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H22年、元旦

 H22年元旦

年初めに、細川幽斎氏にやらされた事。それは”羊羹”の購入だ。

「丹波ようかん」てのに、オレンジ色の包装させられ、錦のリボンで飾った…それを枕元に置いて、就寝した。


 脳内に、ひろい会場が出てきた。天井に、赤く「寿」の文字が見える。(どういう室内装飾だ?)

明智家、その他関係者さん、「新年会」をやっていた。

そこへの「御年賀」だという。場はかなり賑やかだ。

(これは、数日間続いた。こちらの<初出社の日>までやっていた。)


 なぜか、参加者が全員、「3等身」くらいに見える。ぎっちり人が溢れていた。  

幽斎・光秀ご両人も、珍しく、紋付袴姿だった。

幽斎氏は、最近見ない「剃髪」に戻っていた。で「子ボーズ」に見える。

その姿で、笑顔で「背中の羽根」をタケノコみたいに出してみせ、周囲にパタパタ自慢していた。


 この時、織田信澄くんは参加してたようだ。奥様(明智貞子さん)と仲良く出てきた。

長宗我部元親氏は、いなかった。かなりお忙しいようだった。

地元「土佐」で、◯HK大河ドラマがはじまり、”協力”していた為(という設定)らしい。


 場面は変わって…

ひとり、戦国当時の服装(肩布・袴)姿の若人が出てきた。やはりマンガ姿だ。(←本当になんでだ?)

かーなり、おおきな声で、なにか叫んでる。のだが、”それ”が聞き取れない。

むかーし、あったアニメ「はじめ人間ギャートルズ」に出てきたよに、「でっかい文字」化はするのだが…

読み取れるのは、「た」の、一字のみ。


 この「た」が、「たまさ〜ん(=細川ガラシャ)!!」と解るのに、少々時間がかかった。

”戦国の若人”、正体は、森乱くん(”蘭丸”は、”惟任退治記”作者・大村由己のネツゾウ)だった。

私の所にきていた”森くん”は、当時の髪型、服装(肩布袴)のまんまだった。

そして、こともあろうに、主君・織田信長氏(も、ここが初登場だ…)を捕まえ、えんえん、説教してらっしゃるのだ。

「信長様のせいで、僕まで”同性愛者”と、世界的に思われているんですよ!どーしてくれるんですッ!?」

「…えーと…」

両ひとさし指、つんつん突き合わせて困ってる、「あの」織田信長氏。


 ”蘭丸”と名が変わっちゃったのは、信長さんのせいじゃない。が。

”同性愛者説”、若き日の信長氏、”業績”はあるらしいので、どーともコメント出来ない。

私は、個人的には、信長氏は相当苦手(信長公記も、もー血みどろだし…)なのだが…

<妄想登場>冒頭から、気の毒な登場の形なのは、忠興くんと一緒である。


 そういえば「お参り」のシーンも出てきた。私は信心深くないのに。

H22年1月2日だったと思う。

細川幽斎氏(髪アリ)と、明智光秀氏(観音様風ロングヘア)が、同じく「3等身・羽織袴」で、仲良く、RPGみてーにチョコマカ動く。

どこかの、深い木々の山の中、階段を上ってゆくのだ。

神社(頂上)について、「パンパン!」と、ちゃんと、かしわで打つ音が聞こえた。

「どこ?愛宕神社(東京都)さん?」と聞いたが、違うらしい。


 冬休みのどこかと思うが、ダウンしてしまった日があった。一日、横にならざるを得なかった。

(*ところが、”妄想”がひっきりなしに出てきて、休んでたのに、更に疲れました。ドーパミン過剰のせいでしょうか…)


<休んだ>状態で、”オレンジの娘(むこうの私?)”が、ず〜っと、説教しまくっていたのだ。

犠牲者は、細川忠興くん。何故か、彼、全く口答えしない。

「貴方は、後年、実の父親を”切り落とし”ましたね?」

「関ヶ原の後の、息子達への、あの態度はないのでは?」

「豊臣から、徳川への政治移行のなかで、舵取りが大変だったのは理解できる」

などなど…これ、必ずしも私自身の意見ではない。なんか”自分の脳内から、データが吸い上げられて、勝手に構築された見解”て感じだった。

この時の”20歳位のオレンジの娘”は、おごそかっつーか、偉そうだ。”私”ではなかった(という設定)らしい。

全く、忠興くん、言い返さない。

そこへ、ガラシャさんが通りかかった。

そしたら、ガラシャさんにまで”演説”しはじめる”オレンジの娘”。

「貴女が、お父様を心配するのは解るが、幽斎氏はもう少ししたら落ち着くので、しばらくは見守っててあげてくれないか」

「貴女は、忠興氏の側室問題で辛い思いをされていたが、小也さん(=姪)については、”明智一族身柄保護”の意味合いもあったのでは?貴女が亡くなられた後、彼女が正室に近い扱いを受けたのは、”細川家と明智家を一体化しようとされてたのかも」

