ようこそ!北の修道院へ!~修道院送りにされたら、そこには悪役令嬢がいて復讐を示唆されました~
よくある小説の最後は「北の修道院に送られました。」なんて言葉で、いつも断罪された悪役の最後は綴られる。
そして自分が今はその状況であるのだと、元男爵令嬢のマリーは大陸の最北端にある修道院の前で震えていた。
北の修道院は、修道院と銘打っているが外観は城のようで、「魔女の城」という異名まである。なぜ魔女なのかというと、この修道院には魔女と呼ばれるそれは恐ろしいシスターが仕切っており、ここへ送り込まれたどうしようもない貴族の令嬢はシスターやその手の者によって調教されてしまう。その調教は、もはや拷問ともいえる所業で修道院からは貴族令嬢の断末魔が毎日こだまするという。噂だ。
マリーは修道院を見上げながら、「噂に違わない」と心の底から思った。なぜ、彼女がこんなところにいるかというと、妹のサリーに婚約者を盗られ実の父親に修道院送りにされたのだ。よくある話だ。妹のサリーは、マリーの婚約者であった伯爵に「マリーにいじめられた」と訴え、だまされた伯爵はあっけなくマリーとの婚約を破棄した。マリーの父は、自身の事業のために伯爵家の名前が欲しかっただけなので、いじめたかどうかの真相などどうでもよかった。マリーの父はそんなことよりも伯爵とのつながりを保つため伯爵を何とか引き留めて、マリーの代わりにサリーを婚約者の枠へと押し込んだ。そうなったら、元婚約者でもありサリーの姉でもあるマリーが、男爵家に居続けるのは世間体的によろしくない。むしろ、悪い。そう思ったマリーの父は、容赦なくマリーを北の修道院に送ったのだ。
マリーが現実逃避をするかの如く、ぼんやりとこれまでのことを走馬灯のように思い浮かべていると、順番がきたら呼ぶからと立たされた大広間へと続く扉の前から耳を劈く金切り声がした。
「いや、いやああああああ!!ミネルヴァ様に会わせて!!!!それより、お姉さまは!?お姉さまだけずるいわあああ!」
思わずマリーは耳をふさぐ。噂は真実であったのだとマリーの中では確信へと変わった。そうこう考えているうちに「入りなさい」と身長の高い修道女が大広間へと続く扉を開く。マリーは恐々と扉をくぐる。マリーの目に飛び込んできたのは、修道院内とは思えない豪華絢爛な調度品と、その中心で濡羽色の髪をたなびかせ、金色の意志の強そうな瞳を輝かせた女性が口元をルビー色の扇で隠し、その指にはダイヤモンドであろうか大きな宝石の指輪を付け、背筋をすっと伸ばして立っていた。
「悪役令嬢…」
マリーがぽつりとつぶやく。女性の佇まいは、マリーも何度も見に行った今流行りの劇の登場人物であった悪役令嬢そのものだった。その女性の前には、一人の少女が床に伏していた。
「あら?」
悪役令嬢は、マリーに気づきチラリと黄金を溶かしたような瞳をこちらに向ける。一瞬、品定めをするような視線を浴びたが次の瞬間には悪役令嬢の視線は身長の高い修道女へと移った。
「次の方ね。セシル。ルルリア・セルレット子爵令嬢は地下の独房にいれて頭を冷やさせてくださる?まともに会話できるようになったら、再度連れてきてちょうだい」
「わかりました」
伏せていた少女はやはり貴族令嬢だった。恐ろしいことが起きていると感じたマリーはぶるりと震える。セシルと呼ばれた先ほどの身長の高い修道女が床に伏せているルルリア・セルレット子爵令嬢と呼ばれた少女を引きずり出ていく。ルルリア嬢の叫び声は、修道女が大広間から出ていき扉が閉じられた後もしばらく聞こえていた。マリーはここが噂に違わぬ場所なのだと再認識し、これから自身の身に降りかかることを考えるとぼうっと気が遠くなったが、悪役令嬢の良く通る声に瞬時に背筋をピシリと伸びた。
「貴女、名乗りなさい」
「ひゃあ!は、はい!私は、マリーと申します。ディアス男爵家を出家してまいりましたので、ファミリーネームはございません」
