雪の日、鎌倉で
H22年1月だったか、<栃木/日光かまくら祭>の時、雪が降ったとニュースで言っていた。
明智、細川、他…各家のメンバーに、「遊びに来たら?」と、徳川家康氏が、お誘いしていた。
(織田家は、入ってなかったかもしれない。とにかくフィギュアで盛り上がってて、それどこでなかった模様。)
折角、イエヤス君の家(墓?)御近所でのおまつりだ。
病気といえ、「みんなでお邪魔したら?」とか、私が、脳内で、”皆”に勧めておるのだ。
オバケさんなんだし(??)「寒くないなら、女性陣は、アンティーク着物で出かけたら?」と、更に、余計な事を勧めていた。
イエヤス君が「ぜひ!!」との事でー明智、斎藤、細川ー他の面々が、なんと、まーた宴会してた。
せまいハズの、”東照宮のイエヤス君の部屋(墓)の中が……”同世代?の人々で、すし詰めになっていた。
酒類も、おつまみも”現代もの”だったのは、病気といえ、私の嗜好が出てしまったのだろうか?
相変わらず、「観音様ロングヘア」に白い洋装の光秀さん、ボーズルックの幽斎氏。
兼見氏、森乱くんまでいたような気がする。えらい賑やかだった。
「やっぱ、400年もたつと…丸くなるの?みんな全く”戦国”っぽくないんだけど…」
(戦国っぽくないのは、私の脳内だから、と、今では思うのだが……)
斎藤利三氏は、娘・福ちゃん(春日局…大人しい!)他、女性陣を引き連れて、雪の「日光見物」をしていたようだ。
彼自身、Yシャツ、スラックスの軽装だった。
うちに出てくる”利三氏”は、「なにもしてやれず、苦労かけたから」と、すごく家族を大事にしていた。
でいて、イトコとも言われる主君・光秀さんと「少し親密すぎる」形で出てきたのは何故なんだ??
「十兵衛〜」という、おとぼけ小説ならともかく…実際には、私はそんな事は考えてなかったというのに。
資料を見たら、享年49歳、45歳説がある(らしい)斎藤利三氏(妄想じゃ、何故か51歳になってたのがナゾだが…)。
”明智光秀の老臣”とも書かれるんだし、お若くはなかったと想像するがー何故か、”光秀おい説”まである。
そして、”そりゃムリムリやろ?”とツッコミ受けていた…
”美濃のマムシ”斎藤道三氏の関係者 or 無関係、と、諸説あるが、私は色々言える程、ネタを持ってない。
ただトシはーもし享年49歳だと……信長、幽斎両氏と”おない年”になるハズだ。
(”本能寺”当時。ちなみに、吉田兼見氏は、ひとつ下の48歳。)
もし光秀さんが、当代記”享年67歳”とすると…吉田兼見氏の”父上”と変わらんおトシ位になる。
つーか、67ー49=18歳。
光秀さん、”信長、幽斎(藤孝)、利三”三氏の<父上>で通るおトシ、になっちまう。
本能寺の前まで、”親友”と言われた”幽斎氏”と、そーんなトシ離れてたのだろうか??
ガラシャちゃんは、光秀さん48歳前後当時のお子さん、て事になるのか??
そんなに(当時の)御高齢の方、あの信長氏、”武将”として、近辺に置いてこき使えただろうか?
光秀さんは、豊臣秀吉氏とタメ張る元気を、持ち続けておったろーか??
