表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

婚約者様が余命わずか(嘘)の妹に入れ込んでいるので、私は田舎で猫とスローライフを満喫したいと思います!

作者: ヨルノソラ
掲載日:2026/04/09

 深夜の応接間。


 私を呼び出した父は、ふかふかの革張りソファに深く腰を沈め、威圧的な視線をこちらに向けていた。

 その対面では、私の婚約者であるはずのギルベルト様が、妹のオリヴィアを庇うようにして肩を抱き寄せている。


 徹夜続きで重い足取りを引きずってやってきた私とは対照的に、オリヴィアは長椅子の上で可憐に青ざめた顔を作っている。小刻みに震える肩はいかにもか弱げだが、ギルベルト様の上着を握りしめるその指先は力強かった。


「……お呼びでしょうか、お父様」


 あえて平静を装って声をかけると、父は机の上で両手を組み、重々しい溜息をついた。その手元には、物々しい封蝋が施された一枚の羊皮紙が置かれている。


「ルミーナ、そこに座れ。……お前にはほとほと呆れ果てたぞ」


「えっと……?」


「とぼけるな。お前は長女として、病に伏せるオリヴィアを労るべき立場でありながら、日頃から冷酷な言葉を浴びせ、虐げてきたそうだな」


 心底軽蔑しきったような父の言葉に、私は思わず眉をひそめた。


「……身に覚えがございませんわ。そもそも、私が深夜まで自室にこもっていたのは——」


「言い訳など聞く気はない!」


 父の怒声が響く。


「オリヴィアの命は、もう長くないのだぞ! それを知りながら、お前は妹の看病を一切手伝わず、己の部屋に引きこもっていた。挙句の果てに、酷い言葉でこの子を何度も泣かせたとな……血の通った人間のすることか!」


(命が長くない? ああ、オリヴィアがモグリのヤブ医者に大金を積んで書かせたあの『偽の診断書』を、まだ信じ切っているのか……)


 それに、私が深夜まで自室にこもっていたのは、他でもない父とギルベルト様が「自分たちで立案した」と豪語する、あの穴だらけの領地経営計画書を、徹夜で清書し——いや、正確には全面的に書き直し、計算をやり直し、不正の痕跡を必死に隠蔽して辻褄を合わせていたからだ。


 まあ、父が私を疎んじ、オリヴィアを異常なほど溺愛する理由は明白だった。


 私は、父が政略結婚で渋々娶った前妻の娘。

 母に瓜二つらしい私は、父にとって目障りでしかないのだ。


 対してオリヴィアは、父が本当に愛した後妻の娘。

 頭は空っぽだが、父の庇護欲と虚栄心を完璧に満たしてくれる愛らしいお人形。


 そのお人形の言うことは、なんでも受け入れてしまうのだろう。


「ギルベルト殿からも、お前に話があるそうだ」


 父に促され、ギルベルト様は冷ややかな目を私に向けた。


「ルミーナ。私は……オリヴィアの純粋で健気な姿に、心を打たれたのだ。残された時間が少ない彼女を、この手で最後まで守り抜きたい。だから——君との婚約は、破棄させてもらう」


「はあ……」


「第一、お前のように書類と睨み合うばかりの冷たい女に、私の妻が務まるとは到底思えないからな」


 吐き捨てるようなその言葉に、私は初めて、心の底から同意した。


「それは確かに、おっしゃる通りですわね」


 深く頷き、にっこりと微笑んでみせると、ギルベルト様の顔がわずかに引きつった。もっと私が取り乱し、惨めに泣いて縋りつくと思っていたのだろう。けれど私は極めて穏やかな表情を保ったまま、机の上の羊皮紙に視線を落とした。


