第3話 人里ってなんですか
人里までは、予想通り2日目の昼過ぎには到着することができた。
小さな川の畔にあり、簡素な土塀で囲われた農村である。土塀の周囲には畑が広がっていて、青々とした草が一面に広がっていた。
その畑の中に一本の道が通っている。
建明達はその道を通って村の中に入った。
村の建物は土を盛って固めた壁に木の板を重ねて屋根にしており、それが余裕を持った間隔で並んでいる。
裕福そうな感じではなく、どちらかと言えば貧しいたたずまいだった。仙界は華美を嫌い建物は質素だったが、それでもこの村よりは豪華だ。
住人達の着ているものを見ても、この村が貧しい村であることを示していた。
住人達はそれぞれ家事をしたり、休んで知人同士喋るなどしている様子だったが、建明と玉蓉の姿を見ると、皆口と手を止めて様子を窺ってきた。
「警戒されてるね」
玉蓉が小さな声で同意を求めてきた。
「そうだな。部外者が少ないんだろう」
「うん。これからどうするの?」
「まぁ見てろ」
建明は自信たっぷりに言うと、目当ての人を探した。
女ではなく男。それもできればある程度体つきの良い者がいい。
ちょうど、3軒先に丸太をのこぎりで切っている男がいた。
建明は何気ない様子でそのまま道を進み、男がふと顔を上げた隙に合わせて男の方を見た。
視線が交錯する。
「おうい、そこの人!」
その瞬間に建明はその男に声をかけた。
男が木を切る手を止めた。
「なんだい?」
「里正様の家はどこだろうか」
「あっちの方に一つだけ瓦葺きの家があるだろ、そこだよ」
男が指さした方には、一つだけ屋根が違う建物があった。
「ありがとう」
建明は礼を言って、里正の家に向かった。
里正の家は、村の他の家と比べて数倍の広さがある。
戸を叩くと、ほどなく中年の男が中から顔を出した。服を見るに、里正ではなさそうだ。
「どなたかな?」
中年の男は警戒の色を隠そうともしていない。
「私は姜建明という者。我ら長らく深山幽谷で道士として修行していたのだが、故あって諸国を巡る旅にでることになった。しばらくこの村に滞在させていただきたく、挨拶に参った」
「ど、道士様! しょ、少々お待ちください!!」
男は慌てて家の奥へと飛んでいった。
何をそんなに慌てているのか。
答えはすぐに来た。
奥から質素ながらきれいに整えられた服を来た老人が駆けて出てきた。老人もまた慌てている。
老人は建明の姿を見ると、両手を合わせて拱手し、腰を深く折った。
「この村の里正をしております、田天順と申します。道士様、よくこの村にお立ち寄りくださいました」
建明は軽く頭を下げて答礼した。
「姜建明と申す。何やら慌てているようだが、どうなされたのか」
「見ていただく方が速いかと。どうぞ中へ」
建明と玉蓉は、里正に促されて家の中に入った。
使用人だろう何人かの男女が、心配そうに建明達を見やっている。
里正の足は家の奥へ。
奥の部屋の一つに、板の間の床が置かれた部屋があり、その床の上に一人の少女が横たわっていた。目を閉じて寝ているようだった。
「孫娘です」
里正が紹介してくれた。
一見して分かるほどに顔色は青白く、悪い。
「病か?」
建明は一見してそう思った。
体は弱り切り、気も弱々しい。
「一ヶ月ほど前からだんだんと元気がなくなり、この3日ほどは目を開けることさえありません。道士様のお力で治していただけませんでしょうか」
「診てみよう」
建明は履き物を脱ぎ、寝ている少女の脇に座った。横に玉蓉も来た。
建明は寝具の下からそっと手を入れて少女の手を取り、脈を測った。
脈は非常に弱い。
このままでは長くないことは確かなようだ。
「いかがですか」
よほど心配なのだろう、里正がのぞき込んできた。
「危ないな」
建明は短く伝えた。
不安は煽るが、事実だ。
「治るでしょうか」
「それをこれから見る」
建明は自身の目に気を集め、少女の気脈の流れを見た。
瀕死の体の通り、気脈の流れも弱く細い。
だが、病のようではない。病なら、病と闘うための気の流れ、病巣に集まっていたり、逆に散っていたり、正常と違う流れが必ずある。
少女の気の流れ方自体は、弱っているという一点を除けば全く正常だ。
「呪いね」
玉蓉が呟いた。
建明も同じ結論だった。
少女の気の流れに別の者の気の流れが絡みついている。
「里正殿、その一ヶ月前ほど前に、何か変わったことは起こっていなかったか?」
「子供達で遊んでいる内に、孫娘がはぐれ、森の奥に行ってしまったことがありました。村の者で探したところ、沼のそばで寝ておるのを見つけました」
「その時だろう。妖魔に呪われたな」
その沼に住む妖魔だろう。
自身の気で不老不死を達する仙人と違い、妖魔は人の命を奪って不老不死を達する。
「おお」
里正が両手で顔を覆った。
「まずは気を補って死から遠ざけよう」
建明は背嚢から何も描いていない木札と筆を出した。筆に気を込めれば、筆の毛先に墨が満たされた。
さらさらと木札に符印を描き、少女の額の上に置いた。
建明はそこに自身の気をほんのわずか、流した。札の符術が発動し、建明の気を少女の気脈に乗せて巡らせてゆく。
しだいに少女の血色が良くなり、目が開いた。
「花怜!」
里正が喜びの声を上げた。
建明はそこで気を流し込むのをやめた。
弱り切っている気脈に大量に気を流しすぎても、破裂して死ぬ。
「これで数日は大丈夫だろう。だが治すには、大本の妖魔を倒さなければならない」
「お願いします、道士様。お礼なら村にできることであれば何でもいたします。どうか、どうか」
里正がその場に跪いた。
「もちろん。その沼の場所を教えてもらえるだろうか」
建明は得意げに応えた。
(やれやれ、これで飯の種にはありつけそうだ)
順風満帆である。