「私は、デーアよ。ようこそ、北の修道院へ」
ピシリと伸びた背で慌ててカーテシーをする。悪役令嬢もといデーアは、ちろりと一見したあと、「そこにおかけになって」とソファーを指し自身も反対側のソファーに座った。慌ててマリーも座る。マリーは戻ってきたセシルに出された紅茶をいただきながら、机の上にまとめられていた書類をパラパラとめくるデーアが話し出すのを待つ。
「なるほどディアス男爵家、ね。よくある話だわ。さて、貴女がここに来るに至った経緯を貴女の言葉で話して下さらない?」
「ぁ。は、はい…!」
戸惑いながらも、マリーは嬉しくなった。父親も婚約者の伯爵も、サリーの一方的な意見を鵜呑みにしてマリーの言葉など聞いてくれなかった。それをさきほど初めて会ったデーアが聞いてくれようというのだ。マリーは堰を切ったように話し出す。
ディアス男爵家は、祖父の代で事業が成功し貴族に仲間入りした成金の新興貴族であること。マリーと伯爵の婚約は男爵家が伯爵家のネームバリューを得るため、伯爵家は傾いた領地経営を男爵家の金で補填するための完全な政略結婚だったこと。本当は、婚約などしたくはなく働いてみたかったこと。いじめた事実など一切なかったこと。数年間婚約していた婚約者にも父にもマリーの言い分は一切聞いてもらえずとても悲しかったこと。
「私は、婚約なんてせずにずっと働いていたかったのに!そして、しまいには、『魔女の城』なんて呼ばれている恐ろしい修道院に送られてしまったのです~!」
ひとしきり話終えたマリーは、ハンカチで目頭を押さえる。
「貴女。それ、その恐ろしい修道院の主を前にしてよく言えたわね」
「あ」
「…まぁ、それだけ度胸があるなら大丈夫ね」
「大丈夫、とは…?」
「調書と相違もないから私に嘘をつかないことはわかったわ。それに、貴女の地味な見目。そして、その度胸」
「私は、褒められているのでしょうか…?」
「もちろんよ。貴女は、断罪部で活躍してもらうわ!」
出会ってから一番の悪役令嬢の生き生きとした表情。流行りの劇に出ていた悪役令嬢約の女優よりも段違いで美しい姿に、マリーはほう…っと感嘆の息をこぼす。
一瞬、意識が飛びかけたマリーだが、「断罪部」という聞き馴染みのない言葉がマリーを現実に引き戻した。
「断罪部…?」
「断罪部」。聞きなれない言葉にマリーは首をかしげる。
「この修道院はただの修道院ではないわ。1つの小さな会社と考えてもらえるとわかりやすいかしら」
「会社…?」
「主な事業は3つあるわ。まず1つ目は、『令嬢達の再教育』よ。親が匙を投げだして修道院送りにした令嬢達の再教育をしているの。教師は貴女の様に悪くもないのにここに来てしまった令嬢よ。もちろん、親からはしっかり授業料をいただいているわ」
「なるほど…」
「そして、その令嬢達が再教育の最中に作成したレース編みや刺繍といった『作品の販売』が2つ目の事業よ。たまにすごい才能が開花する令嬢がいたりするのよ。そのような方は、ここに来るまでの環境が合わなかっただけなんでしょうね」
デーアの口角が少しあがる。それをみたマリーは、この修道院の入口にあった女神画を思い出した。初めて会った時の佇まいは悪役令嬢そのものであったのに、今のデーアは女神画の女神によくにているとマリーは思った。
「再教育がうまくいかなかったご令嬢はどうなるんでしょうか?」
「あら、いい質問ね。…答えは、どうにもならないわ。私たちの教育でもどうにもならない令嬢はいるわ。その令嬢たちは独房やタコ部屋で、教育係の令嬢の指揮のもと労働に勤しんでいるわ」
デーアの瞳がギラリと光る。さっきの女神のような様子とは打って変わった様子にマリーは嫌な汗をかく。マリーはデーアの本当の姿が、女神のようなデーアなのか悪役令嬢さながらのようなデーアなのかわからなくなった。
「そして最後の事業が、断罪よ」
「断罪…」
