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仲直り…したの?

 H21年11月27日(月曜…翌日ですネ)

午前3時30分頃、”家鳴り”がした…”起こされた”と思った。

脳内で、”ボーズ風・細川幽斎氏”が、「早くはやく〜ッ!!」と、騒いでる。

何が目的か、なんとな〜く見当がついたが、ムシした。

がー脳内で、賑やかにされる。諦めておきあがり、PC開きー”光秀氏御関係者様HP”を探した。


 2日前の”霊界通信”は、跡形もなかった。

”やっぱりなぁ、申し訳ない、御関係者様!!”

私は、心のなかで、お詫びし続けた。(本当にその節は失礼致しました!!)


 少ししたらーなぜか、”自分の”両眼から、ボロボロ涙が落ちてくるのだ。自力じゃ全く止められない。

脳内の”幽斎氏”がー本当に、身も世もなく<泣いている>のだ。心を込めた文(?)を消されて…

ところが、そうされると…”現実の私”が、身体を乗っ取られたように、泣き続けるー


(*これも、”統合失調症”の症状らしいです。しかしなんで”こんなネタ”だったのやら…)


「仕方ないよ藤孝さん。光秀さんや、その周りの人達、どんな目に遇ったか解ってんでしょ?そんな数日で赦してくれるワケないじゃん。ガラシャさんの件だって、怒ってるかも…」

脳内の、私の言い分である。

基本、慰めてない。「甘いぞ幽斎!!」と思ってる私の対応は、冷淡なハズだ。

で、その時の細川幽斎氏、もう、”泣き崩れる”と言ったらよいのか……

ーところが、数分のち、「ーあれ?」と、泣き止んだ。本当に急だった。


 新規の、御関係者様HPの書き込みは「年齢」に関する話題だった。上品で柔らかい文章だ。

それを読んだ、”脳内の幽斎氏”、なにやら、少しずつ、喜び始めていた。

「…???」(何度目かの)

どうも、ブレイン細川幽斎氏、「こんな年齢になりましたが、いいんですか? by明智光秀」と、取った…ようだ(←じゃなくて御関係者様だって!!)。

そんな<感情>が、なんかこっちに伝わってくるのだ…すっごい、喜んでるのが。


ーしかし、なにが<いいんですか?>なのか、”何故”喜んだのか…3日程して判り…真っ青になった。


 2日間は、細川幽斎氏、たま〜に、脳内にカオ出すだけで(て事じたいが今思うと問題だったのだが)、特になにもなかった。

私は、「お◯べ」で悩んでいた。明らかに、12箱は買い過ぎだった。

友人に配っても余り、会社で、お客様の御茶請けにしてもらったりしていた。


 どーでもいい話だが、中断中のおトボケ小説”十兵衛さん”には、”大村ユ〜コ”というキャラがいるが、彼女は”腐女子”という設定だ。

わざとそう、キャラ付けした。「意見訂正時」に、二重に説明が入れられる、という理由からだった。

”大村”の、<対・光秀氏ギセイ者>は、徳川家康、織田信長、斎藤利三、筒井順慶。そして、細川幽斎(藤孝)だった。

「げげ!!」と、思われよう。あくまで「トンチンカンな意見」として、出してるだけだったが。

………それが、<今回の病気>に、悪影響だったのだろうか?

私自身は、別にそんな事考えてた訳じゃないのに………

 当時、<武田信玄が、男にラブレター送った>だの、<織田信長と前田利家が、若い頃デキてた>だの…

割と、戦国時代は「男色も日常的な時代」てな認識くらいはあったのだが…


 岐阜・S教寺から逃げ帰った、3日後。

通常通り、バタバタと仕事していたが、合間に、フッと、脳内に「妙な図」が浮かんだりしてた。

デッサンというか、”下書き”っぽいラフな線画なのだがーなまめかし気な男性、に見えるのだ。

脳内で、幽斎氏はなぜか、トロンとしてる。

「…………???」

仕事の手が止まる。イミが解らなかった。


 帰宅して、この時は特に疲れてたので、11時にバタンと就寝した。その10分後くらい。

急に、である。

フトンの中、横になった私の下腹の「上空5センチ位」の所でー何かが「爆発」したよーな衝撃(体感)があったのだ。

ビックリして、跳ね起きた。

「ーな、な、なんじゃいまのッ!?」

この前後、脳内に”細川幽斎氏”はいなかったが…眠れなくなってしまった。


(*こういふ症状もあるんでしょうか??病院の先生にも言わずじまいです。)