”本能寺”の頃、細川忠興クンは19歳位か…2児はいた、”お父さん”だったハズだ。
このテの話は、個人差が激しいが、個人差あるにしても、「奥様の出産可能年齢」はあるだろうし……。
タイムラグなしの、「当時の方々の日記」の中じゃ、”本能寺”で相当、斎藤利三氏が動いてた”と、色々書かれているようだ。
ただ、斎藤福(春日局)さんが、江戸幕府で活躍し出し、彼女の関係者も、”徳川”のもと、高い地位についていった。
そう考えると、下記のネタなんか「…これも、なんか隠そうとした為の情報?」と、私なんかにゃ読めてしまう。
・斎藤利三は、”本能寺の変”に反対してたが、イヤイヤ付き合った。(某県知事氏の若い頃の、某◯ライデー襲撃事件みたいじゃん…)
・斎藤利三は、明智家に来て間がない、新参者だった。
・利三氏が、信長氏から「明智家から出す」よう命令があったが、光秀さんが従わなかった為、暴力をふるわれた。
後世の軍記物なり、お芝居なり、後世徳川の情報操作なり、あったのか?とも思う。
なんかね…ムリに、「光秀&利三」を遠ざけようとしてね?て気すらするんだよなあ…まとめて見ると。
このノリでゆくと、「利三=光秀おい説」も、創作かもしんない。年齢差をつけて、「利三氏は、光秀さんに逆らえなかった」ように見せるとか。
私の”妄想全開状態”と一緒で、”本能寺”関連情報は、それこそ、世間の「うろこ付きまくり」状態なんだろな、と思う。
どうやって”オバケさん達”が、「雪の日光」をアンティーク着物で観光したかは知らない(画像が来なかった)。
同1月16日の、「世田谷ボロ市」に行った際、この時のメンバーが”一緒”に来ていた(という妄想状態だった)。
妻、娘達が、着物を欲しがり、一部、本当に購入したのだ。
・桜色の帯(ヒロコさんへ、光秀さんが)
・夏銘仙で、「桔梗と、黄色い蝶」柄の青い着物(妻&娘達へ?、光秀さんが)
・オレンジ地色に、白ユリ、小菊柄の着物(孫娘へ、幽斎氏が)
これ以外は、とてもじゃないが、重量的にムリだった。ただ、同行の”妄想クン達”は、楽しそうだった。
”青い銘仙着物”については…帰りに、駅のエスカレーターに乗っている時、妙な感覚が湧いてきた。
「あれ、高かったかな…マズかったかな…」と、実際に、私が思っていない”考え”が脳に湧いてきて、びっくりした。
脳内で、観音様ロングヘアの光秀さんが、顔赤くして、申し訳なさそうに笑ってた。
夫/父として、「桔梗柄の着物」が欲しかったらしいが…「気にしぃクン」?
時折、彼は、「あ、こんな失礼な事言ってしまって!」と、バツ印のマスク付けて、黙ってしまう事があったし。
「そんな事ないよ。(着られないケド)珍しい買い物だったよ」と、脳内の光秀さんを慰めた覚えがある。
後で、脳内に(冬なのに!)モンダイの”青い夏銘仙”着たヒロコさん&洋装の光秀さんが、仲良く並んで現れてくれた。
(*ちなみに…ボロ市で購入した着物と帯も、2月の、統合失調症・急性期に、全て処分されました…)
ボロ市に話がいっちゃったな…「日光かまくら祭」に話は戻るとして。
ニュースになる位、この日の日光は、雪がしっかと降っていたらしい…で、脳内で”おみや”を貰った。
例の、「変に若い、内巻きボブ風+オレンジ色の服の”私?”」の所に、白いセーター姿の光秀さんが来たのだ。
笑顔で、こちらの手の平に、ちっこい雪ダルマを乗せてくれた。
”オレンジの”は、目ェうるうるさせて、喜んでるようだった。
「…あ???、でもこれ、”冬◯ナ”ネタじゃ…(よう知らんが)」と、”現実の私”がそう考え出したとき。
”光秀さん”は、イエヤス君の所に戻っていて、くつろいだ姿勢で、皆と飲んでいた。
うちのほう(関東中部)でも、冬の雲がぶ厚く、寒かった。妄想(と当時は気づかなかったが)の件もあり、
「今日、雪降るかもねー」と、周囲に話をふっていた。
降るわきゃ〜ない。”彼”はあくまで、私の脳内の”妄想クン”の、おひとりだ。
現実に、うちのほうで雪が降ったのは、この二日後だった。
ボロ市の「桔梗柄の、青い夏銘仙」の着物の件だが。
なんかのひょうしに、急に「脳内画面」が、真っ暗になった。こういう事は初めてだった。
と、ちびっこい”細川幽斎氏(子ボーズ姿)が、すっごく嬉しそうに、逃げてった。
その後…ヒロコさんの横、ムリヤリ幽斎氏に「青い夏銘仙」着せられた光秀さんが、座り込んで途方に暮れていた。
この頃になると、幽斎氏、「子ボーズ姿」で、やたら動きが早くなったがー
以前、落ち込みまくった時、光秀さんが「観音様風ロングヘア&ピンクのベール」姿で、寄り添ってくれたのが忘れられない(?)らしい。
何故か、”バービーちゃん人形”を出し、「同じ髪型」に結い、ピンクのベール”だけ”まとわせて喜んでいた。
(びっくりした光秀さんが、パッと人形を取り上げて困っていたが。)
かと思うと、現実の私が、電卓叩いて”光秀さんの年齢ねぇ”とか考えていた時。
(細川幽斎氏に仕えてたのが40代ってアリ?と悩んでいた。)
”光秀さんがネズミ年だとしたらー”と考えてたら、今度は、白いハムスター出してきて、ピンクのベール被せて喜んでいた。なに考えておるんじゃ??
