第10話 猿ってつよいですか
「私は惠といいます」
ウサギ女は自らそう名乗った。
「よろしく、惠。それで、困っていたというのは?」
「実は私、今激しく求婚されているのですが、受けたくなくて困っているんです」
話のスケールが小さい。
「なんで受けたくないんだ?」
「食べられちゃうからです。あいつこれまでの妻全員、食い殺してるんですよ! 絶対やじゃないですか!?」
「なるほど確かに」
建明は心から頷いた。
食い殺されると分かっていて求婚を受ける馬鹿はいない。
「でもそいつ、すごく強いんです。私を差し出さないと一族全員食い殺すって言うんです。それで、一族全員がちらっと私を見たので、一瞬で逃げてきました」
そのちらっと見たのは、おそらく差し出す方に心が傾いたからなのだろう。
「よく逃げて来れたな」
「私、一族で一番足が速いですから。私が本気で逃げれば誰も追いつけません」
惠は胸を張った。
ゆれた。
建明の目が、いけないと分かっていながらそこに吸い寄せられていく。
(いかん。破壊力がありすぎる)
真面目に取り組まなければ。
建明は目線の動きをごまかすように首を縦に振った。
相づちを打っているように見せかけたのだ。
「うんうん、なるほど。つまり、その求婚してきた奴が、一番強い奴か」
「そうです! 建明様があいつを倒してくれれば、私はみんなのところに帰れます!」
「わかった」
建明は承知した。
そいつが岱輿で一番強いかどうか分からないが、違うならそいつに聞いてさらに強い奴を探せばいい。
繰り返せばいつか最強にたどり着く。
単純な作戦だ。
「え、いいんですか!?」
惠は意外そうだ。
「何か問題が?」
「いや、あの、普通ここは俺が倒してやるから代わりに、とかそういうのがあるのじゃないかと……」
報酬の話がないのが不安に思ったらしい。
「ないよ別に」
「……倒した後で、お前をよこせとか言いません?」
「言わない」
「とっておきの美味しい草がある場所も教えませんよ?」
「ウサギじゃあるまいし興味ないな。コッチの事情で俺も強い奴を倒さなきゃいけないだけだよ。早く案内してくれ」
「分かりました。後から言ってもだめですからね?」
豪古。
それがそいつの名前だった。
猿の妖魔だ。何年生きているかは誰も知らない。かなり古い妖魔で、千年は生きているのは確実らしい。
建明は惠に案内され、豪古の縄張りに足を踏み入れた。
山の中腹にある不自然な窪地だ。岩ばかりが転がっていて草木の姿が全くない。
すぐにそいつはやってきた。
人型だが、体は黒い毛皮に覆われていて、顔にいたっては赤く、完全に猿だ。紅蓮に燃える目が、豪古の妖力の強さを思わせる。
「よぉ、惠。いよいよ俺の妻になる気になったのか?」
豪古はニヤニヤと意地の悪そうな顔をしていた。
「絶対にいやです!」
惠は叫びながら、建明の後ろに隠れた。
「まぁそう答えると思ったよ」
豪古は表情を崩さない。
妙な雰囲気の余裕があった。
「けど諦めろよ。お前はもう最後の一人なんだから」
「……え?」
「お前を逃がすなんて、馬鹿な奴らだよなぁ」
豪古はケラケラと笑う。
それが意味するところを、惠は正確に受け取った。
「まさか……」
「残念なことに俺の昨日の晩ご飯になっちまったなぁ」
惠が崩れ落ちかけた。
建明はとっさに惠の手を取り、その体を支えた。
「選ばせてやるよ、惠。俺の妻になってすぐにあいつらの後を追うか、ゆっくり百年かけて嬲られるか。どっちがいい? んん?」
豪古の目には建明は写っていない。たかが人間、と侮っているかのようだった。
「安心したよ、豪古」
建明は口を挟んだ。
「お前みたいな外道は、祓うのに何の躊躇いもいらないからな」
「あ? なんだ人間め」
「惠に頼まれて、お前を倒しに来たんだよ」
建明の言葉に、豪古は笑った。
「人間が、俺を? あーっはっはっはっは!」
「念のため先に聞いておくんだが、この島にお前より強い奴はいるか?」
豪古の建明を見る目が険しくなった。
建明が余裕を保っていることに豪古は気を悪くしたらしい。
