26 サリーの本領(ルイ視点)
「ルイ。私も連れて行って?」
無意識だろう。
立ち上がる僕の服の裾を掴み、座ったままのサリーが上目遣いでまるでおねだりのように僕にそういう。
場所が場所で状況が状況でなければ僕の理性は危うかった。
状況を教えてくれた僕たちの隣に座る侯爵夫人の「あらあら。初々しくてすてきですわね」
と、からかうような言葉もサリーの耳には届いていないだろう。
僕は分かったと頷き、サリーの手を取りエスコートしつつ階下に降りて行った。
2人で階下に降りると案の定というべきか、一人の見慣れない令嬢が、とある令息に何やらすごい剣幕で詰め寄っていた。
それをグロリアの大使が青い顔で必死になだめていた。
アレクとローレンナ妃はローレンナ妃の体調がまだ思わしくないことを理由に先に下がっており、今この場で最高位なのはこの国の筆頭公爵家嫡男であり、アレクの補佐でもある僕だ。
内心ため息をつきながらも顔見知りであるグロリアの大使に声をかける。
「おやおや、大使殿。
本日は我が国の王宮舞踏会ですよ。
外国の方を招いての夜会は別の日ですよ。
お間違えですか?」
ここで「失礼しました」と引き下がればまぁ他の貴族もギリギリ納得はしないでもグロリアに悪感情を引きずることは無いだろう。
この王宮舞踏会は我が国の貴族にとっては誇りあるものだ。
貴族同士の縁を深め、貴族であることを誇りに思うことができるからこそである。
そんな場に土足で立ち入ったのも同然。
グロリアの大使は僕の言葉に青かった顔色を真っ白に染めカタカタと震えながら土下座せんばかりの勢いで謝罪する。
「大変申し訳ございません!!
この舞踏会が皆様にとってどれだけのものか承知しております!!
……しかし……」
大使が説明しようとしたのを遮って甲高い声がその場に響く。
「まぁあなたが『氷の王子様』ね!!
あなたがなかなか出迎えにきてくれないから私自らこちらにわざわざ足を運んだのよ!」
その声に周囲の冷たい視線がその人物に集中する。
しかしその令嬢はそれを気にする様子もなく更にぶしつけに僕に近寄ろうとしてくる。
僕がどうしようかと思案していると僕の前に小さな体が割り込んできた。
「グロリア国、ドルロア公爵家ご令嬢サルビア様とお見受けします。
わたくしマグネ公爵家ルイ様の婚約者でございます。
サリエラ・ブローイン男爵でございます。
ご挨拶をと申したいのですが……」
サリーが僕の前に割って入り、にこやかに微笑みながら頬に手を添えて困ったという仕草で相手の侯爵令嬢を見る。
侯爵令嬢は僕の婚約者と名乗ったサリーの言葉に一瞬驚いた表情をしながらも、男爵とサリーが名乗ったことで勝ち誇ったような笑みに変わり口を開いた。
「まぁまぁ男爵令嬢ごときが私に何を言いたいのよ」
この言葉に数人の女性に目がギラリと光り、その女性たちがサリーのそばにさりげなく近寄ってきた。
しかしサリーは微笑みを崩すことなく公爵令嬢をしっかりと見据え話を続ける。
「勘違いをされているようですが、私は男爵令嬢ではなくれっきとしたブローイン男爵ですわ。
そしてお話の続きですが、この舞踏会はルイ様が言ったように我が国の貴族のみが招待を受け参加が許されるものです。
ですので、今ここでドルロア侯爵令嬢にご挨拶するのは失礼にあたりますわ」
サリーの言葉は暗に
『あなたは今ここに居るべきではない。きちんと挨拶するかららきちんとした場所に来るように』
とほのめかしている。
しかしそんな忠告も無視するかのように侯爵令嬢はヒステリックに叫び出す。
「男爵ごときが!!
女のくせに爵位を名乗って恥ずかしい!!
それに私はその『氷の王子様』と婚約するのよ!!
この国の貴族になるも同然でしょう!!」
周囲の貴族たちが思わず一斉に息を飲んだ。
そこに一人の凛とした女性が口を開く。
「ブローイン男爵。失礼。口を挟ませてもらう」
彼女はその凛とした姿に相応しく、真っ赤な髪にすっきりとした真っ赤なドレスを身にまとい、それでもいやらしさを感じさせない凛々しさを纏っていた。
「グロリアの侯爵家の娘。
恥を知れ。無知にもほどがある。
即座に謝罪をしこの場を出て行け」
「ジュリエッタ様……お待ちください……」
「いいや。待たぬ。
この娘は我が国の女性で爵位を持つもの全員を馬鹿にしたのだ。
これは国同士の問題になる」
その言葉に大使が卒倒しそうになる。
僕はそっと大使の背中を支えるも、グロリアの侯爵令嬢が口を閉じる事は無かった。
「うるさいわね!! どこの者よ!!
偉そうに!! 私は侯爵家の令嬢よ!!