「断罪は2つの分野に分かれているわ。情報収集と執行の2つよ。情報収集は執行のために必要な情報を収集するの。集めた情報は執行以外にも私がここでやってきた令嬢に対して割り振りをするためにも使っているわ。はい、これ。貴女の調書よ」
先ほどデーアがめくっていた紙束がマリーに渡された。マリーがペラペラとめくると、マリーの家族構成からマリーの経歴、父の事業の詳細な財務状況まで書かれていた。未公開のはずである情報も多くマリーは自身の目を疑った。そして、思っていたよりも父の事業の財務状況が非常に悪かったことに落胆する。サリーの使い込みだろう。
「なんでこんなことまで書かれているのですか!?」
「うちの情報収集部隊は優秀なの。貴女はここに入ってもらおうかとおもっているわ」
「私がですか!?」
「貴女のそのどこにいても紛れることのできる容姿…これは天啓…天からのギフトよ!」
「それは褒められているのでしょうか…?」
「そうそう、収集した情報は執行と割り振り以外にも売買もしているわ」
「あ、無視しないでくださいよ!」
「…もちろん。調べて私が構わないと思った方としか情報の取引はしていないわよ?」
「そういう問題なのでしょうか…」
「さて、最後は執行よ。これは単に、悪くもないのに来てしまった令嬢達をここに送り込んだ原因への復讐ね。儲けは出ないけど、ここで働く令嬢達のモチベーションへつながるわ」
「儲けは出ていないのですね」
「ええ。世の中、儲けだけじゃなくってよ?」
「なるほど…?」
「まあ、今回は儲け、というか新規事業の目論見もあるけど。ちなみに執行は当事者にも参加してもらうわ」
「自分の復讐は自分でってことですね」
「そうよ。そしてつまり貴女の初めてのお仕事は、貴女の婚約者と妹と父親への復讐よ!」
瞳をらんらんと輝かせているデーアを見て「断罪って、デーア様の趣味なんじゃ…?」とマリーは喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。
「もちろん、貴女には私の手を取って復讐する権利もあるけど、断る権利もあるわ。よーく考えなさい」
「断ることもできるのですか?てっきり、強制かと…」
「そんなわけないじゃない。貴女、本当に私のことなんだと思ってるのかしら?」
「はは…」
マリーは誤魔化す様に手に持っていた調書へと目を移しぺらぺらと続きを捲っていく。復讐。マリーにはいまいちピンと来ていなかった。できればもう、家族にも貴族にもかかわりたいとは思えなかったからだ。マリーは、新興貴族の令嬢ということもあり社交界では決して良い立場とは言えなかった。社交界で生き残るために楽しくもない腹芸に必死に食らいつき、上位貴族の機嫌を取り、社交界の末席にしがみついていたのだ。そこに未練があるかと言われたらNOだ。
調書の最後まであと数枚というところで、マリーの手が止まった。手を止めた原因は、妹サリーと父の現状であった。妹のサリーは昔から素行が悪かった。このまま伯爵と結婚は世間体が良くないと考えたのだろう。サリーの素行が悪い行いを、マリーに脅されて行っていたことにして、伯爵とサリーは結婚をしたと調書に記されていた。マリーの父の印刷工房で印刷された新聞では、「虐げられた男爵令嬢、伯爵に救出され奇跡のゴールイン!世紀のシンデレラストーリー!」と報道されているとも。
「なにこれ…信じられない…」
サリーと父は、マリーを修道院送りにするだけにとどまらず、マリーのこれまで必死に食らいついてきた貴族としての矜持を踏みにじりマリーの今まで必死に築いてきたものすべてを奪ったのであった。
「デーア様、私…復讐します。」
自分でも驚くほど平坦で冷めた声でマリーはデーアに復讐の意思を告げた。デーアは、口元を金色の扇で隠しスッと目を細めてマリーに手を差し出した。
「ふふ。貴女、本当に度胸があるわ。さっきまで断ろうとしていたのに」
「調書を拝見して、気が変わりました」
「そう。じゃあ、さっそく計画の全容を伝えるわね。計画は単純明快、貴方のお父様の事業をまるっと奪うの」
