修御一行はまだのようだ。実央君と加賀さんが一緒にフロに入るかもしれないと思うと、ちょっとモヤっとした。
部屋に戻って涼んでいると
「失礼します。お食事の準備をさせて頂いてもよろしいですか」
と仲居さんが入ってきた。見事な料理の数々が並ぶ。
「うわ、うっま」
「篤紀もビール飲めたよな」
兄貴がビールを注いでくれる。時間差で新しい料理が運ばれてくる。お大名気分とはこのことだ。
「もう食えねー」
俺が仰向けになると
「行儀悪いぞ」
と兄貴に言われたが、仲居さんが笑顔で
「あとデザートをお持ちしますね」
と言ってくれた。
「明日もこんなの食えんのか―、オフクロや姉貴に申し訳ないなー」
「明日と言えば…どうしようか」
兄貴が地図やパンフレットを見始めた。
「実央君たち明日は観光施設や商業施設を回って話を聞いたり、観光の様子を観察すんだろ。俺らも付いてくの?」
「まさか…さすがにそこまでしたら迷惑だろう」
いや、兄貴ならやりかねないと思ってましたけど?
「伊豆の方でも足を延ばしてみるか。一日あれば結構回れるぞ」
「伊豆、いいねー、小さい頃行ったきりだ」
デザートは季節のフルーツとおしゃれなスイーツの盛り合わせ。唯ちゃんに食べさせてあげたい。食事を終えて明日の予定の相談をして、寝るまでにはまだ間があるのでホテルの売店に行くことにした。するとそこには研修御一行様が何人か買い物をしていた。実央君もいる。
「実央君」
俺は声を掛けたが、横には加賀さんもいた。お互い浴衣姿だ。実央君可愛いな…と俺が思ったくらいだから、兄貴も加賀さんも同じことを思っているだろう。
「篤紀君たちも買い物?」
実央君が寄ってくる。
「加賀さん…でしたか。昼間はちゃんとご挨拶ができなくて失礼しました。学際の時はお世話になりました」
「いえこちらこそ。実央君を送って頂いてありがとうございました」
俺と実央君の横で兄貴と加賀さんが挨拶をしている。挨拶をしているだけなのだが…なんだろう、なんかヒンヤリした空気が流れているような…
「暁人さん、浴衣姿ステキです」
実央君が褒めると
「実央も可愛いよ」
兄貴が言う。
「可愛いって…」
加賀さんが小さな声でそう言ってフッと笑う。なんだよ、お前だってそう思ってんだろーが!聞こえないフリして俺は実央君に話しかけた。
「足の具合はどう?」
「うん、温泉のおかげかちょっとラクになった」
「ここのお風呂すげーデカかったよな」
「あー、僕は内風呂にしたんだ。足のことで他の人に心配を掛けたくなくて。ここは内風呂も温泉だから」
加賀さんが実央君の裸を見なかったことには、正直ほっとした。
「そっか、残念だったな。また兄貴に連れてきてもらいなよ」
そう慰めて俺はちょっと声を低くした。
「ちなみに部屋割りは…」
「部屋?男子は4年生の3人が教授と同じ部屋で、3年生の5人で1部屋。女子7人は大きい部屋一つみたいだよ」
ヨシ、部屋も別だな。ひとまず安心だ。
「今日の研修どうだった?」
俺は続けて聞いた。
「うん、楽しかったよ。日本人なのに日本の知らないことが多くて、他の国の人にはそう見えてるんだって気付かされることがたくさんあった。ただ英会話をもっと勉強しないとなぁ。僕はあまり話せなかったから」
実央君は苦笑いした。
「加賀さんはすごいんだ、英語ペラペラなんだよ、みんなほとんど加賀さんに通訳してもらってた」
実央君…今加賀さんを褒めるのはちょっと…
「たいしたことないさ、以前少し留学していた経験があるくらいで」
何気にマウントを取ってくる加賀さん。どーせ俺は英語がダメダメだよ。
「実央君そろそろ…」
加賀さんが言いかけたので、俺は実央君の腕を引いて
「あー、アイスがある、実央君食わねえ?」
と、アイスのケースの方へ連れて行った。
「篤紀、ゆっくりな、実央がまた足を痛める」
「わかってるよ、おっ、ホテルオリジナルの最中アイスだって、うまそーじゃん」
さっきデザートの盛り合わせを食ったばかりなのだが…。実央君の分と2つ買おうと思って自分が財布を持って来ていないことに気が付いた。
「兄貴、お金」
振り向いて兄貴に頼む。
「まったく…」
兄貴は2人分払ってくれた。
「ごちそうさま」
実央君が言うと
「篤紀に付き合わせて悪いな」
兄貴が笑う。加賀さんから実央君を引き離そうとしての苦肉のアイスだったが、これが案外うまかった。
「あ、これおいしいよ兄貴、お土産にしようか」
「お持ち帰りは難しいですが、冷凍便での配送を承っておりますよ」
売店のお姉さんに言われた。
「へえ」
兄貴がアイスのケースをのぞき込む。
「食べてみますか?」
実央君が自分のアイスを兄貴に手渡そうとした。だが兄貴はそれを受け取らず、アイスを持った実央君の手をグイッと自分の口元に引き寄せた。一口アイスをかじると
「うん、うまいな」
そう言って、ぺろっと自分の唇を舐めた。瞬間的に周囲の空気が変わった。売店のお姉さんまで凝視している。
(…エロい…俺の兄貴がなんかエロい…)
そう思ってしまった。いや、なんか、BLでこんな場面見た気がするぞ(俺はあれからも時々BLを読んでいます)。実央君も顔を赤らめている。
「広瀬君、私ヘンな扉が開きそうだよ…」
いつの間にか隣にいた三松さんがそう囁いてきた。
「いや、三松さん、その扉開けない方がいいっす、多分」
「そう?」
そんな俺たちの会話は知らず、兄貴が
「母さんたちに送ろうか、何種類かあるからお前が選んでくれ」
と声を掛けてきたので、
「お、おう」
俺はアイスのケースに顔を向けた。なんで俺がドキドキしてるんだ。兄貴はしっかり実央君の家へもアイスの配送を頼んでいた。気が付くと加賀さんはいなくなっている。ムカついて部屋に戻ってしまったのかもしれない、ザマーミロ。兄貴と俺は実央君を部屋まで送っていった。
「お休み、実央」
兄貴はそう言うと実央君を抱き寄せる。俺は壁ですか?
