◇26
◇26
「私の〝言霊〟は〈悋乞〉って言うんだけど……まぁ、椛の〈枷轡〉と比べれば、無駄と手間が多い能力さ」
折れた剣鉈に気を取られた隙に、顔面に一撃を叩き込まれ吹っ飛ばされた。コンクリートの地面を無様に転がり、服も身体も擦り切れる。
「…………」
立て。
立て。
立て。
脳に、腕に、足に、自分に命じる。
下を向いていたら、ドロッとした気持ち悪さが鼻を抜け、目の前に血の塊が垂れるのが見えた、鼻血だ。
「ただ、あれは私だけの力だし、故に私は本気だった。技を出し惜しむ余裕がなかったし、今しがたも加減無しで殴ってしまった……うん、本当に申し訳ない」
ほら、血が出たぞ、帷、これは使える、早くしないと折れた鼻が治ってしまう、滑稽で不格好だが、これでまた武器が作れた。
「見事だよ帷ちゃん。君の実力は私が見積もっていた以上のものだった。だから、これ以上は」
まだ反撃のチャンスはある。口もズタズタで血が滲んでいる、口腔内の傷は治りやすいから早く使わないともったいない。
なのに、なんで、
身体が動かない……!
手の指を動かすことすらできない!
「くそ……」七凪みたいな……否、空骸みたいな悪態をつく。自分の中の何かを吐露するとき、こういう言葉じゃないといけないような気がした。
「……動くことができないかい」這いつくばるわたしを、葵さんが見下ろしている。「当然だ。化心や心術に触れすぎれば、皆そうなる。君は、たった今限界が訪れたんだ」
「は……」限界?「どういう……こと……」
「言っただろう、心術は心に作用する技だと。化心や心術との戦いは精神負荷が大きいんだ。そして精神の疲弊はやがて、肉体の不調として現れる。君はさっきまで私の心術を大量に浴びたし、その前にアーケードで別の化心とも戦っている。いやそもそも、数日に渡って雲坂寧音の化心と共にいたんだ。一見肉体は普通でも、その心は確実に蝕まれていたのさ」
「……そんな、はずは」
「花の巫女によって与えられた君の〝体質〟は素晴らしいものだ。でも、それで治るのはあくまでも物理的な損傷だけ、イルカ蝶の鱗粉や支配人の触手で負った呪いはどうにもできなかった。心術で負った心へのダメージは、簡単には治らない」
ふざけるな。
そんなことがあるものか。
今のわたしは……なんだか〝調子が良い〟んだ。葵さんを倒そうと感情は昂っているし、戦う意思も失っていない。葵さんの力の底も見え始めた。このままなら、勝てるはずだ。
身体さえ、動けば……!
「だからこそ、君を評価している。既に精神的弱体化を受けている状態で私と戦い、それでも私に本気を出させた。万全の状態なら、私は早期にやられていただろう。……君は良く戦ったんだよ」
血だ。
血を使え。
わたしの〝身体〟が使い物にならないなら、〝中身〟の――筺花の血を動かすしかない。
「〈動け〉……ぁァァア!」
ぎち、ぎち、ぎち
「アアアッ! ガアアッ!」
がぎ、ごぎ、ぐぎ
「――! ――! ――!」
こき、ぱき、こき
体内の血に意識を向け、内側から身体を動かす。
錆びついた人形を、操り糸で無理矢理動かすようなものだ。
痛いなんてもんじゃない。
気を抜けばすぐに〝何か〟が裂けて取り返しがつかなくなる――そんな予感さえあった。
「ハァ……ハァ……」
それでも……なんとか、立つことができた。
「ぅ……」
口の中に人差し指を入れて、引き抜くと、唾液と共に血がべっとりとついていた。
その指を、葵さんに向ける。
わたしの手は、〝銃〟の形をしていた。
「この、わからずやが……!」
葵さんは無防備だった。
彼女の上半身も血に塗れているが、見た目ほど傷は深くなさそうだ。
「君の負けだ! これ以上は本当にやる意味のない戦いだ!」
何をしている。
叫ぶ元気があるなら、さっさと構えるべきだ。
戦いは、終わっていない。
「化心は殺さなきゃいけない! とっくに決まっていることだ! 君一人では何も変わらない!」
