23 嘘の笑顔と涙の理由
「こんなことならせめて気持ちだけでもルイに伝えておけばよかった……」
私はそう独り言を漏らしながら王家の書簡を手に私室のソファに行儀悪く沈み込んだ。
先ほど、帰宅したルイに呼び出されて私は歓談室に出向いた。
今日のローレンナの様子を聞かれるものだと思い、扉を開くと重々しい空気が漂ってくる。
部屋にはルイしかいない状態で、私はルイに一言声をかけた。
せめてと思いルイにカモミールティーを淹れる。
私に座るように促すルイに応えソファに浅く座りお茶に口をつける。
ずっとお茶の表面ばかり見ているルイに
「飲まないの?」と声をかけるとはっとした様子でカップに口をつける
「…………サリー……アレクからの王命だ……」
陛下からの王命をルイから受け取ることに疑問を感じながらも差し出された王家の印が施された書簡を広げる。
そこに書いてある言葉に思わず息を飲む。
『サリエラ・ブローイン男爵 貴殿とマグネ公爵家ルイ・マグネの婚約を命ずる』
思っても見なかった文章に頭がクラクラとする。
「……サリーも知っての通り、今アレクにグロリアの王女が婚姻を求めている。
そして実は王女の侍女として付き従っているグロリアの侯爵令嬢が、我が国に王女と共に根をおろそうと企てている。
そして王女派の貴族との策略により、僕がその侯爵令嬢に目をつけられた。
アレクも筆頭公爵家にグロリアの者が入ることを危惧している。
だから……サリーを僕の婚約者とすることでその企てを阻止することを決められた……」
「……そう。
確かにわたしであれば何か妨害があったとしても対処可能だし……。
カラスの事も把握しているから仮の婚約者として問題ないものね」
私は笑顔を向けてルイに言う。
そんな私を見て苦虫を噛み潰したかのような複雑な顔をして
「仮の婚約者……」
とつぶやくルイに、自分から言っておいて『仮』という単語に胸が引き裂かれるように痛んだ。
「サリー……。 僕は……」
何か言葉を紡ごうとするルイに私はこれ以上、涙を堪えて笑顔を向け続ける自信が無くて遮るように口を開く。
「私の事だったら大丈夫。
今まで公爵家に返せずにいた恩をせめてここでお返しできれば本望だわ。
必ずルイの婚約者としてグロリアの王女の企みを防いでみるわ」
そう言って席を立ち
「それじゃあまた明日」と歓談室を出る。
急ぎ足で部屋に戻りソファに沈みこんだのだ。
自分で言って自分で悲しくなる。
例え『こんなことならせめて気持ちだけでも伝えておけばよかった……』
と思ってもそれはもう元の木阿弥。
今更、気持ちを伝えたところでルイを困らせるだけだ。
それにルイは私を『仮の婚約者』という立場にした責任から、私を娶るとも言いかねない。
ルイの責任感の強さは誰でもなく私が一番知っている。
上手くグロリアの侯爵令嬢をこの国から追い出すことができたとたら、私とルイのこの王命の婚約は終わりを告げるだろう。
その時、私がこの年で婚約を解消された女。
その相手がクォーツ国筆頭公爵家嫡男のルイだからこそ、その後の私の婚姻はかなり厳しくなるだろう。
それをわかっているからこそ、今もし私が気持ちを伝えれば責任感からルイは私を本当の婚約者として迎えるだろう。
それでもルイのそばに居られるのであれば……。
と思ってしまう私と、どうしてもルイの気持ちも欲しくなってしまう私が存在する。
ルイに気持ちを伝えたところで彼にその気持ちを返してもらえるという保証もない。
私は粛々とこの任務を、気持ちを押し隠し遂行するしか道は無かった。
その日、我慢できず枕に顔を押し付けて声を殺して涙を流し泣いた……。
次の日、なんとか目の腫れを抑え、化粧をすればいつも通りの私が鏡の前に立っている。
昨日の事はまだローレンナに話すことはできない。
昨日、王宮を辞す前にローレンナから王妃の友人として相談役についてほしいと頼まれ二つ返事で請け負った。
そのためこれからほぼ毎日予定が会えばローレンナのお茶の時間に付き添うことになっている。
ローレンナが自身で決断できるまで私は傍にいるつもりでいる。
王命で婚約したと知れば、私の気持ちを知るローレンナは再び取り乱してしまうだろう。
せめて来週に迫っている王宮舞踏会までには王命であることを伏せ、婚約したことを伝えるつもりではある。
王命ということは極秘になっているので心苦しいが、それを隠し伝えるつもりではいる。
しかし人の心の機敏に敏感なローレンナ。
私が今の精神状態で伝えてしまうとすべてを気づいてしまう。
私の気持ちがもう少し落ち着くまでと、ローレンナに婚約の事を伝えるのを引き延ばすことにした。
ローレンナは私と話すことで徐々に気持ちの整理をつけ始めたのか、王宮舞踏会の前日には初日よりかはかなり体調も顔色も良くなっているようだった。
それでもまだ貴族間の問題やリリーアンヌ王女が王宮に留まっていることに対しては気に病んでいる。
しかし明日の王宮舞踏会でいきなり私とルイの婚約を知るよりも……と私はローレンナに話しはじめた。
「ローレンナ。私あなたに知らせておきたいことがあるの」
「まぁどうしたの? サリエラからなんて珍しい」
私はいつも通りの笑顔を意識しながら浮かべる。
目が泳いでしまわないようにグッとお腹に力を入れてローレンナに伝える。
「私、ルイと婚約したの。
公爵家の事情でまだ詳細は知らせることができないけれど明日の王宮舞踏会でお披露目になるわ」
「まぁ!! 本当なの!? サリエラ!!