「おやすみなさい」
実央君も照れながらそう言った。
次の日もお天気は快晴だった。よーし、今日は兄貴と伊豆ドライブだ。男二人では少々色気がないけどな。昼は海鮮丼を食って、少しは運転をさせてもらって…。来るべき唯ちゃんとのデートの参考にしよう。
「おはよう」
俺たちがフロントへ行くと、実央君たちは頼んであるマイクロバスを待っていた。加賀さんと三松さんは教授と打ち合わせをしている。
「今日もいい天気だね。伊豆へ行くんだっけ?いいなあ」
実央君が俺に言った。昨夜部屋に戻る途中、今日の予定を話したのだ。
「実央もまた連れて行くよ」
兄貴が微笑む。兄貴が来ると女子たちの視線が集まるのだが、兄貴は気が付かない。その視線は単純にイケメンへの注目なのか、はたまた別の興味によるものなのか。
それらしいバスがホテルの玄関の向こうに近づいてきた。
「それじゃあ…」
俺が実央君に言いかけた時、
「広瀬君」
俺を見つけた教授が声を掛けてきた。
「君も来るかね」
……ハァッ!?……
「せっかくここまで来たんだ、これからの勉強のために参加するといい」
「教授、それは…」
加賀さんが思わず口を挟む。加賀さんにとって俺は邪魔者だから、できるだけ排除したいだろう。
「今日は全部団体行動だし、バスにも余裕はあるだろう。別に追加料金が発生する訳ではないし。あ、昼食は自己負担だけどね」
教授が笑って言う。いや、俺は加賀さんとの思惑とは別に純粋に伊豆のドライブを楽しみたいのだが…海鮮丼も…。一行の視線が俺に集まる。実央君もじっと俺の方を見つめている。
「2年生が一人だけ参加するのは皆さんのご迷惑になるんじゃ…」
「そんなことないよ、明石君も加賀君も私も知ってるし、あの時研究室にいた人はキミのことわかってるし」
三松さんのありがたいフォローが入る。俺はみんなに意欲的な学生と思われてしまったのかもしれない。図らずも研究室突入が功を奏してしまったのだ。だがどうする、どうする俺。なんか最近こういうこと多くないか?バスが到着しているのでもたもたしてはいられない。
「大学の授業の代わりになるよ」
教授のダメ押しー!ソウデスヨネ、大学サボって来てるっておわかりですよねー。迷っている俺の横で
「頼む、篤紀」
兄貴が小声で言った。その声に押されて
「喜んで参加させて頂きます。飛び入りですがご迷惑が掛からないようにしますので、よろしくお願いします」
ちょっと弱々しい声で言って、俺は頭を下げた。パチパチと軽く拍手が起こる。頭を下げたままチラっと加賀さんの方を見たが、苦々しい感じで横を向いていた。ヨシ、これが正解か。
「篤紀、これメシ代な、おつりは返さなくていいから」
兄貴はそう言って俺に1万円札を渡してきた。あざす。
「じゃあまた、暁人さん」
「うん、気をつけてな実央、何かあったら篤紀を使え」
俺たち兄弟はその日別行動をとった。俺はバスに乗り込むと当然のように実央君の隣をキープした。加賀さんには渡さない。兄貴が俺に「頼む」と言ったのには思い当たる節があった。
昨夜俺たちは和室の方に布団を敷いてもらって、二人並んで寝た。洋間のベッドも悪くなかったが、普段がベッドなので、たまには布団で寝てみようということになったのだ。うちは早くから一人ずつの部屋を与えられていたので、兄貴と並んで寝るのは久しぶりだった。
(広瀬のおじいちゃんちへ行ったとき以来かな…)
俺がウトウトしかけた時
「なあ篤紀、加賀さんて…」
兄貴がボソッと言った。ギクリとして俺は一瞬目が冴えた。
「…いや…何でもない…おやすみ」
そのまま寝てしまった。兄貴が何を言おうとしていたのかはわからない。でもたぶん兄貴も加賀さんにはイヤな感じがしたんだろう。
(兄貴、その読みは当たってるよ)
俺はそう思ったが口には出さなかった。新社会人として頑張っている兄貴に余計な心配はかけたくなかった。そんなことを思い出しながら、俺は窓側に座って外を眺める実央君の横顔を見た。
(”魔性のオトコ”ねえ…)
研修とはいっても大涌谷などの観光名所も回るので、みんなそれなりに楽しめた。俺もカタコトの英語とスマホの翻訳機能を使って、外国人との接触を試みたりした。欧米人は気さくな人が多く、俺のつたない質問にも明るく答えてくれた。
「広瀬君、そのしぐさは欧米ではNGだからやめてあげて。あと”eat”の発音がおかしい。イットじゃないから」
「サーセン」
加賀さんからダメ出しされることもあった。すみませんね、語学力がなくて。海外旅行の経験がない訳ではないが、父さんや姉貴兄貴に頼りっぱなしだったので、身についていない。まあこれくらいの嫌がらせは甘んじて受けてやる(※嫌がらせではなくて注意です)
その日俺は実央君と加賀さんが二人きりにならないように、ほとんど実央君に張り付いていた。兄貴は運転が好きだから、今頃一人でドライブを楽しんでいるのかなあ。俺も少しは運転したかったな。海鮮丼も食いたかった…。昼飯ぐらいは兄貴のおごりで豪勢にしようかと思ったが、他のメンバーはみんな決められた定食だったので俺も同じようなものにしておいた。
スケジュールを終えてホテルに戻る途中、バスに揺られてさすがに眠くなってしまった。隣の実央君もうつらうつらしている。今夜の夕食も楽しみだな…ワインでも飲ませてもらおうかな…
箱根の夜2
その晩は夕食前に兄貴と部屋の露天風呂に入った。大浴場以外で兄貴と風呂とかガキのとき以来だ。
「星が見えてるな。今日はどうだった?」
「案外楽しかったよ。俺の英語は全然だったけどさ」
「昼はうまいもの食ったか」
「あー、それがさ、みんなおんなじ定食だったんだよ。俺だけ足柄牛のステーキ御膳とか頼めねーじゃん、だから生姜焼き定食にしといたわ。うまかったけどな。おつりで彼女や友達へのお土産買えたから、助かったよ」
「そうか」
「兄貴は?」
「俺はまあ定番のドライブコースを走ったよ。黄金崎とか良かったな。帰りに寄った山中城址も案外よかった」
「逆ナンされなかった?」
「された」
兄貴は笑った。されたのかよ、このイケメンが。それでも兄貴は俺たちより先にホテルに戻っていたから、やっぱり実央君のことが心配だったのかもしれない。ラ〇ンでやり取りはしてたみたいだけど。
「実央の足は大丈夫そうだったか」
「うん、足場の悪そうな所は俺が支えたし。移動はバスだったしな」
「そうか、ありがとな、そろそろ夕食が来るか」
兄貴はそう言って風呂から上がった。今日は昨日より1時間遅い夕食だった。
その日も豪華な料理がテーブルを飾った。当然夕べとはメニューを変えてあるが、洋食系が多いような気がした。
「なあ、ワイン飲んでもいい?」
兄貴にねだってみる。
「ああ、冷蔵庫にハーフサイズが入ってたな。それとも普通サイズ頼むか」
「ハーフでいい、俺飲んだことないから」
「白とロゼがあるけど、どちらがいい?赤なら仲居さんに頼むけど」
「わかんない」
「初心者なら白かロゼがいいか。無難なところで白にしとくか」
そういった兄貴は白ワインを開けてくれた。
「うまいっ、うまいよ兄貴。飲みやすいし」
「うん、うまいな。中口かな」
「ちゅうくち?」
「ワインにも辛さのレベルがあるんだよ、おおざっぱに言えば甘口・中口・辛口。赤だとライトボディ・ミディアムボディ・フルボディで分けるかな。葡萄の品種でも味が違うし、産地や収穫年でも変わるらしい。俺も詳しいわけじゃないんだけど、友達にワイン好きがいて蘊蓄聞かされたわ」
「俺大人になっても知らないことたくさんあるな」
「そういえば昨夜もビール飲んでて今更だけど、酒が飲める歳になったんだよな」
「そうだよ、まあ兄貴はちゃんとプレゼントくれたけど。18才が成人年齢になってハタチになっても感動が薄いというか」
俺は8月生まれだが、今年の夏は色々あって誕生日が見事にスルーされている。それでも兄貴だけはプレゼントを用意してくれていたのだ。姉貴はいまだに忘れているらしい。利息を付けてもらってやる。父さんからはオフクロ経由でキャッシュで頂きましたが、パーティーとかはナシだ。まあ今回兄貴にゴチになったからいいか。
