表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

僕の村は戦場だった

これは小説習作です。とある本を開き、ランダムに3ワード指差して、三題噺してみました。

随時更新して行きます。

【お断り】「トイレ、部屋、風呂」の三題噺です。


(以下、本文)


忘れもしない昭和50年(1975年)春の事である。

「おい、ゆうべテレビ見た? すごかったよな。」

「見た見た。空母の甲板からヘリコプター、ボンボコ捨てちゃうんだもん。」

「そりゃもう、航空母艦、人でいっぱいだもの。あれ以上、避難民のせたら、沈んじゃうんじゃない?」

「沈みはしないと思うけど、あれが限度じゃないの? 食糧どこから持って来るのかね。トイレだって順番待ちだよ、きっと。」

「窓から立ちションベンすりゃいいんじゃないの?」

「ウンコもか?」

「汚えなあ。」

「ああまでしてまで逃げたいのかねえ。そんなお金持ちにも見えなかったけど。」

「課長以上は無事じゃないよ。平気で人、殺すじゃない?」

「子どもでもね。」

「アメリカもベトコンも、どっちもね。」

「良く考えるんだけど、どうして僕は日本に生まれて来たんだろう?」

「意味が分からん。何か不満でもあるのか?」

「いや、そうじゃなくて、アメリカに生まれてたら『ニューヨークパパ』だったかもしれないじゃん。一人一つずつ子ども部屋があって、入る時は親でもノックして『入ってもいいか?』とかさあ。」

「言いたい事は分かる。」

「ベトナムに生まれてたら死んでたかもよ。死体写真とられてさあ。」

「おまえんちもX新聞か。えげつないよな。一面に、あんな写真のせるなって。イヤでも目に入るだろ。」

「三島事件の時なんて、生首ズラリだぜ。」

「景子の姉ちゃん、あれをパスケースに入れて持ち歩いてたんだと。」

「景子のゲバ棒姉ちゃんね。」

「この間、テレビでやってたじゃん。ジョン・ウェインの『グリーン・ベレー』。ラストで言ってたじゃん。『いつかベトナムにも平和が来る』って、これかよ。これがそうかよ。」

「『コンバット』もキライになったか?」

「いや。全然。」

「いいかげんだなあ。ドイツ人が悪役なら良いのかよ。」

「カッコいいじゃん、ナチスドイツ。サンダース軍曹、ヒゲ剃ってないし、風呂入ってなさそうじゃん。」


これが小学校6年生の男の子二人が、日の当たる縁側でプラモデル作りながら交わした会話である。

まあ、背伸びしたがる子どもは、いつでもどこでも存在するものだ。


ちなみに、昭和50年(1975年)4月30日、北ベトナム政府軍は南ベトナムの首都サイゴンを攻略。

陥落の2日前に大統領職を押しつけられたズオン・バン・ミンに、今さらできる事があろうはずもなく、南ベトナム政府は、この地上から姿を消した。

泡食って逃亡するアメリカ軍は、押しかけた避難民の一部は助けた。ごった返した混乱の様子は上の会話にある通りである。


どうして小学生が踏みこんだ情報を持てたのかって?

ベトナム戦争は、なぜか報道規制がゆるゆるの「お茶の間の戦争」だったのである。テレビのブラウン管ごしに、ニッポン中の一般家庭に侵入して来た戦争だったのである。

ああまでガンガンやられると、親たちも学校の先生も、質問する子どもたちに対して、「知らん。勉強しろ」で流す訳にはいかなかった。なにしろ、何か言ってやらないと、子どもたちは「ナパーム弾ごっこ」とか「ヘリボーンごっこ」とか「絨毯爆撃ごっこ」とか、平気でやりだすのだから。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