ホスト、客を看取る
「はい、シャンパン入って絶好調、今夜もイッパツ絶好調!」
マイクを握ったMC役の金髪ホストがコールすると、他のホストたちが「ちょーちょーちょーちょー」と唱和する。
「かわいい姫とイケメン王子、二人に届ける俺らのシャンパンコール!」
「うぇいうぇいうぇいうぇい」
MCのホストがソファに座る女性客にマイクを向け「では姫、誰に飲んでもらいましょうか?」と訊ねる。
女性客は、うーん、と首をひねった。
「じゃあ、今日いちばん話がすべってた大ちゃん!」
いちばん端に立つ紫のスーツを着た三十年配のホストを指名する。
「ありがとうござます! では大輔さん、お願いします」
ポンッとシャンパンの栓が抜かれ、瓶が大輔に渡される。紫スーツの男はためらうことなく瓶を口に咥え、顔を仰向かせた。みるみる中の液体が減っていく。口元を拭い、空の瓶を頭上に掲げた。
「はいはい、見事な一気飲み! シャンパン入って絶好調!」
「ちょーちょーちょーちょー」
男たちの唱和が続き、狂乱の夜は続いた。
閉店後の店内、フロアにはホストたちが直立不動で立ち、前のソファには店の幹部が座っていた。顔グロで短髪の営業部長がマイクを握った。
「はい、じゃあ給料ミーティングを始めます。おつかれー!」
ホストたちが「うぃーっす」と唱和し、最初に営業部長が成績優秀者の名前を告げる。
「1位、零也、売り上げ2200万。おめでとう!」
前に進み出た若いホストが「あざっす」と分厚い封筒を受け取る。成績順に給料が手渡され、最後に呼ばれたのが紫スーツの年配ホストだった。
「おつかれ」
薄い封筒を手渡される。列に戻り、大輔は中を見た。一万円札が三枚と小銭が四枚入っていた。
「社長、お願いします」
営業部長からマイクを渡され、サングラスをかけた金髪男がけだるそうに首をコキコキ鳴らして口を開いた。
「はい、みなさん、おつかれでした……」
V系バンドのボーカルのようにローテンションである。
「うぃーっす!」
「みんな、自分の人生に満足してる?……俺らの仕事っていうのは女の子から金もらってなんぼだから……ぶっちゃけ、もっと真剣にやってほしいわけよ……」
社長のテンションが徐々に上がり、口調が熱を帯びる。
「いいか、くだらねえプライドは捨てろ。もっとサクセスめざせよ。この街でナンバー1のホストになりたいって思わなきゃ意味ねえんだよ。アンダスタン?」
うぃーっす、という唱和が響き、営業部長の「じゃあ、明日もがんばっていきましょう」の声でホスト達が解散する。
更衣室に向かおうとする大輔を営業部長が呼び止める。
「松井、ちょっと俺の部屋に来い」
六畳ほどの狭い事務室で二人は向かい合っていた。部長はパソコンの置かれたデスクに座り、前のパイプ椅子に大輔が腰を落としている。
「この売り掛け、15日までに入金がないと未払いになるよ」
差し出された請求書の紙には30万円という金額が入っていた。
売り掛けとはホストクラブに対するツケ払いのことだ。無銭飲食ということになるが、そもそもツケ払い自体が法律的にグレーである。
「わかってると思うけど、飛ばれたらおまえの給料から天引きだから」
営業部長が淡々と告げ、「話はそれだけだ」と切り上げた。大輔は立ち上がり、失礼します、と事務所を出て行った。
◇
平日の午後、大輔はスマホの地図を頼りに住宅街の中を歩いていた。鉄骨造りの二階建てのアパートの前で足を止める。
(ここか……)
そこは売り掛けをして飛んだ女の自宅だった。ツケ払いの常習犯だったので念書を書かせ、バッグの中に入っていた郵便物の住所を記載しておいた。
一階のドアの横に「三村」という表札があった。呼び鈴を鳴らすが何も応答がないのでもう一度鳴らした。
ドアが開き、チェーン越しに小学校高学年ぐらいの女の子が顔をのぞかせ、じろっと大輔をにらむ。
「どちらさまでしょうか?」
「え?……ダイスケです……いえ、松井大輔です……あの、三村志帆さんのご自宅ですよね?……」
「そうですけど……」
女の子はうさんくさいものを見るような目だ。まあ、茶髪に紫スーツの上下だ。無理もないが。
「母に伝えます。少しお待ちください」
家の中に引っ込もうとする少女に大輔はあわてて告げた。
「あの……アローズのダイスケって言えばわかると思います」
