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# 第四章 黒幕との最終決戦
深夜の学院に響く鐘の音が、12時を告げていた。アルトとエリーゼは約束の場所で落ち合い、今夜こそ真相に迫ろうと決意を固めていた。
「今夜は空気が違う」
エリーゼが夜空を見上げながら呟いた。厚い雲が月を覆い隠し、学院全体が不気味な暗闇に包まれている。
「僕も感じます。昨夜より遥かに強い邪悪な気配が漂っている」
アルトの表情は深刻だった。長年の経験が、今夜何か重大な事件が起こることを告げていた。
「私の予知能力も警告してる。とても悪いことが起こりそう」
「だからこそ、今夜で決着をつけなければなりません」
「ええ。もうこれ以上、学院の皆を危険にさらすわけにはいかない」
二人は手を取り合い、暗闇の中を歩き始めた。目指すは学院の最上階にある禁書庫。昨夜の調査で、そこに重要な手がかりがあることを突き止めていた。
「静かすぎるわね」
「ええ。まるで嵐の前の静けさのようです」
石造りの廊下を歩く二人の足音だけが、静寂を破っている。壁に掛けられた肖像画の目が、まるで二人を見つめているかのようだった。
「アル、お聞きしたいことがあるの」
「何でしょうか?」
「昨夜見た禁忌の魔導書...あなた、以前にも見たことがあるのね?」
エリーゼの鋭い質問に、アルトは少し躊躇した。
「...はい。実は、その魔導書を封印したのは僕自身なんです」
「やっぱり。あの時の反応で分かったわ」
「若い頃、その魔導書の危険性を知り、封印することにしたんです」
「どれくらい危険なの?」
「使い方次第では、世界を滅ぼすことも可能な力が記されています」
エリーゼの顔が青ざめた。
「そんな恐ろしいものが...」
「だからこそ、絶対に取り戻さなければなりません」
「分かったわ。私も全力で協力する」
二人の決意は固かった。
階段を上りながら、アルトは過去の記憶を辿っていた。あの魔導書を封印した時のことを思い出す。
「あの時は、セレスティアも一緒だった」
「祖母が?」
「ええ。封印の儀式を手伝ってくれたんです」
「祖母からその話は聞いたことがないわ」
「恐らく、あまりにも危険すぎて話せなかったのでしょう」
「そうね...祖母らしいわ」
エリーゼの表情に、祖母への愛情と尊敬が浮かんでいた。
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最上階に着くと、禁書庫の前で二人は立ち止まった。重厚な扉の向こうから、微かに光が漏れている。
「誰かいるようですね」
「ええ。きっと犯人が...」
「慎重に行きましょう」
アルトは扉に耳を当てて、中の様子を探った。
「複数の声が聞こえます」
「複数?」
「どうやら犯人は一人ではないようです」
エリーゼも耳を澄ませた。
「確かに。少なくとも二人はいるわね」
「計画的な犯行だったということですね」
「でも、学院の誰が...」
二人は顔を見合わせた。信頼していた教師や職員の中に裏切り者がいるという事実は、受け入れがたいものだった。
「とりあえず、中を覗いてみましょう」
アルトは扉を少し開けて、隙間から中を覗いた。そして、息を呑んだ。
禁書庫の中央には、昨夜よりもさらに複雑な魔法陣が描かれている。そして、その中心には盗まれた魔導書が浮いていた。魔導書からは邪悪な魔力が立ち上り、部屋全体を不気味な赤い光で照らしている。
そして、魔法陣の前に立っているのは...
「ルドルフ・ヴォルフガング教授...」
アルトは愕然とした。学院で尊敬されている高位魔術師が、すべての事件の黒幕だったのだ。
「エリーゼ、見てください」
彼女も覗くと、同じように驚愕の表情を浮かべた。
「ヴォルフガング教授?まさか...」
「信じられませんが、間違いありません」
ルドルフの隣には、もう一人人影があった。顔は見えないが、学院の制服を着ている。
「あれは学生?」
「そのようですね。誰でしょうか」
「分からないけど...まさか洗脳されてるの?」
「可能性があります。禁忌の魔導書には、人心を操る術も記されていますから」
二人が観察していると、ルドルフが何やら呪文を唱え始めた。すると、魔導書からの光がさらに強くなる。
「封印を完全に解除しようとしている...」
「止めないと」
アルトは立ち上がろうとしたが、エリーゼが腕を掴んだ。
「待って。まだ準備が不十分よ」
「でも、このままでは...」
「私の予知能力が警告してる。今突入するのは危険すぎる」
エリーゼの真剣な表情に、アルトは従った。
「では、どうしましょうか」
「まず、あの学生が誰か確認しましょう」
「そうですね」
二人はさらに注意深く観察した。やがて、その学生が振り返った瞬間、二人は驚いた。
「トム?」
それは、アルトが最初に仲良くなった学生、トム・ウィルソンだった。
「なぜトム君が...」
「やはり洗脳されてるのね」
トムの目は虚ろで、明らかに正常な状態ではなかった。
「可哀想に...」
「必ず助けましょう」
その時、ルドルフが振り返った。そして、冷笑を浮かべて言った。
「いつまで隠れているつもりだ?出てきたらどうだ、伝説の魔術師よ」
アルトとエリーゼは驚いた。気づかれていたのだ。
「仕方ありませんね」