 悩みに悩んで、半日……「結論」を出したのは、翌日の昼休みだった。

「…男性機能…?ン百年ぶり?ちがうか…先様お相手に、そんなに”溜まってた”って事……??」

うーん、と、頭を抱えた。

”霊現象?”と悩んでた当時でも…さすがに誰にも相談できなかった。

品のない話で申し訳ない。病状の症例の提示?にでもなればよいが…さすがに”こんな事”は、これきりだった


 これ以後、何故か、”細川幽斎氏”はー”明智光秀さん”とセットで出てくるようになった。脳内に。

(小説をBL指定してないので、描写は除くとして。)

”幽斎氏”単独だと、いつもの20代位、マンガ風、墨衣、ツルッパゲ姿なのだがー

光秀さんのそばだと、”若くて、髪の毛のある姿”で出てくる。見捨てる前の”細川藤孝”でいたがった。

<永遠の別れ>が、それだけ幽斎氏に痛手だった(という設定な)のかー?

 また、この時点での”明智光秀さん”もー”マンガ風の姿”だった。<クールビューティーさん>てな御姿だ。

ただし、本来あったハズの、月代(頭を剃った部分)がない。フツーのロングヘアだ。

どうとったものだろう…?


 この日以来、今度は「ボサノヴァ」ばかり聞くようになった。というか、「他がイヤだ!!」と、幽斎氏がハネてしまう。

「リベラ」も…「それ迄の、辛い時期を思い出すから、かけるな!」だそうだ。

かと思うと、近所のコンビ二で、たまたま流れてたラブソング(!)。

「今の気分〜♪」と聞き入って、店舗から出たがらなくなった。

後日、今度は100円ショップにいた時、この時もラブソングに反応したが、異様な食いつきかただった。

冗談ヌキで、「自分の左耳だけ、1,2ミリ伸びた?」ような感覚が出たのだ。

「もっと良く聞きたい」という反応だったらしい………


 後々出てくる、幽斎&光秀両氏の、<女性のご家族>は、当時の服装の方が大半だった。

ところが、徳川家康氏、斎藤利三氏、明智秀満氏…と、男性諸氏。

大半が、「現代風ショートヘア、ラフな洋装、スーツ姿。他」なのだ。しかもそれで勝手に私が、見分けがつく。

 織田信長氏はー当時の茶筅マゲ、具足姿で出てきたが、その上にスカートをはいてくれたりした。

長宗我部元親氏の場合、ロングヘアだった。それで具足、黒T、黒皮ライダースーツと、多彩だった。

ヘンな妄想である…つくづく。


「頼むから服を着てくれ!光秀さんだって気の毒だぞ!なんで全裸で出てくるんだよッ!?」

主にこれは自宅だったが…会社でも時折、脳に画像が飛び込んでくるのだ。とまどった(当然か)。

もう、”髪の毛1本たりとも手放したくない by幽斎”という事らしいが…

それが、あらぬ方向に行ってしまったようだ。

2週間くらい、続いたろうか…絵で助かったが…一方的にもみえる色っぽいシーンを見せつけられていた。

明らかに(蕗谷虹児的クールビューティーに見える)光秀さんは、ひっつかれて困ってっぽかった。

 ”家族ぐるみ”に近くなった、翌H22年1月頃には、だーいぶ安心したのか、”納まって”きたが…

それまでは”寒そうだし、せめて光秀さんだけでも”と、脳内で、<白いフワフワの毛布>をむこうに投げたりしていた。

脳のなかで、だが。


 翌H22年4月20日から…東京国立美術館で、「細川家の至宝」展が始まり、伺ってみた。

(細川幽斎没後400年…でなく、”永青文庫60周年、という企画だそうだが)