バタンと閉められたドアの前で大輔はため息をついた。「母」と言っていたから、あの女の娘なのだろう。子持ちとは知らなかった。
再びドアが開き、「どうぞ」と少女に玄関に招き入れられる。置き場がないほど人の靴があった。他にも人がいるらしい。
キッチンの前を通り、1Kの部屋に入る。壁に寄せて介護用ベッドが置かれ、背部分がリクライニングで起こされ、ピンクのニット帽を被った女が窓の方を見ていた。
そばに置かれた丸椅子に薄手の黒セーターを着た若い男が座り、彼女の腕にベルトのようなものを巻いている。その後ろに若い女が立っていた。
気配を感じ、ベッドの上で女が振り返る。耳から鼻にかけて細いチューブのようなものが付けられていた。
「わー、ダイちゃん、来てくれたの?」
「あ、うん……」
志帆の顔はげっそり痩せ衰え、肌はカサカサに乾き、目の周りに黒いクマができていた。素人目にも重い病気なのだとわかった。
「いや……最近、店に来ないから、どうしてるのかなと思ってさ……」
ツケの回収に来たと言える空気ではない。
「ありがとう……ちょっと体調を崩しててね……元気になったらまた店に行きたいって思ってたんだけど……」
「……体、悪いのか?」
「うん……あ、こちらはお医者さんの水崎先生と看護師の天野さん。ウチに訪問診療に来てくれているの」
志帆が部屋の中にいた男女を紹介する。白衣は着ていなかったが、血圧を測っていたし、雰囲気でなんとなく想像はついていた。
小さく会釈してから顔を志帆に戻す。
「入院しなくていいのか?」
ニット帽の頭が左右に力なく振られた。
「うん……もういいの……私が無理を言って在宅の訪問診療に切り替えてもらったの……」
もういい、とはどういうことなのか。手の施しようもない状態なのか。真っ先に思ったのは死なれたらツケが回収できないな――だった。
「三村さん、私たちはこれで失礼しますね」
看護師の女が大きな診療カバンを肩に提げた。少女が二人を見送りに玄関に行く。
「今日はありがとうございました」
丁寧にお辞儀をし、看護師に訊ねた。
「点滴が落ちなくなったときは、腫れたところをマッサージするとするといいんですよね?」
「そうよ。力を入れすぎないでね。プラグを外せなかったらそのまま放置しておいてね。訪問看護師さんがやってくれるから無理しないで」
「わかりました」
どうやら母親の介護はあの少女がやっているようだ。酒にも金にもだらしない志帆の子供とは思えないしっかりした娘だった。
家には母娘と大輔が残された。ツケ払いの話をできる空気ではなく、大輔は気まずそうに切り出した。
「じゃあ……俺も帰るわ。とにかく早く身体を直せよ、な?」
「せっかく来たんだし、もうちょっといればいいのに」
「いや、これから店に出なくちゃならねえし……ま、元気になったらまた来てくれよ」
「……うん、わかった。友菜、大ちゃんをお見送りしてあげて」
母親に言われ、少女が玄関まで付いてくる。靴を穿き、なぜか大輔と一緒に家を出る。背中でドアを閉めるやいきなり言った。
「おじさん、ホストなんでしょ?」
「え?……」
「お母さん、ホスト通いばっかしてたし、そんな茄子みたいな紫のスーツ、普通の人は着ないよ。ウチに来たのは未収金の取り立て? でもウチ、お金なんてないよ。今、生活保護を受けてるんだから」
大輔は苦笑した。「未収金」なんて言葉、小学生がなんで知ってるんだ。さすがはホス狂の娘だ。借金の取り立てにも慣れてるのかもしれない。
「わかってるよ」
予想はついていたので驚きはない。ただ、困ったなとは思ったが。
「お母さんの病気、けっこう大変なのか?」
「子宮癌だって先生が言ってた。転移もしてるって」
「そうか……」
あの様子だと末期なのかもしれない。ツケの回収に来たら客が重病とは自分もつくずく運がない。
母娘には申し訳ないが、大輔の頭の中は未払いの金をどう回収すればいいのかでいっぱいだった。
◇
一週間後、大輔は店が始まる前、再び志帆のアパートを訪ねていた。営業部長から「絶対に金を回収してこい」と厳命されていた。
道を歩きながら大輔はため息をついた。
(死にかけてる女にどうやって金を返せって言うんだよ……)
アパートに着くと、階段に例の娘が座っていた。
