◇13
◇13
「痛っ……くはない……」
激しくはたかれた(はずの)左頬に触れながら、わたしは身体を起こした。
落ちるような転がるような浮遊感がまとわりついているような感覚。まさに深い夢から覚めた、という感じだ。
周りを見る。天井、電球、カーテン、ベッド、わたしの腰にしがみついたまま寝息を立てている寧音……全部が外から差す陽で照らされていた。
パジャマ越しに傷を触ってみる。ぞり、と腹の内側から撫でられるような震えが首の後ろを通って脳に届く。意識して触れたのは久しぶりだったが……これは〝いつもの〟感覚だった。一息ついた後、ついでにまだ爆睡している寧音の頬を指で押す。「ふしゅっ」と彼女の口から息が漏れる音がした。
現実的な朝の空気。
目覚めたはずがまだ夢の中だった、ということにはなってなさそうだ。
「……筐花」
夢の中で見たものを……目の前に現れた着物姿の少女を思い返す。
結局会話どころか、声すら聞けなかった。
だとしても、あれが織草筐花なのは間違いない。
根拠も証拠もないが、夢から覚めてようやく、確信めいたものを感じていた。
千年前に亡くなった彼女が、どうやってわたしの夢の中に現れたのか……は大した問題じゃない。
かつて、花の巫女と呼ばれ畏れられてた彼女ならば……わたしの心臓となってわたしを生かし続けている彼女ならば、夢の中に現れることや、初対面のわたしに存在を知覚させるなんてのは、難しいことではなさそうだからだ。
だから重要なのは、方法ではなく理由。
筐花がどうして、あの場に現れたのか。
そして、どうして何も言わずに、あんな行動をしたのか。
……まぁ、後者に関していえば、叩かれたり怒られたりする心当たりはある。
亡骸の一部を千年後の人間に埋め込まれ、意識を起こされ、力を使われ続けているのだ。花の巫女としても、当然快い気持ちではないだろう(尚、わたしも巻き込まれた側なのだとは主張しておく)。
ただし、今回の行動についてなら……明確にそうすべき理由があったのではないか。
そう思った。
彼女はわたしの方に向かって歩いていたし、わたしが近づけば歩みを止めてくれた。そして何よりも――わたしの目を見てくれた。
……睨まれたけど。
変な心象を与えてしまったかもだけど。
何はともあれ、どうすれば彼女と話すことができるのか、その手段が一切わからなかった今までと比べれば、大きな進展といえるだろう。
言葉はなかったが……あの場には〝対話〟があったと、わたしは感じている。
だとすれば、あの行為には何かしらの意味が――たとえちょっとばかり八つ当たりが入っていたとしても――あったはずだ。
たとえば……それこそ前に、似たようなことがあったような――――
スマホから音が鳴った。短い通知音、電話ではなく、ソルトのチャットメッセージだ。
『あとで通話しても大丈夫?』
メッセージの主はつばさだった。彼女からのメッセージそのものは珍しくないが、基本的にやり取りは放課後か休日にするので、こんな朝からは珍しい。それに、通話したい、というのもどういうことだろう。話したいことがあるなら教室ですればいいのに。
「あれ」
ロック画面の通知に触れると、通知バナーが展開された。どうやらメッセージは1件だけではなく、既に複数送られてきていたようだ。
『とばりー』
『おーい』
『起きとりますか!』
『元気ですか!!!』
『先生には』
『うまく言っておきました』
『侑里が』
『(ヒヨコがおしくらまんじゅうをしているスタンプ)』
『(ウサギがバンジージャンプをしているスタンプ)』
『(イワシが水上に飛び出し影分身をしているスタンプ)』
『(カラスが書類をまとめているスタンプ)』
『(ハリネズミが美容院にいるスタンプ)』
怒涛の通知。
っていうかなんだこのスタンプは。
つばさのこういった絡み自体は珍しくないが、タイミングと文面が妙だ。
若干の不自然さを抱えながら、わたしはスマホのロックを解除しようとして――すぐにその真相に辿り着くこととなる。
「……じゅう!?」
画面に表示されている4つの数字。
すなわち、現在時刻。
なんとまさかの十時過ぎを指していた。
授業でいうなら二時限目の最中、完全な大遅刻だ。
スマホの通知センターを見ると、つばさ以外にも侑里や何人かのクラスメイトからのメッセージが来ている。見知らぬ番号からの電話通知もあるが、たぶん学校だろう。何の連絡もなく登校してないのだから、当然のことだ。
続いて時計アプリの目覚ましを確認する。機能がオフになっているということはない。ちゃんと今朝鳴ってはいたようだ。なので、単純に聞こえなかっただけらしい。
頭を抱える。
なにが現実的な朝の空気だ。
昼に近づきつつあるじゃないか。
「寧音さん、寧音さん」
未だのんきな顔で眠っている寧音の身体を揺らす。そもそも目覚ましでそっちが起きてくれても良かったものを……いや、自分が起きれなかった責任を押し付けるのは違うか。ただし、この様子だと彼女の眠りの深さもなかなかのものだ。
しばらく揺らすと寧音が不機嫌そうに眼を開いた。
「んぅん……あと5分寝かせて……」
「たしかに今さら5分くらい寝ようがどうってことないですけど……。とりあえず起きてください」
「私……ごはんの方が好き……だけど……パン食べてる方が魔法少女っぽいわよね……」
「何の話ですか?」
朝食のリクエスト?
