表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ココロのトバリ  作者: サザンク
第1話 イルカの頭・蝶の翅
1/77

◇1

◇1


「いい身体を作るなら新体操か水泳だよ、とばりちゃん」

 と、わたしの目の前にいる黒髪の女性——織草葵おりくさあおいさんは、持っていた新聞を一枚めくり、コーヒーを一口すすってから呟いた。

 当初、それが自分に向けられた言葉だとは気づかなかったので、わたしは少し時間が経ってから「はぁ」と間の抜けた返事をする羽目になった。

「今の、わたしに言ったんですか?」

「そりゃそうだとも、名前を呼んだじゃないか」

「……そうですね。ごめんなさい、まだ貰った名前に慣れてなくて」

「そのうち慣れるよ」

「えっと、なんでしたっけ? 身体がどうとかって」

「これなんだけどさ、いい身体してるよね」

 そう言って葵さんは持っていた新聞をわたしに見せてきた。競泳のある選手権の記事、見出しには大きく「史上最年少で日本新V」と書かれており、満面の笑みを浮かべる水着姿の男の写真が載せられていた。葵さんは「若いねぇ」なんて言いながら、写真を指でなぞっていた。

「水泳は全身を動かすからね、体操とか、バレエもだけど、筋肉が身体全体にバランス良くつくのさ。綺麗な筋肉が作れるよ」

「そうですか」

「たとえば野球は駄目だね、あれは駄目だ。筋肉が下半身にばかりついて、尻だけが大きくなってしまう」

「スポーツ詳しいんですか?」

「いや全然、そもそもスポーツ嫌いだし」

「…………」

 なんなんだこの人、という気持ちを振り払う。

 半年ほどの付き合いだが、こういう時、葵さんの言うことは真に受けないほうがいい、というのは、日々を穏やかに過ごすための教訓になりつつあった。

 ため息を一つついてから、記事にざっと目を通す。男子200mバタフライで日本新記録を更新した中沢櫂なかざわかいはまだ19歳、これからの活躍に期待、とのことだった。

「どうだい?」

「どうって、何が?」

「彼のことさ」

「まぁ、たしかに、鍛えられてると思います」

「そうじゃなくて、君も年頃の女の子だろう? 君ぐらいの生娘っていうのは、運動能力の優れた男を慕うもんじゃないのかい?」

「生娘って」

「少なくとも私の頃はそうだったけどね」

「意外ですね。もしかして葵さんも、そんな経験が?」

「まさか。言っただろ、私スポーツ大嫌いなんだ」

「…………」

 嫌いのグレードが上がってた気がする……。

 写真の中沢の顔を見る、顔だけ見れば少年の面影が僅かに感じられる、身体の大きさで相対的に小顔に見える、という面もあるからだろうか。記事によれば、女性のファンは少なくないようだ。人間を〝そういう〟気持ちで見たことがないので、自分にはあまりピンとこなかった。

「わたしにはよくわからないですね」

「そうか。じゃあ、君はどんな人が好きなんだろうね?」

「え」

「そんな嫌そうな態度をとらなくてもいいじゃないか。恋バナはガールズトークの鉄板だよ。とはいえ私たちの間柄じゃ、友人同士っていうよりは、姉妹の会話に近いだろうけど」

「どちらかっていうと母娘じゃ——」

「帷ちゃん」

「なんでもないです。えーと、好きなタイプ好きなタイプ……」

「君は意外と面食いだったりするのかな?」

「うーん、どうなんでしょう。強いて言うなら、強い人には興味がある、かも」

「人を見る基準が時々狂戦士なんだよね、君」

「……多分ですけど、恋愛的な意味合いで人を好きになったことはないですよ、わたし」

「案外、覚えてないだけかもしれないよ?」

「それは……まぁ、そうかもですけど……」

 確かに、葵さんの言うことは一理ある。

 なにせわたしは、半年前から前の記憶がすっかり抜け落ちているのだから。自分がどこで生まれ、どんな名前を与えられ、誰に育てられたのか、そういった思い出が空っぽなのだ。もしかしたら、失われた記憶の中には、人並みに恋をして、みたいなエピソードがあったのかもしれない。

 今となっては、確かめる術はないけども。

 しばらく熟考していたからか、口元に笑みを浮かべながら、意地の悪そうな目でこちらを見ている葵さんに気が付かなかった。葵さんは時々こういう目でわたしを見る。観察するような、反応を確かめるような視線。わたしはこの目があまり得意ではなかった。無意識のうちに、わたしを下に見ているように感じるからだ。なので、多少は対抗してやろうといった気持ちで「じゃあ、逆に聞きますけど、葵さんの好きなタイプってなんですか?」と質問してみた。

 葵さんは、わたしの問いかけに対して、特に驚くとか、躊躇うような素振りは見せなかった。彼女は、手元のコーヒーを飲み干すと、なんでもないような顔で「強いて言うなら人間以外かな」と言った。


 今日も、便利屋「ハートキャッチ」を尋ねる者はいなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