◇12
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自分の見ている〝これ〟が夢だということは、すぐに理解できた。
根拠は3つ。
1つは、わたしが知覚している最後の記憶が、寧音と共にベッドで眠っている時点で止まっていること。おそらく今も、彼女にしがみつかれたままであろうことは、想像に難く無い。
2つ目は、目の前に広がる景色に、見覚えがなかったこと。わたしが立っているのは、車二台分程度なら通れそうなほどの幅の道路、左右には一軒家やアパートが立ち並び、それはどうやらかなり先まで続いているようだが、周囲には人の姿も声も、まったく感じられない。すぐ近くの交差点には歩行者用の信号つき横断歩道があり、今は〝青〟を示している。人がいないことを除けば、ここは一般的な住宅街といえる場所。少なくとも通学路ではない。仕事で通った場所は比較的覚えているが、似たようなものはあれ、ここはそのどれにも該当しなかった。
3つ目は――そもそもこの3つ目の要因だけで、十分に夢の世界だと断言できるのだが――わたしの見ている景色のすべてが……〝斜め〟だった。
地面も、家も、信号も、傾けたスマホの画面のように、右斜め45度で存在している。地面が斜めなら、そこに立っているわたしもまた同じ角度でものを見ているのだから、結果的に視点はまっすぐになりそうものだけども、どういうわけかわたしは、自分が傾いた自覚を持ったまま、傾いた視界を享受していた。よくよく考えれば理屈は通らなくとも、しかしこの理不尽さを自然に受け入れてしまうのは、まさしく夢という感じだった。
「……酔いそう」
転びそう、よりも先に浮かんだ感想。どう考えてもまともに直立できるはずないのに、身体は一切つんのめることなく、道路と垂直になっている(こういうダンスのパフォーマンスを、前に動画で観たことがあったような)。
足を前に出して、違和感がないことを確認してから、わたしは歩きだした。
目的地はない。ここが見知らぬ地で、なおかつ夢の中ならば、目指す場所があるはずがない。ただ、どうやらこの夢は俗に言うところの明晰夢――夢を見ている自覚のある夢のようだ。そして、こうやって歩くことができる辺り、ある程度自分の意思で行動することもできるらしい。ならば立ち止まっているよりかは、何かしら動いた方が〝覚めやすく〟なるのでは、と考えての行動だった。
瑞夢にせよ悪夢にせよ、
夢が所詮夢である限りは、早く覚めるに越したことはない……はずだ。
歩き始めて……そういえば、今のわたしはパジャマ姿ではなくしっかり制服を着ていると気がついた。
そこだけは気が利いている。
スマホも腕時計もないので、正確な時間はわからないものの、それでも体感で15分程度は歩いた気がする。尤も、夢の世界で流れる時間に、正確も何もないとは思うが。
目の前にあるのは相変わらず見知らぬ住宅街(斜め)。歩いているうちに心当たりがある場所に繋がるかと期待したが、そんなことはなかった。唯一わかった点として、何回か横断歩道を渡ったが、そこに立っていた信号機がすべて〝青く〟点灯したままだった。まぁ、そもそもここまでの道のりで人も車も通るのを見ていないので、たとえ赤信号だとしても意味はないだろう。なんということもない、単に〝信号無視をしないで済んだ〟というだけの話だ。
斜めの視界には未だ慣れない、それでも、展開の変わらなさに飽きる気持ちが募ってきた。試しに手の甲や頬をつねってみたが、痛みもなければ景色が歪むこともない。この分だと、ただ歩いている程度の衝撃では、目覚めるのは難しいかもしれない。そこら辺の壁や電柱に思い切り突撃するという手もあるが、流石に目覚めが悪そうなので最後の策にとっておきたかった。
とはいえ、他にどうするか。
前に進んでも変化なし。
ならば……。
「来た道を戻る、とか……?」
これもまた、なんてことのない行動。
夢から覚める期待値としては望み薄だが、自分を傷つけるよりかははるかにマシか。
とりあえずやってみよう、とそのまま身体の向きを変えようとした。
まさに、その時だった。
――カラン。
自分の足音しかない世界に、まったく別の音が混じった。