いつの間にそんなことが……って私があんな状態だったら知らせにくいわよね。
ごめんなさい……」
そう言って落ち込むローレンナに私の胸はチクリと痛む。
私は更に笑顔を意識する。
ここでローレンナにばれてしまえば彼女は自分を更に攻めてしまう。
私はしっかりといつも通りを意識しながらローレンナの手をそっと握る。
「私こそごめんなさい。なかなか伝えられなくて……。
公爵家の事情で少し婚約時期などを調整しなければいけなかったからすぐに伝えられなかったの。
でもローレンナには知っておいてもらいたくて。
あなたが大変な時に……」
「いいえ! 私が落ち込んでいたから気を使わせてしまったのよね……。
けれど嬉しいわ。二人の気持ちがようやく通じあったのだもの。
明日は私と同じタイミングであなたたちと踊ることができるよね?
ようやく私の夢もかなうわ」
そう言って花開くような笑顔を久しぶりに見せてくれるローレンナにほっとしつつも嘘をついている自分を責めるように心が痛む。
けれどこれは国のため。
私は罪悪感を押し殺しローレンナに笑顔を向けた。
私は今、王宮の大きな扉の前でルイの腕に手を添えて立っている。
いつかこんな日がくればと夢に見ていたはずの状況が……。
今、現実のものとなっていた。
しかしその夢とは違うのは私の気持ちだった。
初めてルイに王宮舞踏会でエスコートをしてもらえる喜びと、仮の婚約者だからという悲観した気持ちがごちゃ混ぜになっている。
そんな私とは裏腹にルイは目じりを下げて嬉しそうに私に話しかける。
「サリエラを堂々とエスコトートできる日が来るなんて嬉しいよ。
そのドレスも本当に似合っている。
君の瞳の色と髪の色に相まって春の妖精みたいだ」
本当の婚約者を相手しているような、甘い微笑みでそう言うルイ。
私は思わずほだされそうになりつつも、仮の婚約者という役割をしっかりと脳内から引っ張り出し私もルイに微笑みかける。
仮の婚約者となってすぐにルイから贈られたこのドレスは下から紺色が徐々にグラデーションとなっている。
胸元は水色となるルイの色を二色纏ったドレスだった。
この国では婚約者は自分の色をどちらか一色纏うことで婚約をアピールする術となっている。
しかし、婚約者の色を2色纏うことでお互いが相思相愛であるとアピールすることになる。
だから今回、私はルイに送られたドレスに複雑な気持ちを持つしかできなかった。
隣に立つルイは黒いテールコートに金色の刺繍を施されたものを着て、タイやポケットチーフ、そしてカフスボタンに至るまでもピンク色にまとめている。
あまつさえジャケットの下のベストはピンクがキラキラとした反射すると金色にも見えるベストを着ている。
男性が女性の色を纏うことがあったとしても、ここまで全身を相手の色に合わせることは少ない。
だから私は公爵邸の玄関で彼を見たとき思わず勘違いしそうになってしまった。
私は仮の婚約者であり、今回の任務は公爵家をグロリアから守ることだと心に再びしっかりと刻み付けここまでやってきた。
ルイの甘いセリフと甘い表情に勘違いしないように必死で自分を押さえつけ、しっかりとした姿勢で扉が開いていくのを見つめた。