美味しい料理にお酒が進み、結局ロゼワインのハーフも開けてしまった。
「ごめんな兄貴、節約してるのに贅沢しちゃって」
「なに言ってんだよ」
兄貴はほんとにいい男だと思う。俺は兄貴に対する劣等感が強いが、嫌いってわけじゃない。クラスの女子に「広瀬君のお兄さんカッコイイね」と褒められると、俺もなんだか嬉しかった。その兄貴が同性に恋をした。最初は驚いたし面白がっていたところも正直あった。でも兄貴の本気がわかって、オフクロにさんざん言われてもめげない兄貴をかっこいいと思って、俺も応援したいと心から思った。姉貴なんか最初から気合入りまくりだったしな。
「んー、酔ったな。仲居さん呼ぶ前にベッドに横になるか」
「使ってもいいの?」
「もちろんだよ、俺たちが使わなくてもリネンは取り換えると思うぞ」
兄貴がそう言うのでちょっとベッドで横になった。
「ふいー、気持ちいいな」
10分くらい経ったところで兄貴がフロントに電話して、膳を下げてもらうように頼んだ。
「俺ちょっと出てくるね」
「そうか?」
酔い覚ましにスポドリでも飲もうと、電子マネーのカードを持って廊下に出た。部屋の冷蔵庫にもあるが、割高なのでさすがに兄貴に悪いと思ったのだ。
(あー、自販機は何階だったかな)
俺は自販機のあるフロアまで降りてスポドリを買うと、横の椅子に腰かけてキャップを捻った。その時
「おや」
聞きなれた声がした。加賀さんだ。
「よく会うね」
加賀さんはまた皮肉そうに笑った。
「まあ僕を見張っているんだから、当然か」
「違いますよ」
俺は立ち上がって言った。
「違わないだろう、兄弟そろって実央君にベッタリ張り付いて」
うん、まあ今日は確かに張り付いてたけど。
「まさか今日の研修参加も計算のうちかい」
「違います、あれは白川教授に声を掛けられて偶然で。あんなこと計算できませんよ」
「どうだかな、裏から手を回してたりして」
酔っているのか、加賀さんは絡んできた。
「裏から手を回して応じるような人なんですか、白川教授は。あんた白川教授のこと尊敬してんじゃないのかよ」
俺も酔っていたので、先輩に対して言い方が乱暴になった。加賀さんはちょっと言葉に詰まった。
「兄貴は純粋に実央君の足が心配で付き添ったんだよ。まあ俺はオマケだけどさ。そうでなきゃ二人で1泊15万もする部屋に2泊もするかよ」(※お酒・お土産代別)
「はは…それだけ入れ上げるとは大したもんだな。今夜あたり実央君のところへ夜這いにでも行くんじゃないか。いや違うかな。君を追い出して今頃自分の部屋に実央君を引き入れて…」
「兄貴をバカにすんな。兄貴はそんな男じゃない」
「そんなこと言ったって、やることはやってるんだろう。何も知らない新入生に手を出して、さっさと自分のモノにして」
「夜這いしたいのは加賀さんの方じゃないんですか」
「なに」
「『大切にしようと思っていた』とか前に言ってたけど、そんなの臆病なだけじゃないですか。実央君が好きならさっさと告ればよかったんだ」
「在学中気まずくならないように、僕が卒業する時に言おうと思ってたんだよ」
「あんたそんなんだから兄貴に勝てないんだよ」
「!?」
「兄貴が実央君に一目惚れ…かどうかは知らないけれど、本気で好きになって告白して実央君に受け入れられたんだ。あんた自分がゲイだって自慢してきたけど(※自慢はしていません)、ゲイじゃない兄貴が同性の実央君に告白するのにどれだけの勇気と覚悟が必要だったと思ってんだ。ゲイであることを恥じていないんだったら堂々と告白すればいいし、兄貴と付き合ってたって奪うくらいの度胸見せればよかったんじゃないっすか。それを卒業したらとかなんとかグダグダ言って逃げて、そんなのただの根性ナシの言い訳だ!」
一気にぶちまけて、酔いがまた回ってきてふらついた。うぷ。加賀さんは俺の勢いにちょっと押されかかったが、
「実央君に受け入れられたって…本当にそうなのかな。君のお兄さんに対して実央君はよそよそしいじゃないか。敬語を使ったりして…」
「それは…先輩後輩の間柄だったからなかなかその雰囲気が抜けないだけだし、人前では気を遣ってんですよ。二人だけの時はそりゃあもうイチャイチャラブラブですよ!(知らんけど)それにね、うちと実央君のところはすでに家族ぐるみの付き合いなんです(約1名を除いて)。実央君のお母さんとうちの姉貴なんかもー仲良しさんで、しょっちゅう二人でどこかに出かけてますよ(※アイミの手伝いとかコラボカフェとかアニ〇イトとか)。父親同士も飲み友達で、父さんがアメリカから帰って来た時は必ず二人で飲み歩いてんすよ」
段々何を言ってるのかわからなくなってきた。
「ちょっと…うるさいんで、静かにしてもらえませんか」
近くの部屋のドアが少し開いて、中年の女性がきつめの口調で言ってきた。
「あ…スミマセン。気を付けます…」
俺は素直に謝って頭を下げた。女性の声を合図にしたように加賀さんは立ち去ってしまった。俺はスポドリを片手にふらつきながら自分の部屋に戻っていった。今何を喋ってたんだっけ…
部屋に戻ると膳は下げられ、すでに布団が敷かれていた。
「遅かったな、心配したぞ」
兄貴がほっとしたような顔で言った。
「ゴメン、椅子でスポドリ飲んでたらうとうとしちゃって」
加賀さんとの言い合いはもちろん話さなかった。
「そうか、もう休むか」
「そうだね、歯を磨いてくるわ」
兄貴と俺は早めに布団に入った。さっきのことを思い出しながら(あまり覚えていないんだが)、
「なあ、兄貴」
俺は声を掛けた。
「うん?」
「兄貴はさあ、実央君に一目惚れしたの?」
「ええ、なんだよいきなり」
兄貴はちょっと照れたみたいだ。
「そうだなあ、今考えると一目惚れかもなあ」
「…実央君は確かにかわいいけどさ、いずれはおじさんになるしおじいさんになるんだよ。兄貴はそれでもいいって思ったの?それでもずっと一緒にいられる?」
兄貴は少しの間黙っていた。
「怒った?」
恐る恐る俺が聞く。
「怒ってないよ、篤紀にしては深い質問だなと思って」
「やなこと聞いたよな」
「そんなことないさ、大事なことだよ」
「うん」
「俺だっておじさんにもおじいさんにもなるけどな」
兄貴はちょっとふざけたように笑って言った。まあ兄貴ならイケオジになるだろうし、イケてるおじいちゃんになるだろう。兄貴は口調を改めて語り始める。
「俺もね、正直けっこう悩んだ。気が付いた時はもう実央を好きになっていて、実央のことしか考えられなくなっていて。同性にこんな気持ちを抱いた自分が信じられなかったし、戸惑った。何かの勘違いじゃないかって思おうとした」
兄貴は静かに話し続ける。
「それでも実央への気持ちは消えなかった、消えるどころかますます強くなった。自分が実央以外の誰かと歩く未来なんて俺には想像できなくなった」
口調は静かなままだったが、兄貴の熱量はすげーなと思った。
「誰にも獲られたくないって思ったよ、男性にも女性にも。だから覚悟が決まった時実央に告白した」
獲ろうとしている男性、一人知ってます、俺。
「おじいちゃんになっても実央と一緒にいたいって言った」
兄貴はちょっと笑った。お兄様、最初の告白がまさかのプロポーズになってますが。
「そうしたら実央の方も俺が好きだって言ってくれた。ずっと一緒にいさせて下さいって」
実央君の方もかー、最初から両想いだったんですね。そして兄貴の「溺愛執着攻め」が始まるんですね。
「でも男女の仲だって先のことはわからないだろう?ましてや男同士だ。周りの見る目もキツイだろう」
特にうちのお母様がね。
「だから実央に言ったんだ。もし辛くなったら、男同士じゃ無理だって思ったら、正直に言ってほしいって。その時は実央を縛ることはしないからって」
ホントに?そんなに簡単に諦められる?