軽くて硬いものが地面を打つ、甲高い音だった。
さほど大きな音ではないはずだ。ただ、この世界に初めて現れたわたし以外の何か、という事象が、その存在感をより高めていたのだ。
身体の向きはまだ変えていなかった。
変える必要がなかった。
それは……わたしの〝前方〟にいたからだ。
「…………!」
既にそこにいたのなら気づかないはずがない。当然だ、今までずっと前を見て歩いていたのだから。もしも視界が途切れるとすれば、周囲を見回すか瞬きでもしたときくらいだ。つまり……〝彼女〟の出現は、本当に一瞬で、唐突なことだった。
カラン……と彼女の足元が鳴る。先ほども聴こえた音、出所は彼女が履いている木の下駄だった。彼女も斜め……わたしと同じ条件でこの世界に立っていた。藍色の着物、短めの髪は墨のように黒く、癖っ毛なのかところどころハネがある。お互いに距離があるため、まだ顔ははっきりとわからない。だというのに、わたしはその人物が女だと――〝その人〟だとわかっていた。
――カラン。
下駄の音。
彼女は歩いている。
ゆっくりと、まっすぐ、わたしに向かって。
顔が、輪郭が、瞳がはっきりと見えてくる。
「……ああ」
初めて見る顔だ。
それでも……確信めいたものがある。
ずっと会いたかった、話したかった。
知りたいことが、たくさんあったのだ。
「筺花!」
花の巫女・初代織草・わたしの心臓の正体。
叫ぶようにその名を呼んだ。
彼女が近づいているのはわかっても、立ち尽くしているわけには行かなかった。走って傍まで寄る。筺花の目はわたしをじっと見ていた。背は同じくらい、いや、下駄の高さがある分本来は彼女の方が少し低いようだ。顔つきからして年齢もわたしとそう変わらないように感じた。
筺花は何も言わなかった。完全な無表情で、そこから感情や意図を察することはできない。一瞬、もしかするとこれは、夢故にわたしが勝手に作り出した妄想かもしれないとも思った。だってわたしは筺花の声しか知らないのだ。こっちが勝手に勘違いしているだけで、全然赤の他人の可能性だってある(その場合本当に誰? って話になるわけだけど……)。
これといったアクションがないが、それでもわたしの目と彼女の目は合っている。少なくとも見えていないとか、認識されていないというわけではなさそうだ。筺花(暫定)はしっかりとわたしを見た上で、無言を貫いていた。
「えーと……」どういうアプローチをするべきか悩んでしまう。「筺花……なんですよね?」
反応なし。
「あの……わたしです、帷です。いつも……」
いつも……なんだ?
血と再生の能力にはお世話になってます?
それとも負担かけさせちゃってすみません……とか?
痛い目に遭っているのはあくまでわたしの責任な気がするけど。
「…………」
未だ反応なし。
「さ、触ったりとかしても……?」
「…………」
「すみません……」
変態みたいな物言いをしちゃったな。
よく見ると少女は顔を顰めていた。わたしをただ見ているだけの瞳は、明確にわたしを睨むものに変わっていた。ここにきてようやく初めて、彼女の表情に変化を起こせたらしい(不本意ながら……)。
「わたし、色々聞きたいことがあって……」
反応があったことで、会話できる可能性を見いだすわたし。
しかし、そんな可能性というのは、どうやらわたしの勝手な勘違いらしいというのを、直後に思い知ることとなる。
「――え」
続けてわたしが言葉を発する前に。
彼女の右手が、振り上がっているのが見えた。
唐突かつ素早い動作。
その手がわたしに向かってくる、とわかったときには――身を引くことも防御するのも間に合わなかった。
そして、強く鮮烈な音。
左頬に、火がついたような痛みが広がった。
「わっ――」
斜め45度の視界が揺れる。
60度、70度、そして垂直へ。
叩かれた衝撃で仰け反ったのではない。わたしの身体はそのままに、景色だけが滲んで、歪み始めた。
「筺花……!」
手を伸ばす。間近にいたはずなのに、わたしの指は着物に触れることすらなく、その姿はだんだんと遠ざかっていった。彼女だけではない。道も、空も、何もかも、わたしから離れて、向こうへと行ってしまう。
そこまでようやくわたしは――〝目が覚めようとしている〟のだと気がついた。




