第4話 妖魔ってなんですか
翌朝、建明は里正に教えて貰った沼へ向かい、村を出た。
玉蓉は村で留守番だ。
『封妖索』をつけた状態の玉蓉は、ほぼ何の仙術も使えない。師匠の言いつけをあまり破らせるわけにもいかないから、妖魔討伐には同行させない方が良いと考えたのだ。
建明の手には一本の棍。
村にあった武器の中から建明が選んだ。実は中途半端ななまくらの剣よりも棍の方が武器として強い。材質はただの木だが、これに気を通して強化すれば鉄よりも硬くなる。
沼のほとりに立つと、周囲に妖気が立ちこめているのが感じられた。
建明は棍に気を通して構えた。
棍の先を沼の水につけ、棍からさらに水へ時を流す。
棍を中心に波紋が幾重にも広がっていった。
水に棲む妖魔は水の変化に敏感だ。
他人の気が水の中に流れ込んでくれば、自分の環境を守るために飛び出してくるだろう。
建明の予想は当たり、ほどなく水面を割って妖魔が宙に飛び出してきた。
その体は魚。
体長1メートルほどの大きな魚の妖魔だ。
妖魔は宙に体を浮かせたまま、自分の環境を汚した侵略者、つまり建明を見つけると、口とひれを大きく広げて建明を威嚇した。
「人間。ワレに何の用だ」
宙に浮き、人語を解する魚。
「お前、近くの村で娘を一人呪ってるだろう。それを止めに来た」
「ふん」
魚は鼻で笑った。
「南海竜王敖欽様の臣下であるワレに命と精を捧げることは、天が地へ雨を降らせ、地が海へ川を流すようなものだ」
「敖欽の配下にお前のような下劣な者がいるとは驚きだ。水は火にかけて煮れば、水は海に行かず天に還るぞ。それが人の技というものだ」
「おぉ、哀れな人の子が。その手にした棒きれ一つでこの沼全てを煮立てさせられるとでも」
「なに、お前の血肉を煮立たせるのにはこれでも十分さ」
「その力がキサマにあるかね」
妖魔の真下の水が渦を巻いて巻き上がった。水が妖魔の全体を覆い、見た目の大きさが二回りも増した。
妖魔を包む水の膜が一部ちぎれ球体を作った。
水球が何かに弾かれたように建明めがけて飛んできた。
「はっ」
建明は棍を下から上へ振り上げ、水球を打った。
棍は水球を弾き、細かい水滴と散らした。
必殺の水球を阻まれ、妖魔は刮目して建明を見ている。
「キサマ、仙人か」
「静運山靂日洞、道士姜建明。ま、追放された身だけどね」
建明が名乗ると、妖魔は嬉しそうに体をくねらせた。
「いいぞ、キサマを食えばワレはもっと力を得ることができるじゃないか!」
「俺を食っていいのは巨乳の美女だけだよ!」
建明は妖魔の浮かぶ、沼の中央めがけて駆けだした。
足には水の上を歩き走ることができる走水符を貼ってある。
パシャパシャと軽く水面を叩く音を立てて、建明は走った。
妖魔はさらに大量の水を体に纏わせ、翼を持つ龍のような姿になった。
<巻渦水槍>
妖魔が術を発動した。
沼の水面から、先端のとがった水が渦を巻いて建明を刺し貫こうと伸びた。
建明は水槍の出所を見切ってかわしながら妖魔へと近づいていく。
妖魔は次々と水槍を生みだすが、建明はその全てを落ち着いて見て対処していく。
かわす。
棍で防ぐ。
一つ対処するごとに妖魔との距離は着実に詰まっていく。
最後の水槍は、身をかがめてかわすと同時に妖魔の懐に飛び込んだ。
棍を振るう。
おもいっきり。
棍が妖魔を横から打ち据え、妖魔は身に纏う水をまき散らしながらはじき飛んだ。
「キサマ!」
妖魔が激昂し、水の翼を打ち振るった。
<破城流槍>
妖魔の両翼からひときわ大きな水槍が一本ずつ生みだされ、建明めがけてまっすぐ突き込んできた。
建明は一本目の槍を走りながらかわし、二本目の槍を上空に跳んでかわした。
そのまま二本目の槍の上に着水。翼へと続くその槍の上を一気に駆けていった。
建明は飛び上がり、棍を上段に振りかぶった。
棍にひときわ強く気を込めた。
この一撃で決める。
狙いは妖魔の脳天。
妖魔が空中の建明をみて嗤い、口を大きく開いた。
(しまった!)