アルトは観念して、扉を開けて中に入った。エリーゼも後に続く。
「よく来た」
ルドルフは嘲笑を浮かべて二人を見つめた。
「ヴォルフガング教授、なぜこんなことを?」
エリーゼが問いかけたが、ルドルフは答えず、アルトに向き直った。
「まさか君が若返って潜入してくるとは思わなかった」
「なぜ僕の正体を?」
「君の魔術を見れば一目瞭然だ。あの完璧な技術は、伝説の魔術師アルト以外にありえない」
「いつから気づいていたんですか?」
「転入初日からだ。君の隠し切れない実力がすべてを物語っていた」
ルドルフの瞳が、邪悪な光を放った。
「なぜこんなことを?学院を、生徒たちを危険にさらしてまで」
「なぜ、だと?」
ルドルフは魔導書を胸に抱き、恍惚とした表情を浮かべた。
「私は長年、この学院で燻り続けてきた。才能ある学生たちに囲まれながら、自分だけが平凡な魔術師として終わることに耐えられなかったのだ」
彼の声には、長年の怨嗟が込められている。
「でも、あなたは立派な教師として尊敬されていたじゃありませんか」
エリーゼが訴えたが、ルドルフは鼻で笑った。
「尊敬?そんなものは偽りだ。心の中では皆、私を見下していた」
「そんなことは...」
「君たちのような天才には分からないだろう。平凡な者の苦悩など」
ルドルフの目には、深い劣等感と憎悪が宿っていた。
「この魔導書の力があれば、私は誰よりも強大な魔術師になれる。学院を、いや世界を支配することも可能だ」
「その力は危険すぎます。制御できなければ、あなた自身も破滅します」
アルトの警告に、ルドルフは嘲笑を返した。
「心配することはない。私には完璧な計画がある」
「計画?」
「この少年を媒体にして、魔導書の力を安全に制御するのだ」
ルドルフはトムを指差した。
「トム君を巻き込むなんて...許せません」
エリーゼが怒りを露わにした。
「彼は自ら志願したのだ。より強い力を求めてな」
「嘘よ。洗脳したのでしょう」
「信じたくないなら、それでも構わない」
ルドルフは魔導書を開き、さらに強力な呪文を唱え始めた。
「もうすぐ封印が完全に解ける。そうなれば、この力は私のものだ」
魔法陣が激しく光り、部屋全体が震動し始めた。
「エリーゼ、下がって!」
アルトは咄嗟に前に出て、強力な防御魔術を展開した。しかし、禁忌の魔導書から放たれる力は、彼の想像を超えている。
「無駄だよ、アルト!この力の前では、君の魔術など児戯に等しい!」
ルドルフの攻撃魔術が、アルトの防御を突き破ろうとする。
「くっ...」
アルトは歯を食いしばって耐えた。古い友人たちの記憶が頭をよぎる。セレスティア、そして他の仲間たち。彼らが命をかけて守った平和を、ここで失うわけにはいかない。
「私も戦います!」
エリーゼが立ち上がり、祖母譲りの高度な魔術を放った。彼女の魔術は美しく洗練されており、ルドルフの攻撃を見事に相殺する。
「ほう、セレスティアの孫か。祖母と同じく、邪魔な奴だ」
ルドルフは舌打ちし、より強力な魔術を準備し始めた。
「エリーゼ、僕と魔力を合わせてください」
「分かったわ!」
二人は手を取り合い、魔力を共鳴させた。アルトの長年の経験とエリーゼの純粋な才能が融合し、美しい光の魔術が生まれる。
「絆の力、か。だが、所詮は偽善者同士の戯れに過ぎん!」
ルドルフは魔導書の力を完全に解放した。禁書庫の天井が崩れ始め、瓦礫が雨のように降り注ぐ。
「このままでは学院全体が崩壊してしまう」
「何とかしないと」
アルトは咄嗟に決断した。自分の若返りの魔術を逆転させ、一時的に本来の力を取り戻すことにしたのだ。
「何をするつもりです?」
「私の真の力を解放します。しかし、若返りの効果が失われるかもしれません」
「そんな...」
エリーゼが不安そうな表情を浮かべたが、アルトは微笑んで彼女の手を握った。
「大丈夫です。あなたがいれば、きっと乗り越えられる」
アルトが若返りの術を解除すると、彼の体に本来の魔力が戻ってきた。80年以上の経験と知識が一気に蘇る。
「これが、伝説の魔術師の真の力...」
エリーゼは息を呑んだ。アルトから放たれる魔力は、まさに圧倒的だった。
「終わりです、ルドルフ」
アルトは厳かな声で宣言し、完璧な封印術を発動した。彼の魔術は美しく、同時に絶対的な力を持っている。
「馬鹿な...こんなはずでは...」
ルドルフの魔術が徐々に押し戻され、ついに魔導書の力も封じられた。
「トム君!」
エリーゼは洗脳されたトムに駆け寄り、解放の魔術をかけた。すると、トムの目に正常な意識が戻った。
「え?僕は...ここはどこ?」
「大丈夫よ、トム。もう安全だから」
「エリーゼ?一体何が...」
「後で説明するわ。今は休んで」
トムは混乱しながらも、エリーゼの優しい声に安心したようだった。
一方、ルドルフは魔導書を失い、床に崩れ落ちていた。
「私の...私の力が...」
「あなたの本当の力は、魔導書に頼るものではありませんでした」
アルトは厳しくも慈悲深い表情でルドルフを見下ろした。
「教師として、学生たちのために尽くすことこそが、あなたの真の使命だったのです」
「だが、もう手遅れだ...」
「いえ、遅すぎることはありません。今からでも、真の教師として生きることができます」
アルトの言葉に、ルドルフの目に涙が浮かんだ。
禁書庫に静寂が戻り、危機は去った。