87:死と友
「ギニルは………………知っていたのか? ブロウドが死んでいるって…………」
今にも泣き出しそうな震えた声で、グリリアは訊いた。
サルラス帝国に居た頃は、仲の良い友人だった。
一緒に、ビルクダリオを助けようと、カルロスト連邦国へ渡った。
グリリアは薬屋を開きビルクダリオの健康を守り、ギニルは王城で、内政を調べた。
だがギニルは、王政へ侵入した時から、変わり果ててしまった。
昔のギニルはもうそこに居なかった。
ギニルにその自覚があるかは判らないが、少なくとも、一番良く関わって来たグリリアには、そう見えた。
理由は解らない。
だが、何となしに、ビルクダリオよりも、グリリアよりも、自身の安全しか考えなくなった様にも感じた。
何が彼をそうさせたのかは判りかねるが、ギニルの事だ。
そうせざるを得ない程、王城が危ないところだったのか………………
現にそうだ。
こんな劣悪な環境で奴隷を監禁している時点で、とても正気の沙汰とは思えない。
そんな中で生活していたギニルなのだ。
そりゃぁ疲弊するのも無理は無い。
まさか、此処の国王は、自分かそれ以下かでしか物事を考えていないのか。
いや、まさか…………な。
「……知っていた。だが、人から聞いた噂話。実際私は信じていなかった…………信じたく無かったさ、そんな事。でも…………………………本当だったの……か。」
グリリアの言葉に、ギニルは失意した。
「ノールに聞いた。ブロウドが此処で生活していたと。そして今抱えている頭蓋骨が、ブロウドの物だったと。」
ギニルは少しドキッとした。
ノールに聞いた。
まさか、ノールの誘拐がギニルである事がバレているかもしれない。
そんな心配が、ギニルの頭を過った。
ノールの誘拐は、国王の命令だった。
従わなければ殺される。
失敗しても殺される。
そう。仕方がなかったのだ。
見ず知らずの母娘よりも、自身の命を優先する。
仕方のない事だ。
仕方のない事なのだ。
――――そう思っておかないと、生きていけなかった。
もしグリリアがそのことを知っていたら…………
許して欲しい。
でもあわよくば………………
知らないでいて欲しい。
「お前なんだろ? ノールを攫ったのは。」
グリリアのその言葉を聞いて、ギニルは硬直した。
知っていた。
気付いていた。
「ノールの娘のミロルちゃんから聞いたよ。『ギニル・フルーブが、私のお母さんを攫って行った。』って。」
娘。
勿論ギニルは覚えていた。
ノールを襲った際に逃げていった女児の事だろう。
生きていたのか。
ギニルは何故かほっとした。
生きていてくれた。
自分のせいで死んでいなくて良かった。
そんな安堵感が、加害者の胸の内で広がった。
側から聞いたら、巫山戯るなと言われそうだが、そう思ってしまった。
グリリアは失望しただろうか。
人々を救うのに、自身を犠牲に出来ない弱い私を。
グリリアは軽蔑するだろうか。
こんな生意気で巫山戯た事しか吐かさない、愚かな私を。
許してくれなどと心の中でしか乞うていない駄人間など、相手にしてくれないか。
許してくれ。
駄目な私を。
叱責しても良い。
気が済むまで咎めてくれても良い。
だがどうか…………
どうか…………………………
「……済まない。」
ギニルは静かに、そう呟いた。
罪悪感に押し潰されそうだ。
何かとても大きいものが、体のあちこちにへばり付き、ねちっこくて、全く離れようとしない。
これが罪なのか。
これが責任なのか。
これが…………
ギニルは只々苦しかった。
「…………私もそうだった。」
突然のその言葉に、ギニルは首を傾げた。
「結局私も、自分自分の人間だったって事さ。自身を貶めたビルクダリオを、自身より弱いと勝手に決めつけて、何とか自分を正当化しようとした。
敵。
味方。
良い人。
悪い人。
人間っていうのは…………いや、少なくとも私は、自分を“良い人”と思わないと生きていけない。
他人と比べて、貶めて、自己評価を高めないと。
そんな事でしか自我が保てない。
私も同じだよ。
私も弱者だ。
だってそうさ。
愛していたブロウドに出来ることは、ただ抱いて嘆く事しか、私には出来ない。助けることも出来なかった。
結局私は弱かった。
どうせお前の事だ。自分のことを、『弱者』だの、『愚か者』だの思ってるんだろう?
皆んなそうさ。
皆んな弱者で、皆んな愚か者さ。
だけど、私は思うんだよ。
弱者でも良いじゃないかって。
私はこの数日で、色んな人と会った。ビルクダリオの女の子。この国の国王秘書。強い魔法使い。私はビルクダリオを弱者だと思っていた。
だが強かった。私たちよりもよっぽど。それに比べて私らはどうさ?
守りたい物も守れず。
ただ自虐するしか自身を咎める方がない。
私もギニルも一緒じゃないか。」
グリリアは笑った。
泣きながら笑っていた。
手には、ボロボロの、苔の生えた頭蓋骨があった。
「まぁお互い。弱者同士、強く生きようぜ。」
そう言いながらグリリアは、ギニルの肩を叩いた。
「あっ、そういや。お前何で此処に来たの?」
格好をつけていたグリリアだったが、不意に思いだし、雰囲気など考えぬ口調で訊いた。
「いや、王城が崩落しててさ。早く逃げないと死んじゃうよ〜って報告。」
「ヤバくね?」
「ヤバいね。」
その後二人は、絶叫しながら全力疾走し、何とか王城から脱出したという。