家格を考えて物を申しなさい!」
「その言葉をそのまま返そう。
爵位を盾にするのならば……。
我はこの国の第三位の公爵。
ジュリエッタ・エイハンド公爵。本人だ。
さぁこのクォーツ国の大事なこの舞踏会で騒ぎを起こした理由をきっちりと語ってもらおうか。
そしてこの国の全貴族とそなたが馬鹿にした女性の爵位持ちの我々に謝罪を。
なによりもこの場を見逃そうとした優しいブローイン男爵にもな」
ジュリエッタ殿の言葉にサリーの周囲に居た女性で爵位を持つも者たちが睨みを利かせる。
そんな殺伐とした空気の中、可憐な声でサリーが口を開く。
「ジュリエッタ様。お怒りはごもっともでございます。
皆さまも。
しかしわたくしのせいで皆様も巻き添えにしてしまったことを謝罪させていただきます。
申し訳ございません。
そして……」
一呼吸おいてサリーが公爵令嬢に向き直り言葉を続ける。
「グロリアの侯爵令嬢。ご存知ないのもわかります。
私とルイ様は国王陛下御夫妻のご成婚後すぐに婚約をいたしました。
しかし私が男爵の仕事をしっかりとした上での発表を望みましたからこれほどまでにも時間がかかってしまったのです。
あなたがルイ様とのご婚約を望まれるのでしたらきちんと御実家をお通ししていただかなければなりません。
私とルイ様の婚約破棄が必要になりますので。
もちろんその際はそちらに相応のご対応を求めますが、それはそちらの国でもご一緒ですよね?」
僕とサリーの婚約は王命で成されたものである。
しかしもちろん、そのことを知っているのは僕たち以外にはアレクと僕の両親のみである。
皆で相談した結果、僕とサリーの婚約と時を遡ってアレクたちの結婚後、すぐに纏まったことになっている。
婚約届の日付もアレクの権限で操作されている。
そして表向きにはサリーが語った事が事実であるかのように周囲には話している。
更にサリーは知っているのだ。
彼女がグロリアで強制的に婚約破棄をさせてとある伯爵家令息を手に入れようとたことを。
そして相手側の令嬢の伯爵家と令息の伯爵家を敵に回し、さんざん裁判で揉めに揉めた。
結果、多額の賠償金を侯爵家が支払うこととなる。
社交界で彼女は居場所がなくなり、唯一の味方の王女としか社交界に参加できなくなったことを。
そしてサリーは言葉を続ける。
「もしこの場が非公式で、私しかいない場所であれば『知らなかった』
としてあなたの発言は目をつむることができたでしょう。
しかしここは王宮。
そして今は我が国の貴族が大切にしている舞踏会の最中。
同志が侮辱されたとあっては他の貴族も黙っている事が出来ないのはお分かりですね?
ジュリエッタ様をはじめこの方々はここにいる皆様と同じ貴族です。
そして実際にその肩に責務を背負っている者です」
サリーの言葉で王女派の貴族も思わず眉間に皺を寄せ侯爵令嬢をにらみつける。
もちろんいうまでもなくほかの貴族もサリーの言葉にうんうんとうなずいて同意を示す。
「この場でご発言されたことには責任が生じます。
それは全員が同じです。
あなたはご自分でも『侯爵令嬢だから』と理由で私にご叱責された。
その言葉に責任をお持ちください」
「…………うるさい!! うるさい!! うるさい!!
私知っているんだからね!
あなたが虐待されていた子供だって!!
いらないとたらいまわしにされ捨てられ続けた人間だって!!
疫病神なんでしょ!!
黙りなさいよ!!」
サリーの言葉に自分の立場が危ういと、やっと気づいた侯爵令嬢がヒステリックに狂ったようにサリーの過去を暴き始める。
ぼくはそれが我慢できなくなり思わず一歩足を踏み出そうとした。
しかしさりげなくサリーの手が僕の手を引きその場に引き留められる。
サリー見ると大丈夫だという風に微笑んでくる。
その顔に思わず見とれている内にサリーは一歩踏み出して、侯爵令嬢に向かってよく通る声で話しはじめる。
決して声を張り上げていないのに思わず身が竦むような声だった。
「それがどうしたのですか?
過去はそうだとしても今は陛下に必要とされているから私は男爵なのですよ?
他国の侯爵令嬢に、私が男爵であることも、ルイ様の婚約者であることも否定させることは許しません。
このことは陛下の耳にも直に入るでしょう。
そしてグロリアにも。
あなたは私の過去の心配よりも自分の未来の心配をなさる方がよろしいかと」
その言葉に侯爵令嬢は崩れ落ちる。
大使はもう気を失っており、近くの令息達が彼をなんとか保護室に運んで行った。
貴族たちはサリーの言葉に拍手を送り、ジュリエッタ殿達はサリーの事を褒め労っていた。
そこにアレクが優雅に登場する。
「ルイ。どうなっている?
この場はどういうことだ?」
「誠に申し訳ございません。
せっかくの王宮舞踏会の場を乱すことになってしまいました……」
僕の言葉にその場にいるほぼ全ての貴族が頭を下げる。
先ほどサリーが話したことで貴族間の団結力がグッと上がったように感じる。
それをアレクも感じたようで満足そうに微笑みながら口を開く。
「よい。皆の者。頭を上げるがよい。
この場の責任を追うのはお前たちではない。
すぐに事情を聞かなければならぬものを連れていけ」
その言葉に騎士たちが動き出す。
グロリアの侯爵令嬢サルビアを含め王女派と呼ばれる数人の者が騎士に連れて行かれた。
サリーが大立ち回りをしてくれている間にカラスから情報を受け取っていた。
今回、侯爵令嬢がこの場に来ることができるように手引きした者を炙りだしていた。
その者たちをアレクに伝え、タイミングを見てくるように言ったには僕だ。
僕の行動を気づいていたからこそ、サリーは自分に目が向くように敢えて、他の貴族を巻き込みしながら会話を誘導していた。
それでも守りたいはずのサリーが矢面に手に立つのは辛いものがあった。
王宮舞踏会はアレクの気遣いにより、この国の最高級ワインを提供された。
それにより、さらに盛り上がることになったが、僕とサリエラはさりげなくその場を辞して帰ることにした。
玄関でサリエラと分かれる際、僕は耐えきれずにサリーの腕を引いて抱きしめる。
そして震える声を必死に抑え込みながら小さな声で呟いた。
「サリー。ありがとう。そしてごめん」