◇17
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「いや、化心という言い方は正確ではないかもしれないね。化心のような何か……化心〝もどき〟と言うべきか。私の仮説通りなら、イルカの怪物と融合したものよりかは、廃ホテルに出現したそれに近いだろう」
「何の……」
話をしてるんですか、と、最後まで言うことが、なぜかできない。
わたしの手を掴む別の手が、少し強くなった気がした。
「しかしなんというか……化心の個体差には毎度驚かされるな。見た目は完全に人間で、会話も食事もできるようだし、帷ちゃんが騙されるのも無理はない……ああ、すまない、結界の準備がてら、ある程度は見ていたんだ。周りから存在を知覚されにくくする技があってね、今度教えるよ」
語っているその言葉が、まだ頭にうまく入らない。
葵さんがこちらに歩いてくる。
よく見ると、その左手に何かを――長い棒状のものを持っているのがわかった。結構目立つにもかかわらず、凝視して初めてそれに気が付いたのは、葵さんが言う知覚されにくい技のせいなのだろうか。
それはしばらくぼんやりと靄がかかったようになっていたが、葵さんが近づいたからか、目を凝らしたからか、よく見えるようになってきた。
その棒は――〝鞘に収まった刀〟だった。
「な――」
直後。
わたしの目に銀色の光が入り、わたしの耳に甲高い風の音が入った。
瞬きした後に見えたのは、葵さんが、わたしのすぐ隣で刀を振り上げた姿。
寧音を……斬っていた。
刀の存在を認識した時点で、わたしたちと葵さんの間には、数メートル程の距離があった。だというのに、彼女は一瞬でその距離を縮め、既に抜刀と攻撃を行っていた。
「躱した」葵さんが静かに呟く。「違う……斬れなかった、という感じだ」
いつの間にか、寧音の手はわたしの手を離れ、彼女自身は地面に座り込んでいた。目は大きく見開き、小刻みに震えて、浅く息を漏らしていた。ただし、その身体はまったく傷ついておらず、血も流れていない。
葵さんが速すぎたせいでよく見えなかったが、たしかに刃は寧音の身体に入っていた……と思う。
腰から腹、脳天にかけて、寧音の身体は切り裂かれた……ように見えた。
実際はそうなっていない。すなわち、葵さんの振るった刀は、寧音の身体を〝通り過ぎた〟だけ。
寧音のデザイア――〈明日なんて大っ嫌い〉が機能していた。
もしも咄嗟にそれを発動していなかったら、今頃彼女は――「念のため、もう一度やってみる、か」
「!」
葵さんが姿勢を戻し、深く息を吐く。
そしてまた、刀を両手でしっかりと持ち、正面に構え――――その刃が振り下ろされる、
その前に、
〝わたしの剣鉈〟によって阻まれていた。
「ぐっ……!」
鈍い音と衝撃。
想定以上に、わたしの腕にのしかかる負荷が大きい。
あの細い腕から繰り出されたとは思えないほどの重みだ。
そもそも今まで、こんな風に本気で葵さんの攻撃を受け止めたことなんて……!
「どういうつもりだい、帷ちゃん」
葵さんの問いかけが降り注ぐ。
いつも通りの声色のはずなのに、その顔と目を直視できない。
正直なところ、わたしは恐れていた。
わたしがこれから行う、〝なにもかも〟に。
「寧音さん! デザイアを解除しないで!」その恐れに抗うために、とにかく声を出した。「立てるなら、そのまま、どこか遠くへ離れてください!」
「そうか、君は知っていたのか、先に聞いておくべきだった。さしずめ、物理的な干渉を受けなくなる能力、といったところかな。少しばかり、厄介だね」
葵さんが数歩身を引いて、わたしが受けていた力が消える。
そのまま、向き合う状態へ。
いつも以上に、柄を強く握りしめる。そうしなければ、震えているのが前にも後ろにも伝わってしまうと思った。
「それで……もう一度聞くけど」構えを崩さずに、葵さんが再び問う。「どういうつもりで、私の攻撃を止めたのかな」
「葵さんこそ、どういうつもりなんですか」ようやくまとまってきた言葉を、わたしもぶつける。「彼女に、そんなものを向けるなんて……!」
葵さんが眉をひそめる。しかし、すぐに元の表情に戻った。
「洗脳されてるってわけじゃないようだね。……そうか、まだ飲み込めていなかっただけなのか、それは……すまなかった」
「さっきから、何を言って」
「もう一度言うから、よく聞くんだ。君は誤解している。まずその少女の姿をしたやつは人間じゃない、化心か……化心に近い存在だ。故に私は織草の人間として、退治する責任がある」
「…………は」
「今この場所に人がいないのは、私が結界を張っているからだ。人の往来のあるところで、こんな武器を振り回すわけにはいかないからね。事が終われば、結界は解除されるし、人通りも元に戻る。だから、心配することはないんだ」
「…………」
……馬鹿な。
寧音が……化心、だって?