……そういえば、
わたしはどうして、こんなに必死に戦っているんだろう。
どうしてこんなに痛いのに、平気でいられるんだろう。
「雲坂寧音は気の毒さ! あの子は何も悪くない! 君の怒りも尤もだよ! それでも誰かがやらなきゃいけないんだ!」
ああ、そうだ、寧音だ。
もちろん、寧音を助けるために戦っているんだ。
おかしいな、なんで、そんなことを――――。
「頼む、帷ちゃん……もう……」
「もう、いいの」
声と共に、手が握られた。
葵さんの手じゃない。
葵さんは正面にいる。
距離があるから、わたしは銃を構えている。
だったら……わたしのその銃を握っている〝手〟は……。
「……寧音、さん……」
「ネオンだよ、この姿の時は。ほら、忘れちゃった?」
ローブ姿、赤い目がわたしを見ている。なんだか久しぶりに会ったような懐かしささえ、覚えた。
「逃げてって、言ったのに……」
「遠くに行こうとするとなんでか迷って、逃げられなかったの。だから……戻ってきちゃった」
「それは……」
葵さんの結界のせいだ。だからわたしは、あの人を倒さなきゃいけなかったんだ。
だとしても、なるべく遠くにいてもらわないと困る。
ここにいてはいけない。
葵さんがすぐそこにいるのだから。
「危ないから……離れて、ください……」
「ううん、もういいの、トバリ」
「あとちょっとで、終わります、から」
「だから、もういいんだよ」
「寧音さんを……殺させるわけには」
「トバリ」
寧音が……ネオンがわたしと葵さんの間に立つ。
その目は、わたしをしっかりと見据えていた。
「あの人と戦うのはここまで。もう、トバリが頑張らなくていいの」
「どうして」
「どうしてって……決まってるじゃない」
ネオンは、腰に手を当てて、胸を張る。
「トバリの仕事は、〝バケモノ退治〟でしょう? だったら、トバリが倒さなきゃいけないのは」
「……嫌だ」
言ってほしくない。
それ以上は聞きたくない。
それを聞いたら、わたしのすべきことが、変わってしまう。
「嫌です、そんなの」
「ワガママ言わない」
「だって、だったら、わたしは、なんのために」
「しっかりしなさいって」
ネオンはわたしの頬を両手で包んだ。ひんやりとした感触、自分が熱くなっていたことに気づいた。
「私、逃げている時に、トバリと一緒に回ったところ、もう一度行ってみたの。ゲームセンターとか、さっきのクレープ屋とか……それでね、見ちゃった」
「何を、ですか」
「〝寝てた〟の、みんな。……お店の人とか、お客さんとか、みんな眠ってた。起こしても、起きなかった」
「それって」
「うん。たぶん私の魔法……〈明日なんて大っ嫌い〉の力、なんだと思う。私の魔法は遅くするんじゃなくて、眠らせる力なんだよ。もしかしたら、公園にいた子たちも……」
「……」
「バケモノ相手に使ってたつもりだったけど……たぶん、私が歩いたところ、全部そうなっちゃうんだよ。止め方もわかんないし……やっぱり、私はバケモノだったんだ……だからさ」
ネオンはわたしの構えた指先――血のついた銃口を、自分自身の胸元へ、ゆっくりと引き寄せた。
「……なに、して」
「最後のお仕事、頼んでいい? 便利屋さん、だもんね」
ネオンが、首をかしげてふんわりと微笑んだ。
今まで見たどんな顔よりも、明るくて、儚い。
「バケモノのネオンを退治して、寧音を……〝私〟を、長い夢から起こして」
「――――」
心臓が、嫌な音を立てていた。
全身を潰すような痛みはもうない。代わりに、指の先が、沸騰したように熱かった。
……そうか。
そうだったんだ。
公園でぼうっとしてしまったのも、今朝寝坊したのも、彼女の〝心術〟の影響を受けて微睡んでいたからだ。わたしもまた、心術の影響で、長い眠りにつくところだった。
それを阻止したのは、夢の中に出てきた筺花。彼女がわたしを〝叩き起こして〟くれたお陰で、わたしはここにいる。