ガラシャさんは、何気なく通過しただけらしいが…ぽかんと口をあけて…で、やはり一切、反論してこないのだ。

 忠興くん、何故か”オレンジの”に、「へへ〜!」と、土下座しているし…


 後で出た「設定」だと、ここで”説教”してたのは<私>ではなく、<私のデータを使った”仏様”のどなたか>らしいのだが…

宗教に関心ないのに、ややこしい。とにかく具合悪い時くらい寝かせてくれ。

どうなんだろなー?私は、信心深くないのに、結構、宗教的な事象?が”妄想”で出てきた。

統合失調症は、120人にひとり位は患者さんがおり、「ストレスと不眠」が、病因という…病因を考えると、意外に発症しやすい気がする。

「症例」によっちゃ、<同じ目に遇った>ひとの中には……”私は神様(他)に選ばれた”と、誤解されてしまう方もいそうだ。

 

 そういえば、先日飛び去ったガラシャさんは「青紫の銘仙着物」じたいは、「お気に入りだった」そうだ。

「原色の青が好き!」だそう(私に、着物店通いさせたの、ここでは選んだ舅・幽斎氏、となっていた)。

後でガラシャさん、銘仙着物で、学生みたいな「ダンナ様」と、睦まじくデートに出かけていた。

また、笑顔で「うち(=明智家)、みんな仲いいんです♪」と、嬉しそうに自慢していた。


 で、森乱くんに戻るがー

森乱(乱丸)<1565〜1582年>、若くして、二人の弟くん達と、”本能寺の変”で亡くなられている。

つらい所だが…細川忠興・ガラシャ夫妻と、そう年が変わらないのだ。

複雑な気分だ。当時の死生観は、現代のそれとだいぶ違うとはいえ。

で、「たまさ〜ん!!」の件だが、ドーパミンのせいなんだろが、どうも、こちらじゃ「細川ガラシャ(明智玉子)に憧れていた」という設定になっちまってたらしい。

事実は知らんが。そもそも面識があったのか?という疑問のが先に来るが。


 家族3名も失った、”本能寺の変”の後の「森家」だが…

有名な話だが、「信長・乱丸を討った明智方<安田作兵衛>氏」を…召し抱えている。

「武功は武功」として、家臣の反対を押し切った家長・森長可氏

スゴイ話だと思う。”武士の”というか、”当時の価値観”が凝縮された話だと思う。


 森家は(本物の、織田信長氏遺体が埋葬されてると聞くが…→)織田家に関わりの強い「阿弥陀寺」を、同寺に圧力かける豊臣政権下で、大事にしていたという。

と同時に、「安田作兵衛」氏をも、手元に置かれたのは…

どこかで「明智光秀氏が、動かざるをえなかった」部分も、理解されてたのだろうか??

個人的には、森長可氏にインタビューしてみたい位だ。

(いや、現実には、”当時”の主要関係者全員に、お話伺ってみたい…んでないかな?多分、大半の日本人は。)


 ”脳内”に現れた、森乱くん相手に、私は(自覚なく)無神経かつ、トンチンカンな質問をしていた。

「…もしかして、光秀さんを”お父様”と呼びたかった、とか…??」

なんと、両手組んで、全面笑顔で、お乱くんが、うなずいとるのだ…

(*↑これも、ほかの妄想同様、なにが根拠か解りません…。)


 うーん…多分、”健全な森蘭丸”って、みんなあんまり想像しないだろーなぁ。

(*”不健全”は適語でないにしても、”おでんと光秀が好きー!と騒ぐ”細川幽斎”も、想像するヒトなぞおらんと思うが……)


