3
# 第二章 学院での新生活
朝もやに包まれた魔術学院の正門前に、一人の青年が立っていた。アル・ノートンとして新たな人生を歩み始めるアルトである。石造りの立派な門の向こうには、荘厳な学院の建物群がそびえ立ち、早朝の陽射しを受けて威厳に満ちた姿を見せている。
「ついに来たな...」
アルトは小さくつぶやき、深呼吸した。門の前で立ち止まった彼の心には、懐かしさと緊張が入り混じっている。
「何十年ぶりだろうか、この門をくぐるのは」
彼の記憶の中では、初めて学院に入学した時の光景が蘇る。あの時は何もかもが新鮮で、未来への希望に満ち溢れていた。
「今度は調査のためだが...それでも楽しみだ」
アルトはゆっくりと門をくぐった。石畳の道を歩きながら、彼は周囲を注意深く観察する。学生たちが談笑しながら通り過ぎ、教師たちが厳かな表情で歩いている。
「表面上は平和そのものだな」
しかし、校長の言った不吉な気配を感じ取ろうと神経を集中させていた。長年の経験から、危険な兆候を見逃すまいと注意深く周囲を観察する。
「おはよう!君、新入生?」
突然声をかけられ、アルトは振り返った。親しみやすそうな笑顔の少年が立っている。
「あ、はい。今日から転入するアル・ノートンです」
「僕はトム・ウィルソン。2年生だよ。ようこそ、魔術学院へ!」
トムの温かい歓迎に、アルトは心からの笑顔を返した。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「転入生は珍しいね。どこから来たの?」
「西の辺境の村からです。小さな村なので、ご存じないと思いますが」
アルトは用意していた設定を自然に口にした。
「そうなんだ。魔術学院に入るなんて、相当な実力者なんだね」
「いえいえ、まだまだ未熟者です」
「謙遜しちゃって。でも、ここの授業は結構大変だよ。分からないことがあったら、いつでも聞いてね」
トムの人懐っこい性格に、アルトは安心した。学生時代のような純粋な友情を久しぶりに感じる。
「ありがとうございます。頼りにしています」
「じゃあ、まずは事務室で手続きを済ませよう。案内するよ」
二人は学院の建物の中へと歩いていった。
---
事務室での手続きを済ませた後、アルトは自分の寮室に向かった。古い石造りの寮の廊下は、彼の記憶の中にある光景とほとんど変わっていない。
「懐かしいな、この廊下も」
足音が石の床に響く中、アルトは過去の記憶を辿っていた。
「312号室...ここか」
部屋の前に立ち、鍵を差し込む。ドアを開けると、シンプルだが清潔な部屋が現れた。
「思ったより広いな」
ベッド、机、本棚、クローゼット。学生生活に必要な物は一通り揃っている。
「ここで調査の拠点にするわけか」
アルトは荷物を置き、部屋の中を見回した。窓からは学院の中庭が見える。
「さて、早速情報収集を始めよう」
彼は窓際に立ち、中庭を歩く学生たちを観察した。みんな楽しそうに話しているが、時折不安そうな表情を見せる者もいる。
「やはり、何か異常事態が起きているのは間違いないな」
コンコンコン。
ドアをノックする音に、アルトは振り返った。
「はい、どちら様ですか?」
「隣の部屋のトムだよ。ちょっと挨拶にね」
ドアを開けると、先ほどの少年が立っていた。
「わざわざありがとうございます」
「いやいや、隣同士だからね。これ、お母さんが作ってくれたクッキーなんだ。良かったら食べて」
トムは小さな箱を差し出した。
「ご丁寧にありがとうございます」
「それと、今度の授業の時間割も持ってきたよ。参考にして」
「助かります」
アルトは時間割を受け取り、目を通した。
「最初の授業は基礎魔術理論ですね」
「そうそう。グレイソン先生の授業は面白いよ。でも、結構難しいから気をつけて」
「分かりました。ありがとうございます」
「じゃあ、また後で。何かあったら遠慮なく声をかけてね」
トムが去った後、アルトは時間割を見直した。
「基礎魔術理論、実戦魔術、魔術史、錬金術...」
どの授業も彼にとっては初歩的な内容だろうが、学生として自然に振る舞う必要がある。
