◇8
◇8
「さっきの子たち、大丈夫かな⁉」
公園を駆けながら、寧音がわたしに問う。さっきの子とは、ロープではしゃぐ寧音にドン引きして立ち去った子たちのことだ。
「…………」
わたしは答えない……答えられない。
無事でいる、という確約はできないからだ。
できるのは、先ほど寧音が指し示した〝空〟へ——そこに浮かんでいる〝物体〟の元へ、辿り着くことだけ。
その姿は青と緑の丸い形……目を凝らすとそれは幾重にも張り巡らされた太いホースのようなものが重なって、塊となっていた。有線のコードが絡んでなかなか解けなくなることがあるが、そんな状況を思わせるようだ。正確な大きさはわからないが、その辺のカラスよりは大きいだろう。
こんなものが唐突に浮かんでいたなら、すぐさま未確認飛行物体とされてパニックになりそうなものだが……。
今現在、慌てているのはわたしたちのみ。
あれが見えているのは、わたしたちのみ。
化心と定義して、間違いなかった。
発見してから一分ちょっとで、化心の真下へ。木々で入り組んだこの公園の中では、直線では大したことのない距離でも、目的地までは遠回りを余儀なくされる。もどかしいけど——「いた!」
寧音が指差した先に、二人の子供。まだ襲われていないし、周囲には他に人はいない。間に合ったようだ。
とはいえ、このまま戦いの場にいられるのはまずい。
「どかしてくる!」そう言って、寧音が子供の方へ走る。何も言ってないのにわたしの要求を汲んでくれるのはありがたいけど、あの子たちに化心が見えない以上、どうやって危機感を伝えるべきなんだろう——「う゛ お゛お゛お゛お゛お゛!」
「え」
唐突に。
寧音が叫び出した。
そしてさらに加速した。
「これをッ、見なさ い゛い゛い゛い゛い゛!!!!!」
よく見ると右手と左手、それぞれに石を持っているようだ。走り出す前か、ここに来る途中か、いずれかのタイミングで拾ったのだろうか。こっちからはよく見えないが、どうやら〝石の裏側〟――元々土についていた側を向けているようだ。
……うん。
わたしは実際にやったことはないけど、聞いたことはある。
持ち上げた石の裏には、大量の虫が這い回り、こびりついていると。代表的なものだとアリやダンゴムシ、ムカデなんかがいるようで、つまりは――――
「うわぁ……」
寧音の驚かしすら生温いと思わせるほどの、子供の悲鳴。
不審者に対する恐怖と、防衛を知らせる、天然の警告音が、耳を劈いた。
わたしからは見えなくて良かったぁ。
子供たちからすれば、先ほどの怪奇ターザンロープ女が自分たちを追いかけてきたように感じただろう(しかも、両手に虫のついた石を持って……)。
あの子たちには本当に申し訳ないことをしてしまったが、とはいえ化心のいるエリアからはさっさと退散してくれたので、寧音の作戦は功を奏したと言える。
……言えるか?
なんならこの悲鳴のせいで、何事かと駆けつける人が出てくる可能性もあるんじゃないか?
わたしはこのアホ不審者の仲間だと思われるんじゃないか?