「それで、こちらの書類は……?」


「お前が病気の妹を虐げたという罪により、婚約破棄および、ロウェンバート伯爵家からの『勘当・絶縁』を命ずる正式な書面だ。王家の公証印もすでに押してある」


 父は、勝ち誇ったように胸を張った。


 ……ふむ。


 私は、ゆっくりと書面を手に取った。


 ──王家の、公証印入りの絶縁状。


 ご存じだろうか。この国の貴族法において、王家の公証印が押された勘当・絶縁の書類というものは、「いかなる事情があっても、向こう百年、当事者間の血縁および経済的連帯責任を完全に消滅させる」という、極めて強力な法的効力を持つのだ。


 つまり、これさえあれば。


 今後、ロウェンバート伯爵家がどれほどの借金を作ろうが、どれほどの不正に手を染めようが──私には、一銭の支払い義務も、一切の連帯責任も、生じない。


 法的に、完全な、赤の他人。


 これほど美しい書類を、私は今まで見たことがなかった。


 王家の公証印を得るためには、法務局への多額の献金と煩雑な手続きが必要なはずだ。お父様は私を確実に悪者に仕立て上げるために、一体どれほどの賄賂を握らせ、無理なコネを使ったのだろう。自らの手で退路を断ち、莫大な金を払ってまで自分の首を絞める書類を完成させるとは。


(こんなものを自ら作って、自ら私に差し出してくださるなんて……とんだ誕生日プレゼントだ。もっとも、彼らは私の誕生日など覚えていないのだろうけれど)


 私は、目に涙を浮かべた。実際、笑いを堪えすぎて、生理的に滲んできたものだったが。


「……承知、いたしました」


 震える声で、私は呟いた。


「すべて、私の不徳の致すところですわ。この書面に、サインをいたします」


「ふん」


 父が鼻を鳴らす。ギルベルト様は満足げに頷き、オリヴィアは唇の端に、ほんの小さな勝利の笑みを浮かべた。


 誰も、気づかない。


 私の指先が、羽根ペンを取る瞬間に、震えを止めて、しっかりと、しっかりと、力強くサインを刻んだことに。




 その夜のうちに、私は荷物をまとめた。といっても、宝石類は一切持ち出さなかった。「勘当された娘が宝飾品を持って逃げた」などと後から難癖をつけられては敵わないし、そもそもそんなものは必要ない。


 持っていったのは、長年こつこつと貯めていたお金。それと、数着の着替えと、最低限の身の回りの品だけ。


 それと、一番大切な──王家の公証印入りの、あの絶縁状の正本だった。




 §




 馬車を乗り継ぎ、さらに乗合馬車に揺られ、最後は徒歩で半日。


 たどり着いたのは、王都から遠く離れた、地図の隅にも載らないような小さな村だった。


 リディシアという名のその村は、なだらかな丘に囲まれ、麦畑が陽光に揺れる、絵に描いたような長閑な場所だった。私はそこで、空き家になっていた小さな平屋を、自分の貯金で買い取った。


 石造りの素朴な家には、小さな庭と、縁側と、井戸がついていた。値段は、王都で買えば靴一足分にもならない金額だったが、私にとってはこの世のどんな宮殿よりも価値があった。


 なぜなら、ここには、誰もいないから。


 夜中に「お姉様、胸が苦しいの」と私を叩き起こす者も、「この帳簿の数字を朝までに合わせておけ」と命じる者も、「お前のような冷たい女には」と私を蔑む者も、誰一人として、いない。


