長宗我部くんと徳川くん
H21年11月中旬だったとおもうがー
会社の仕事で、納期前に仕上げたのに、急遽、全面やり直しを命じられたものが出た。
おかげで連日、10時代終了の、残業漬けになってしまった。
私も会社員なので、当然の事、従った。つーか、やらにゃ終わらんでしょう、仕事。単純に。
ところがー”脳内”でー細川幽斎氏(3等身)が、わんわん泣きわめく。
「帰ろーよう、見てられないよう」と、子ボーズ姿で、ひっきりなしに泣くのだ。
(*必ずしも、”自分に同情して、こう出てきた”訳ではなさそうです。これのおかげで更に苦境に立たされました。やってる事はジャマですから)
残業時でも、通勤中でも…しまいにゃ、仕事中まで「泣き続ける」。
すると、困った事に、”現実の私”も涙が出てきてしまうのだ。止まらない。始末が悪いったらありゃしなかった。
後でー治療を始めてから、会社の先輩に伺ったら、周囲に”泣いてる”場面を目撃されてしまってたようだ。
私なりに、必死に隠していたのだが、無駄骨だった…
”見てられない”から、幽斎氏、私のかわりに(?)PC作業し出す。
残業時、私が机でPC操作しとると…墨衣、ツルッパゲ姿で、脳内に現れー”代理”で、私の手足を動かし始めるのだ。
意識の上じゃ、私は「座る幽斎氏のとなりに立って見てる」感じになる。
そして幽斎氏、入力しながら何故か下ネタを言い、急に現れた長男「細川忠興クン」に殴られていた。
……当然、実際にPC作業してるのは”私”だがー更に疲れた……
しまいにゃ、”歩くのも大変だ!!”と、口出しし始めた。
重たい<現実の私の肉体>を、オバケ幽斎氏が乗っ取って”歩かせ”ーその横、幽霊状態になった私の魂が、飛んでるのだ。脳内の画像じゃ。
しみじみ、変な妄想である…
自宅に深夜、帰宅するとー私のそばで、ベロ〜ンと伸びきったボーズ風・細川幽斎氏の”画像”が見え、その側で、明智光秀さん(観音様風ロングヘアに洋装)が付き添い、介抱しあげてるのだ。幽斎氏はミョ〜に嬉しそうだった。
やっとこさ、問題の仕事が片付いた、H21年12月上旬。
「服が無い〜!!」と困ってたので、急遽アウトレットに出かけ、コートを物色していた。
(当時の美意識と違うハズだが)幽斎氏、「ウェストを絞ったタイプのコート」が気に入り、選びやがった。着るのに未だに苦労する。
更にー”これ”は、私は、視界に入れた覚えすらないのだがー
急に、サッと勝手に、右手が動いた。
ひとつ、「ブツ」を掴んでいた。掴んだ私自身が「…???」と悩んでいた。
カラシ色の、縄編みのマフラーだった。
本当に、スリでもやったように、素早かった……これも「やらされ行動」とかいうものだろうか?
見たら、「子供用」だったが(笑)ーこのマフラー、購入した。
大人でも使える長さだったし、この所の「お手伝い」のお礼、という事にした。
(*振り回されてました…1年以上?”きっちり”出始めてからでも半年以上のお付き合いです。
本来なら、実在した歴史上の”細川幽斎”氏とは、全くの無関係ですし、担当の先生にならい”子ボーズ”とでも呼ぶべきでしょうが…
かえってややこしいので、そのまま参ります。
”藤の花”が咲いていると、喜ぶし、ペリウィンクルの青紫色の花見て”桔梗みたーい!”と喜ぶし…)
幽斎氏ほどではないが、私を”振り回してくれた人物”が、もひとりいた。
土佐の「長宗我部元親」氏だ(当然、架空の、だが)。
元親氏は、四国を代表する戦国武将のひとりで、「◯HK大河ドラマ」リクエストNo,1のおひと、と聞いた事もある。女性ファン多し。
明智光秀さんの、長年の盟友だった。
「四国統一」を目指していたものの、織田信長氏の、一方的「方向転換」で、”敵対武将”になってしまった。窮地に陥ったのだ。
「本能寺の変」6月2日の翌日ー6月3日が、<信長が、ムスコ信孝の軍勢を、四国に派兵する>まさに、「予定日」だったのだ。
光秀さんと、元親氏は、なが〜いおつきあい、もあるがー
光秀イトコ?斎藤利三氏&石谷頼辰氏の妹御が「正室」、光秀メイ??が「側室」という…「一族といってもいい位近い」存在だった。
織田信長氏からみたら、部下・光秀さんは「謀反人」にあたろうが…
長宗我部元親氏からみてみると…光秀さん、「命の恩人」なのだ。
最初に、「長宗我部元親氏」らしき人物が出てきたのは……◯HK大河ドラマ「龍◯伝」放送一週間前だった。
脳内に、どこか判らん場所が出てきた。おおっきな立て看板が見える。描いている最中で、ちいさい人影が動いている。
看板は、「坂本龍馬姿の福◯雅治氏」が、描かれてゆく最中だった。
どうも、これが、同じ土佐出身・元親氏(地元宣伝活動中)らしかった。
同じ日、遅い帰宅中、空に、たまたま「とぐろ巻いた龍」みたいな雲が浮いていて、変に気になっていた。
初回だけ、「龍◯伝」を観た。
オープニングから「龍」出まくりで、根拠もなく「ああ…」と、思った覚えがある。
数日後、フツーに、出社の身支度しておると…
脳内に、急に「馬」が現れた。
”キキーッ!”と言わんばかりに、<脳内の私>の前で止まった。上に武者が乗った馬。すべてがマンガ風だ。
兜なしの、白ハチマキにロン毛の”武者”が、笑顔全開で、手を振っているのだ。
「チコクしそうなんだろ?」と言うやいなや、ヒトの腕掴んでーそのまま猛スピードで走り去ってしまった。
数秒後、慌てて戻ってきた。
「あの…(ぜいぜい)…”魂”だけ出社しても…”本体”が行かないと…」
「あ…そっか…」
この”そっか”と言った武者が、”長宗我部元親”氏だった。
ちなみに「B型?」と聞くと落ち込む。(これは、信長氏も同じだ)なんでやねん?