「へ…」
「貴方のお父様が行っている主な事業は印刷業よね。主に新聞の印刷」
「はい、その通りです」
「どのように印刷しているかは貴女もしっているわね」
「木版印刷です。板を彫って版画の様に紙に写す方法です」
「そう、木版印刷だと1ページにつき1枚の板を彫らなければいけないわ。掘り間違ってしまったら、また新しい板で初めからやり直しになるわ」
「ええ、とても効率が悪くて…新聞も日刊ではなく週刊での頒布となってます。父はかのヘリカルム王国の様に、日刊で出したがっていましたが…」
「そこよ。私たちが日刊で新聞を出すの」
「えぇ!?どうやってです?」
「ヘリカルム王国は、木版印刷ではなく活版印刷という方法で新聞を刷っているの」
「活版印刷、ですか?」
「ええ。活版印刷は、活字という1文字1文字が離れていて文字のハンコと言えばわかるかしらね。それを組み合わせて1枚の板にして印刷するの」
「なるほど、組み合わせるだけでいいから、木版印刷よりは効率が良いのですね」
「わかっていただけたようで嬉しいわ」
「デーア様はこの方法をどこで?」
「ヘリカルム出身の新聞記者の知り合いがいるのよ。彼が協力してくれてね、もう貴女のお父様の印刷工房の近くに、印刷工房用の建物を借りて活字の搬入までできているわ」
「え!もう!?」
「善は急げ、でしょ?」
「私が復讐を断るとは思わなかったんですか?」
「ああ、それは関係なく、ヘリカルムは今、いろいろな国に新聞社を作ろうとしていてね。どっちにしろ、作る予定だったのよ」
「つまり、私の復讐に関係なく、父の事業は淘汰されてしまうのに変わりはなかったのですね…」
「貴女が決意したことで、そのスピードが上がったのは確かよ?」
「はは…」
マリーは、乾いた笑い声を出しソファーの背もたれに背中を預ける。あまりのスピード感とスケールに頭が付いていっていないのだと自覚する。整理するために紅茶を一口飲み、今しがたデーアが語った話を反芻する。他国への印刷工房進出に協力できる新聞記者って何者だという気持ちを持ちつつも、デーアの話に矛盾点は無いことを理解する。
「デーア様、工房を稼働させるには人が必要なはずです。そこの手はずは?」
「そこで貴女の出番よ。貴女、父親の工房の従業員とは仲がいいでしょう?引き抜いてきなさいな」
「え!そんな簡単に…」
「やだ、貴女が決意したことで、そのスピードが上がったって言ったでしょう?そして、貴女の復讐よ。少しは体張りなさいな」
「なんか、工房のみんなを利用しているような気が…わかりました。いってまいります」
「良い知らせを待っているわ」
先ほど修道院に来たばかりなのに、もう実家の近くまでとんぼ返りするのかと、なんだかおかしくてマリーの口角があがる。速足で修道院の外へ出ると、セシルがすでに馬車を用意していた。
「マリー、待っていましたよ。この馬車は貴女の故郷である公国まで最速で連れていきます」
「え、準備がはやい…!」
「デーア様の期待に応える成果を出すのですよ」
セシルはそういうと、あまりの準備の良さに困惑するマリーを馬車に押し込んだ。マリーが押し込まれたことを確認した御者は馬に合図をし、馬車は修道院を出発した。
数日馬車に揺られた後、馬車を下りたマリーの目には見慣れた街並みが飛び込んできた。
「まあ、二カ月程度離れていただけだし、何かが変わるわけないわよね」
マリーは石畳の道をコツコツと歩きながら、父が経営する印刷工房を目指す。マリーがいたころ印刷工房は、公国の街はずれにあるにも関わらず活気にあふれていた。マリーも男爵家を追い出されるまでは頻繁に顔を出し、気のいい工房の人たちと談笑をしながら手伝いをしていたものだ。マリーがそんなことを懐かしく考えていると、印刷工房が見えてきた。
「あら…?」