 移り住んで三日目の朝、雨が降った。


 しとしとと優しい春の雨だった。私は縁側に座って、温かいお茶を淹れて、ただぼんやりと庭を眺める。

 そんな贅沢な時間を過ごしていた時だった。


 庭の隅の植え込みから、小さな小さな鳴き声が聞こえてきたのは。


「にゃう……」


 私は傘を差して、そっと近づいた。雨に濡れた植え込みの陰に、震えている小さな塊があった。茶トラの、まだ生まれて二、三ヶ月ほどの子猫だった。


「親猫はいないのかしら……」 


 周囲を見回してみるが、この子の親らしき猫は見当たらない。

 私はタオルにくるんで家の中に運び込み、暖炉の前で温めてやることにした。


 子猫は最初こそ警戒していたものの、温められたミルクを夢中で飲み終わると、私の膝の上で丸くなって、すぅすぅと寝息を立てはじめた。


 その小さな身体の温もりが、私の手のひらに伝わってきた瞬間。


 私の頬を、ぽろりと、ひとしずくの涙がこぼれ落ちた。


 今度は、笑いを堪えた涙ではなかった。


「……帰る場所がないなら、これからは私と一緒に暮らしましょうか」


 私は、その子に「ノア」という名前をつけた。


 ノアとの暮らしは、それまでの私の人生のすべてを、まるごと塗り替えていった。


 朝は、ノアが私のお腹の上に乗ってきて、ふみふみと前足で踏むので目が覚める。「おはよう、ノア」と声をかければ、「にゃあん」とお返事をしてくれる。


 昼は、家庭菜園で野菜を育てる。トマト、人参、レタス。最初は土いじりなど何ひとつ知らなかった私だが、村のおばあさんたちが優しく教えてくれた。「都会から来たお嬢さん、ここの土はね」と、皺だらけの手で土を握ってみせてくれる。私は彼女たちの言葉を、生まれて初めて、何の損得も計算せずに、ただ素直に「ありがとうございます」と受け取ることができた。


 夕方は、縁側でノアと並んで日向ぼっこ。沈んでいく夕日が、麦畑を金色に染めていく。ノアは私の膝の上で喉を鳴らし、私はその柔らかな背中を撫でながら、ただぼんやりと空を見ている。


 夜は、ぐっすりと眠れる。


 誰にも叩き起こされない。


 誰にも数字を要求されない。


 誰にも、罵倒されない。


 私は、ノアの背中を撫でながら、しみじみと思った。


 ──ああ、私、ようやく、生きているわ。




 §




 一方、その頃。

 王都のロウェンバート伯爵領では、すべてが音を立てて崩壊しはじめていた。




 ルミーナがいなくなって、最初の一週間。父とギルベルトは、まだ余裕綽々だった。


「あの娘がいなくとも、領地経営など何ということはない。あれは所詮、我々の指示を清書していたに過ぎん」


 二週間目。帳簿の計算が、合わなくなった。


 三週間目。商人たちから、納品書の不備を指摘される件数が、急激に増えはじめた。


 一ヶ月後。隣領との境界紛争で、こちらの主張を裏付ける書類が、どこにもないことが発覚した。実は、それを毎年作成して保管していたのは、ルミーナだった。


 二ヶ月後。税収の計算が、想定の半分以下しか上がってこない。理由を調べさせてみれば、これまでルミーナが密かに是正していた小作人たちへの不当な徴税が、彼女の不在によってまた発生し、農民たちが次々と他領へ逃亡していたのだ。


 三ヶ月後──父とギルベルトは、応接間の机の上に積み上がった、未処理の書類と督促状の山を前に、ようやく、本当にようやく、絶望的な事実を悟った。


「……あの、娘が」


 父の声は、震えていた。


「あの娘が、すべてを、やっていたのか……?」


「そん、な……馬鹿な……」


 ギルベルトの顔は、紙のように白かった。


 遅すぎた。何もかも、遅すぎた。


 追い打ちをかけるように、もうひとつの問題が、彼らに襲いかかってきた。


 オリヴィアの「病」である。


 ルミーナを追い出して以来、オリヴィアはすっかり調子に乗っていた。「私、もう少しで死んでしまうかもしれないわ」と涙を浮かべながら、高級な菓子を取り寄せ、絹のドレスを次々と仕立て、社交界で「悲劇の美少女」を演じ続けていた。