そんなはずはない。
あんなに喋って、遊んで、食べて、戦える女の子が……豊かな感情と意思を持った女の子が、いままで討伐してきた化け物と同一の存在だなんて、信じられるわけがない。
だって寧音は……寧音は、
「寧音さんは…………〝魔法少女〟です」
「……何だって?」
嘲笑ではない。
本当に疑問に思っている、そういう印象の聞き返し方だ。
でも、誤解しているのは葵さんの方だ。
その認識を正さないといけない。
「寧音さんは魔術が使えて……本人は魔法少女を自称しています。彼女は記憶を失っていますが……魔法少女の使命という理由で、わたしたちと同様に、化心と戦う意思を持っています」
寧音ならここで『自称じゃないわよ!』くらいのことは言ってくれるはずだ。
そう信じて……あえて言った。
葵さんから目は離せないけれど、寧音がまだわたしの足元にいるのはわかっている。
腰が抜けているのか、転んだ痛みのせいか……まだ動いていないのはわかっている。
なのに……どうして。
どうしてさっきから、何も言わないんだ。
間違っているなら、間違っていると言わなきゃ駄目だ。
そうじゃなかったら、まるで――――
「……寧音さんは変身術と、得意魔術を表すデザイアを有しています。それは彼女がフォルテさんや、七凪さん、空骸、斐上らと同じ存在……魔術師で……魔法少女で……人間であることの証明です」
反論のために、わたしの見た事実を伝える。
言葉を話す化心は何度か出遭ったが、彼らとの意思疎通は困難だ。
こんなに人間……人間らしい化心がいるはずがない。
……いるはずがない。
「こういう化心もいるんだよ」葵さんが、まるでわたしの思考に応えるように口を開いた。「私自身がこのタイプに遭遇するのは、今回で二回目だ。だから……帰ってきて、姿を見たとき、すぐわかった」
「彼女のデザイアはどう説明するんですか! 寧音さんの身体をすり抜けたものが、遅くなる能力です。そのデザイアのおかげでさっきも、野生の化心を仕留めました、だから」
「それは〝心術〟だ!」
葵さんが大声を出した。
いつもの、余裕そうな口ぶりとは違う様子に、わたしは気圧されそうになる。
「使用しているのは魔術じゃなくて、化心が持つ能力だ」葵さんが大きく息を吐く。「まだ帷ちゃんには、心術の感覚はピンとこないかもしれないけど……その能力は危険だ。〝被害が広がる〟前に、止めなくちゃいけない」
「たとえ心術だとしても、危険とは限らないでしょう、だって身体をすり抜けるだけで」
「心術は、人間が使うものと、化心が使うものとでそのあり方は大きく異なるんだ。とにかく早く」
「そもそも寧音さんは化心じゃないです!」
口から頭の先まで、氷の棒を突き刺されたような感覚。
なんでわかってくれない。
なんでわたしの言うことすべてに言い返してくる。
どういうつもりなんだ。
葵さんに対して……どうしようもないほど〝怒り〟が湧いてくる。
出会ってから初めて抱く感情だった。
「まだ納得しないか」葵さんが低い声で続ける。「このことは……できれば言いたくなかったんだが」
剣と剣はまだ向き合っている。
あとほんのちょっとの〝何か〟のせいで、どうしようもないことになる気がする。
そう思った。
そして――その〝何か〟は、すぐに訪れた。
「君が寧音と呼ぶ少女――雲坂寧音は、去年交通事故に遭って〝昏睡状態〟になっている。その化心の〝本体〟は……病院のベッドで眠っているんだ」