工房は二カ月前の活気が嘘だったかのように静まり返っていた。扉からそおっと中をのぞいてみると木を彫る職人も新聞を刷るために採用した近所のご婦人達も暗い表情をして会話もなく黙々と作業をしていた。
「どうしたのだろうか?」と、考えあぐねていると、新聞を刷るためのインクが切れたので替えのインクを取ろうと立ち上がった婦人と目があった。婦人は、目を見開き、手に持ったインクの壺を床へと落とす。ガッシャーンと大きな音を立てた壺は粉々になり、壺に少し残っていたインクが辺りに飛び散った。
「うるさいぞ!!!また、叩かれたいのか!」
奥からでっぷりと太った男がやってきて婦人を怒鳴りつける。マリーには見覚えのない男だった。マリーが追い出された後、工房の面倒を見る者がおらず、雇われたのであろう。婦人を怒鳴りつけた男は手に持っていた鞭を持ち、石畳の床に向かって振り下ろした。たたきつけられた鞭がバシンッと大きな音を立てると同時に、マリーは思わず扉から身を乗り出して叫ぶ。
「やめなさい!!!」
男はピタリと動きを止め、目線だけを婦人からマリーへと移した。婦人を助けるプランなど特にないマリーの背を嫌な汗が伝う。視界の端に男が手に持っている鞭が入り、これから起こるかもしれない最悪の事態が脳裏によぎったマリーはぶるりと身震いする。
「ああ?誰だお前」
マリーは震えて言うことの聞かない口角をとっさに扇で隠す。男は、マリーの姿を下から上へと舐めるように見ていた。品定めをしているであろう視線が不快でマリーの眉間には思わず皺がよった。「デーア様とは大違いだ。」と思い、デーアのあの堂々とした立ち振る舞いを思い出し、おもわず口が滑る。
「まあ、品のない」
「……困りますね。勝手に入ってこられたら。」
男の口ぶりから男はマリーのことを知らないようだ。また、マリーの姿からそこそこ身分の高い家の令嬢と判断したのであろう、口調が先ほどよりも柔らかい。マリーは「男爵家から着の身着のままで放り出されてよかった。」と謎の安堵をする。
「少し珍しいと思って覗いてみたのよ。そうしたら、暴力だなんて。看過できないわ」
「どこのお嬢様かは知りませんが。よその家の話には首を突っ込んではいけないと家の方には習わなかったんですかい?」
男はそこそこ頭が切れるようだ。マリーに粗相はできないが、自分の行いに口出しをさせないように牽制をしてきた。
マリーはゴクリの唾をのみ、デーアを思い出す。あの凛とした佇まいと言動を。
「あら嫌だ。ディアス男爵家の工房とは思えませんわ?」
「なんですって?」
「貴族の工房がこんなにも品がないだなんて。お父様からディアス男爵に伝えてもらわないと」
「な…」
「ディアス男爵の管理責任ですわね。ディアス男爵は社交界の笑いものだわ」
隠していた口角を二ッと持ち上げ扇をずらして、男にちらりと見せる。男はマリーから、男爵から自身にも責任が問われると遠まわしに言われているのだと理解し、わなわなと震える。
「まぁ、まだ暴力には至ってないようですから、お父様に報告するにはいささか…」
「へへっ。お嬢様、ゆっくりと見学していってくださいませ。あっしは、今日はもうお暇しますんで…」
「退け」というマリーの意図を正確に汲んだ男は、いそいそと工房を後にした。それを見届けたマリーは、その場にヘロヘロとへたりこんだ。
「お嬢!」
「お嬢様!」
職人とご婦人たちがマリーへと駆け寄り支える。
「はったりが効いてよかった…」
「お嬢様、無理しないでください!」
「お嬢、戻ってきたのか!?」
わらわらと集まってくる工房のみんなに、マリーは懐かしく思いつつも、北の修道院からここに来るまでの経緯を伝える。
婚約破棄をされて北の修道院に送られたこと。そこで出会ったデーアのこと。そして、見せられた調書のこと。サリーの所業をマリーのせいにされていること。父とサリーが許せないこと。復讐をすること。復讐のために、工房のみんなを引き抜いて利用しようとしていること。
「引き抜きを命じられてて。私、みんなを利用して復讐しようとしているの…」