「実央にも言われた。俺がそう思ったときは言ってほしいって。自分は身を引くからって」
くーっ、実央君健気だな。健気受けってやつか。
「まあ俺の方はそんなことにはならないけどね」
さいですか。実央君幸せ者だね。
「だけど実際大変だったよ。俺も実央もゲイじゃないから。男同士の付き合い方がわからなくて。色々調べてさ」
うん、姉貴も調べたらしい。俺も比較的最近調べた。
「(ピーッ※自主規制)も簡単にはできないし、まあ色々やりようはあるんだけれど」
「せっ……」
俺の脳裏にBL漫画の描写のアレコレが一気に流れ込んできた。
「あ、ゴメンな、こんな話」
「イエ、大切なコトだよね」
正直俺自身はデートするのもキスするのもその先も、女の子がいい。兄貴には悪いけど、男同士でどうこうは考えられない。でも不思議と兄貴達がおかしいとは思わなかった。
「今時男同士じゃ入居できない物件とかあるんだぜ。ひどくないか。ゲイの知り合いとか身近にいたら相談できたのにな。まあいてもオープンにはしてないか」
それも一人知ってますよ、わりと近い所で。
「こういう話、姉貴とした?」
「そうだな、色々相談には乗ってもらったけれど、ここまでは話していないかな」
「そうなんだ」
俺はちょっと姉貴にマウントを取れた気がした。男同士の方が話せることってあるよな。
「でもだいぶ前に姉さんに聞かれたことがあってさ」
「何を?」
「どちらが”抱く側”なのかって」
「!?」
姉貴は何を聞いてんだ!?
「どうしてそんなことを知りたいんだって聞いたら、今後の対策のためだとかなんとか…」
「なんだ、ソレ。兄貴はその質問に答えたの?」
「………」
答えたんだな。一体どう答えたんだ。まあ普通に考えて兄貴が「攻め」だよな。BLを読んでると時々「えっ、そっち!?」という組み合わせがあるが、実際は難しいだろう(何が?)。
「でも姉さんには助けられてるよ、本当に。お見合い騒ぎの時なんかすごかったんだぞ」
「うん、実央君の家で話してたね。実和子さんも驚いてた」(※実は実和子さんも現場にいました)
「姉さんがあそこまでしてくれるとはなあ。俺は姉弟に恵まれた幸せ者だよ」
姉貴はまだ現在進行形で色んな事してますよ。最初は眠そうな兄貴だったが、話しているうちに目が覚めてきたのか
「部屋の露天風呂、また入るか」
と誘ってきた。
「次にこのホテルに来ることがあっても、さすがにこの部屋には泊まれないと思うぞ」
兄貴は可笑しそうに言う。
「そうだね、でも俺がめっちゃ稼いだら、次は奢るよ」
「楽しみに待ってるわ」
俺達はまた風呂に入ってくつろいだ。俺は先ほどの加賀さんとのやり取りを思い返していた。うろ覚えだけど兄貴の話と突き合わせると、俺の言ってたこと、けっこう的を射てたんじゃね?
最中アイス
最終日の研修では、午前中のチェックアウトの混雑が終わって比較的従業員の人の余裕があるときに色々話を聞いた。もちろん俺も参加した。フロントの人・レストランの人・リネンの交換や掃除をする人…仕事をしながら答えてくれる人もいた。インバウンドの需要はありがたいが、国によって考え方や習慣が違うから困ることも多いと言っていた。
兄貴はチェックアウトを先に済ませ、俺たちの研修が終わるまでソウウンジ?に行ってくると言っていた(※早雲寺です)。兄貴は理系のわりに史跡巡りとか案外好きなのだ。研修が終わったら連絡して迎えに来てもらうことになっている。一通り話を聞き終わった後ロビーに集合し、
「お疲れ様でした。日程はすべて終了です。ここで解散しますが、希望者は駅までホテルの車で送って下さるそうです。寄り道しながら帰る人は自由にして下さい」
三松さんが仕切って挨拶をした。最後に白川教授が
「皆さんご苦労様。色々な取材ができて楽しかったと思います。3年生は研修のレポートを楽しみにしていますよ」
と言うと、3年生の中から「うへぇー」という声と笑い声が上がった。俺は書かなくていいんだよね?
「3年生は就活も始まっていて大変だと思いますが、頑張って下さい。4年生も書いても構いませんよ、広瀬君、君もね」
「えっ」
俺が驚いて大きな声を出したので、みんな一斉に笑った。ただ一人加賀さんだけが無表情だった。
解散してしばらくすると兄貴の車が玄関先に見えた。
「実央君、行こう、兄貴が来たよ」
「うん」
実央君は嬉しそうに頷く。俺が二人分の荷物を持って立とうとしたとき
「加賀さん、それじゃあお先に失礼します」
ホテルの送迎車を待っていた加賀さんに挨拶した。教授や三松さんは先の車ですでに発っている。
「ああ、お疲れ様実央君」
昨夜のことがあって気まずいのか、加賀さんはそれだけ言って俺たちを見送った。俺も頭を軽く下げただけだった。
(兄貴と実央君は最初っから両想いだったんだ、お前の出る幕はない)
先輩にお前呼ばわりはマズイかもだが、心の呟きなので許してもらおう(※面と向かってすでに”あんた”呼ばわりしています)
俺たちは途中で軽い昼食を取り、まず実央君の家に向かった。俺は車の中で「3年生は就活が…」という白川教授の言葉を思い出していた。そうだよな、実央君も就活が始まってるんだよな。実央君は俺とは就活のことを話題にしないけど、兄貴とは話しているんだろう。どこが希望なんだろうか。ひょっとして兄貴と同じ会社?