 ギルベルトは、彼女の歓心を買うために、悲劇のヒーローを気取らねばならなかった。「私の愛するオリヴィアのために、最高の医師を呼ぶ」と、彼は派手に宣言してしまった。


 なけなしの金を、いや、すでに底をつきかけていた金を、さらに借金して工面し──王宮の最高権威である、筆頭医師を呼んでしまったのである。


 それが、決定打となった。




 §




「……どこも、悪くありませんな」


 長い診察の後、白髪の筆頭医師は、淡々とそう告げた。


 応接間には、父と、ギルベルトと、診察を受けたばかりのオリヴィアがいた。オリヴィアは、寝間着の上にショールを羽織り、青ざめた顔を作って椅子に腰かけている。


「な……何をおっしゃいますの、先生。私、こんなに、苦しいのに……」


「お嬢さん」


 筆頭医師は、ぴしゃりと遮った。


「私は王立医師団の筆頭を、二十年務めております。脈、瞳孔、呼吸、皮膚の色艶、爪の状態、体温、関節の可動域──そのすべてを、先ほど確認いたしました。あなたの身体は、極めて健康です。むしろ」


 医師は、わずかに眉をひそめた。


「ベッドの上で甘いものを食べすぎたことによる、肥満の兆候すら見受けられます。これを重病と偽るのは──王立医師団に対する、侮辱ですかな?」


 部屋の空気が、凍りついた。


「……それに、先ほどあなた方が得意げに出してきた『以前の担当医からの診断書』とやらも見せてもらいましたがね」


 筆頭医師は、一枚の紙切れをゴミでも見るような目でテーブルに放り投げた。


 「あんなものは医学をかじっただけの素人でも書ける、お粗末な捏造です。診断書を偽造したあのヤブ医者には、すでに騎士団の調査の手を回してありますよ」


 オリヴィアの顔から、見る間に血の気が引いていく。彼女は何かを言おうと口を開きかけたが、言葉が出てこなかった。


「私は急ぎ、王宮に戻り、陛下にこの診断結果を報告する義務があります。王家の認める医師を呼びつけ、虚偽の病状で時間と労力を浪費させた件について、しかるべき処分が下されるでしょう」


 筆頭医師は、立ち上がりながら、冷ややかに付け加えた。


「ロウェンバート伯爵。お嬢さんの教育、もう少しなんとかなさったほうがよろしいかと」


 筆頭医師が屋敷を去ってから、半月もしないうちに、噂は社交界を駆け巡った。


 ──ロウェンバート伯爵家のオリヴィア嬢は、仮病だった。


 ──姉のルミーナ嬢を陥れ、姉の婚約者を奪うために、病を偽っていたのだ。


 ──そして、それに加担した父親と、婚約者のギルベルト。


 貴族社会の制裁は、迅速かつ容赦がなかった。茶会への招待状は途絶え、すれ違っても誰も挨拶をしなくなり、商人たちは取引を一方的に打ち切ってきた。


 ロウェンバート伯爵家は、完全に孤立した。


 そして、最後に残ったのは、ルミーナがいなくなったことで露呈した、莫大な負債と、ギルベルトが筆頭医師を呼ぶために作った新たな借金、その総額の前で、呆然と立ち尽くす三人の姿だけだった。




 §




 ノアとの暮らしが、半年を過ぎた頃のことだった。


 縁側で、私は膝の上のノアに、新しく仕入れた猫じゃらしを振ってやっていた。ノアはすっかり大きくなって、つやつやとした毛並みの立派な猫になっていた。


 ふと、村の道のほうから、土埃を立てて駆けてくる人影が見えた。


 それは、三人の人影だった。


 よれよれの上着を着た、痩せ衰えた中年の男。落ちくぼんだ目をした、かつては美しかったであろう若い男。そして、ぼさぼさの髪と、汚れたドレスの少女。


 父と、ギルベルト様と、オリヴィアだった。


「ルミーナッ!」


 父は、私の家の門の前で、転がるようにひざまずいた。


「ルミーナ、すまなかった! お前が必要だ! 家族として、あの借金を、なんとか、なんとかしてくれ……!」


 ギルベルトも、地面に額を擦りつけた。


「頼む、ルミーナ! 君だけが頼りだ! 私は間違っていた、本当に間違っていた! 君を妻にしたい、もう一度やり直そう!」


 オリヴィアは、ぼろぼろと涙を流しながら、両手で顔を覆っていた。


「お姉様、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 私は、縁側に座ったまま、ノアの背中を、ゆっくりと撫でた。


