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しかし、資料室の様子は一変していた。先ほどまで中央にあった魔法陣は消え去り、魔導書の姿もない。
「消えてる...」
「魔導書を持ち去られたようですね」
アルトは部屋を詳しく調べた。床には魔力の残滓が残っているが、手がかりになりそうなものは見当たらない。
「でも、誰が?そして何のために?」
「恐らく、その魔導書の力を利用しようとする者がいるんでしょう」
「利用って?」
「禁忌の魔導書には、強大すぎる力が封印されています。もしその力が解放されれば...」
アルトは言葉を続けることができなかった。その結末を想像するだけで、背筋が寒くなる。
「どんな力なの?」
「世界を滅ぼすほどの破壊力を持つ魔術が記されています」
「そんな危険なものが、なぜ学院に?」
「安全な場所で厳重に保管するためです。しかし、それが裏目に出たようですね」
アルトは後悔していた。もっと早く行動していれば、魔導書を守ることができたかもしれない。
「自分を責めてはダメよ」
エリーゼがアルトの心を読んだように言った。
「でも、僕がもっと注意深く...」
「あなた一人の責任じゃないわ。私たちは最善を尽くした」
「ありがとう、エリーゼ」
「それより、これからどうする?」
「まず、校長先生に報告しなければなりません」
「夜中に?」
「緊急事態です。時間を選んでいる場合ではありません」
アルトの判断に、エリーゼは同意した。
「分かったわ。一緒に行きましょう」
二人は図書館を出て、校長室に向かった。夜の学院を歩きながら、アルトは今後の対策を考えていた。
「エリーゼ、お聞きしたいことがあります」
「何?」
「あなたの魔術の才能...それは本当に祖母譲りですか?」
「どういう意味?」
「先ほどの魔力共鳴の際、あなたの魔力に特別なものを感じました」
エリーゼは少し考えてから答えた。
「実は、私にも分からないことがあるの」
「どのような?」
「時々、自分でも驚くような魔術を使えることがある」
「具体的には?」
「予知能力みたいなもの。未来の出来事を薄っすらと感じ取ることができるの」
アルトは驚いた。予知能力は、極めて稀な才能だった。
「それは貴重な能力ですね」
「でも、コントロールできないから困ってるの」
「訓練すれば、必ず制御できるようになります」
「本当?」
「はい。僕がお手伝いしましょう」
アルトの申し出に、エリーゼは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。心強いわ」
校長室に着くと、意外にも明かりが点いていた。
「まだ起きていらっしゃるようですね」
「こんな時間に珍しいわね」
アルトがドアをノックすると、すぐに校長の声が聞こえた。
「どなたですか?」
「アル・ノートンです。緊急事態が発生しました」
「アル君?こんな時間に...入りなさい」
二人が部屋に入ると、校長は深刻な表情をしていた。
「実は、私も異常事態を感じ取っていたところです」
「どのような?」
「学院全体に、不吉な魔力が漂い始めています」
アルトとエリーゼは顔を見合わせた。
「校長先生、お話があります」
アルトは今夜の出来事を詳しく報告した。図書館での調査、魔導書の発見、そして謎の空間に閉じ込められたこと。
「なんと...禁忌の魔導書が盗まれたと」
校長の顔は青ざめていた。
「申し訳ありません。僕の不注意で...」
「いえ、あなたのせいではありません。むしろ、よく調査してくれました」
「ありがとうございます」
「問題は、誰が魔導書を狙ったかです」
「学院の内部の者である可能性が高いですね」
アルトの分析に、校長は頷いた。
「ええ。外部の者では、あの資料室の存在を知ることは難しいでしょう」
「では、容疑者を絞り込む必要がありますね」
「そうですが、慎重に行わなければなりません。相手が誰であれ、今や強大な力を手にしています」
校長の言葉に、室内に緊張感が漂った。
「ところで、エリーゼ君」
校長がエリーゼに向き直った。
「はい」
「君もこの件に関わることになりますが、大丈夫ですか?」
「はい。微力ながらお手伝いしたいと思います」
「ありがとう。君の祖母、セレスティア様のことは聞いています」
「祖母を?」
「ええ。素晴らしい賢者でした。君にもその血が流れているのでしょうね」
エリーゼは誇らしそうに微笑んだ。
「それでは、今後の対策を相談しましょう」
三人は夜明けまで、対策会議を続けた。
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翌朝、アルトとエリーゼは普段通り授業に出席した。しかし、二人の関係は昨夜の出来事で大きく変わっていた。
「おはよう、アル」
「おはようございます、エリーゼ」
「昨夜はお疲れ様」
「あなたもです」
他の学生たちには聞こえないよう、小声で会話を交わす。
「それにしても、まさか君がセレスティアの孫だったとは」
「運命的な出会いね」
「そうですね。きっと彼女が引き合わせてくれたのでしょう」
「私もそう思う」