「どうした? お母さんは」
「今、眠ってるからそっとしておいて」
やはり会うどころではない。とはいえ、わざわざ来たのに帰るわけにもいかず、大輔は階段で少女の隣に座った。
「えっと……友菜ちゃんだっけ? お母さんの親は? ええと……おばあちゃんとおじいちゃんは?」
「お母さん、親ととっくに絶縁してるよ。勘当されたんだって」
「お父さんは?」
離婚していなければ、妻の借金を肩代わさせることができるかもしれない。
「私がちっちゃい頃、出て行ったらしいけど、よく覚えてない……だいたい、その人が本当のお父さんかも怪しいけど……」
両親もダメ、夫もダメ。手の打ちようがなかった。
頭を抱えていると、背後でドアが開く音がした。五十年配の太ったおばちゃんが出てきて、二人のもとにやってくる。
「三村さんのご家族?」
「いえ……僕はただの友人です」
友人と聞いて、おばちゃんはがっかりしたようだが、気を取り直したように言った。
「三村さん、体調かなりお悪いんでしょ? 病院に入らなくていいんですか?」
大輔は困惑した。他人の自分には答えようがない。
「すいません……僕からはなんとも……」
「嫌なんですよ。ここで亡くなられたりしたら……このアパート、事故物件になっちゃうじゃないですか」
大輔はさすがにあ然とした。隣にいた友菜がきっと睨みつける。
「大丈夫です。母の意識ははっきりしてますし、ケアマネージャーさんやヘルパーさん、夜間の緊急時には訪問看護ステーションの人も来てくれます」
「でも24時間そばで見守っているわけじゃないでしょ?」
「家族がいても24時間見守れるわけじゃありません」
小生意気な娘に女性がむっとする。
「あのねえ、火事になったら、こっちは延焼の危険もあるのよ」
子供を相手にしてもしかたないと思ったのか、大輔に顔を向ける。
「とにかくさっさと病院に連れていってください。自宅で亡くなるなんて不吉じゃないですか。ウチの子に霊柩車なんて見せたくないんですよ」
まるで野良猫や野良犬を保健所に送ってくれとでも言う口調だった。友菜が怒りを押し殺して冷たい声で告げた。
「火事などを起こさないよう、母は私がしっかりと見守ります。もし身の周りのことが何もできなくなったら、主治医の先生と相談をします」
おばさんは不満げに口を結び、「何かあったときは知りませんからね」と捨て台詞を残し、自分の部屋に引き上げていった。
「信じられねえな……なんだよれ、あれ」
隣で死なれたら迷惑だの、子供に霊柩車を見せたくないだの。昔から日本人はもっと協力しあって生きてきたのではないか。
友菜がぽつりつとつぶやいた。
「……お母さん、たぶんもうすぐ死ぬと思う……」
大輔が娘の顔を見た。意志の強そうな目がじっと地面に向けられている。
「お母さんは私に知られたくないみたいだし、先生もはっきり言わないけど、それくらいわかるよ」
大輔は何も言えなかった。生活保護を受けている末期癌のシングルマザーとその娘にホストができることなどない。
いや、それどころか彼女に死なれたら、自分は30万が給料から天引きされるのだ。
「友菜――」
弱々しい声が背後から聞こえた。ドアの前にピンクのパジャマ姿の志帆が立っていた。カーディガンを羽織り、頭にニット帽を被っている。
「お母さん! 起きたらだめじゃない」
娘が駆け寄り、母親の肘を支えてやる。大輔も携帯用の酸素ボンベを片手で持ち、一緒に家の中に入ると、志帆をベッドに横たわらせた。
大輔がベッドサイドテーブルに目をやる。トレーの上にはヘルパーが用意したと思しき食事が手つかずで残されていた。
「食欲がないのか?」
「うん、砂を噛んでるみたいで……」
しゃべるたびにぜいぜいと息をする。
大輔は布団を首の上まで引っ張り上げ、ベッドのそばの丸椅子に腰を落とした。やがて落ち着きを取り戻した志帆が笑った。
「ねえ、水崎先生ってかっこいいでしょ? あの先生、ホストにしたら絶対に売れると思うな」
「ああ、そうかもな」
前回少し会っただけだが、たしかに医者にしておくのがもったないほどのイケメンだった。
「でも、大ちゃんがいちばんだよ。私の王子様だもんね……大ちゃんをナンバー1にして、またシャンパンタワーを見せてあげたかったなぁ……」