またしても……いや、ずっと筺花に助けられていた。
「今の私はトバリの優しさに甘えたせいで、私のわがままのおかげで、ここにいる幽霊なの。このままじゃ、街のみんなも、トバリのことも、みんな壊しちゃう。そんなこと、魔法少女の私が一番許せない。だから……みんなを……守らせて」
「……わたしは、寧音さんを、たすけたくて」
「うん、わかってる。すごく嬉しかった。一緒に戦ってくれて、今もずっと守ってくれて……」
「わたしには、できないです……なんで、わたしに」
「他の誰かじゃなくて、トバリが終わらせてくれるなら、それがいいの。だって、中学上がって初めての友達で……魔法少女仲間、だもん」
友達で、仲間。
「――だから、トバリがいい」
彼女の指が、わたしの震える指に重なる。
視界が滲む。どんどん目の前の少女が淡く見えなくなる。
ちゃんとその姿を目に焼き付けたいのに、そう願えば願うほど、何もわからなくなってしまう。
どんなに見えなくとも、彼女はわたしのすぐ目の前にいる。
引き金を引くイメージさえできれば、確実に撃ち抜いて、消滅させられる。
彼女の口調には、一切の迷いがなかった。
化心であるネオンを放置すれば、その心術によって、多くの人間が眠りに落ちる。葵さんが危惧したのは、まさにこのことだ。
そして、正義の魔法少女であるネオン自身が、それを止めたいと願っている。
自らの命を、差し出してでも。
だとしたら、
ハートキャッチの人間として、
彼女の友達として、仲間として、
わたしに、できることは――……
「…………わかりました」
二人の重なった手に、熱い滴が落ちた。
「…………やります」
「うん、お願い。お金は払えないけどさ、その代わり、トバリのこと、ずっと応援してるから」
震える声を噛みしめて、彼女を見る。
大丈夫、ちゃんと見える。
笑っていた。
「……ごめん、なさい……」
「……私こそごめんね。つらいこと、やらせちゃって」
首を振る。
一歩、ネオンは離れた。
全身がわかる、クールビズじゃないローブ姿だ、こっちの方がサマになっている。
でも、普通の女の子だ。
運動神経が良くて、ゲームにハマって、友達とクレープを食べに行く、そんな子として育つはずだった。
こことは違う街で生きて、ずっと笑っていてほしかった。
それなのに彼女は、ここで消える。
この街を守るために。
そして、他でもない彼女自身が、誇りに思っている。
……なんて、救いようのない話だろう。
深く息を吐いて、狙いを胸の中心に定めた。
手の震えが止まらない。
もう片方の手で、無理矢理押さえつけた。
雲坂寧音。
魔法少女ネオン。
記憶がなくても戦い続けた、優しい正義の味方。
「わたしの家、誰もいなくて、いつも一人で……だから、楽しかったです。……友達を泊めるのも、初めてで」
「……! そうなんだ! 私も初めてだった! 友達だけで、お泊まりするの!」
「ゲームセンターも、外で甘いものを食べるのも」
「なんか、子どもじゃなくなったって感じがした!」
「……わたし、忘れません。寧音さんと、ネオンさんと、一緒にいたこと」
「……うん」
「……ほんとう、です。……ほんとうに」
「どういたしまして! 私も――」
彼女は手と足をピンと伸ばし、決めポーズをとった。
「――ありがとう! 私は、トバリのことがだいす」
目を見開いて真横に吹っ飛ぶネオン。
わたしはまだ撃ってなかった。
何が起きたかわからなかった。
「――帷ちゃん!」
胸を突かれる。
押されていた。
まるで、
なにかからわたしをどかすように
そして
まっかな、ひかりが、
あおいさんを、つらぬいた
「――嘘」
しってるこえが、きこえた
しってる、ひかりだ
わたしのかおが、ぬれた
あおいさんの、ち、だ
とても、
いやなことが、
はじまったきがした
夢見る魔法少女 終




