第21話 人質解放できたんですか
次に玉蓉は淑蘭を見て、床に落ちた淑蘭の右手を拾った。
玉蓉はその手の傷口を合わせるように添えると、
「繋がりなさい」
命じた。
断ち切られた骨、筋肉、神経、筋の全てが元のように繋がっていき、傷跡すら残さず右手が治った。
「乱暴な治し方でごめんね」
「い、いや……」
淑蘭は右手を開いて閉じて、感触を確認した。完全に元通りだ。最上級の治癒術に匹敵するだろう。
術を練らず、ただ命じるだけでそれほどの効果をもたらしたのだ。
(恐るべき力だ……)
玉蓉は淑蘭の足に刺さったままの干将を抜き、同じように治した。
「ありがとう」
淑蘭は険しい表情で礼を言った。
「玉蓉殿、答えてくれるだろうか」
「もちろん」
「貴女は妲己の娘か?」
「……母は姫発との最後の戦いに赴く直前、私を眠らせ、石の卵に封じ込めた」
玉蓉は目を閉じて静かに応えた。
「そうか」
玉蓉の答えは肯定の意味だと淑蘭は理解した。
姫発は、周の武王として殷を滅ぼした男だ。
「崑崙では、妲己の分身または血縁について、見つけ次第捕らえて処刑すべしと命が出ている」
「うん、知ってる」
玉蓉の返答は短かい。
建明は、昊天との戦いを引き延ばしていた。
7割を防戦に費やし、3割で攻撃。ただし決して倒してしまってはならない。
疲労が賢明の精神と気を削ぐ。
勝ちを目的としない消極的な戦いは気の働きが鈍り、精神的にもひどく消耗するものだ。
「どうした建明、戦う気が無いのか!!」
両手にもった円盤状の宝貝『風刃』に力を込め、建明に向かって同時に投げつけてきた。
昊天は、建明に積極的に攻める気がないことに気づいているようだ。
風刃は、弧を描きながら建明に迫る。
「操木式・盾壁!」
1つを木の壁で防ぎ、もう一つは手に持った棍ではたき落とした。
「戻れ!」
昊天の命令で風刃がその手元に戻っていく。
「操木式・列柱!」
その隙に建明は昊天の周囲に柱を立てるが、符印を刻むより早く、昊天がその囲いの中から出てしまった。
「それはもう見飽きたぞ!」
「だろうね!」
無駄と分かっているからやっているのだ。
「今更遠慮してるんじゃないだろうな!?」
昊天は純粋に建明を煽ってくる。
「大言を壮語しておいて、どうしたそのザマは! えぇ!?」
もしかすると昊天は人質を取っていることを知らないのかも知れない。
建明はそう感じていた。
ちゃんと戦えと煽ってくる表情は真剣で、嫌みが無い。
「誰が遠慮などするか!」
だからといって、建明はちゃんと戦うことなどできるはずがない。
人質がいる事実は変わらないのだ。
(まだか)
建明はじれていた。
このまま消耗戦が続けばいずれ本当に勝てなくなる。昊天とて、さすが一番弟子だけあって、実力はあるのだ。
その昊天が扱うのは霹天士の作った宝貝たち。符と術では建明を倒せないとみて、昊天はすでに奥の手であるそれらを使い始めていた。
受け損なえば負ける。
そんな攻撃をとにかく受け続けなくてはならないのだ。詰碁のような戦いだった。
「操木式・縛!」
蔦が伸び、昊天を狙う。
昊天は懐から別の宝貝をとりだした。鏢という、投てき用の短いナイフだ。
「火竜鏢!」
昊天が投げると、宝貝は炎をまき散らしながら一直線に飛翔した。蔦が瞬く間に切り裂かれながら燃えていく。
水分を多く含む生木は本来燃えにくい。
それをたちまち燃やしてしまうほど、火竜鏢の火力は強かった。
「3重盾壁!」
木の盾3枚を縦に並べた。
火竜鏢はそのうちの2枚を突き破り、3枚目に突き立ってようやく止まった。
盾がパチパチと煙をあげながら燃えていく。
燃える盾壁を貫いて、2本目の火竜鏢が飛んできた。
まっすぐ建明の眉間めがけて飛んでくる。
とっさに首を傾けてよけた。
頬を火竜鏢が掠めた。一筋の切り傷がついたのち、宝貝の熱で傷口が焼けた。
炎と熱波が賢明を包む。
建明は気で体を守りながら跳んで離れた。
(まだなのか!)