朝の授業が始まると、二人は普段通り学生として振る舞った。しかし、内心では魔導書を盗んだ犯人について考えている。
「犯人の手がかり、何かないかしら」
エリーゼが小声で呟いた。
「注意深く観察してみましょう」
「そうね。でも、あまり怪しまれないように」
授業中、アルトは教師や学生たちの様子を観察していた。しかし、特に怪しい行動をする者は見当たらない。
昼食時間になると、二人は人目につかない場所で相談した。
「何か気づいたことは?」
「いえ、特には...あなたは?」
「僕も同じです。皆普通に見えます」
「案外、巧妙に隠してるのかもしれないわね」
「その可能性もありますね」
「でも、必ず何らかのサインがあるはず」
エリーゼの言葉に、アルトは同意した。
「そうですね。魔導書のような強大な力を扱えば、必ず魔力に変化が現れます」
「私の予知能力で、何か感じ取れるかもしれない」
「無理をしてはいけません」
「大丈夫よ。試してみる」
エリーゼは目を閉じ、集中し始めた。しばらくして、彼女の表情が険しくなった。
「どうしました?」
「何か...不吉な気配を感じる」
「どこからですか?」
「分からないけど、とても近い場所」
「近い場所?」
「学院内のどこか」
アルトは周囲を見回したが、特に異常は感じられない。
「もう少し詳しく分かりませんか?」
「ごめんなさい。まだコントロールできないの」
「大丈夫です。少しずつ慣れていきましょう」
午後の授業でも、二人は注意深く観察を続けた。
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その日の夕方、実戦魔術の授業中に事件が起こった。
「それでは、今日は少し高度な魔術を練習してみましょう」
ハートウェル教授が授業を始めると、学生たちは期待に満ちた表情を見せた。
「まず、中級の攻撃魔術から...」
教授が魔術の実演を始めたとき、突然異変が起こった。教授の魔術が予想以上に強力になり、練習場の壁を破壊してしまったのだ。
「え?」
教授自身も驚いている。明らかに、いつもより強すぎる魔術が発動してしまった。
「教授、大丈夫ですか?」
学生たちが心配そうに駆け寄る中、アルトとエリーゼは顔を見合わせた。
「これも異常事態の一つですね」
「ええ。魔力の暴走が教師にまで及んでる」
「事態は思ったより深刻かもしれません」
授業は中止になり、学生たちは寮に戻ることになった。アルトとエリーゼも寮に向かいながら、今日の出来事について話し合った。
「ハートウェル教授の魔力暴走、偶然じゃないわよね」
「はい。恐らく、魔導書の影響でしょう」
「でも、なぜ教授が?」
「魔導書が解放されれば、周囲の魔力環境に影響を与えます」
「つまり、学院全体が危険ということ?」
「その可能性があります」
二人の表情は深刻だった。
寮に戻ると、アルトは部屋で一人考え込んだ。
「このままでは、もっと大きな事故が起こるかもしれない」
窓の外を見ると、学院の建物が夕日に照らされて美しく見える。しかし、その美しさの裏に、大きな危険が潜んでいることを彼は知っていた。
「明日も調査を続けよう」
その時、ドアがノックされた。
「はい」
「アル、私よ」
エリーゼの声だった。ドアを開けると、彼女が心配そうな表情で立っている。
「どうしました?」
「少し話したいことがあって」
「どうぞ、入ってください」
エリーゼは部屋に入ると、窓際に立った。
「今日のハートウェル教授の件、気になってるの」
「僕もです」
「それに、昼間感じた不吉な気配も」
「何か新しく分かったことが?」
「実は、夕方からその気配がより強くなってる」
アルトは驚いた。
「より強く?」
「ええ。まるで何かが近づいてるみたい」
「危険な予感がするということですか?」
「そう。とても悪いことが起こりそうな...」
エリーゼの予知能力が警告を発しているようだった。
「分かりました。今夜も調査してみましょう」
「ありがとう。一人じゃ不安だった」
「大丈夫です。僕がついています」
アルトの言葉に、エリーゼは安心したように微笑んだ。
「それじゃあ、また夜中に」
「はい。気をつけて部屋に戻ってください」
エリーゼが去った後、アルトは再び窓の外を見つめた。
「今夜は、きっと何かが起こる」
彼の直感が、そう告げていた。夜が更けるにつれ、学院に漂う不吉な気配はますます濃くなっていく。
「セレスティアの孫と一緒に戦うことになるとは...」
運命の皮肉を感じながら、アルトは今夜の調査に向けて心の準備を整えた。月が昇り始める中、新たな危険が学院に迫っていることを、まだ誰も知らなかった。
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深夜12時。約束の場所で落ち合った二人は、今夜こそ真相に迫ろうと決意していた。
「今夜は何か違う」
エリーゼが不安そうに呟いた。
「僕も感じます。より強い邪悪な気配が...」
「でも、だからこそ真実を知らなければ」
「そうですね。行きましょう」
二人は手を取り合い、暗闇の中を歩き始めた。今夜の調査が、どのような結末を迎えるのか、それはまだ誰にも分からなかった。
学院の上空には、不吉な雲が広がり始めていた。