……で、あるなら、
「よし」
即座に、早急に、迅速に、
なんとかしなければ。
「〈突き刺せ〉」
アンプルの先を空に向け、命じる。途端、わたしの血が飛び出した。
三角錐の鏃となった血が、高速で重力に逆らう。
そのまま、一切の防御も、回避もなく、空中にいる化心の身体にクリーンヒットした。
ドッ、と鈍い音がして、化心がバランスを崩す。
「〈落とせ〉!」ダメ押しにもう一発。揺れる化心に血を撃ち込んだ。血の動きはわたしの思考をそのまま反映し、手元を離れても操作ができる。故に、どれほどの遠距離であったとしても、視認さえできていれば、一滴たりとも外すことはない。
「よし」
想定通りの挙動で二発目を叩き込まれた化心が、真下に落下した。ゴムのような弾力を感じる音、重くないが、さりとて軽いわけでもなさそうだ。
間近に来たことで化心のフォルムがわかるようになった。その見た目は寧音の目撃証言と概ね一致していたので、過去現れた化心と同一とみて間違いないだろう。
「――らあっ!」
その体躯に、剣鉈を思い切り振り下ろす。
ぶち、と、嫌な音を立てて、化心が纏っている管が千切れた。中身は空洞だ――と判明したものの、それ以上詳しく確認せず、間髪入れずに追撃する。身体の構造は不明だが、血の攻撃でも消滅しなかったのをみるに、それなりに丈夫そうだ。ならば、存在を保てなくなるほど、バラバラに切り裂くしかない。
ぶち
ぶち、ぶち
ぶち、ぶち、ぶち
何度目かの攻撃を加えた後。
ホースで覆われた部分が晴れ、化心の中身……奥? が露わになった。
「――!」
真っ黒で艶やかな……生き物というよりは、高級な革を広げて貼り付けたような、体表。そこには握り拳程度の大きさの〝何か〟が……〝二つ〟の〝丸い部品〟のようなものが取り付けられていた。部品それぞれの色は透明感のある青と緑……『髪の毛をかき分けたら目玉が露出した』というのが、抱いた印象だった。
逡巡はしない。
即座に片方――青い玉に刃を突き立てた。
目玉か、核か……化心にとって〝これ〟が何にあたるかはわからないが、覆い隠されていたのなら、致命的な弱点である可能性は高い。
「っ……!」
より強く、深く、刃を押し込む。
化心の悲鳴はない、発声の機能は有していないようだ。
それでも、手応えは感じる。
刃に押し負ける肉の感触と、思った以上に手が前に進んで行く感覚。
〝わたしの手で殺している〟確信が全身に伝わる。
そして、確信は実際、間違いではなかった。
――〝半分は〟。
「しまっ――」
化心が霧散する。
彼らに共通する死に際の過程、今殺したものが紛れもなく化心である証左。
ただし、消えたのは青緑色の化心の、〝青い方〟のみ。
残った方――〝緑の管の塊〟は、刃の拘束をすり抜けて、わたしを越えて後ろに跳んだ。
名状しがたい身体の構造――二色の管が絡み合ったような化心の正体は、その実本当に、一つの身体に、二つの〝肉体〟を抱えたものだったのだ。
イルカ蝶……化心とストレンジャーが合体した怪物を相手にしたことはあった。今回の場合はもっと単純に、〝そういう心術〟であると考えるべきか。この化心には二つ分の〝ストック〟があり、両方を潰さなければ、殺しきることはできないらしい。
「――寧音! 逃げて!」
敬称略。
離れた彼女に届くように、声を張る。
仕留め損ねた――のは、本来なら大した問題ではない。
追いかけて、もう片方も潰せばいいだけの話だ。
しかし、今回は一人だけじゃない。公園の人や同行している寧音を巻き込むリスクがある以上、一撃で殺したかった。
何より最悪なのは、わたしから逃れた化心が、寧音の方向へ移動していることだった。
「〈撃ち抜――」
アンプルを構える一秒で、十メートル近く離された。ホースを斬った手応えは重かったが、その時の感覚に反して、かなり速い(化心を半分に〝散髪〟したせいで、身軽になったか)。
「――け〉!」
血の鏃が放たれた。
射出速度は化心の移動速度を上回る。
が、間に合わない。
既に開いてしまった間隔が、広すぎる。
「あ……」
驚愕と恐怖が入り混じった表情のまま、立ち止まる……立ち止まってしまった寧音に、化心が衝突するのを、止められない!
このままじゃ――!
「……で、〈明日なんて大っ嫌い〉!」
ところで、
事前の予測に反した事象が発生することは予想外、または想定外と表現される。そういう意味では、今回化心が二つに分裂したのは、まさしく想定外のことだ。
しかし……想定外というのは、一体どこまでのことをいうのだろう。
記憶はなくとも知識はあるわたしでも、このあたりの細かな言葉のニュアンスに明るいわけじゃないので、ふと思った。
そう……たとえば、『少し考えればすぐに想定できるのにそれを怠って驚いてしまう』のは、果たして……単なる想定外と表現するべきだろうか?
寧音が魔法少女であるのは、衣装の変化術からわかっていた。そして魔法少女は、広義の意味では魔術師に類するといえるだろう。ならば――
〝デザイア〟を有しているくらいのことは、当然に考えておくべき、はずなのだ。




