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細川幽斎、号泣しながら登場

 今、ほったらかしのネット小説(すみません、原案なくなっちゃったので)には”作中アニメ”があった。

(キャラは、アニメ用に、10〜20代に変更してある。)

徳川家康が、故・明智光秀(=オバケさん)と共に、巨大ロボ”惟任日向守”に乗り、陰で、非暴力の形で世を正そうとする」っつー、脱力系の話だった。

家康自身、役目をやりとげた(=江戸幕府の安定)頃、死を迎える。

その時、それまで付き添ってた故・光秀が、別れを告げる。

家康は、死後”神”になる事で、世を護ると誓い、栃木”日光東照宮”で、光秀を永遠に待とうとする。て感じだったろーか?

 ちなみに、教育TVのアニメは「忍たま」しか知らない。

参考までに、深夜の「戦国ゲームアニメ」を、3回程、消音のまま観たりした。


 当時のタイムラグなしデータ「多聞院日記」、天正10年(1582年)5〜6月の部分だが。

大和の筒井順慶(光秀を見切った組下大名のひとり)に、信長様から直に「東国出陣」が命ぜられた、とある。

当初、”西国”となってたが、後で”東国”となっていた。”多聞院”筆者は、”比類なき名誉”と喜んでおった。しかし”東国”ってさー。

時期は(西国でなく)四国・長宗我部元親を、信長が攻撃しようとしていたのと同時位だ。

当時、すでに武田勝頼は、信長に滅せられていた。”東国”といったら一番に来るのは「徳川家康」でないのか??


 私は「織田信長が”本能寺”で、義弟・徳川家康を殺そうとしていた」説を支持している。

光秀氏ご子孫様 Aさまの説・丸呑み、でなく、上記部分を読んだからだ。

政・武のパワーバランスは常に変動する。「武田」亡き後、信長は、”家康もジャマだ”と思ったのでは?とー


 あともひとつ…こりゃ、私も半信半疑だがー説明がややこいので後日書くとしてー

後年の”徳川サイド”は、妙に”光秀氏のトシ”にこだわってないか??

私は、明智光秀氏は(妻・煕子さん側からみると)享年42〜43歳位とおもうのだが…?

 光秀氏、徳川発「当代記」で享年67歳、作者不明?な「明智軍記」で<通説の>享年55歳、とされている。

”本能寺の変”当時、徳川家康は、数えで40歳、なのだ。

これで、光秀氏が42〜43歳となるとー相当、年が近いのだ。同年代といって構わん程に。


 てれてれ申し訳ない。本編に戻ろう。

(ロボットはともかく)絵は一応描ける。イメージを作り出してみた。

「◯HKぽく」て理由で、BGMは、キリスト教の賛美歌みたいな「リベラ」をガンガンに流していた。

(自室がまるで教会みてーになる、ひー!)

こういうしょうもない「息抜き」しつつ、微力ながら、母の介護をやっていた。


 ある夜、うとうとしていた。だがシャーペンは動かしとったようだ。

暫くして読み返すとー書いた覚えのない文章が4行程、そこに残っていた。

ま、”あった”ゆーても、筆跡は完全に私んだ。はて?

「白菊丸を先に死なせて生き残った、清玄の心境」ーてな感じの文、4行。

字はたいして崩れてない。私んだ。が、何故、これを書いたか記憶が全くない。

小説下書きの前後シーン、単なる「飲み屋で雑談」場面だったのだ。


「なんじゃ?”白菊丸と清玄”って??」

悩んだ。しば〜らく悩んでた。私はカブキは観たこともない。

やっと思い出したのは、木原敏江さんの漫画だ。「桜姫東文章」の最初の所?

 心中をふみとどまってしまった坊主・自休(清玄)、先に崖から飛び降り死んだ稚児・白菊丸。

のちに高僧となった清玄は、白菊丸の生まれ変わり=桜姫を、”妄執”に近い形で想い続けるのだが。

4行の「自動書記?」は、こんな調子で終わっている。

「永く待っているが、白菊丸が蘇ってくれない。狂いそうだー」と…


(*やらされ行動、と表現する方もいる現象があるそうです。”統合失調症”に。それかな?