この状況でそれが言えるのは、流石の図太さと言うべきか。
……食パンで満足してもらおう。
「さて……」
メッセージから察するに、今朝はつばさと侑里が何かをしてくれたらしい。
二限目終了まであと二十分程度、そのタイミングで連絡して……どうするかはその後に決めたほうがよさそうだ(そういえば、あのメッセージ授業中に送ってきてたな……)。
「思ったより、深い夢だったみたいですね……」
一度大きく伸びをした。
気絶を除けば、周囲の音が気にならないくらい眠ったのは初めてのことだった。特に最近は、嫌な夢を見て早く目覚めることもあるので、今は……なんというか、すっきりしている。
叩かれたのに、寝坊したのに、なんだか快い気分。
睡眠時間って長い方がいいんだな。
などと、適切なのかよくわからない感想を抱いた。
まぁ、それにしたって寝すぎなんだけど。
「……あ、ちょっと、寧音さん! 二度寝はダメですって……!」
通話ボタンを押すとすぐに繋がった。
耳元につばさの声が伝わる。
『おはよーございます、帷お嬢様。よくお休みになられていたようでございますねぇ、ご気分はいかがでございますでしょうかぁ』
「ええ、まぁ、おかげ様で、とても良い気分です……わよ」
つばさ含め、何人かの女子の笑い声が聞こえてきた。
これスピーカーモードにされてるな。
『んで、普通に寝坊な感じ? 具合悪いとかない?』
「大丈夫です。今日は目覚ましが聞こえなくて……連絡も気づかなくてすみません」
『ホントだよー! 侑里がめっちゃ心配しちゃってさ。家行ってあげた方がいいんじゃないかって。大げさだよーって止めたけどさ』
『何かあったら大変だと思って……ただの寝坊で良かったけど』侑里の声。たしかにわたしは一人暮らしなので、彼女の言うことは尤もだ。担任への言い訳もしてくれたようだし、改めて、申し訳なさが募る。
『帷はどうする? 体調悪いってことにしてるから、やろうと思えば今日一日休める――』
『おお、私の可愛い帷が、不良の道へ……』
『茶化さないの。委員長的には推奨しないけどね。別に休みがちってわけじゃないし、どっちでもいいんじゃないかな』
「そう……ですね……今日は」
どうしようか。
別に一日行かなくても問題ないだろうが、せっかく通わせてもらっている身でもあるし、何よりわたしが行くことを望んでいる。
勉強は好きだ。
友達にも会いたい。
紛れもない、本音だった。
……転校したてのときは、まさかこんな気持ちになると思わなかったな。
であれば、昼から登校するのはありだ。
ありなんだけども。
「えー! トバリ、学校行っちゃうの!?」
今現在については、事情が事情だ。
寧音は今、わたしと共に、机に座って焼いた食パンをかじっていた。とんでもない量のバターを塗ろうとしたのをわたしが止める、という一幕はあったものの、それ以外はおとなしくしている……しているはずだった。
「もうこんな時間なんだし、休んじゃいなさいよ! 待ってるの、退屈なんだから」
『あれ、なんか声がするような……誰かいるの?』
「ああ、いや、違うんです、その」
「ごちそうさま! そしてぇ……変身っ!」
きゅるんっ、という謎の効果音とともに、寧音の衣装がパジャマから魔法少女姿のコスチュームへと変わった。そのまま決めポーズ(たぶん昨日の夜考えたやつ)をとるが、パンを頬張ったままのせいでいまいち格好はついていなかった。
「さぁて、今日も悪い奴らを懲らしめに行くわよ! 二人の新必殺技でね! 学校は……お休み!」
「電話中なんでちょっと静かにしててくれませんか……!」
『やっぱり誰かいるんだ!』『怪しい……!』『もしかして例の彼氏?』『でも声は男っぽくないけど』『電話じゃわかんないって』『何言ってるかも聞こえないし』『そもそも彼氏じゃないって言ってなかった?』『織草さん兄弟いないもんね』『余計に怪しい!』『じゃあさ、男だとして……同じ家にいるってこと?』『朝から?』『……昨日の夜から?』
「いや何人聞いてるんですか!?」
オーディエンスが多すぎるだろ。
ただの寝坊なのに!
今回七凪は一切関係ないのに、何故か大きな誤解が生まれている。
面倒なのが、寧音について誤魔化しながら話すのが、彼よりも難しいということだ。
『さっきはああ言ったけど、気が変わった』ガヤが落ち着いたタイミングで、侑里が言う。『帷、午後は来なよ。聞きたいこともあるし……委員長的には』
『それ気に入ったの?』
『うるさい』
「えーと、では、大事をとって休むことにします。侑里含め皆さん、このお礼はまた後日」
『お、図星か?』『逃げるつもりだ!』『待ちな――』
通話終了の部分をタップ。
そのまま、深呼吸のようなため息をついた。
「早くトバリも着替えて! 私はもう出られるから……あ、ちょっと待って、牛乳飲みたい」
コスチューム姿のままとてとてとキッチンに赴き、冷蔵庫を開く魔法少女。
シュールだ。
色々言いたいことはあるが、色々すぎてむしろ閉口してしまう。
……明日、何て言おうかなぁ。
「…………」
でも、結果的には幸いか。
寧音の問題に時間をかけられるのは、悪いことじゃない。
多少時間ができたことで、探索範囲も広がるだろうし。
「とりあえず、服は戻してください。恥ずかしいので」
「恥ずかしいって何よ!?」