次に、元親氏が出てきた時、「デカいバイクにまたがって」いた…まあ、”馬”と似てなくもない。黒い皮のライダースーツ姿だった。
で、おひとり、女性を乗せていた。
楽しそうに、ふたりで走り回っていた。
”彼女”は、みんな(女性陣)と一緒にやはり着物を着て、くるくる笑って見せてくれた。
この、元親氏の女性、細川ガラシャさんをパァっと明るくしたような(ガラシャさんのクールぶりに対し、庶民的というか)美女だった。
最初、単純に「奥様?」と思っていたのだがー
ずいぶん後(治療開始数日前)になって、元親氏の側室さん(光秀氏姪?)では?と思うようになった。
正室さん(斎藤利三氏妹)が、別口で、出演してきた為だ。彼女は(妄想の中では)大人しげな女性になっていた。
<実際>はどうだか解らないけど。そもそも”側室さん”は有名じゃない。本当に存在されてたか?姪なのか??とも思うし……
武将姿で出てきた、もうおひとり…安田作兵衛氏(信長氏を直に討った人)。
”本能寺の変”後、森家に仕え、さらにさすらい…”本能寺”の日、自殺されたと、なんかで読んだ…波乱の人生送られた方だ。
一度しか、出てこなかった。
明智光秀さん、斎藤利三氏と、涙なみだの顔合わせをされていた。
一説に、安田氏、「明智側敗戦」の後、明智貞子さんをかくまっていた、て話があったがー本当なんだろか??
昔の姿でーというと、もうおひとりいた。大御所が。
私は、彼は、「細川忠利氏」(幽斎&光秀マゴ)に、熊本藩54万石を与えたのは…”光秀さんへのお礼?”と、勝手に思っておるのだが。
”彼”は、登場時……暗めの部屋(うす黄色い照明?)のなか、ひとり黒い束帯姿で、鎮座していた。
部屋は、なにもない。一枚、掛軸(本人と同じ、束帯姿の男性の絵)だけが掛けてある。
空調もなさそうな部屋、ぽつんとひとり、じっと、座っているのだ。
これがー”徳川家康氏”の、初登場シーンだった。
ちなみに、こんな”大河”な服装は、こんときかぎりだった。
イエヤス君まで、後は、またショートヘア、白Yシャツ、スラックスかなんかになっちまっていた。
この密室は、”日光東照宮の、東照大権現サマのお部屋(墓)内部”らしい。
唯一の飾り”掛け軸”は、「3代目(実質、初代松平)/松平信光氏」らしかった。
ず〜っと、日本の天下太平を護っていたんだろう、”徳川家康”が、動き出した。
(後のことは、御近所のマゴ・家光クンに任せたらしい。)
イエヤス君、ざっくりショートに洋装で…ムリに似てるヤツを探すと…「キャ◯テン翼」の若林源三あたりだろうか??体格が良いのだ。
やはり、彼もマンガ姿なのだ…なんでなんやろ?
出て来た「イエヤス君」は、切実に、明智光秀さんと、接触したがった。
ところが、なんでか、光秀さん側が逃げる。スゴク恥ずかしいらしい。
どうも、地名「明智平」だの、「徳川家光(家康+光秀=家光、という名付け説アリ)」だのが照れくさいようだ。
偏諱…どうでしょうねぇ?確かに、”家光”と名がついたのは、家康氏死後だけど……
家光元服前に決めておく事くらい出来るしね?大事な事だから、家康氏生前に考えてたかも。
私は、①家康(父祖)+光秀(10日少し、といえ、時の権力者)、②家康(時の権力者)+松平信光(父祖)、の両説をとっています。
イエヤス君側は、「どうしても光秀さんに遇って話したい!!」と、切羽詰まった感じだった。
ただし、(うちに出てくる幽斎氏みたいに)「光秀みつひで〜!!」と騒いだりはしない。沈んだように無口だ。
それがかえって切なげだった。
別に、光秀さん側は、無視してるワケじゃないのだが、思い詰めてしまってるらしい。
「ま〜た、私が、仲介役ですかぁ!?」
なんせ、”私の病気の妄想”なので、最終的に、私におはちが回ってくるようだ…後述します。
”妄想”のネタは、必ずしも”歴史上の人物”だけではなかった。
後半から増えたのはむしろ、近年お亡くなりになられた方々か…生きてらっしゃる方々だ。知人から政治家から、多彩だった。
ネタは、苦しいものもあったが、私にとって不快なものは少なかったのが、幸いだった。
だが…登場人物として、「細川幽斎&明智光秀」が、突出して多かったのが、腑におちない。
なぜ、このコンビやねん??