私はこれを、他の文章と混ぜて”ストーカー?”と、お笑いに持ってった。その”原稿”も今は原型がありません)


 私は”ネタレベル”の知識しかない。の上での意見だが、おトボケ文章の作中ネタでは

「明智光秀は、長宗我部元親と、自分達の親族、および、徳川家康を助ける為に”本能寺の変”を起こした」とした。

(土岐氏ネタ書きたくても、知識がないのだ…)

”本能寺”はそれこそ、山のような<諸説>があるし、私は、自分の説は信じてない。が、”作中アニメ”じゃ

「明智光秀がいなかったら、江戸時代は来なかった」

(家康が、”本能寺”で織田信長に殺されかけたから)としたかったのだ。

だからこそ家康は「光秀のカタキ=秀吉、亡きあと、その一族を叩きまくった」と考えた。

又、だから「光秀のマゴ=細川忠利に、一番に”復姓”させ、熊本藩に置いて厚遇した」んでねーかと…忠利の父・祖父そっちのけで。


 この時点じゃ「まー気ィ向いたらネットでも…」位にしか考えてなかった。

あくまで「家康&光秀」で、である。

だが、クレームがついた…とんでもねぇ所から。


 私は「細川幽斎(藤孝 or 長岡兵部大輔)が嫌いだった。

一応「光秀ファン」を自称してたから仕方ないだろう。彼は「組下大名」「身内同然」なのに、光秀氏に協力しなかった。

大村由己・作「惟任退治記」によると、ずいぶん秀吉氏と”お仲良し”なようだし。

 漫画「へうげ」の幽斎氏は、クールでカッコ悪くて面白いが、”現物”がファンかっつーと、別の話になる。

似た者同士だが、まーだ「筒井順慶」のが好きだった。

”伊賀攻め”はゆるせんが、「洞ヶ峠」に行こうか、迷っていた。

若い身で大家、彼は「洞ヶ峠」の後、別に、豊臣秀吉に大事にされもせず、2年後、37歳で亡くなり、子孫断絶してしまった。

 豊臣・徳川両者とも、厚遇ヌクヌクだった「細川幽斎/忠興親子」と、天と地ほどにもちがう。

この”差”はナンや?血筋(室町幕府・足利家ゆかり?つーか清和天皇系)?と、なーんかリフジンな気がして仕方ねーのだ。


 あと、気になった事があった。

うちの、何故か昔買った本に「細川家家系図」があった。(広瀬隆氏・著/地球のゆくえ)

明智光秀氏の妻(正室)は、妻木煕子さんという。有名な”戦国の健気な妻”だ。

娘さんのおひとりは、明智貞子さんだ(織田信長氏のおい・信澄氏の妻)。

細川幽斎氏末裔で、有名な方がいる。元日本国首相・細川護煕さんだ。

で、元首相のお父様が…お名前、”細川護貞”さんとおっしゃるのだ…単なる偶然?

ただ、広瀬隆氏ご指摘によると、元首相の御一族、「明智光秀&ガラシャ」の”明智さんDNA”は一切、お持ちでないそうだがー


 私が書いた文章内場面<家康が、日光東照宮で光秀を待つ>に、”脳内?”からクレームがきた。

剃髪の、ボーズ風にみえる成人男性(ただしマンガ風)が…わ〜んわん、凄まじく泣きながら出てきたのだ。

「……???」と、私。

「なんで家康で書く!?光秀をず〜っと待っているのは私なんだ!!永い間、どれほど苦しんだのか解ってないのかッ!?」

墨色のたもとヒラヒラ、子供みたいに泣きじゃくって、バンバン机(?)を叩き続ける男ー

”坊さんもどき”も、私もー”マンガ姿”だったー

でも、この”ボーズ”は……誰???