建明は罠にはめられたことを悟った。
<流激波>
妖魔の口から水がほとばしり、建明を襲った。
<流激波>は建明の胴のど真ん中を打ち、強烈な衝撃と共に建明の体を空中高く放り飛ばした。
建明は沼の岸まで飛ばされ、地面を転がった。
あまりの衝撃で視界が白黒している。
建明は立ち上がろうとするが、手足に力が入らない。妖魔の術に込められた妖気で体の気の流れが乱されているのだ。
妖魔は建明に与えたダメージをゆっくり値踏みするかのように揺らめきながら近づいてきた。
建明は棍を杖にし、体を支えながら立ち上がった。
それを見て妖魔は、再び術を放った。
<巻渦水槍>
わずか一本の水槍。
しかし建明の体は避けようとする意思についてこなかった。
水槍は建明の右大腿に突き刺さった。
建明の右足が力を失い、膝をついた。
「ぐぅっ」
建明には守りに使えるような術はない。
遠距離で攻撃するような術も。
妖魔はじっくりと建明を観察し、万事休したことを確信して、にたりと嗤った。
「口ほどにもないなぁ」
「く……そっ」
建明は手に力を込めて立ち上がろうとする。
右足は動かない。
手と左足だけで立ち上がり、妖魔を睨んだ。
『できることと言えば菜園で草木を育てることだけ』
昊天の言葉が建明の脳裏に思い浮かんだ。
そんなわけはない。
仙界の基準では何もできないに等しくても、下界なら違う。そう思って妖魔退治に意気込んできたのに。
人型すら取ることのできないザコ妖魔にすら勝てない。
妖気から身を守る符、防御力を上げる符、空を飛べる符、水を吸い取る符、建明が習得できなかった数多くの符術の一つでもできていれば、こんな結果にはならなかった。
「終わりか? なあ終わりか?」
妖魔はニタニタと笑いながら、ゆっくりと見せつけるように術を構築していく。
<巻渦水槍>
水槍は再び一本。
水槍は建明の右腕を貫いた。
衝撃で右腕が弾かれ、右手が棍から離れた。
残るは左足と左腕だけだ。
妖魔は少しずつ建明をいたぶるつもりなのだろう。
「最後に言い残すことがあれば聞いてやるよ」
妖魔は勝利を確信している。
(あの少女は死んでしまうだろうか)
建明は思った。
おそらくそうはならないだろう。
建明が戻らなければ、きっと玉蓉が確かめに動いてくれるはずだ。
そうなればこの妖魔と出会う。
封妖索を解いた玉蓉ならきっとこの妖魔に負けることはないだろう。
獣が人型を取れる、というのはそれだけで圧倒的なレベルを持っていることを示している。
しかし、その後玉蓉はどうなるだろうか。
一人で秘密を抱えたまま人界で生きていくのだろうか。
仙界に戻るのだろうか。
そこに彼女の幸せはあるのだろうか。
「……強くなりたい」
建明はそう呟いた。
建明に戦うだけの力があれば全てうまくいったのに。
そもそも追放されるようなこともない。
自分が弱いばっかりに、なにも成すことができない。
妖魔はその答えに面白くなさそうに顔をゆがめた。
次の瞬間。
びた、と妖魔の動きが止まり、纏っていた水が落ちた。
妖魔は動かない。動けないようだ。
「大地の中に気を流せ」
どこからか、男の声がした。
建明は言われるがままに棍から気を流した。
「なんと弱く乏しい気だ。哀れな」
貶された。自覚はあるんだ余計なお世話だ。
「土の中に木の根があるだろう。それを上へ成長させて妖魔を討て」
(無茶な!)
そんなことやったことも、試したこともない。
「やれ! 今回だけは特別に助けてやる!」
「あぁもう、できなくっても知らないからな!」
やけくそだ。
建明は地面の下にある木の根に気を集中させ、その根の先が上に伸びて妖魔を貫くよう、イメージした。
その気の流れに、別の誰かの気が混じってきた。
強く力強い気だ。
地中の木の根が上をむいた。
一気に成長し地上へ。
枝分かれした根の先端が妖魔の身体を貫いた。
「ぎぎゅ」
妖魔が1つ呻き、その体から力が抜けた。
死んだのだ。