大室精密も技術職や研究職だけってわけじゃないから、総合職とか一般職での応募も可能だろう。営業とかどうかな?いやだめだ、営業でトップを競う二人は大体恋に落ちる…いっそ兄貴に永久就職?BLってやたら家事能力の高い男子が出てくるよな。実央君はどうだろう。実央君が永久就職してくれたら、兄貴は小躍りして喜びそうだな。見てみたいぞ、兄貴の小躍り…などと考えていたら、明石家に到着した。
「お帰りなさい、お疲れ様。暁人さんも篤紀君も本当にありがとう。実央がお世話になったわね」
実和子さんが明るく出迎えてくれた。
「ただいま、お母さん」
「実央、足の具合は大丈夫?」
「大丈夫だよ、暁人さんと篤紀君が色々助けてくれたし、温泉も入ったし」
「おかあさん、これ箱根と伊豆のお土産です。お父さんに地酒とワサビの茎漬け、前にお好きだっておっしゃってたんで。こちらはお母さんに…漬物と定番のスイーツですけど」
「まあこんなにたくさん…今朝ホテルから最中アイスも届いたのよ。そんなに気を遣わなくてもいいのに」
兄貴はほんとにぬかりない。実央君のお父さんは現在「二人を見守る」ポジだが、実和子さんほど積極的に応援しているわけでもない。俺たちと違って実央君は一人っ子だから無理もないのだが。そのお父さんの心証をよくするため、程よい心配りを見せてるわけだ。
「暁人さん、これ」
そう言って実和子さんは封筒を差し出す。
「ガソリン代と高速代の足しにして。少しだけれど」
「そんな…俺が勝手にやったことなので、頂けません」
兄貴は手を振って断ったが、
「いいのよ、実央との生活のために貯金しているんでしょう?宿泊費だってかかっているんだし」
実和子さんは強引に封筒を兄貴に握らせた。
「それじゃあ、ありがたく…お心遣い痛み入ります」
兄貴も素直に受け取った。実央君も実和子さんも、俺たちが1泊15万もする部屋に泊まったとは知らない。知ったらえらいことになりそうだなと思った。
実央君の荷物を運ぼうとする兄貴に
「俺こっちで実和子さんと話しているから、玄関で実央君をギューッてしてきていいぞ」
と小声で囁いた。
「お前なあ」
兄貴は苦笑いしたが、玄関に荷物を置いた途端ほんとにギューッと実央君を抱きしめていた。いや、するのかよ。俺は実和子さんと旅の話をしながら兄貴達の様子を窺っていた。実は実和子さんもチラチラと玄関の奥を見ていた。その温かい微笑みに
(この人は本当に心が広いなあ…)
と、俺はつくづく感心した。オフクロとは大違いだ。
実央君を抱きしめる兄貴は嬉しそうというよりも離れがたいといった感じで、切ない表情をしている。俺は思わずキュンとした。ホテルの売店で実央君の最中アイスをかじった時も、本当は実央君をアイスごと食べちゃいたかったんだろうなと思ったりもした(※発想がBLになっています)。
「また改めてお礼をさせてね、暁人さんにもそう伝えておいて」
実和子さんは俺にそう言った。
明石家を発ってそろそろ我が家に着こうかという時、最寄りの駅近くのコンビニで車を停めた兄貴が
「じゃあ篤紀、この辺で降りてくれ」
と、俺に言った。
「はあ?うちまで行くんじゃないの?」
「一緒に帰ったらおかしいだろう」
「あ」
「時間ずらしてくれな、悪いけど」
家を出るときはついでに俺を送っていくという体だったけど、出張と研修の二人が一緒に車で帰ったらさすがにオフクロも怪しむだろう。
「あ、最中アイスは?」
実央君の家へ届いたということは、多分うちにも届いている。
「うちへはちゃんとお前の名前で出しただろ」
そうだった。アイスの発送を頼んだ時うちの分だけ兄貴は俺に伝票を書かせたのだ。「お前の名前にしとけよ」と念押しして。スキがないよなあ。
「兄貴のお土産はどうすんの、行き先は名古屋ってことにしてるんだろ」
「あー、それな。事前に名古屋からお取り寄せでもしようかと思ったんだけれど、あまり小細工するとボロが出るから忙しくて買えなかったってことにする。それで途中の静岡で買って来たって」
なるほど、それなら伊豆で買ったお土産でも不自然ではないな。
「もうちょっと家の近くで下ろしてくれても…」
俺はゴネたが、
「ご近所さんに見られたら厄介だろ」
兄貴にそう言われて俺は渋々トランクから自分の荷物とお土産を取り出した。トランクには兄貴の買ったお土産が多めに入っている。きっと職場に配るつもりなんだろうな。社会人の気遣いも大変だ。
「ほら、これ」
兄貴は車を出す前に俺に2千円を手渡した。
「なにこれ」
「タクシー代、この辺からうちまでなら足りるだろ。荷物があって大変だからタクシー使って帰って来い」
ホント―にうちのお兄様はソツも抜かりもない優秀な男でございます。
「篤紀―、あんたホントに持ってるわー」
姉貴はおかしそうにケタケタと笑う。手には俺が送った(厳密には兄貴が送った)最中アイスを持っている。隣にはなぜかアイミさんもいて、こちらもアイスを食べている。箱根研修の事後報告?のため、うちの居間で3人で話しているのだ。12月に入っているが、暖かい部屋で食べるアイスはうまいらしい。
アイミさんがうちに来たのは初めてだという。実は今オフクロが旅行中だ。息子たちの外泊で旅心が刺激されたのか、茶道仲間と一緒に長野へ行っている。昨日兼山さんという人が迎えに来て、楽し気に出掛けて行った。
「持ってるってなんだよ」
「いやだって、研修だってウソついて大学サボってまで箱根に行ったのに、結局研修に参加させられてレポートまで書かされんでしょ?」
「レポートは書くかどうかはわかんないけど…」
「それにしても暁人君奮発したね、二人で1泊15万を2泊だって?ウラヤマシイなあ。私も行ってみたいな。愛の力はすごいわねえ」
アイミさんは感心している。
「そりゃあ最高っすよ。部屋は豪華で風呂付きだし料理なんかめっちゃウマかったし。俺初めてワイン飲んだけれど、すげーおいしかった!」
俺は興奮気味に答えて、ふとテーブルの上に気が付いた。
「アイミさん、それは?」
「ん?レコーダーだよ。篤紀君の話を録音してんの」
「なんで?」
「取材だよ」
…俺の箱根研修もどきの話がなんの役に立つのだろうか。研修そのものの話は聞かれていないし、どちらかというと兄貴や実央君の話?