(*統合失調症の”陽性反応初期”に、こんなケースがあるそうです。

”誰だかわからん人物が、理由不明に泣きわめいているのが見える or 強く感じる。

私の場合、この<誰か>に、↑上記の<細川幽斎氏>、

<理由>に、”本能寺の後、決別したら、山崎の合戦で、明智光秀氏に死なれて”ーと、

勝手に配役しちゃった?と、今では思えるのだがー

 ただ、そもそも病気と知らずにいたし、一応”霊現象?”と、ムリに思ってましたね。ただ、現在でも、

”なぜ又、細川幽斎?”てな思いは、強〜く残ってしまってます。)


 出現した後、私は散っざん、妄想の”細川幽斎氏”をいじめた。

元々あまりー嫌っておった人物のおひとりだったからだ。

「なぜ、ン百年前の人間(オバケ?)が、現代語ベラベラなんだよッ!?」

「豊臣秀吉氏に大事にされたよね〜?、”惟任退治記”読んだヨ。”和歌の達人”って大事にされてたんちゃう!?千利休さんみたいに、切腹なんて事もなくさー!」

「の割に、有名な和歌がないね。なんで?光秀さんの”時は今〜”は、色んなイミでチョー有名なのにサ」

「こっちは仕事で多忙なの裂いて、小説(?)書いてんだ。ジャマすんな!」


(*以上、あくまで脳内の会話です。) 


 しかし、幽斎氏も負けてない。とにかく脳内に出まくってくる。

ヒトの質問に返事もせず、更に泣き続け、抗議し続けるー図が脳内に延々続くのだ。

「私は、光秀やガラシャ(玉子)のイメージアップ作戦を何百年とやってきたのだッ!!ー現代語が得意で当然だろう!?」

ご本人?いわく、なんと(明治に入ってからと記憶するが)”細川ガラシャ”の名を広めたのは自分だ〜!!とおっしゃる。

更に幽斎氏、

「何年も前から流行ってる”戦国ゲーム類”のプロデュース業にも関わってる。私が会議にこっそり”ミューズ”として参加しておる」とかゆうとる…

光秀氏が”美形キャラ”扱いになった近年の傾向は、自分が陰で「光秀のミリョクをアピールしてるからだ〜!!」…とか。

「ドラマや劇にも…フフ、お前はほとんど観ぬな…私が心血注いで、光秀イメージ戦略をしておるというのに!」 

「………」

絶句、である。私は、ドラマどころか、小説も、ごく一部しか読めないのだ。

 真顔で向き合う、ツルッパゲの坊さん風・20代位の男 vs  30代の中年女(=私)の”絵”ー

今後、これが連日(急性期に至っては、ひっきりなし)に出てくるのだ。

ただー実はこの後、幽斎氏も私も”絵”のまま、段々と若返っていく。

理由は不明だ。

私が「中年位の人間のマンガ姿」に疲れたせいかもしれない。


 この頃、いーろいろと指示が来ていた。

「私の苦しみを理解しろー!あれを読めー、これも読め〜ッ!!」と、だ。

手始めは「信長公記・現代語訳」だった。(これは先に、私自身が選んでたがー)

次が「兼見卿記」…細川藤孝(幽斎)&明智光秀と特に親しかった、神官さんの日記だ。

古本も無く、仕方なく、図書館で借りてコピーしまくった。

母の体調が落ち着いてきたのを盗み見て、休日返上で。


 どーも「私」の読み方は、「細川幽斎氏」好みでないようだ。ポイントずれずれのようだ。

更にツッコミを厳しくしただけだった。

「なに?兼見チチの遠出、ダメ〜!!、ての(元亀2年11月)。止めた理由が<高齢すぎる>!?、55歳位でしょチチは!…徳川”当代記”(←記述が信用できないもの有り、とも)説でいくと、一緒に止めてる”光秀さん”が、兼見チチとほぼ同年齢だよ!ヘンじゃん!!」