現・細川家さんも、「綿考〜」等の影響もあると思うが……
「逆賊・光秀に組みしなかった細川幽斎」てな、枕言葉がついてまわる。
御内心は、違うのかも知れないがー
「織田信長&明智光秀、ご両家御子孫様の和解」てな事は…明智・細川間には、無理なお話なのだろうか…?
個人的には、憧れているのだけれど。
病状のせいか、何度となく、<架空の幽斎氏>に”両家の末長いな◯よし”を、祈らされてきたのだ。神社仏閣を通るたんびに。
これは、H21年と思うがー
ある番組で、「イタリアの美しすぎる◯◯(色んな職業の女性)」というコーナーがあった。
私の家では、TV観ながら食事中だった。
…と、私の脳内に、急に「画像」が展開し始めた。
よく知られる「明智光秀氏肖像画」がななめに出てきてーその手前、子ボーズ・細川幽斎氏が、両目♡♡、更にハート飛ばし続けているのだ。
そういう画像が急に出てきて、続いた。面食らった。
”統合〜”のカンケーで、周囲の物事に、簡単に反応しただけと思うがー
「美しすぎる戦国武将・明智光秀チャン by幽斎」とでも言いたげだった。
どっから、こんなキャラが形成されたんだかー
”光秀氏の出る茶会、連歌会に、すごい出席率を誇ってた”とは、ネット情報で見はしたのだが……
妄想は、幽斎、光秀両氏が中心だったが…
女性陣(妻&娘)さん方の間で、私の集めていた”アンティーク着物”類が、取り合いになっているようだった。
よく着付けられるな、と、関心していたが…
脳内で、彼女達がよく、気に入ったコーディネートを見せてくれて、面白かった。
「うちの御近所に、リサイクル着物店があるよ」と、教えるとー
幽斎氏妻・光寿院さんが、眼をキラキラさせて、みんな引き連れて「ゴー!!」と…集団で、飛んでいった。
後で、光寿院さんが、”新しい着物コーデ”を見せに来てくれた。が……
「ゴメン、折角なのに…私の脳にデータが無いせいか、”着物”が見えないんだ」と、詫びた。
”脳内のもので構成される、統合失調症の妄想”という、教科書?まんまの事が、私の脳内で起きていたようだ。
幽斎氏は、お気に入りのボサノヴァ「メディテーション」に合わせ、テンポ良く出て来たりしていた。
明智光秀さんを筆頭に、”身内”で仲良くいられるのが、嬉しくて仕方ないらしい。
新年会は、1月5日(会社初め)でも、ま〜だやっていた。
というか、”明智さん単独新年会”だったのに、嬉しすぎて、勝手に乱入してったらしい。
で、盛り上がっているさなか、「ガラシャさん達を護った」という理由でか、皆に胴上げされていた。
「シャキーン!」と、幽斎氏がじかに効果音付けて、画像「鳳凰つき・うちの社の年賀状」が出てきていた。
それでいてーひと悶着あったようだ。
仕事中、何度か宴会の”光景”が、こちらに見えるのだが、「ストップ!」て感じで、斎藤利三氏が、こちらを静止する。
マンガっぽい、乱闘騒ぎがあったらしい。細川幽斎VS斎藤利三、明智秀満、というメンバーらしかった。
仲が悪い、てワケじゃなさそうだ。
”光秀さんと、利三氏が、仲良すぎる”と、幽斎氏がヤキモチでも焼いたのが原因らしい。
……という光景が、「仕事中」に、脳内でチラチラする。
私なりに、マジメに仕事しとんのに、なかなか集中できず、消耗していた。
家に帰ったら帰ったで…各家の女性陣(の3等身姿の妄想群)がワイワイ集まって、”着物”で楽しく遊んでいた。
”私”の落ち着く場所がなかった。
可愛いはカワイイが、室内で、着物取り合ってケンカしてたりするし。
(*”統合失調症”の、症状のひとつ、”みんなに見張られている”と思い込む妄想…に、似てる、かな…??)
H22年1月に入り…この頃は、ほとんど残業していなかった。
出来なかった。年末からの持ち越しを、本来なら、必死になってこなしたかったのに。
上記の妄想の上に、”妄想クン達からリクエスト”で、あれ作って!てな事も連日あり、とにかく疲れきっていた。
妄想だけでも、随分、エネルギーを消耗していた。
後で考えると…2月に、異常事態(=急性期)になる予兆は、十分あったように思う。