心底、申し訳ない気持ちになり、マリーはそっと目を伏せる。
「何言ってるんだい、お嬢!俺たちは、お嬢と働きたくてこの工房で働いてたんだ!」
「そうですよ。お嬢様が必死に工房を良くしようとしていたから、支えたくて働いてるんですよ!」
「いまもずっと、お嬢様のお戻りを待っていたんです!」
「そうじゃないと、こんな給料の安い工房で働いてられるかってんだい!」
「たしかにそうだ!」
それを聞いた、工房のメンバーは吹き出し、一斉に笑い出す。
マリーがその様子をぽかんと見ていると。工房の扉がバンっと開く。
「みなさまには、今のお給料の2倍出しますわ!」
そこには、濡羽色の髪をたなびかせ、金色の意志の強そうな瞳を輝かせた悪役令嬢が意地の悪そうな顔をして立っていた。
「なので、私の工房で働きませんこと?もちろん、工房長はマリーよ!」
「「「おおおおおおおおおおお!!!」」」」
「え、え!?」
工房の職人とご婦人たちから歓声が上がり、マリーは素っ頓狂な声を上げる。
「ふふふ。それじゃあ、私の情報収集部隊とマリーの印刷工房による新しい新聞を刊行するわよ」
その様子をみてデーアは満足そうに笑った。
それから数ヶ月のしないうちに、デーアの持つ情報収集部隊とマリーが営む活版印刷法による印刷工房が発行する新聞は、瞬く間に圧倒的なシェアを獲得した。情報収集部隊の圧倒的諜報力による特ダネが、活版印刷法により毎日届けられるのだ。まるで「魔女が魔法を使って届けているようだ」と言われ、通称「魔女新聞」と呼ばれ、マリーの故郷である公国全土へと広がっていった。
半年もすると他の追随を許さないほどにシェアを拡大させ、他紙を淘汰していった。そう、マリーの父の事業もあっという間に潰されてしまった。成金の新興貴族であったディアス男爵家も取り潰しになるそうだ。もちろん、その報道第一号は魔女新聞だ。
「取り潰し!お金だけが取り柄のディアス男爵家」と題した記事が掲載された刷りたての見本紙が職人からマリーの手元に届けられた。発行前の紙面チェックは工房長の大事な仕事だ。記事の内容としては、「印刷業がうまくいかなくなったディアス男爵家。資産から立て直しの費用を捻出しようとしたが、娘サリーの使い込みが発覚。財務状況が傾くに傾いて、どうしようもすることができずに取り潰しとなった」という、よくある話だ。
印字を指でなぞるマリーの鼻孔を、印刷用インクのにおいがくすぐる。嗅ぎなれた匂いだ。
工房長の部屋の扉をノックもせずに開け、入ってくる者がいた。この工房のオーナーでもあるデーアだ。いつも通り、長身の修道女であるセシルにエスコートされていた。セシルのデーアへの忠誠っぷりは目を見張るものがるとマリーは思っている。今もデーアが開けたドアを閉め、デーアが座るソファーに持参のクッションを敷く。物語の悪役令嬢と執事そのものだ。
「調子はどうかしら?工房長」
「ああ、復讐が終わったんだなって…」
「あら?自分の目で見てないのに満足なの?」
どういうことだとマリーがきょとんとしていると、部屋の外が騒がしい。
「ちょっと、関係者以外は立ち入り禁止です!」
新しく採用したマリーの助手が静止する声と共に、再度、大きな音を立てノックもせずに工房長の部屋の扉が開かれた。
「お姉ちゃん!」
「マリー!どういうことだ!?」
転がり込むように、部屋に入ってきたのは、サリーとマリーの父だった。
「マリー!貴様が私の事業を乗っ取ったのは知っているんだぞ!」
「お姉ちゃんのせいで伯爵に離婚された!責任取ってよ!」
父とサリーは思い思いのことを口にする。デーアとであったころのマリーであったらオロオロとうろたえたであろうが、マリーはもう半年も公国一の印刷工房を取り仕切っている事業家だ。扇をパッと開くと父とサリーの方へ歩み寄る。
「あら、『元』男爵と『元』伯爵夫人ではありませんか。アポイントもなしに非常識ですね?あ、だから『元』がつくのかしら?」