バースデーイベントで志帆がやってくれた。大輔がシャンパンタワーを経験したのは後にも先にもあれ一度きりだ。
「元気になったらまた店に来いよ。快気祝いに俺が奢るよ」
志帆は力なく笑った。
「だめだよ、大ちゃん、ホストが女に奢ったら。それじゃ売れるホストになれないよ」
大輔は、かもな、と言った後、ふと思いついたように訊ねた。
「なんで俺なんかが良かったんだ?」
たいしたイケメンでもない、気の利いたトークもできない、唯一の長所は酒に強いことぐらい。だからヘルプで一気飲みばかりやっている。
「……嘘が下手だからかな」
大輔はふっと笑った。かもしれない。だから自分はホストとして売れないのだ。女の前で演じることができない。自分を騙せないホストは女も騙せない。
◇
娘の友菜から携帯に連絡があったのは十日後の夜だった。
「お母さんが危篤なの。大輔さんに会いたがってる。来れない?」
適当な理由をつけて店を抜け出した。紫のテーラードジャケットの上下、金髪はスジ盛りにセットされている。
アパートのドアを開けて家に入ると、ベッドで志帆が苦しそうに喘いでいた。顔が青紫色だ。そばで娘の友菜が心配そうに見守っている。
看護師の女が手首に巻かれた機器の数値を医者に伝えた。
「血圧、上が85で、下が55です」
「尿量は?」
「出てません。200弱です」
「腹水を抜くぞ」
看護師が志帆のパジャマをめくり、おへその下辺りを消毒した。医者が注射を打ち、短いパイプのようなものを装着する。やや太めの注射器を管に填め、シリンダーを引くと茶色い液体が出てきた。
志帆のうつろな目が泳ぎ、ベッドのそばにいる大輔の姿を認め、布団の下からはみ出した手が弱々しく動く。もう言葉を発する力もなかった。
「手を握ってあげてください」
看護師に言われ、大輔が手を握った。
「志帆――俺はここにいるぞ」
志帆の目が少し笑んだように見えた。それから瞳が動き、娘の友菜をとらえる。少女が手を重ねると、安心したように瞼が落ちた。
しばらくすると顎が大きく動きはじめた。たまに呼吸をさぼるかのように止まる。また再開する。だんだんと息が止まっている時間が長くなる。
彼女が亡くなったのはそれから二時間後だった。大輔と友菜がベッドから離れ、医師の水崎がペンライトを志帆の目に向ける。
腕時計に目を落とし、厳かに告げた。
「21時36分、お亡くなりになりました」
医師と看護師が手を合わせた。看護師の女が酸素マスクを外し、腕に刺さっていた点滴の針を抜く。
友菜はベッドのそばで母の遺体をじっと見つめていた。
その後、遺体を清めるエンゼルケアを行うため、大輔と友菜は部屋の外に出た。階段に並んで座った。
「これからどうすんだ?……」
大輔が訊ねると、膝を抱え、頭をうつむかせたまま少女が言った。
「……私、シセツに行くんでしょ?……」
「……ウチに来るか?」
「……できるわけないじゃん……父親でもないのに……他人の子供を勝手に引き取ったら逮捕されちゃうよ……」
「そっか……だよな」
大輔の父親はひどい酒乱だった。暴力は日常茶飯事。夜中、母に手を引かれて幼い大輔は家を出た。逃亡先のアパートで母は病死し、彼は養護施設で育てられた。
施設のひどさは誰よりも自分がいちばん知っている。中学生のときに脱走し、水商売や肉体労働を転々としながら生きてきた。
「……本当に行ってもいいの?」
鼻声まじりに友菜が訊いてきた。
「ああ……売れないホストでもおまえ一人ぐらいは養えるさ……」
手を伸ばし、小さな頭を肩に引き寄せた。
「泣きたいときは、ちゃんと泣いたほうがいいぞ」
「ダメホストのくせに……」
「男ってのは女が泣きたいとき、胸を貸すためにいるんだよ。他にはたいしたことできねえからな」
押し黙る少女の肩が小刻みに震えていた。
「おまえはよくがんばったよ」
うっうっと嗚咽が洩れ、やがて友菜は声をあげて激しく泣きじゃくった。
少女は初めて10歳の子供に戻った。それまでは病気の母親を支えるため、無理に大人ぶって振る舞っていたのだろう。
大輔は小さな肩を抱きながら夜空を見上げ、白い息を吐いた。
満天の星が、孤独の中、身を寄せ合う二人を優しく見守っていた。
(完)
医師・水崎と看護師・天野春奈が登場する短編は、他に『おひとりさまを看取る』があります。