表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/14

不審がられつつ、「S教寺」で幽斎氏の供養

 私は、戦国武将に詳しくねーのだが…

明智光秀を破って、天下人になった豊臣秀吉と…過去、おなじ戦いに加わった人物が、細川家にいたようだ。

松井康之…細川幽斎の家臣で、室町幕府高官当時から、エピソードに登場する人物だ。ヨメに来たガラシャちゃんの乗った馬の、轡を受け取った男だ。

終生、細川家に仕えた…のに、意外にも、幽斎は、彼を高く評価していなかった。

というか、松井本人が「評価してもらえんかった」とグチってた、と、なんかで読んだ覚えがある。ホンマだろうか?


”松井康之”が、羽柴(豊臣)方に通じてて、細川家が動き、秀吉”中国大返し”が起きた、という説を…

<御本>で拝見していて、印象に残っていた。


 <ニセモノ説><書き換え説>もある、光秀氏の「細川父子への、懇願の手紙」ー

万が一、”あれ”が、一部でも本物なら…あそこまで書かれても、細川家は、幽斎は動けなかった。のかも知れない。

見殺し同然……だろう。援軍(たとえば、家康軍が味方として急遽来る、とか)が無かった(間に合わなかった?)”明智軍”は。

 生き残った者が…出来る事といったら、もう”常に頭を丸めて”、権力者の足下で温存してもらい、

ごく一部、手元に残された”明智の血(井戸さん含む)”を、護る事だけだったのだろうか?


 ”山崎の合戦”あたりで、”明智方”について戦った、井戸良宏氏(光秀氏姪ムコ)一派を、

筒井順慶が説得し、停戦させたそうだー彼は。後で、井戸氏を、細川幽斎に預けている。

 その、井戸良宏氏…幽斎”田辺籠城”のおり、幽斎のもと、戦死されている。

田辺城開城のあと…徳川家康は、井戸氏の息子達を、「旗本」にしたそうだ。

そこまで、家康と幽斎は「な◯よし」だったのか?家康から見て”井戸氏”はどう写っておったのだろう…?


なんか、井戸さん以外「氏」が消えましたね。メンドーだからね。はは…


H21年11月25日(土)

 この夜は…いや早朝は、午前4時位迄は、”晴れて”いたのだがー

今でも、本っ当に、御迷惑と思っているが…光秀さん御関係者様HPに、書き込みをさせていただいた。時間は、午前3時代から。

脳内の”細川幽斎氏”(というよりドーパミン?)に命令された為だ。

「じかに、自分の想いを光秀(←じゃなくて御関係者様だって!!)にフォ〜ユ〜♪」てな気持ちだった…ようだ。

午前3時に、脳内から叩き起こされ、ずーっとPC画面で「書き込みの返信」を入力させられた。


(*本当に申し訳ありませんでした。あれ、完全に”霊界通信”でしたね。平に謝ります!!)


 ”少し、幽斎氏を茶化しちゃった私”てな文面を…作らされた。”光秀は幽斎より年下”と言われた、とも…だ。恥ずかしい…

部屋は暗く、PC画面だけが煌煌とひかる。の横で…”肉眼で見えない原寸大ボーズ頭”が、フンフン頷いてるのが”見える”のだ!!

透明なグラスみたいに、輪郭が屈折して見えるというか…なんて説明すりゃええのか?