「そのノートは?」
アイミさんはレコーダーとは別に、アイス片手に自分で何かノートに書いていた。何を書いてるかは俺からは見えない。
「アイディアだよ。浮かんだらすぐに書いておかないと忘れちゃうからね」
「アイミさんはどんな記事書いてるんですか?俺読んでみたいんだけど」(※BL漫画です)
「あんたにはまだちょっと難しいかな。まあそのうちにね」
姉貴はそう言ってなんかごまかしたが、
「それにしてもこの最中アイスおいしいわね。ホテルのサイトで買えるみたいだから、追加でお取り寄せしようかしら」
と、まじまじとアイスの袋を見た。
「まー、実央君を加賀さんからひき離そうとして食った苦肉のアイスだけどな」
「そうよ、もっと何か話はないの」
「話って…」
俺は2泊目の夜兄貴と話したことは、オフレコにしようと決めている。
「実央君のアイスを食った兄貴がエロくて、みんなが見てたとか?」
「なにそれ、もっと詳しく」
「えー」
「あんた私を差し置いておいしい思いをしたんだから、報告義務ってものがあるでしょう」
「姉貴はもともと会社だったじゃんか」
「うるさいわね、大学サボったことお母さんにバラすわよ。あんたたちが箱根にいる間お母さんが不審な行動取らないように気を配っていたんだからね」
仕方ないので俺は売店での話をした。
「それはいい見せつけになったわね」
アイミさんが言う。
「あとはー2日目の夜俺と加賀さんがやり合ったんだけどー」
「やり合ったとは!?」
二人して身を乗り出してくる。さすがに加賀さんにも悪いので、詳細を話すつもりはない。というか酔っていたので詳細は覚えていない。
「それが…どっちも酔っててあんまり覚えてなくて…」
「何よ、肝心なところを」
「何か加賀さんに言われてムッとしたんだよな、それで加賀さんは兄貴には勝てないぞーみたいなことは言った気がする」(※”あんた”呼ばわりしてました)
「だーかーらー、どういう流れで」
「んー、好きだったら奪えばいいのに度胸がないとか、兄貴には覚悟があるんだとかそんなコト言ったような…」
「もー、役に立たないわね」
え、ひどくない?
「綾乃大丈夫だよ、あとは想像で埋めるから」
アイミさんが言った。「ソウゾウデウメル」とは?姉貴の勢いに押されていたが、俺は大事なことを思い出した。
「姉貴、俺の誕生日忘れてただろ」
「はあ?何よいきなり」
「はあ?じゃねーよ。父さんたちや兄貴からはプレゼントもらったぞ。姉貴だけスルーしてんだからな。俺は姉貴にちゃんとプレゼント渡したし」
「ハンカチ1枚でなに威張ってんのよ。8月は問題が色々あって大変だったから、忘れてたのよ」
「大変だったのは主に俺だろーが。現金でもいいぞ、あ、バイト代は別だからな」
「あんたねえ、あんたこそ暁人に何あげたのよ」
「え」
「暁人の誕生日よ、あれは蠍座で…11月よね、まあ私も忘れてたけどさ」
…そうでした。俺の誕生日の話が出た時、兄貴は自分のことは言わなかった。誕生月だったにもかかわらず…。人間の出来が違う…。
「あんたも人のことは言えないってことよね。まあ暁人は実央君を頂けばそれでいいんでしょうけど」
姉貴、助詞がおかしい。実央君「を」ではなく実央君「から」ですよね。
お礼の宴
12月に入るとなんとなく世間は落ち着かなくなってくるが、大学の後期試験は冬休み明けなのでとりあえず年内はのんびり過ごせそうだ。今年のクリスマスは唯ちゃんとデートの予定もある。そんななか実和子さんがどうしても兄貴と俺にお礼がしたいというので、ある週末に実央君の家でごちそうになることになった。
「会社や大学まで休んで3日間も実央に付き添ってもらったし、お土産もたくさん頂いたし」
と、実和子さんはえらく恐縮しているのだ。当日は電車とタクシーで実央君の家まで行った。車だとお酒が飲めないからだ。
「タクシー代を出してもらって言うのもアレだけど、なんで姉貴も来るんだよ」
「なによ、私が来たらダメなの?」
兄貴のお見合い大撃破の報告会の時は、俺が同じことを言われたのでお返しだ。
「実和子さんは兄貴と俺にお礼をしたいって言ったんだぞ」
「私だってお母さんのお目付けしてたって言ったでしょ」
「お目付けって言ったってほとんど会社に行ってたんだろ」
「まあまあ、綾乃さんも来てって私が言ったのよ、楽しいから」
実和子さんがフォローに入る。
「ホラごらん、私と実和子さんはあんたなんかよりずっと深い付き合いをしてるんだからね」
なんだよ深い付き合いって…(※腐女子の付き合いです)。ところで肝心の兄貴の姿がまだない。実は急な仕事が入って午前中だけ出勤になったのだ。兄貴が言うところの「徳を積む」ってやつだろう。有休を取った手前、断りにくかったんだろうな。「約束の時間には間に合わせるから」と兄貴は言っていたが…。
実央君は兄貴がまだ来ないのでソワソワと落ち着かない。可愛いな、これが「萌え」ってやつなのか。実央君のお父さんはうちの父さんとは仲がいいが、こういう場には同席してくれない。
「照れくさいのよ、今日もゴルフだからとか言って。でも暁人さんを嫌ってるわけじゃないの」
実和子さんは笑う。確かにもし実央君が女の子だったら、兄貴はこれ以上ない優良物件・婿がねってやつだ。まあ姑には難ありだけど。姉貴が前に「お母さんは実央君が女の子でも難癖つけるタイプ」と言っていた。
「遅れてすみません」
俺たちより30分くらい遅れて兄貴が到着した。
「いいのよ気にしなくて、親しい仲なんだから」
実和子さんが出迎える。
「これ、会社近くの店で選んだんですけど」
兄貴が紙袋から手土産を取り出す。
「あら、さっき綾乃さんたちからも頂いたのよ。お礼に招いたのにかえって申し訳ないわ」
「暁人さん」
実和子さんの後ろからひょっこり実央君が顔を出す。
「実央、足の具合はどうだ」
「だいぶよくなりました。もうほとんど普通に歩けてます」
「そうか、よかった。捻挫は拗らせると大変だから」
「暁人、これ、頼まれてた着替え」
姉貴が兄貴に紙袋を渡す。兄貴は当然スーツ姿のままだ。
「ありがとう姉さん、助かった。実央の部屋で着替えてくるわ」
そう言って兄貴はネクタイを緩める。かっけーな、ネクタイを緩めるしぐさって…ネクタイを…
「あ、兄貴、そのネクタイ…」
「あ、これか?実央が誕生日にくれたんだよ。いいだろ?就職祝いと同じになるけど一番使うものだからって。今日初めて締めたんだよ」
見覚えのある柄だった。そう、加賀さんに選んだのと同じネクタイだ。さすがに色は違っていたが…もちろん兄貴はそんなことは知らない。
「暁人さん?」
階段の途中で実央君が声を掛ける。実央君の部屋は2階なのだ。
「ああ、今行く」
兄貴は紙袋を持って2階へ上がっていった。
(魔性のオトコ…)
もちろん加賀さんのネクタイは実央君が選んだだけで、贈ったものではない。多分その時にいい柄だと思って色違いを兄貴に贈ったのだろう。他意はない…ないはずなんだが…フクザツな気分ではある。仕方ないか、実央君は加賀さんの気持ちを知らないんだから。兄貴も実央君に見せたくて今日締めてきたんだろうな。ネクタイは首根っこを押さえるとか何とか姉貴が言ってたけど、すでに2本も送った実央君は無意識に兄貴の首根っこを押さえてるってことか。