2月中旬から、統合失調症の治療を始めた身でー

初めて、本物の”細川幽斎肖像画”をみた。没後、3年後に描かれたものだそうだ。

展覧会は、ずっとガイダンスを聞いていたためか、子ボーズ・幽斎氏(近頃はほとんど、ちびっこい姿だ)は余り出てこなかった。

天目茶碗を、飲み干すフリして「入ってなーい!」とか、はしゃいでくれはしたのだが。


 最近、活字が少しずつ読める(=回復しつつある)ようになって、買った新書がある。「武士道とエロス」(氏家幹人氏・著)だ。

「な〜んでこんな内容の妄想だったんだ!?私のなんか思い込み…?」と悩んで、参考までに買ったのだが。

読み終えて、更に不安になった。

戦国時代に、随分「男色」が流行ってたのは、「信長公記」でもかなり出てくるので、承知はしてたが。


 話は飛ぶが、織田信長氏自身は、珍しい意見だろうが、私は「後年はシロ」と思っている。

将軍・足利義昭氏(つまり幽斎氏の異母弟)の男色ネタを、イヤミに(?)「十七条」に書き記したり。

どこぞか地域へのおふれに「寵童(男色)」の禁止を盛り込んだりーこれで「男色家」だったらヘンだと思う。

 反面、「武士道と〜」には、”明智光秀の小姓・明智左馬介(秀満)”と出てたり。(娘ムコなんだが…)

江戸時代の、男同士の”茶室の恋”なる絵が載っていたり。

石田三成&大谷刑部少輔まで、「疑われてた」実例が示されていたり。

戦国武将(敵)同士の恋、なんて実例まで載っていた…段々、”私の見た妄想”が、笑えなくなってきたのだ。

 私の場合は、あくまで「ドーパミン過剰分泌」のせいと信じている。が、今…

「主従(関係)」「(戦国時代の)親友」という文字を見たくない。

”ありえるかも…”と、疑ってかかりそうだからだ。


 2010年、細川幽斎・没後400年…と無関係に、ある「歌舞伎」が、長年の封印を解いて上演されたそうだ。

「大川友右衛門&印南数馬」というカップルの出る…「染模様恩受御書(細川の血達磨伝説)」という…同性愛の歌舞伎だ。

重要な舞台のひとつが「細川邸」と、「武士道と〜」にも記されていた。

 管領細川家(つまり幽斎氏よか前)にも、同家か足利家で、同性愛の方がいた、と文献を見た記憶があるし。

多分、当時はフツーの事だったんだよ…と考えて、最近、自分を慰めている。


これは、あくまで「私の闘病記(どこが?)」「面白い<架空の>細川幽斎氏が見られた」報告でしかない。


H21年11月30日…くらいだったと思うが。

 異様な程、脳内の幽斎氏は、ゴキゲンだった。

なんかもう、頭の中で”なじみ”になってしまっていた。

「ふーん…なんか、気分の盛り上がる曲でもかけてあげよか?(光秀さんにゃ悪い気がしたが)」と伝え、CDを買ってきた。

この時は、平井堅さんだったかな。なんとなく。


 帰宅して、CDかけてたらー涙が止まらなくなってしまった。しかも”現実”に、私の手足が硬直しだした。

脳内の”幽斎氏”が、パニックを起こしてしまったのだ。

たまたま聞いた曲が「今、ラブラブだけど、あなたがいなくなる事を考えると辛い」という、歌詞だったのだ。

「光秀と、又、別れ別れになるかも…今度は、二度と会えなくなるかも…」と考えた、らしい。

口が開いたまま、固まってしまった。動悸もヘンだった。私までパニック起こしかけた。

<光秀さんと仲直り以前>よか、症状が悪化してしまったのだ。<救急車を呼ぼう>と思った位だ。

だが……どー説明するんじゃ?

”私に取り憑いたオバケさんがパニックしてー”と??

 だぼ〜っ、と、涙流す”自分の頭”を、やっとこさ動かせた手で、撫でつづけた。

「大丈夫だから。別れ別れになんか、なんないよ…」

そう、幽斎氏を慰めていた。それはそれは、人様には見せられない姿だった。

これを、10分以上やっていた……家人に見られず、今でもホッとしている。

もっとも…ここで「発見」されてたら、この時点から「治療」し始めた可能性が高いが……

脳内の幽斎氏は、グズグズと泣き続けていた。一体、どうしたものか、と、途方に暮れてしまった。


 翌日、ボロボロの体で、私は通勤電車に揺られていた。

心配なので(?)、文庫「細川幽斎」に、「光秀さん肖像画」「仏様プロマイド」をはさんで、出社した。


<架空の>細川幽斎氏の不安がピークに達したのは、この後位と思う。架空なんだけどネ。


  

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