”脳内”じゃ、しっかと、”マンガ風幽斎氏”がフンフン頷いとるし。

 入力中(9割完成時)ーなにか、”嫌な気配”を感じた。

「ー来たな!!」と、となりの(見えない)幽斎氏が、キッと、光る頭を上げた。

急に(これは現実にびっくりしたが…)、静かだった「窓の外」が、ゴロゴロ言い出した。

スゴイ強風、雨、と「嵐」のようになってきたのだ。ほんの2〜3分で。

と……PC打つ、私の「右横」から”見えない何か”が、窓の外へ、天へ、

「どぴゅーん!!」…と、すっ飛んでいった……「体感」があったのだ……

1〜2分、私は、ぼーぜん、としていた。

「……???」

天空では、”ちょっと前”が嘘の様に、台風直撃状態になってた。木くらい折れそうだった。天で、神様同士がケンカしてる、て位の荒れ方だった。

なんとなく、文庫本にはさんでた「仏様プロマイド」を思い出していた。<昔年の積もったもの>を、仏様仲介のもと、光秀さんと言い合ってる?とか想像した。

「(もーろーとしたまま)…とりあえず、書き込みを送って…と」

ポン、と、キーを押した。(←やらなきゃ良かった!!)時計は、午前4時15分。

「ー寝よっ」

外はーうちの近所じゃ、本当に木が折れていた。

それからしばらくは、私の脳内の”細川幽斎氏”は、姿を消したままだった。


 この日が土曜日で助かった…あの嵐じゃ、近辺の電車、確実にストップだ。

昼間、ず〜っと、天候荒れ通しで、”朝の件”もあり、日中、ボサ〜ッとしてたのだ。

夕方、外出…翌日、「光秀さん御一族&ヒロコさん御一族の墓参りだ!取材だ!!S教寺だー!!」てな理由で、岐阜県にゆく切符手配をしに出かけたのだ。

やっと雨の止んだ外は…夕日が綺麗だ。

雲も多く、やたら湿度が高かったが…なにやら、晴れがましかった。

「仏様(=プロマイドだが…)の仲介で、仲直りできたかな…?」

常識では考えられない思考を、この当時、私はしていた。

「体感」「訴え」が”現実”に自分に降り掛かって感じるため…妙に信心深くも、神秘主義まがいにもなっていた。


H21年11月26日(日曜)

 会社の人に「ナニしに行くの?」と聞かれても、マトモに答えられない<旅行>だった。

けっこう元気になってきたといえ、長旅のムリな母は置き去り。

第一、理由が説明できない。

「なんか土産買ってくるから〜!」と置き手紙残して、午前4時代に家を出た。

この日は、戻ってきてたが「ネット見せろ〜」等のワガママを、幽斎氏は言わなかった。

なんやわからんが、終始、脳内でゴキゲンだった。原曲不明の鼻歌歌ったりしていた。


 東京駅から、新幹線で京都、乗り換えて、岐阜県「坂本」へ。

フツーの観光なら「世界遺産の延暦寺へ」「やっぱ坂本城跡でしょ」…全く違う。目的は一ケ所!

「せめて、帰りに京都で降りて、好きな着物見て…」とか夢見てたが…これも不実行に終わった。

 母の件もあるが、怖くて、自宅に直帰した。京都駅からすら一歩も出ずに、駅内で「お◯べ」を買いまくった。

人呼んで「S教寺弾丸ツアー」。参加者、私だけですけどネ。


 行きも帰りも、脳内のボーズ姿”細川幽斎氏”、嬉しそうに、何度も、ひとつの和歌をそらんじていた。

「つるぎをば ここに納めよはこさきの〜」といふ、実在する、自作の和歌だ。

「い?私のハンドル”つるぎ”って、その”和歌”がモデル?長年、”剣の舞”のつもりでいたケド」

返事ナシ。また嬉しそうに鼻歌うたう幽斎氏は…

昨日までより<子供>?…身の丈が縮んで見えた。


 行きはバスで(方向オンチで絶対迷うので)、光秀さん達の眠っておられる「S教寺」に伺った。

丁度、紅葉シーズン。お世辞にも観光ではないが、持ってきたデジカメで方々を撮ってまわった。

持ってきたといえばー文庫「細川幽斎」もだ。

実は、S教寺さんで「お炊き上げ」をお願いするつもりだった。幽斎氏をきちんと成仏させてあげたかった。「光秀さん肖像画」と共に。


 ショックだった。

「お炊き上げ」は、年一回。普段はやってらっしゃらないそうだった。

すぐにでも「燃やしてほしい」のに…!