俺は加賀さんとはあれから直接接触はしていない。三松さんに会うと「研究室においでよ」と言ってくれるが、俺は足を向けていない。でも実央君と加賀さんが歩く姿はあまり見かけなくなったように思う。俺があの晩加賀さんに言ったことが効いたのだろうか。俺は一体何を言ったんだろう。まあ加賀さんも就職に向けて忙しいのかもしれない。正直一件落着したのかなと俺は思っている。今日は明るい気分で宴会を楽しめそうだ。
実和子さんはお寿司をとってくれたり、手料理を振る舞ってくれたりした。宴もたけなわになった頃、
「それにしても広瀬さんのところは姉兄弟仲が良くていいわね。お互いを大事に思って助け合って…実央は一人っ子だから羨ましいでしょ」
と実和子さんが言いだした。お世辞でないのはわかる。わかるけど、いやー、実和子さん、それはケースバイケースですよ。特に姉貴は俺に対する扱いがヒドイっすからね。
「実央君は?小さい頃はどんな感じ?」
姉貴が聞く。
「実央はねえ、ちょっと引っ込み思案で」
「小さい頃のアルバムとかは?あー、今はデータ保存か、PCの中かな」
「あるわよ、アルバム。実央が小さい頃夫が写真に凝ってね、実央ばかりを撮って昭和っぽいアルバム作ってたわ」
「えー、見たい、絶対可愛いよね」
姉貴がはしゃぐように言った。
「俺も見たい」
兄貴も食いつく。
「え、兄貴見たことなかったの?」
「そういえばなかったな。目の前の実央が十分可愛いから、その発想がなかった」
兄貴は大真面目な顔でそういった。姉貴と俺は思わず顔を見合わせる。
「そうね、見てもらいたいわ。ちょっと探してくるわね、どこにしまったかしら」
「お母さん、僕も手伝う」
実和子さんと実央君が2階に上がってしまったので、図らずも宴席は俺たち姉兄弟だけになった。
「写真ていえばさ、箱根の写真、なんかいいのないの?見せてもらってないけど」
「あまり撮らなかったけどなあ」
「暁人と実央君のツーショとかないの?エロい暁人とか」
「なんだ、そりゃ」
「ちょっと、待って…」
俺はスマホのフォトをスクロールする。唯ちゃんとの写真とかも結構ある。
「ちょっと待て、篤紀」
「え」
兄貴がいきなり俺のスマホを取り上げた。
「なんだこれは」
「あ…」
兄貴が見つけたのは、夏に俺が隠し撮りした実央君と加賀さんとのツーショットだった。アイミさんが恋人同士に見えると言ってた、あの写真だ。
「どういうことだ、これは」
兄貴のカオ、マジで怖いんですけど。姉貴に助けを求めようと振り向いたが知らん顔している。姉貴に命じられて撮った写真なのに、ほんとーにヒドイ。俺はしどろもどろになって答えた。
「ええと…大学での実央君の写真を兄貴に送ろうかと思って…」
「送られてきてないよな、それにどうしてこの男と並んでるんだ」
「そ、それは何人かいたんだけれど、たまたま二人だけ写っちゃって…」
苦しい言い訳だ。引きで撮った写真には周りに人はいない。
「ごめん、俺写真が下手でさ。トリミングして実央君の写真だけ兄貴に送ろうと思ってたんだけれど、忘れちゃってて…」
実央君、早く戻ってこないかな。いや、戻らない方がいいのか、これ。
「なーに熱くなってんのよ、暁人、篤紀の写真下手なんて今に始まったことじゃないでしょう?」
ここでやっと姉貴が救いの手を差し伸べてくれた。
「それに男とツーショットでそんなに目くじら立てる?女の子と一緒なら怒るのもわかるけどさ。研究室の先輩なんだから一緒に構内を歩いてたって何もおかしくないじゃない」
お姉様、ありがとう…
「姉さんは加賀さんのこと知ってるのか、研究室の先輩だって」
「う…いや、前に篤紀に聞いてたからそうかなって。ほら、実央君がケガしたときにかばんを運んでくれたって言ってたから。そもそも篤紀はね、暁人のために滅多に2年生が入らない研究室へ行って実央君の様子を探…確かめに行ったのよ、変わったことはないかな、うまくやれてるかなって。大体研究室のシステムなんて理工学部も似たようなもんでしょ」
姉貴は迫力で押し切ろうとしている。
「…そうなのか、篤紀」
「う、うん…」
「疑うんなら実央君にも聞いてみるといいわ。箱根で白川教授…だっけ?に声を掛けられたのだって、篤紀が研究室へ行って顔と名前を認識してもらっていたからよ」
俺も箱根では「お久しぶりです」って教授に挨拶したしな。それでも兄貴は考えこんでいる。姉貴があまりにも諸事情を知り過ぎているのは、俺もどうかと思うけど。
兄貴―、箱根ではあんなに優しかったじゃん、男同士で色々語り合ったじゃん。これくらいさらっと流してくれよー。
そこへ実央君と実和子さんが戻ってきた。
「お待たせ、アルバムがなかなか見つからなくて。楽しそうだね、何の話?」
実央君にはこれが楽しそうに見えるの?兄貴はコワイ顔してるよ?
「実央、2年生はあまり研究室へは行かないのか?」
「え、うん」
兄貴の唐突な質問に実央君はちょっとびっくりしている。
「そうそう、いつだったかいきなり篤紀君が研究室に来たときは驚いたよ。来年白川教授の研究室を希望してるって。教授も喜んでた」
「実央のことが心配だったらしい」
「えっ、そうだったの?僕のことが心配って…」
実央君は少し不思議に思ったらしい。正確に言うと実央君に対する加賀さんの動向が心配で、ということだ。
「あ、白川教授の研究室に入りたいのも本当だよ」
教授に失礼なので、俺は一応付け加えておいた。向こうで姉貴と実和子さんがぼそぼそ話している。
「実央は幸せねえ、暁人さんだけじゃなく綾乃さんや篤紀君にまで大事にされて。私も本当にありがたいわ」
実和子さんがちょっと大げさに言う横で
「うわー、カワイイ!女の子みたい!」
アルバムを開いた姉貴が大きな声を上げた。兄貴もそちらへ顔を向ける。
「ほんとにかわいいな…」
ヨシ!兄貴の気が逸れたぞ。ちょっと安心して俺もアルバムを覗き込む。小さい頃の実央君はホントに可愛かった。「女の子みたい」というより女の子にしか見えなかった。
「おじいちゃん・おばあちゃんたちも可愛い服ばかり買ってきちゃってねえ」
実和子さんが懐かしそうに話す。これがBLだと女の子みたいに可愛かった子が、成長して長身イケメンになって再会した幼馴染みと…となりそうだが、実央君の場合はそのまま大きくなったみたいだな。しばし実央君の子供時代の話で盛り上がっていたが、
「あ、そうだ、写真ていえば…」
実央君が自分のスマホをおもむろに取り出した。あ、またなんかイヤな予感がする…
「これ、三松さんが送ってくれたんだ。篤紀君にもあげてって」
実央君がみんなに見せたのは箱根の2日目、研修が終わってバスで帰るときの写真だった。
「あら、まあ」
疲れて眠ってしまった実央君と俺が、お互いにもたれかかって眠っている。俺の方が背が高いので、上から実央君に寄りかかる形になっている。実央君、今その写真出すかなー。おそるおそる兄貴の方を見ると案の定苦い顔をしている。三松さんのコメントには「あんまりカワイイから撮っちゃいました、ゴメンネ、てへぺろ」とあった。「てへぺろ」じゃねーよ、三松さんっ!