「いねぇよ。この豪古様が最強で、支配者だ」
「そうか。それは、本当に良かった」
これで通天教主の課題もクリアできる。
「何が良かったんだよ。殺すぞ人間」
「お前がな」
建明は、もう豪古の縄張りに入る前に戦う用意を終えていた。
「以心操木」
建明の支配下にある樹木が根を伸ばし、大地を割ってうねりながら豪古を襲う。
豪古はその場から跳び上がった。
高い。
20メートルは跳び上がっている。
「さすがに、ザコじゃあないな」
建明は動じない。
建明はこの一年間、通天教主と模擬戦を繰り返してきたのだ。
豪古がこの岱輿で最強だとしても、通天教主は仙界で最強クラス。
通天教主に見せつけられた絶技の数々を思えば、20メートル跳び上がる程度のことはなんてことはない。
「操木式・縛!」
建明はさらに木を操作して、豪古を捕縛するツタを伸ばした。
「あ」
豪古は空中を蹴って右に跳び、
「た」
左に跳び、
「らねぇよ!」
建明にまっすぐ向かって跳んできた。
「猿鎧驚腕、閃空勢!!」
妖気が体を覆い、豪古の体が一回り大きくなった。
「操木式・盾壁!」
地面から何本もの木の根が空中に向かって伸び、建明を守るように壁をつくった。
豪古の拳が木の壁に突き立てられる。
木がひび割れる音が響いた。
しかし、豪古の拳は木の壁を突き抜けなかった。
「かぁってぇ!」
壁の向こう側で豪古が叫んでいる。赤くなった手を振って痛みを紛らわせているのが見えるようだ。
「しかしなんのぉ、もう一発!!」
豪古の拳がもう一度木の壁にたたきつけられた。
轟音が響き、木の壁に大きな穴が空き砕けた。
「ひゅう」
建明はつい息を漏らした。
盾壁に穴を開けるほどとは思っていなかったのだ。
「妖力で体を徹底的に強化するタイプか」
「そうさ。死ねやこらぁ!」
豪古が建明めがけて拳を振るってくる。
建明の背後には惠がいる。
よけることはできない。
(避ける必要も無いけどね)
「操木式・柳」
建明の正面に一本の木が生えた。
簡単に折れそうな細い木だ。
豪古の拳がその細木を打った。
瞬間、木がしなり、ねじれ、豪古の拳をそらした。
拳が空振った。
「なにぃ!?」
豪古が驚いている。
「力業しか知らないお前には分かるまい」
圧倒的に強い一撃をどういなすか。
建明にはその経験だけは仙界の誰にも負けない自信がある。
「操木式・破獣杭」
細木が形を変えた。
太く、逞しい一本の幹。
先端は突き刺さるように尖っている。
獣の分厚い毛皮を貫くための槍杭。
それが木の伸びる力で加速され、豪古の腹に突き刺さった。
杭の先端が豪古の毛皮を突き抜け、背まで打ち抜いた。
串刺しだ。
「ぐえっ」
豪古が汚い悲鳴を上げた。
「ば、ばかな……。猿鎧驚腕で強化された俺の毛を、貫くとは……」
「紙みたいなもんさ」
通天教主の守りに比べれば。
「く、く、く……」
豪古はうめきながら腹部を貫く杭を両手で持つと、自らの体をそこから引き抜いた。
豪古が膝をついた。
「さて、とどめといこうか」
建明は豪古にとどめを刺そうと操木式を使おうとした。
「キィイイイィエェェェェェェェェ!」
豪古が金切るような叫び声をあげた。
だが何かの術ではない。建明はいぶかしんだ。
「何のつもりだ?」
「へ、へ、へ」
豪古は口から血を垂らしながら嗤った。
「兄貴を、呼んだのさ。いくらお前が強くても、兄貴には敵わねえ」
「なんだよ。お前が一番じゃなかったのかよ」
「兄貴は、この島にいねぇからな……」
「なるほどね」
建明は腕を組んだ。
豪古が負け惜しみを言っているのかどうなのか、判断がつきかねていた。
「けど、俺はその兄貴が来るのを待たないぞ?」
「すぐ来るさ」
豪古が言った瞬間。
建明は遙か上空から殺気を感じた。
「操木式・円盾!」
とっさに発動した術が正解であった。
木の根が絡み合って丸いドームとなり、上空から放たれた一撃を受けた。
「重っ!?」
通天教主の一撃に匹敵するほどの重さのある一撃。
建明は、その一撃に耐えるべく、盾に込める気を増やした。