(*いや…私自身も”考えて”これ出した訳でないんで…ドーパミンの作用が、わけ解らない…)
ハムスターも、光秀さんが慌てて、取り上げていた。
すっかり、ツルッパゲ姿で出るのが通常になった、幽斎氏。何故かこの時は”フルサイズ”なのだが。
人がひとりで(当然か…)風呂に浸かっていると、困った事に、脳内だと「ふたり並んで入浴」の図になる。
マンガ姿が、脳内に出るだけだが、とぼけた姿といえ、毎回困っていた。
「だからー、早よ向うに行ってくれ!!●でも見たかねーんだよッ!!」
向うも、”オバハンと一緒に入りたくない”と思ってただろうが…これも、毎日のストレスのひとつになっていた。
連日…ヘトヘトだった。
連日というと、とにかく、細川幽斎氏が「細川家」に帰ってくれず、困り果てた。
(*当然、妄想です…モノホンの”オバケ細川幽斎氏”が、我が家に来た事は一度も無いハズだ)
光秀さん同様ってワケでもなかろうが…”人と別れるのが、人一倍怖い”と言わんばかりだった。
「統合失調症」の産物の為か、セットがチャチなのは、毎度おなじみなのだが…
木製で、でーん、と「細川」と”彫ってある”大きな門が出て来た。キラキラ輝いちゃってる。
その置くに、光寿院さん、伊也さん他、”細川家の皆さん”がそろっている。
光秀さんとの関係を改善した=「”私”の役目はもう終わってるよね?帰ってくれないかな?」と、幽斎氏に伝えた。
ちっこい子ボーズの幽斎氏、イヤイヤをする。甘ったれてみせる。
「細川さんちのが、ごはん、ゼッタイ美味しいよ?」
納得する。(…)で、自宅に帰ってくれる事になった幽斎氏。
午前3時頃か。
砂糖菓子みたいな、カラフルで綺麗な光に包まれて、幽斎氏は帰っていった。
「…やっと、帰ってくれたね…」
私はホッとしてたが、脳内の「オレンジの娘」は、寂しがっって泣いていた…と、現実の私まで泣けてきた。
ところが、一日もたたず、「ただいまー!」と、笑顔全開でこっちに走ってくる幽斎氏。
子ボーズ姿で、細川家に「ただいまー!」で、我が家(脳)にも「ただいまー!!」
これを、一秒単位でやってくれた。
すっごい勢いで、動き回ってくれた。ドーパミン様様である。
仕事中もやられた。怖さこそ無かったが、本当に、残業する体力気力は、全く無くなっていた。
一日平均3時間の、睡眠時間だったと思う。疲れて、眠たくて仕方ないのに。
あくまで、私の脳内での話だが。
徳川家康クンが、なんとか、恥ずかしがる光秀さんと、話をしようとしていた。
キャラとしちゃ、割と大人しいイエヤス君だ。
どうやってか知らんが、脳内で、私が”会談場所”をセッティングしたらしい。何故か洋室。どっかのホテルの一室かもしれない。ランプやベッドがあった。
そこで、光秀さんとイエヤス君が、並んでいた。
……と、遠くから「どぴゅーん!」と、ちびっこいモノが走ってくるのだ…幽斎氏だ。
家康クンの目の前でー光秀さんを連れてっちゃったのだ。やはりヤキモチかなんからしい(なんで又?)。
こん時が、一番、速度が早かったように思う。
別の時に出て来た、長宗我部元親氏(マンガ姿)が、偶然目撃して、驚いていた。
「なにっ、あのヒト(=幽斎氏)そーだったの!?」と、こちらに食いついてきた。知らんわ。
”そーだった”かどーか、なんて、400年以上後の私に解ろうハズもない。
ただ、もしかしたら、だが、潜在的に「藤孝(幽斎)>光秀」という、主従関係は、残ってたかもなー、とも思う。
「兼見卿記」を、おおざっぱに読んだ感じでだが…
本当に、「山崎の合戦/坂本城落城」の4ヶ月後が、幽斎氏・初坂本入り、の保証はねーのだが。
(兼見氏自身が、必死だった時期で、イトコ幽斎氏の動向を逐一、日記に認めてる保証はないし)
だが、「4ヶ月後の坂本入り」で、細川幽斎氏が、なんらかのショックを受けてるようには、読めた。
その後、ナニが進んだかというとー
ダンナ・一色義有氏を父兄で殺害した娘・伊也さんと…兼見ムスコの「縁組み」だった。
なにか、兼見氏が、落ち込んだ(?)幽斎氏に、めでたい事をあげてるような…なぐさめてる感が無くもない。
私の脳内で、幽斎氏得意の「和歌」が出てくる事は、ほとんど無かった。
豊臣秀吉氏を喜ばせたらしい、「青のりにくるまれた豆=コケのむす豆」といふの、ダジャレ?
「今なら、”苔の〜”だけで通じるな」
そう言っていた、脳内の細川幽斎氏。
この時くらいだろうか?”文化人ぽく”見えたのは。