マリーは、父とサリーが突かれると嫌な「元」という単語を強調しながら話始める。
「元男爵の事業を乗っ取ったですって?元男爵の事業は木版印刷、私が行っている事業は活版印刷です。技術の進歩は日進月歩。現場や職人を放置して机上でだけ事業を行おうなんて…本当に事業家なのかしら?」
元々、活版印刷はデーアがマリーに教えたものだ。しかし、マリーもデーアにおんぶに抱っこではいけないと、ヘリカルム王国と共同研究を行いプレス印刷機の開発にいそしんでいる。
「私のせいで伯爵に離婚されたと…私のせいではなく、自業自得では?どうせただでさえお金のない伯爵家のお金を使い込んだのでしょう?そもそも私はもう貴女の姉ではございません。」
その後もピーチクパーチクと、声を荒げ難癖をつけてくる。父とサリーに対し一つ一つ丁寧に嫌味のおまけつきで返事をしていくマリー。その様子をデーアは満足そうに観賞し、セシルはいままでに見たことのない表情をして笑いをこらえていた。
ヒートアップをしていた父とサリーは、男爵家を追い出されたころと全く違うマリーに徐々に恐れを抱きだしたとともに、もう言えることがなくなり下へ俯き口をパクパクとさせる。
「あら、プレゼンは以上かしら?そうね。元男爵と元伯爵夫人の新規事業は、あいにく当社では採用を見送らせていただきます。では、元男爵および元伯爵夫人のより一層のご活躍を心よりお祈り申し上げます」
パンッとマリーが手をたたくと、工房の警備員たちが父とサリーを担ぎ上げ外へと放り出した。それを見届けたマリーは、見本紙を持ってきた職人を呼び出した。
「見本紙、赤入れしておいたから修正してちょうだい」
職人は渡された見本紙の赤入れ箇所を確認する。赤が入れられた場所は一カ所だけ、ディアス男爵家の記事を1面から3面の目立たないところへ移動させ文量を減らして掲載するというものであった。今は無き実家への配慮だと思った、職人はマリーに声をかける。
「お嬢もやっぱり実家に思い入れがあるんだな」
声をかけられたマリーは、キョトンとするとこう答えた。
「いいえ?報道価値が低いから紙面占有率を下げるだけよ?」
それを聞いた、セシルは耐えきれずに「ふふっふふふふふ」と笑い出し、デーアはにんまりと悪役令嬢よろしくな表情で「成長したわね」とつぶやいた。
セシルがひとしきり笑い終えたあとは、恒例のセシルの入れたお茶でマリーとデーアはお茶の時間にした。最近の事業成果の報告会だ。ある程度「魔女新聞」の報告を終えたマリーはデーアにこう切り出した。
「そうだ。デーア様に伺いたいことがあったんです」
「なにかしら?」
マリーは、ティーカップを置きデーアに向き直る。
「私をなぜ工房長にしたのでしょうか?もともと、この地味な見た目を活かして情報収集部隊で諜報員を行わせるとおっしゃられていたじゃないですか…」
「『ずっと働いていたかった』そう言ったのは、貴女じゃない」
マリーは、ハッとした。初めて「魔女の城」に訪れたときのことを思い出したのだ。デーアは父も婚約者の伯爵も聞いてくれなかったマリーの「ずっと働いていたかった」という言葉を、聞いてくれただけではなく覚えてくれていた。そして、その言葉を叶えてくれたのだ。
「一番やる気がある人がそのポストについて仕事をするのが一番成果をあげると私は思っているわ。私の事業家持論よ覚えておきなさい?」
そう言ってほほ笑む女神のようなデーアをみたマリーは、「やはりこの方は悪役令嬢なのか女神なのかわからない」と心の中で思った。
「デーア様はただのツンデレですよ」
セシルがウインクをして、マリーに耳打ちする。どうやら口から出ていたらしい。「そうか、ただのツンデレか」と何となくマリーは腑に落ちた気持ちでセシルの入れた紅茶を一口飲んだ。
人物名や国名はちょこちょこ以前の短編小説からのつながりです。ご興味のある方はシリーズタイトル「七瀬ゆゆ」より小説をご覧ください。