1 疫病神と呼ばれる少女
かび臭い牢屋のような石造りの部屋の中。
その部屋の唯一の出入り口の扉は重く、鍵が開けられるのは食事が運ばれる一日にたった一度だけだった。
部屋の中には小さなベッドとテーブルとイス。
ベッドの上には薄汚れた毛布が一枚だけある。
少しだけ外の光が漏れるレンガ一つ分の空気穴から今日も月を眺める。
真っ暗な中に輝く月だけが私の唯一の明かりだった。
私は5歳まで男爵令嬢として何不自由ない暮らしをしてきた。
お母様の優しい「サリエラ」と呼ぶ声も、お父様が「サリー」と甘やかしてくれる声ももうほとんど思い出せない。
お父様とお母様は領地の視察に出かけたまま帰ってこなかった。
前日にあった雨のせいで道がぬかるみ、そして川の水も増水していた。
ぬかるみに車輪がとられ、そのまま川に落ち馬車と共にお父様もお母様も流されたらしい。
私は何も分からない間にすべてを失った。
それから縁戚の家をたらいまわしにされた。
その家で何か起こると私のせいにされ、そしてまた違う家へ。
いつしか私は疫病神と呼ばれ誰も私の本当の名前を呼んでくれる人はいなくなった。
まだ牢屋のような部屋に閉じ込められている今の方がよほどマシな状態だった。
他の家では暴力や折檻にあうことも珍しくなかった。
それでもこの部屋から出ることなく一日一度の食事を与えられる日々を辛く思う時間はある。
昼間、この屋敷の家族たちが庭で楽しく過ごす声が聞こえてくることは辛かった。
お父様とお母様が生きていたころの自分と今の自分を否応なく比べてしまうことになる。
だから夜のこの月明かりにほのかに照らされる時間の方が落ち着いていられた。
ある日、騒がしい声で目が覚める。お茶会でもあるのだろうか。
庭が騒がしい。
私は必死で耳をふさいで庭から聞こえる楽しそうな子供たちの声を聴かないようにしていた。
「今日は王子様が来るって本当?」
「本物の王子様じゃないけれど、本当に素敵な王子様のような方よ」
「私、王子様のお姫様になりたい!」
「そうね。あなたならきっとなれるわ」
はしゃぐ子供と母親だろう女な人の声が耳をふさいでも聞こえてきてしまう。
私はかび臭いベッドに丸くなり、ギュっと目をつむる。
「ここに穴があるよー」
男の子の声が聞こえた気がした。
「ダメよ!! そこには疫病神が居るんだから! 姿を見ると不幸が起こるわよ!」
また先ほどの女の人の声がする。
「聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない」
思わず涙がこぼれてしまう。
私はサリエラよ。疫病神じゃない……。だれか……私の名前を呼んで……。
心が痛いほど叫ぶ。
泣きながら眠ってしまったのか、だるい体を引きずってなんとか机に向かい水を飲む。
外はまだ明るくて、そんなに長時間寝ていたわけではなかったようだ。
お茶会が始まったのか外はより一層と賑やかになっていた。
しばらくざわざわとたくさんの人の声が聞こえていたが一瞬シーンと静かになる。
何かあったのだろうかとも思ったけれど、どちらにせよ見ることもできないので諦めて再び水を汲もうとした。
すると手に力が入らなかったのか水差しを手から滑り落してしまった。
ガシャンと水差しが割れて大きな音を立ててしまう。
外に音が響いているかもしれないと一瞬焦り、恐る恐る空気穴の方を見る。
思わず息を飲んでしまった。
そこには私の大好きだった澄んだ空のような水色の髪に濃い青い瞳が私を見ていた。
まるで春の空のよう……。
驚きと共に憧れのその色合いを見つめてしまう。
じっとその瞳を見つめていたが、すぐに我に返りまずいと思いベッドに再び丸くなる。
ベッドは空気穴から死角になっているはずだ。
空気穴から聞こえる音はバタバタとあわただしいものになっている。
「……だ。今すぐ……して……い」
「わかったわ……すぐに……しましょう……」
外の声は騒ぎのせいでうまく聞き取れなかったけれど一つだけ聞き取れた。
「もう大丈夫。僕が今すぐ君を助けるよ」
優しく響く小さな男の子の声に私は思わず顔を上げる。
再びベッドからそっと降りて空気穴の方を見たけれどそこにはもう誰もいなかった。
本当は真っ黒な夜空の色より、春の空のような透き通った水色が好きだった。
広い広い空のような青色が好きだった。
さっきの男の子の色を見て一つ自分の好きなものを思い出せたことに嬉しくも切なく思う。
いつかまたあんな色の空の下を自由に走り回りたいな……。