 ”観音様風ロングヘア”の光秀さん、他「明智サイド」の方々と、森乱くんが、笑顔で握手をし合っていた。

当のガラシャさんは、何故かみかん食べていたが、森乱くん、光秀さん達より更に嬉しそうに、握手してまわってた。

とにかく、想像したことのない光景だ。

「…400年以上経っちゃったから?今が”戦乱の世”じゃないからかな?……平和って、偉大だよな」


 他、誰が出てきたっけ?”新年会”に。

吉田兼見氏(幽斎イトコ、サラリーマン風の姿で出てきて、酔っぱらいすぎて、イトコに怒られていた)。

織田信澄氏(織田信長甥&明智光秀娘ムコ、元気が良くて、カワイイ貞子奥様を振り回していたよう)。

柴田勝家&お市ご夫婦とかも出てきていた。

光秀さんは、気の強いお市さま&濃姫が、なんとなしニガテそうだった。礼儀には気をつけてたが。


 織田信長氏も、一緒に騒いで盛り上がっていた(皆と同じく3等身)。

泣いて、信長氏にわびている、明智光秀さんがいた。

その「キンカン頭?(観音様ロングヘア)」を、なでて「悪かった」と謝ってる、信長氏も見えた。

どちらも、「あるわきゃねーだろ!!」と言われそうな光景だったが…病状の進んだ私の脳内?では「実現」してしまった。

 安土の頃は戦争漬けで、「戦闘状態が当たり前だった」から…”覚悟”してた所あるのか?信長氏も、光秀さんも、みんな。

よくわからなかった。

 

 織田信長氏、もっか興味は、御子孫サマ(てバレバレでしょうが)の、フィギュアスケート一色らしかった。

茶筅マゲ、具足の上に、ヒトの「グリーンのプリーツスカート」はいて、会社の机の上をスケート靴で滑りやがった。ちっこいサイズでだ。

光景が、”マンガ空間に切り替わった”状態だったがーこれも立派な「妄想」なんだろな。仕事の妨害してくれた。

3等身だった…これも”メモル”の項で出た”魂の姿”てワケじゃないだろうが…


 お市さま(有名な、信長氏の妹御)まで出てきた。

私があまり、信長氏が得意でないのを知ると、兄をかばい出した。

「いい兄なの!さっぱりした性格で(そう?)。嫌わないで!」と、健気に訴えられた。

 だがー”自分の好みの物獲得”となると、豪腕を発揮し始めた。

赤と黄がすごい好きで、ねだり倒され、この色の帯を急遽、縫わされたりした。

更に、お市さま、(小袖姿で)ノリノリになり、信長氏とふたりでペア組んで、フィギュアを滑ってくれた。

が、調子に乗った信長氏に「ひょ〜ん!」と、放り投げられてしまい、烈火のごとく怒った。

「黄色い着物買って〜!!」と、何日も、信長氏に食い下がっていた。


 濃姫(=帰蝶さん、信長氏正室)も出てきた。

いきなり目ェつり上げて出てきた。「戦国の姫君」まんまの服装で、怒りのオーラ全開だった。

仕事中、周囲が「マンガ空間」に切り替わり、ドアから「バタン!」と入ってきた。

(思えばこの時点で、統合失調症が結構、進行しちまっていたのだろう…)

会社近辺の、デパ地下から持ってきた(?)食料を食べ始めた。

食べる食べる食べるー「どしたの?」という程、山積みの食料品、平らげてゆくのだ。

そういえば……

「…織田さん家の食事、しょっぱくなかった?」

脳内で(仕事しながらだが)濃姫に聞いた…「ビンゴ!」という表情になった。


 本当にー”信長さんちの食事”は、尋常じゃなく、塩辛かったというがー通常の3倍くらい?

塩をそのまま舐めたりしたらしい。

”織田信長、高血圧でキレやすかった”説まであるくらいだ。

 

 その後ー濃姫だけでなく、他の側室さんたちにまで、”女性集団”に、信長氏、追っかけまわされていた。食料のウラミ?

ボロボロになった信長氏と…となり、バツ悪そうにすわる、お市さまがいた。


 明智さんのほうも書きますか。”戦国武将の結婚”が、こんな呑気なものとは、考えた事もないのだが、”脳内ネタ”として。

「妄想」で、登場人物がどんどん増えるって例になりそうだし。(こんなもんじゃなかったが…)

光秀さんのお子さん、正確な人数すら解らないと伺うがー


 まず、明智倫子さん(範子さんとも。秀満氏妻)

うちに、「マ◯ケンサンバ」が踊れそうなスゴイ着物がある。濃水色×オレンジの縦縞の、銘仙着物だ。

これを好んで、着て現れてくれた。ラスタカラーも好きで、ラテン系シュミらしかった(私の脳内では、です!)。

「アフロのカツラ。サングラス、70年代ルック」で、出てきたりもした。

ダンナ・秀満君いわく「気の強い女が好きだから」とか…服のシュミは?