「実力を隠しながら授業を受けるのは、思ったより難しそうだ」
---
最初の授業が始まる時間になり、アルトは講義室に向かった。廊下を歩きながら、他の学生たちの会話に耳を傾ける。
「昨日の夜、また図書館で変な光が見えたって」
「本当?最近そんな話ばっかりだね」
「怖いよ。一体何が起きてるんだろう」
学生たちの不安そうな表情を見て、アルトは調査の必要性を改めて感じた。
「やはり、相当深刻な事態のようだな」
講義室に入ると、既に多くの学生が席についていた。アルトは後ろの方の空いている席に座る。
「皆さん、おはようございます」
教授が入ってきて、授業が始まった。グレイソン教授は50代くらいの男性で、温和そうな印象を与える。
「今日は転入生がいるようですね。アル・ノートン君、自己紹介をお願いします」
突然指名され、アルトは慌てて立ち上がった。
「はい。アル・ノートンです。西の辺境の村から参りました。まだまだ未熟者ですが、よろしくお願いします」
「ありがとうございます。では、授業を始めましょう」
大きな講義室に並んだ机で、アルトは他の学生たちに紛れて授業を受ける。教授が黒板に魔法陣を描きながら説明を始めると、アルトにとってはあまりにも初歩的な内容だった。
「魔力の流れは、術者の意志と精神状態に大きく左右される。集中力が散漫になれば、魔術の効果は著しく低下する」
教授の説明を聞きながら、アルトは内心で苦笑いを浮かべた。
「これは僕が若い頃に発見した理論だな」
自分が確立した理論を、まるで新しい知識であるかのように聞いている状況に不思議な感覚を覚える。
「このような基礎理論を理解することが、高度な魔術への第一歩となります」
「先生、質問があります」
一人の学生が手を上げた。
「はい、どうぞ」
「魔力の流れを安定させる具体的な方法はありますか?」
「良い質問ですね。まず、呼吸法が重要です...」
教授の説明を聞きながら、アルトは改めて基礎の重要性を感じた。
「確かに、基礎をしっかり理解することは大切だ」
「それでは、簡単な光魔術を実践してみましょう。まず右手に意識を集中して...」
教授の指示に従い、学生たちが一斉に魔術を試み始めた。多くの学生が小さな光の玉を作り出すのに苦戦している。
「うーん、うまくいかない」
「どうしてこんなに難しいんだ」
学生たちの困惑する声が聞こえる中、アルトは意識的に控えめな光を作り出した。しかし、その光の安定性と美しさは、経験豊富な魔術師の技術を物語っていた。
「おい、すごいな」
隣に座っていた学生が、アルトの光魔術に感嘆の声を上げた。
「えっ、そうですか?」
アルトは慌てて光を弱くした。実力を隠すつもりが、つい完璧な魔術を披露してしまったのだ。
「君、本当に初心者なのか?その光魔術、かなり高度だぞ」
「いえ、たまたまうまくいっただけで...」
「たまたまって、そんなレベルじゃないよ」
周囲の学生たちも注目し始め、アルトは冷や汗をかいた。
「すごい、こんなに安定した光魔術、見たことない」
「転入生なのに、もう上級者レベルじゃないか」
「どこの村出身だって?」
質問が飛び交う中、アルトは困惑した。
「あの、皆さん、大したことではないので...」
「大したことないって、謙遜しすぎだよ」
「そうそう、僕なんて全然光が安定しない」
学生たちの注目を浴びて、アルトは焦った。この調子では、あっという間に正体がバレてしまう。
「アル・ノートン君、なかなか上手ですね」
教授もアルトの魔術を見て、関心を示した。
「ありがとうございます。でも、まだまだです」
「基礎がしっかりしているようです。どこで魔術を学んだのですか?」
「村の長老に少し教えてもらっただけです」
「その長老さんは、相当な実力者のようですね」
教授の鋭い観察に、アルトは内心で警戒した。
「はい、とても尊敬できる方でした」
何とか切り抜けたものの、初日から目立ってしまったことを後悔する。
「これからは、もっと注意深く行動しないと」
授業が終わった後、アルトは反省していた。