会向えこうなら、お受け出来ますが?」と言われ…イミも解らず飛びついてしまった。

でも、”えこう”って、ナンだったんだ?…知識の無い私は、S教寺さんで相当、不審がられた(と思う)。


「まず戒名と、あとお寺がわからないと」と言われ、パニックに陥り、諦めかけた。

ーそうだ、文庫「細川〜」にデータがあるじゃないか!!(←燃やしにきた事はもう忘れた)

「”大居士”て、おかしいんじゃ…ほんまにこのままでええんどすか?」

「そのままやって下さい。確かにおかしいです」

「泰勝院殿徹宗玄旨大居士…南禅寺さんどすか。宗派ちがいますが、かましまへんか?」

そうか…幽斎氏と光秀さん、宗派違ったんだ…考えた事もなかった。

そのまま、押し通した。ヘンな客だと思われたろう。

ええ年の女がひとり、必死こいてるし。

 前の客、団体客…”会向”は、私が一番最後になって(されて?)しまった。

一時間どころじゃない、結構待たされた。レトロな大広間でぽつんとひとり、ストーブに当たっていた。

ヒマで仕方ないのに逃げられない。

「明智光秀公を大河ドラマに!」の署名を書き、(←私の思う内容のは、えっらいずれてるだろうケド)、そこいらじゅうデジカメで撮影し、最後にゃ、亡父のお線香を選んだりしていた。


 周囲に観光客の一杯いる、歴史を感じるきれいな御堂に通された。

尼僧さま、おひとりに、私。

尼僧さまの背後に、伽藍等を拝見できた。私は板間に正座した。

で、ほかの観光客が間に間に、見学されてゆくー尼僧さまの先のほう、高い位置に、ロウソクが2本、燃えていた。

お経が、読み上げられてゆく。(と表現してよいのか?)

 細川幽斎氏、明智光秀さんと…いや、周囲の皆さんと、幸せな”あの世ライフ”を送ってくれー

がらにもなく、本気で祈った。こんな事したのは初めてだ。御葬式とかならいざ知らず。


 ところがーしばらくして、それどこでなくなってきた。

先程から燃やされているロウソクのうち一本(右側だけ)、30センチ以上、炎を上げ始めたのだ!

なぜか知らんが、脳内で、”幽斎氏”が喜んでた。

フルサイズで、坊さんルックで両手広げ「ファイヤー!!」と叫んで…る。”光秀さんと同じ寺、同じお経を送られたのが嬉しい”らしい…

尼僧さまも、観光客皆の衆も、だ〜れもツッコんでくれない。

私は祈るのも忘れ、「あわわ…」と、焦りまくっていた。

結局、ロウソクは最後まで、高々と燃えていた。内心、火事にならんかとヒヤヒヤしていた…


(*これはゲンカクでなく、現実に”ファイヤー!!”状態でした。

よくある事なのかなぁ?天井から、紙とか落ちたとも…ず〜っとですからねえ。

”霊が喜んで、こういう事をする”てな、よくわからん情報も聞いた事ありますが、<今回の>がナンなのか、わかりません。)


 私は”光秀さん、ヒロコさん、御関係者の菩提寺”てな認識で、S教寺には行ったのだが…

考えてみれば、観光のメダマなんだし、お供え物なんてとんでもなかった。出来る訳なかった。

長岡(=細川)さん家臣団、というお墓群に、ムリムリに、お酒をお供えしてきたけどー


 帰りの新幹線(まだ4時代だった…)のなか。

脳内で、嬉しげに、幽斎氏が笑うなか、私は真っ青になっていた。

「ーあ!ヒロコさんの墓石、確認してくんの忘れた!!」

実は、”私の取材?”は、これがメインだったのだ。パニクってて、全く失念していたのだ。

 後で、社内で「お◯べ」を「生モノだから早よ食え〜!!」と大量配布する、ナゾかつ恐怖の(←どこが?)ツアーは終了した。


 ちなみに、この日まで、自室のBGMはず〜っと「リベラ」一色だった。

まるでサンクチュアリだ。(これが”お経”だったら、更に色々、疑ったと思う…)

後で考えると…

「力貸して〜ガラシャちゃん!! by幽斎」てな、脳内ドラマ(伏線)でも勝手に作り上げていたのか?私は??

翌日から、全く、「リベラ」が聞けなくなった。


 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