 ノアは、闖入者たちを警戒するように耳をぴくりと立てたが、私の手の温もりを感じると、再び喉を鳴らしはじめた。


「家族、ですって?」


 私は、にっこりと微笑んだ。


 あくまで穏やかに、あくまで上品に。けれどその笑顔の奥には、半年前のあの夜、ペンを握った時と同じ、確固たる勝利の冷たさが宿っていた。


「私はあなた方から、『勘当・絶縁』された、赤の他人ですわ」


 私は、懐から、丁寧に折りたたんだ一枚の羊皮紙を取り出した。半年前から肌身離さず持ち歩いていた、最強の盾。


「お忘れですか? この、王家の公証印入りの、絶縁状を」


 羊皮紙を、彼らの方へと、ひらりと向けてやる。陽光の下で、王家の紋章の押された封蝋が、誇らしげに輝いていた。


 父の顔が、ぐにゃりと歪んだ。ギルベルトは、口を半開きにしたまま、何も言えずにいる。オリヴィアは、地面に崩れ落ちた。


「この書面の効力は、ご存じのはずですわよね。お父様。何しろ、ご自分で用意なさったのですから」


 私は、ノアを抱き上げて、立ち上がった。


「王家の公証印入りの絶縁状。これがある限り、私とロウェンバート伯爵家との間には、いかなる血縁的・経済的連帯責任も、向こう百年、発生いたしません。つまり──」


 ノアの頭を撫でながら、私は、はっきりと告げた。


「赤の他人の借金など、私には、一ルピアの支払い義務もございませんの。お引き取りくださいませ」


「ル、ルミーナ、待っ」


「待ちません」


 私は、すっと目を細めた。


「お引き取りを」


 その時、村の道の向こうから、新たな足音が近づいてきた。


 黒い制服を着た数人の男たち。先頭の男は、王家の紋章の入った銀の徽章を胸につけていた。


 王家直属の、徴税監査官と、借金取り立て人たちだった。


「ロウェンバート伯爵、ならびにギルベルト殿。ようやく見つけましたぞ」


 監査官は、冷ややかに告げた。


「未払いの税と、王宮筆頭医師への無礼に対する罰金、ならびに数々の借入金。すべての清算のため、王都までご同行願います」


 父が、ギルベルトが、オリヴィアが、悲鳴をあげて立ち上がろうとした。けれど屈強な男たちに腕を掴まれ、引きずられるようにして馬車のほうへと連行されていく。


 最後の瞬間、オリヴィアが、振り返って叫んだ。


「お姉様! お姉様、助けて! 私たち、家族でしょう……!?」


 私は、ノアを抱きしめたまま、ただ静かに、首を横に振った。


「いいえ。私たちは、もう、家族ではありませんよ」


 あなた方が、自ら、そう望んだのですから。


 馬車が遠ざかり、土埃が風に流れていき、やがて、村はいつもの静けさを取り戻した。


 私は、縁側に腰を下ろして、ノアを膝の上に乗せた。ノアは大きなあくびをひとつして、私の膝の上で丸くなる。


「お茶にしましょうか」


「にゃーん」


 春の陽射しが、縁側に降り注いでいた。庭のトマトは赤く色づきはじめ、軒下に吊るしてあるハーブが、風にゆらゆらと揺れていた。


 ノアの喉が、ごろごろと優しく鳴っていた。


 私は、目を閉じて、深く息を吸い込んだ。


 土の匂い。陽の匂い。お茶を淹れる、お湯の蒸気の匂い。


「ありがとう、お父様。ありがとう、ギルベルト様。ありがとう、オリヴィア」


 あなた方が、私を追い出してくださったから。


 あなた方が、最強の盾をくださったから。



 私は今、こんなにも、幸せです。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