123:覚悟
「皆さん! 早く逃げて下さい! 私が足止めをしますから!」
そう言ったとて、直ぐに動いてくれないことくらい理解している。
冒険物の小説とかだと皆んなそそくさと逃げていくが、実際死がこうして近付いている時に、咄嗟の判断が出来るはずが無い。
況してや、こんな腰が抜けている状況で、そう動くことなどできない。
「さ、さぁ、皆さん! 行きましょう! 僕達が居ては足手纏いでしょう!」
背後から、この空気をぶち壊す様な溌剌とした声が響く。
「リカルさんは強いんです! さっきだって見たでしょう? あの炎の壁を。」
不安そうにする住民にそう語りかける。
「タリア…………」
「リカルさん! 僕達はさっさと離れますんで、思う存分やっちゃって下さい!!」
そう言いながら、住民たちを引き連れて行ってしまった。
やはりタリアには敵わないな。
私には、そんな芸当できたもんじゃ無い。
「……ありがとう」
リカルの目から、涙が溢れた。
嗚呼。
これで死ぬのか。
タリアと会えるのも最後だな。
アステラ様。
貴方に逢えて本当に良かった。
今までのこのご恩。
この命を以て、お返しさせていただきます。
ただ。
最後にもし叶うのならば。
もう一度だけ、
逢いたかったな…………
ザルモラは、悠々と此方に向かって歩いてくる。
その風体は正に強者のそれ。
油断の一つも許されぬ。
瞬きすら危険行為となる。
ザルモラ。
それは私が今から戦う相手。
雲の上の存在。
手が届く筈もない。
嗚呼。こんな時にマグダ様がいれば、少しは変わったのでしょうか。
いや。
兎に角私に出来るのは、此奴に当たって砕けるのみ。
さぁ。
「…………困りましたねぇ………………」
ザルモラの口から、そう漏れた。
そしてザルモラは、リカルから視線をエルダに向けた。
エルダは、腕を捥がれて倒れている。
大量の血が湖を形成していて、最早助かる余地のない事を十分に示唆している。
もしかしたらもう、そこにあるエルダは、途轍もない程遠くの存在になってしまったのかもしれない。
私のただ一人の友人。
そしてザルモラは、その捥げた腕を持ち上げた。
傾ける度に、断面から血が流れる。
そしてその腕を見た後、それをエルダの右肩に押し当てた。
そして唱える。
「回復」
と。
その瞬間、そこを中心に微風が吹いた。
私の髪が少したなびく。
そして、何処からともなく、金色の粒が飛んできて、腕の断面で止まった。
その幾万もの粒が、軈て傷口全部を覆い、他の粒は、エルダの体の周りを旋回する。
そして次の瞬間、その粒が一斉に輝煌し、気付いた時にはその傷は癒えていた。
よく見ると肌の血色も良くなり、呼吸もしている。
………………は?
まさかこの男は、エルダを痛めつけるだけ痛めつけ、その末に遊び半分で殺したエルダを生き返らせたのか?
巫山戯るな。
生き返らせてくれたのは感謝する。
だが、そのせいでエルダのプライドはズタズタに切り裂かれただろう。
決死の覚悟で挑んだ戦いで負けた上、相手からの情で、生き返らせてもらう。
これ以上の屈辱は無い。
巫山戯ている。
「元より私は、貴方たちアルゾナ王国の人達を殺すつもりなど無いのです。だって面倒臭いでしょう? 『サルラス帝国の魔法師が、アルゾナ王国の要員を殺害』とか言って戦争とかなったら。だから私は、リカルさんもエルダさんも、殺すつもりは無いのです。」
余計に反吐が出る。
「なので此処は失礼します。」
そう言いつつザルモラは、私から離れながら、すれ違おうとしている。
「ならば何しに此処へ?」
思い切って聞いてみた。
大体察しは付いていた。
だが、確認しない事にはその是非も断定しかねる。
「だって貴方達、あのウイルスを治したんでしょう? だから私達は、あの人達を殺すんですよ。私が出向くと言え、どっちにしろウイルスで死滅していた害虫です。今私に殺されても、特に問題は無いでしょう?」
……もう迷わなくて良いな。
私は自分の背後から広範囲に、一本線状の炎の壁を生成した。
目的は簡単。
ザルモラを彼方に行かせない様にする為。
彼方に行かれたら、住民全員惨殺されて終わる。
なら当然、それを拒む。
それを見たザルモラは、あまり面白くなさそうに此方を振り返る。
「だーかーらー。別に貴方達に危害を加えるつもりは無いと何度も言っているのに…………」
怖い。
それが、この男を見た時の第一印象。
怖い。
でも。
「私だって、守りたい人の一人や二人はいるもので」
「ほぅ。それはご立派な」
ザルモラが、眉間に少し皺を寄せる。
「私が一番嫌いなものって、綺麗事なんですよ。いるじゃ無いですか。綺麗事ばっかり言ってそれで自分が正しいみたいに勘違いしている人。そういう人が一番見窄らしい。それでいて、そういう人に限って、対して強く無いんですよ。そういういう人を、馬鹿と言うんです。
善人では無い。
勇者でも無い。
ただ善人ヅラしているだけの、馬鹿なんですよ。そう言う人が、一番嫌いだ」
その一言一言が、まるで肩にのしかかる様に、私の体を蝕む。
この威圧感。
一瞬でも気を抜けば失神してしまいそうだ。
私は、意を決して言った。
「確かに、私は弱い。そこで寝ている男よりもよっぽど弱い。貴方の相手になれるなど、微塵も思っておりません。ですが、それでも。私は守りたい。
それで私の命が潰えるなら、この灯火が朽ちるその時まで、私なりの正義を貫くだけです」
緊張の糸が張られる。
ピンと張ったその糸は、少し触れてしまうだけで逆鱗に触れそうだ。
だが、それで良い。
それが私の覚悟だ。
ザルモラも、さっきまでの面倒臭そうな表情とは打って変わり、真剣な面持ちで私の目を見た。
恐らく、勝負にならない。
だが、私は逃げない。
タリアが助けてくれた。
エルダが助けてくれた。
じゃぁ次は、私がタリアを守る番だ。
さぁ。
始めよう。