そろそろ危うい。
建明がそう思った時、空を一筋の稲光が走り、客席に雷が落ちた。
雷音が轟く。
歓声も実況も、全ての音が一瞬塗りつぶされた。
建明はそちらを見た。
雷が落ちた場所にいるのは淑蘭。干将を天高く掲げている。
「何をしている姜建明! 決勝で戦うという約束を忘れたか!!」
その言葉は一見ただの声援だ。
だが建明の目が、その横にいる惠をはっきりと見た。淑蘭はそれを知らせてくれたのだ。
「よし!」
建明は手を叩いた。もう大丈夫だ。
建明は手にした棍を改めて構え直した。
「やる気がでたか?」
昊天が変化を察して身構えた。
その左手には風刃、右手には火竜鏢が握られている。
「ああ」
建明は頷いて、勝負に出た。
「操木式・偽典召填」
建明の術に応えて、棍が黒く染まっていく。
「伸びろ!」
気合い一閃、棍が一瞬で長く伸び、昊天の胸の中央を打ち抜いた。昊天の体はそのまま試合場の壁まで押しやられ、たたきつけられた。
闘技場の壁にひびが入った。
『ここで、姜建明の一撃が決まったー!! 起死回生、この一撃は大きい!』
木吒が叫んでいる。
『というかそれは如意棒じゃないのかー!! 姜建明、やはり孫悟空の秘宝を借りていたぁー!!』
建明が棍に戻れと念じると、棍の長さが一瞬で元に戻った。この伸縮の速さこそ如意棒の真価だ。
『そしてここで、太極図が張昊天の戦闘不能を確認! 勝者姜建明、まさかの逆転劇です!!』
もはや見慣れた光景と行っていい、試合場の復元作業が始まった。
建明は棍、如意棒の大きさを片手に収まるほど小さくすると、ぐっと握りしめた。
建明の手の中で如意棒が割れた。
操木式によって宝貝の偽典を作る。
これが建明の奥の手だ。
偽典だから本物には強度の点で遠く及ばないうえに、長い時間維持できないのだが、建明が孫悟空の推薦で出ているため、本物を持っていると思わせることができた。
これを見れば、淑蘭も建明の奥の手があくまで如意棒だと思うだろう。
決勝戦に向けての布石にもなった。
建明は歓声に応えながら、試合場から出て行った。
昊天には目もくれない。
建明が控え室に戻ると、すぐに淑蘭と惠がやってきた。
「淑蘭殿、ありがとう」
建明は礼を言った。
「あぁ」
淑蘭の返事は短く硬い。
「玉蓉はどこに?」
玉蓉こそ真っ先に飛びついてきて手柄を叫びそうなのに。
どこかで寄り道しているんだろうか、と気軽に聞いたつもりの建明は、淑蘭と惠の重い雰囲気に不安を感じた。
「玉蓉は、斬った」
「は?」
建明は聞き間違えかと思った。
「妲己の娘は見つけ次第捕らえるよう命が出ていた。捕らえようとしたところ、抵抗したので、私が斬った」
聞き間違えではない。
確かに斬った、と言っている。
「何を……言ってるんだ……?」
「事実だ。私は次の試合があるからもう行くぞ。決勝で会おう」
淑蘭は淡々と告げると、控え室から出て行った。
事情を説明する気も弁解する気もないようだった。
ドアが閉まる音がいやに建明の耳に響いた。




