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放課後、寧音を連れてハートキャッチを訪れたのだが、営業時間内であるはずの事務所は施錠されており、鍵を開けて中に入っても、そこに葵さんの姿はなかった。
壁にかけられているホワイトボードを確認すると『アオイ 外出中』とペンで走り書きされた文言のみ。
とりあえず電話をすると、数コールの後に葵さんが出た。仕事中の時はなかなか出ない人なので、少なくとも今は余裕があるらしい。
「葵さん、今日は何時頃戻りますか? 事務所のホワイトボードには『外出中』とだけだったので……」
『そうか、事務所に来たんだね、お疲れ様。いつ帰れるかわからなかったからあえて書かなかったんだ。少なくとも今日中は無理そうだから、帷ちゃんはもう上がっちゃっていいよ』
「今日中はって……そんなに遠くにいるんですか? それとも、厄介な依頼とか」
『ちょっと今ニューヨークに』
「はい? え? いや、わたし聞いてないですけど」
『あはは、冗談だよ。君は本当に素直で可愛いね、何かと疑ってかかるどこかの妹とは大違い——おっと、鋭い眼光』
「……椛さんもいるんですね」
『ああ。本当は歌山町ってところにいるんだ、今は民宿の部屋で一休み中。いやぁ、見渡す限り一面、山と田んぼと公民館ばかりだよ……うん、地元を思い出すなぁ、趣きがある』
公民館が見渡す限り一面あるわけないだろ。
耳は離さないまま、机の上に置かれたタブレットで『歌山町』を検索する。姉妹がいるというその町は、心宮からそこそこ離れた——ここから県を二つほど超えたところにあるらしい。人口千人ほどの自然豊かな静かな町……ニューヨークとは似ても似つかない場所だが、どちらにせよ、何も聞いてなかったのは同じだ。
「せめて一言くれれば良かったのに……」
『ごめんごめん。こっちも急に決めたことだったんだ、本当は連れて行きたかったけど、ほら、君の場合学校もあるだろ? せっかくの機会だったけど、まぁ次もあるさ』
「……機会? なんのことですか?」
『そうだ、せめて電話で話すだけでも……おや、どこかな。さっきまでそこに……』
外に行ったみたい、と電話口から小さく(遠く)聞こえる椛さんの声。葵さんはそれを受けて『忙しない人だなぁ』と呆れたリアクションをした。
「えっと、お二人以外に誰かいるんですか?」
「そうなんだよ……〝父〟と一緒だったんだが……今はどっかに行ってしまったようだ、うーん、一言挨拶させたかったな」
「——えっ⁉」
『まったく、どうしてあの女が伴侶を得られたのかと常々疑問だったけど、じっとしていられない同士、案外馬があったのかもしれないねぇ』
その性分、姉さんも立派に継いでるけどね、と再び椛さんの声——いやそれよりも、父⁉
葵さんと椛さんの、父親⁉
「お父さん、いたんですか⁉」
『そりゃあ、人が産まれるには大抵、お父さんとお母さんが必要だろう』
「いやそういう意味じゃなくて……」
椛さんが事務所に初めてやってきた日、わたしは姉妹の母親で、先代織草家当主の織草鏡花の話を聞いた。鏡花はわたしを葵さんに預けた後、失踪していて今も行方がわからないとのことだったが……その際、父親については何も聞かされてなかった。
それを疑問に思わなかったのは当時、自分の胸中を整理するのに手一杯だったのと、あまりにも言及がなかったので『もしかして父親もどこか〝遠く〟へ行ってしまったのではないか』と(無意識に)思い込んでいたからだった。
生きてたんだ……と、失礼ながらもそんな風に思ってしまう。とはいえ、姉妹揃ってちゃんと会いに行ってるのを鑑みると、関係が悪いというわけでもないのか。
『父様のことを話さなかった理由は、単に彼が〝無関係〟な人だったからだよ。織草とか化心とかのアレコレに……ね』わたしの心情を察してか、先に葵さんが説明した。『化心の存在は知っているけど、知覚できない方の人だし……織草には婿入りの形で来たんだ。二人がどういう経緯で出会ったのかは知らないが……とにかくあの時は、わざわざ語る必要は無かったってだけさ』
織草砂岸は鏡花の夫であり、葵さんと椛さんの父。大学で民俗学を教えているという彼は、フィールドワークのために各地を移動しているため、娘である彼女たちもなかなか会う機会がないそうだ。ついでに、織草本家からも良く思われていないようで、半ば絶縁——別居状態(妻が行方不明の場合はどういう表現になるのだろう)とのこと。
『ちょいちょい連絡は取ってたんだけどね。今回たまたま近くで——比較的近くで活動していると聞いたから、こっちから会いに行ったってわけ。娘らしく、ご飯でもたかってから帰るつもりさ』
「……そうですか」
聞けば聞くほど、一筋縄ではいかない事情が判明する家だ。
一応、織草の家の人間としては(立ち位置としては複雑だけど)、ちゃんと把握するべきなんだろうが——「ねぇねぇ、お菓子食べていい? これ」
目を向けるとネオンが机の上にある煎餅を指さしていた。
「え? あぁ、いいですよ、お客さん用のものなので」
『おや、事務所に誰かいるのかい? 依頼人が来る予定はなかったはずだけど……』
「えーと、はい、なんというか……わたしが個人的に引き受けた依頼、ってことになるんですけど……葵さんの力をお借りしたくて」
『帷ちゃんが個人で依頼を? へぇ、そりゃ凄い、初めてのことだね。駅で赤飯を買って帰ろうかな』
「やめてください」
電話口で長々と話すのも面倒なので(ネオンを待たせてしまうし)、顛末についてはメールで送ることにした。葵さんの有する調査のノウハウと人脈はかなりのものなので、ネオンの正体を探るのにも、期待はできるだろう。葵さんからも了承を得ることができた。
「では、その……お父さん? にはよろしく伝えといてください。あと椛さんと喧嘩しないでくださいね」そう言って電話を切る。デスクリサーチは向こうに任せるとして……こっちは実地調査、ということになりそうだ。想定していた予定とはかなりズレたので、どうするかは今から考えなければだが。
「電話終わった?」かなりお腹が空いていたようで、バリバリと、怒涛の勢いで煎餅を消費する寧音の姿。昼飯用に置いておいた冷凍パスタだけでは物足りなかったみたいだ。
「はい、待たせてすみません」時計を見ながら次にやることを思案する。「外に出ましょうか、最初にいた公園に行けば、何か手がかりがあるかも」
「うん。……でも、あのバケモノがまたいる、かも……」
公園で出会ったという化心か。昨日からSNSアプリ——ソルトを使って、あの付近の情報を追っているが、怪我や体調不良といったトラブルは確認できない。おそらく消滅しているとは思うが……。
「遭った時はわたしが戦いますよ。……大丈夫です」
彼女に言い聞かせる。化心を軽んじているわけではないが、わたしだって少なくない場数を踏んでいるのだ。化心退治を生業とするなら、こういうときにこういうことが言えるべきだ。
「べ、別に、怖がってるとかじゃないし」どこからともなくステッキを取り出し、見せつける寧音。「昨日はちょっとびっくりしただけ……なんだから! 次に会ったら、こう……ベコン! と! やってやるわ!」
ステッキをバットのように構えている。そういう使い方でいいのかは疑問だが、とにかくやる気は伝わって来た。あまり依頼人に……というか自分より年下であろう子に戦わせるのは本意ではないけども。
「……まぁ、その時が来たら、よろしくお願いします」
「任せなさい! 私が本気出したら……こう……街ごとドカン! よ!」
「勘弁してください」