「光秀さんたちも晒された”本能寺”跡地で、信長様供養の句会に出てるよね?早い時期に。なのに、亡き光秀さんの<坂本>に出向いたのは、4ヶ月たった10月〜!?」

幽斎氏からは、返事も和歌もナシ。ただ「苦しいのを理解しろ〜!!」と号泣しておられる。


「<坂本>からの日帰りで、チコクした傘持ちクンに”引っ捕えて成敗する〜!!”て…暴れたの?完璧、八つ当たりじゃんこれ?4ヶ月もして、なに取り乱してんのさ?兼見クンいなかったら、本当に傘持ちクン殺してなかった?」

(本書上下間中、私の読んだ範囲じゃ、取り乱した”細川幽斎氏”は、ここ一箇所だけとおもうが…)

「光秀は、私の部下で家臣だったんだ!大事な人間だったんだ…信長の腹心なんかじゃなかったんだ〜!!(絶叫)」

まーた、さめざめ泣き出す。午前2〜3時頃だ。不眠気味の頭にイミ不明である。


 フツー、織田信長→明智光秀→細川藤孝+筒井順慶。

んな感じのシステムになってた気がする。天正10年初期までは。

 天正9年の、悪名高き、信長”伊賀攻め”の時は、筒井クン、直に参戦してたよーだが。

信長氏は(天正10年5〜6月の、東国攻め指令みたいに)直に”筒井クン”に命令する事も多かったのかな?


 ”光秀は自分の部下で〜”は、マチガイではない。

元々、光秀さん、”室町幕府”の人材だった。

タイムラグなしの記録”多聞院日記”にあった。未読だが、フロイスも記述しとるらしい。

「元々、明智光秀は、”細川藤孝に仕えてた身だった”」とー

細川幽斎(藤孝)は、元来、彼が<室町幕府将軍>でもおかしくない、セレブな血筋の人物だ。

室町幕府高官を、3代分、なが〜くやってきた。最初、その藤孝氏「本人」に、光秀氏が仕えてたのだろう。

 だが、下克上ヤンキー・織田信長氏のもと…単に先着順かもしれんが、

光秀氏が先に”織田政権”入りした。後発の藤孝氏は、光秀氏の”部下っぽく”なっちまったのだ。


 …それを今更、ン百年たってなんだよ?未練タラタラだなぁ。

「第一、なんか信長氏にヤキモチ焼いて聞こえんだが…だからァ、グジュグジュ泣いても変わらんでしょが」

私は、とっくにパジャマで寝床に埋まり、消灯しとるが…脳内がこんなで、眠れないのだ。

この頃も、仕事がかなり忙しかったのに、連日「坊主との対談」が続いていた。脳内で。

 こうして書き出してみると、やはり相当ヘンである。

当時もヘンとは思ってたがー私はあくまで”ン百年前の霊に憑かれた?”と思いこんでいた。

他に、誰ひとり”細川幽斎のキモチをわかれ〜ッ!!と執拗に命じてくる人物(?)が、思い当たらなかったのだ。


 ある夜ー

やっとこさ、フトンに入った。と、そのフトンの足下あたりー肉眼では見えない透明な”何か”が光った。

なんつーか…お坊さんの頭頂(原寸大)?

嫌な予感がし、更に両目閉じるとー今度は”絵”で、鮮明に見える光景があった。

フトンの上、丸まってる「細川幽斎」氏だ。

「かわい♡」と、何故か自分でほざいとる。追い出されない為の奇策か、ネコの真似でもしとるのかー

心ン中で、私はガバッと起き上がり、”細川幽斎氏”を責めた。

「ど…どこに、ボーズにフトン乗っかられて”かわい♡”なんて思うオバハンがおる!?えーかげんにせいッ!!」


(*統合失調症の原因・悪化要因は”不眠・睡眠不足”があるそうです。

こんなネタで、不眠が悪化した私はナンだったんだ!?と、近頃つくづく情けなくなっております…)



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