 明智貞子さん(織田信澄氏妻)

一見おとなしく、「強引なダンナ様が大変で…」とか言いつつ、ラブラブそうだった。

黒の、雪花紋の着物とか着てくれていた(これも現存しない)。

私の着物本で、現代(と言ってもアンティーク)着物のお勉強を、熱心にしていた。マジメなキャラだったがー

”妄想”状態で、うちの社まで”集団で同行”してきた際、うちの男性社員にかっこいいヒトがいないか、楽しみにしていたようだ。


 明智律子さん(養女さん?狩野家にお嫁に??)

彼女は「水色が好き!!」と言っていた。他3名が「ハッキリした青」がいい、と言ってた(光秀さんがガッカリしてた)のと対照的だ。

ダンナ様が、狩野家(画家…というか、デザイナーかな当時の)で、「大名」他、受注作成していたのがあり、「可哀想!」と言っていた。

好きな物が書けない、の意だろうか?


 斎藤利三氏&奥様

奥様と、「何色が好きなんだ?え?紫とピンク〜っ!?」という会話が聞こえてきた。

利三氏、お子さん達、奥様、母君の事を、すごく大切そうに話す場面が出てきた。

(これは完全に架空だが)”家紋は、雪輪だ”と言い出した。で、雪輪柄を見つけると、すっごく嬉しがるのだ。

光秀さんがらみで、ギャグもやってくれたが、今いちイミが解らなかった。


 斎藤福さん(=春日局・斎藤利三氏娘)

まだ娘姿で、おとなしいがーキャリアウーマン状態だった。”出社”のおり、先輩の仕事ぶりに感服していた。

それでいて、最近の、例えば菓子みたいな美味しそうな色とか、フランス趣味が好きらしい。

ア◯ロチョコ買う約束してたのが、伸び伸びになってしまった。


 沼田麝香さん(=光寿院・幽斎氏正室)&娘さん達

出てくる「細川幽斎氏」が、途中から「昔の資料は見たくない、当時を思い出したくない〜!!」と騒ぎ出し、私側は一切、”本能寺他”歴史資料に当たれなくなった。

(*字が読めなくなる…というか、受け付けなくなる、ていうのは、精神系の病気では、ある事らしいです。私も、新聞がダメになりました。)


 光寿院さんは…ダイナミックな趣味のヒト、てキャラで出てきた。ガラシャさんとも仲が良さそうだった。 

娘さん達は…いや、賑やかだった。当時、自宅にあった私の着物の分配なんかをやっていた。

「夫が、帰ってきてくれて良かった…」

気丈な、光寿院さんが、涙されている場面もあった。


 筒井順慶氏

本当に、最後のほうに出てきた。

「彼、出てこないね〜」と思ってると、<ひとつの部屋>が脳内に浮かんだ。

マンガっぽく、「し〜ん」という”文字”が浮いた、暗い空き部屋だ…と、急に、ひとり男性がにょこっと、顔出した。

彼が、順慶君らしかった…なんと、なでつけ気味ヘア、濃灰色のスーツ姿だった。

「せ◯とくん」じゃないケド…”あの世”から、奈良の観光PRに尽力してて忙しかった(長宗我部君と同じパターンだ)そうな。


 他のメンバーよか若い(光秀さん、享年67歳だと…ヘタすると”孫”くらいのトシになる…)順慶くん。

”光秀さん”と”藤孝氏”の間にはさまれて大変だった、と訴えられた。どう大変だったかというとー

(*架空ですよ!!)

「付け文送ったが返事がない!」(藤)&「もらってしまった!!」(光)という…あ、ありえん!!

 結構ガマン強く、「なんで光秀を助けなかったんだ!!」と、(自分棚上げの)幽斎氏の、泣きわめき抗議にも、ぐっと唇かんで耐えていたようだ。

 私も”助けてあげて欲しかった”がー

多聞院日記を見ると、相当、当時「情報が錯綜していた」ようで(細川氏も死んだ、てな情報も来ていたようだし)、かなり判断に困ったんではないかと思う。羽柴&明智の双方からの「圧力」もあったろうし、大和の「長」として、判断下すのは楽じゃなかったろう、と、少し同情してしまう。

当時は皆、同じ状況だったと思うけれど。


妄想のネタで、御大がふたり、残ってる…書ききれるかなぁ?






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