「兄貴…これは…疲れてつい眠っちゃって、こういう体勢になってるって気付かなくて…」
どうやら兄貴は女の人より男が実央君に絡むのが嫌らしい。確かにBLでも嫉妬深い攻めは多いよな。もしかするとあの晩加賀さんが俺に絡んできたのも、これのせいなのか?俺が言い訳しているというのに、
「篤紀君のスマホにも送っておくね」
実央君は無邪気に言う。
「ウン、アリガトウネ…」
「三松さんてね、みんなに『研究室の三松さん』て呼ばれてるんだ。いつも研究室にいて、みんなのお姉さんみたいな感じで…」
実央君が三松さんの解説をしているが、あまり頭に入ってこない。
「篤紀…」
「ハイ…」
「さっきの写真、全部俺のスマホに送っとけ、トリミングしてな」
「ハイ…」
「それから今のバスの写真も」
「ハイ…トリミングして?」
兄貴は少し考えて
「いや、今のはそのままでいい」
と言った。俺の顔はトリミングしなくていいんだ?自分の顔でも貼り付けるのか?
「二人とも可愛いわねえ」
実和子さんと姉貴がワイワイ話している。姉貴からもバスの写真を送るよう後で命じられた。その日俺は酒の酔いとは別の理由で、ぐったりして帰宅した(てか、途中から酔えなかったし)。
余談だが、この日実央君の子供時代のアルバムを兄貴がいたく褒めたため、それを聞いた実央君のお父さんは至極ご機嫌だったという。兄貴の婿ポイントが少し上昇したことは、せめてもの救いだった。
もひとつ余談だが、なぜか兄貴はバスの居眠り写真をそのままスマホの待ち受けにしたらしい。そのため職場でブラコン認定されてしまったそうだ。
実央君の家へ行った後、兄貴の様子は普通だった。特に不機嫌そうではない。むしろ俺に
「ヘンな絡み方して悪かったな」
と謝ってくれた。姉貴と俺のあの説明に納得したのかどうかは、甚だ疑問だが。ちなみに兄貴へは「遅れてゴメン」と革のベルトを誕プレとして渡した。
「大事に使うな」
と言って兄貴は喜んでくれた。姉貴から俺への4か月遅れの誕プレはロゼのスパークリングワイン1本と金一封、それに『上手な写真の撮り方』という本だった。嬉しかねーわ、こんな本。バイト代は加賀さんが卒業して実央君の危機が完全に去ったら払ってくれるということだった。
俺は多分来年白川教授の研究室に入ることになるだろう。これまでの経緯を考えればそうせざるを得ない。ま、特に他に希望があったわけではないからいいんだけどね(※大概失礼です)。それに実央君もいるし。どうせ姉貴に命令されるだろうし。
こんな感じで俺の日常も平穏に戻りつつある。冬休み開けの試験は憂鬱だけどな。冬は本格的な寒さになって、キャンパスにも冷たい風が吹いていた。
「篤紀―、カラオケ行かねえ」
唯ちゃんと歩いていると、向こうから海里達が声を掛けてきた。
「唯ちゃんも一緒にさー、あ、いっそ合コンにすっか」
3人はじゃれながらこちらへ歩いてくる。優也が海里に抱きついて、海里がそれをウザがって、横で智が笑っている。えーと…なんかの映像が流れ込んできたような?
「仲いいねえ」
唯ちゃんが笑う。
(海里はノンケだが、実は優也は海里が好きで、優也が好きな智は複雑な気持ちで二人を眺めている…)
って、友達でBL妄想するな俺―っ。
近づいてきた海里は
「ねえねえ唯ちゃん、女子のメンツ集められねえ?合コンにしてカラオケ行こうよ」
そう唯ちゃんに声を掛ける。
「あ、もちろん篤紀と唯ちゃんのジャマはしないからさ」
海里の横で智は複雑な笑いを浮かべている。智は合コンとかが苦手なのだ。彼女は欲しいみたいだが複数人でのノリに付いていけないらしい。BLにもよくいるよな、合コンが苦手なやつ。
「ねえ」
みんなでワイワイやっていると、唯ちゃんが俺を小突いてきた。
「あれ」
見ると、離れたところを加賀さんと実央君が歩いている。唯ちゃんは腐女子ではないが、加賀さんが実央君に気があるのではと疑っているのだ。二人でいるのを見るのは久しぶりだ。俺が箱根であれだけ言ったのに、まだ諦めていないのかよ(※言った内容はあまり覚えていません)。とは言っても構内じゃ滅多なことはできないだろう。アイミさんが言ってた「謎の空き教室」のイミもなんとなくわかったが、現実ではムリだろう。加賀さんみたいなの「当て馬」ポジっていうんだよな。BLの当て馬だとけっこうかっこいい奴もいて、ちょっと応援したくなったり…いや、しない。間違っても加賀さんは応援しない。兄貴にシメられる…。
念のため言っておくと、俺はゲイの人を悪く言うつもりは全くない。ただ加賀さんの立ち位置が兄貴と実央君にとって非常に目障りというか邪魔なので、さっさと撤退してほしいだけだ(※これも結構失礼です)
「とりあえずミ〇ドかマ〇ク行かない?」
智が言う。合コンは回避したいんだな。優也が女の子と仲良くなるのを見たくない…じゃなくてー!
俺は現実の状況をいちいち脳内BL変換してしまう自分に困惑していた。禁断の扉を開けてしまったあの日から、俺はずっとBLを読んでいる。初めはお試しや無料版だけだったのが、結局購入するようになってしまい、お気に入りの作家さんやシリーズができ始めている今日この頃だ。
最近では会川みい先生に注目している。まだデビューして日が浅いらしく作品数は少ないが、なんとなく俺のツボにはまるのだ。作家買い決定だな。オフクロには最近電子書籍の引き落としが多いと追究されたが、「参考資料を買っている」ととんでもないウソを吐いている。まあ兄貴のための参考資料と言えないこともないが…。
「なあなあどうするよ、篤紀がいないとつまんねーし。てかここに立ってるの、さみーよ」」
海里が聞いてくる。一応断っておくと、俺は自分ではBL妄想は決してしない。ムリだし。いくら年下ワンコ攻め認定されたって、ムリなもんはムリ。妄想なら唯ちゃんでお願いします。対象はあくまで他の人(身内含む)。
「そうだなあ、まあ合コンはまた今度にしない?」
俺が言うと、海里は
「えー」
と不満顔だったが、智はホッとした様子だった。
「んじゃ、とりあえず構内のカフェに行くか」
優也がみんなを促した。うん、まだしばらく妄想できそうかな。
実央君たちの姿はいつの間にか見えなくなっていた。みんなとカフェに向かいながら、また色々と思い浮かべる俺。俺はまだこの時知らなかった。世の中には「腐男子」という言葉もあることを。
終わり
1作目を書いているときに2作目のアイディアが浮かび、2作目を書いているときに3作目のアイディアが浮かびました。話がだんだん長くなってしまっていますが、お楽しみ頂けたら幸いです。




