34 春の空の王子様(ルイ視点)
ライオネルとカタログを間に顔を突き合わせて話した次の日から、僕は王女の側妃就任のための調整に駆り出された。
そのせいで屋敷には帰ることができないでいた。
ローレンナ妃とのお茶会のついでに、差し入れや着替えなどを手渡してくれる時以外サリーとも会話をできる時間がとれない。
毎回「すまない。落ち着いたら必ず」と言う僕。
サリエラは「大丈夫よ。待ってる」と笑顔を向けてくれる。
そのことに安堵を覚えると同時にすぐに話すことができなかったことに胸をなでおろす。
そろそろ『あれ』の準備もできているだろうかと考えながらアレクの執務室に顔を出す。
「すまないな。ルイ……結局まだ話せていないんだろう?」
「あぁでも逆に時間があってよかったとも思っている」
僕の返答に安堵のため息をつきながら
「少し休憩しないか」
とアレクが誘ってくれる。
2人でソファに移動し、僕がお茶を淹れて二人で一息つく。
僕が忙しいということはもちろんアレクはもっと忙しい。
側妃就任のために様々な制約を決めている。
王女のグロリアでの行いを思えば適度に我が儘を許しつつ、政治からは完全にシャットアウトしなければならない。
そしてローレンナ妃のためにできる限り王女の行動範囲を狭めようと必死だった。
「王女の様子はどうだ?」
「漆黒をつけているが今のところ本当に怪しい所は見られない。
ただ、いつどう動き出すか分からないという怪しさはあるとカラス達が言っている」
「なるほどな。
ずっと漆黒をつけておくわけにはいかないからな」
「あぁ。王宮であまり漆黒を使い続けるのはやめた方がいい。
本当に時々本能が鋭い奴もいるから」
「そうだな。…………それで?」
「それでとは?」
「とぼけるな。サリエラ嬢の話だ」
アレクは顔の前で手を軽く振る。
僕はそんなアレクの様子に苦笑いを浮かべつつ答える。
「明日には帰れるようにしてある。その時話す」
「じゃぁどちらにしても次の王宮舞踏会の後には二人で酒を飲めそうだな」
「そうだな。一番いいワインを準備してくれよ」
「おや? 強いウイスキーかも知らんぞ?」
「やめてくれ。縁起でもない」
そう言って二人で笑いあった。
こんな和やかな雰囲気も久しぶりだった。
今日はいつもより早く仕事を終わらせ公爵邸へ戻った。
いつもより早いと言ってももう夕食も終え、そろそろ就寝準備をはじめようという時間だ。
僕が公爵邸の玄関ホールに足を踏み入れるとサリーが出迎えてくれた。
「おかえりなさい。ルイ」
「あぁ。ただいま」
そういって軽く抱きしめるとサリーは一瞬ビクリとしながらも僕の体にそっと腕を回してくれる。
あの伯爵家での事件の後から、僕が抱きしめればこうやって腕を回してくれるようになった。
サリーのぬくもりを名残惜しく思いながらも体を離し、僕は着替えのため私室に戻る。
私室で着替えようとクローゼットを開けると小さな紙袋が入っていた。
カードには『ご所望の品です。がんばれ。ライオネル』というメモがつけられている。
僕はそれを見て思わず微笑む。そしてこぶしを握り気合いをいれた。
歓談室に入りサリーの隣に座る。
「今日はお酒じゃなくても本当にいいの?」
「あぁ。今日は……話をしないといけないから……」
「そうね……」
二人の間に沈黙が流れる。
あれほど伝えようと意気込んでいたのに、いざ話を始めようとすると上手く言葉が出てこない……。
僕がどうしようかと思案しているとサリーが僕の隣でクスリと笑う。
「なんかおかしいわね。
ねぇルイ。私の話を先にしてもいい?」
僕はそんなサリーの気軽い雰囲気に呆気にとられすぐに反射的に「あぁ」と返事をしてしまう。
その返事を僕はものすごく後悔することになろうとは、その時は全く知らなかった。
「私この任務が終わったら花カラスの長になろうと思っているの」
サリーの言葉に思わずガタリと立ち上がる。
そしてサリーの肩を掴んでソファの背もたれにおしつける。
「ダメだ!! 絶対だめだ!! 許せない!!」
僕の行動と声の大きさに驚いたのか掴んでいたサリーの肩がビクリと跳ねる。
サリーは僕の手から逃れようと必死にもがき始める。
「やめて。ルイ。ちゃんと聞いて。お願い。
痛い……」
サリーの『痛い』というつぶやきに、我に返るがサリーから手を離すことができないでいた。
僕の力が緩んだことが分かったのか、サリーは僕の顔を覗き込みながら話しかける。
「ねぇ? ルイ。お願いだから話を聞いて?」
「嫌だ。その話なら聞きたくない」
僕は子供の様に頭を左右に振って嫌だと繰り返す。
そんな僕の腕にそっと手を添えてなだめるように撫でてくれるサリーの手を感じる。
僕は涙がこぼれそうになるのをグッと我慢する。
サリーが立ち上がろうとするのを制することもできない。
そして僕はサリーの肩から手をはなすこともできずにいた。
サリーはそっと立ち上がりそのまま僕の胸に飛び込んできた。
そして出迎えの時とは違いギュっと僕の背中に手を回す。
「ねぇお願い。ルイ。このままで話を聞いて」
僕はサリーを包み込むように抱きしめてコクリとうなずく。
サリーの首筋に顔を埋める。
サリーはくすぐったそうにクスリと笑う。
「あのね……。
私は『長になろうと思っている』って言ったのよ。
花カラスになるわけじゃないわ」
サリーの言葉に「それでも嫌だ」と首を横に振る。
僕は花カラスの仕事自体はカラスに必要なものだと理解しているし、偏見があるわけではない。
ただ僕の器量の問題だ。
サリーがほかの男の隣で酒を飲んだり、手を握ったりすることが耐えられない。
サリーが酒に弱いことでもしものことまで考えてしまう。
それが仕事だと言われても僕は耐えられそうになかった。
「じゃぁ…………ルイのお嫁さんになって花カラスと青のカラスの長になることはできない?」
僕はサリーの言葉に固まった。
ただサリーを抱きしめている腕だけは無意識に力が込められてサリーを強く抱きしめる。
サリーは言葉を続ける。
「私はね……。
あのカビ臭い寒くて狭い、石の部屋で『春の空の王子様』に出会ってからずっと恋をしているの。
いつか諦めなきゃいけないってずっと思ってた。
私は昔も今も『疫病神』とよばれる女だもの。
『春の空の王子様』と『疫病神』では幸せになれないわ……。
でも私の『春の空の王子様』は私のことを『春の妖精』って言うのよ。
『春の空の王子様』と『春の妖精』は幸せになれるかしら?
恋してもいいかしら? 愛してもいいかしら? ……好きになってもらえるかしら?」
僕の胸に顔をうずめて小さな声で
「ルイはどう思う?」と聞くサリー。
その顔が見たくて僕は少しだけ体を離しサリーの頬に両手を添えて顔をこちらに向ける。
ピンクの花のようなきらきらした瞳から涙が溢れそうになっている。
僕はサリーの目から零れ落ちそうになっている涙をチュッと口をつけて吸い上げる。
右が終われば左をそして右を……。
何度も何度もサリーの顔に口づけを落とす。
サリーはそれをピンク色の瞳でずっと見つめていた。