番外編 3 そんな1日/『落とし物』
「・・・?」
ユウトがソレを見つけたのは、偶々だった。
トイレに駆け込み、漏らさず済んだ安堵にホッとしていたユウト。
ふと視界に入り込んだモノが有った。
トイレの床に落ちていて、便座に座ったままでも何とか手が届いた。
小さく薄いソレを指先で拾い、目の前で「何だろう?」と見てみた。
とても軽くて、とても薄い布みたいな物に包まれていた。
指先で押してみると柔らかい。
何となく匂いを嗅いでみると、少し良い匂いがした。
不思議な匂いだったが、どこかで嗅いだ事がある気がする匂いだった。
自分の物では無い、となると同居人の姫望の物なのだろう。
姫望は少し前に出掛けていた。
何か、とても必要な物を買いに行ったらしい。
普段、どこに行くにもユウトと行動を共にする姫望にしては珍しかった。
少し気になるユウトだったが、
『女には、男には知られたくない事が凄く沢山あるの。だから、何か気になっても、すぐに確かめようとしてはダメよ?』
と、記憶を失う前の華夜に言われた事を思い出していた。
女性として全く違うタイプの2人だったが、聞いてはいけない事があるのは確かだろう・・とユウトは自分に言い聞かせた。
そして、ソレをポケットに入れ、忘れてしまった。
■
姫望は必死に走っていた。
何よりも優先して家に帰らないとマズイ事になる。
非っ常〜〜〜〜〜に、マズイ事になる、ユウトが。
だから急いでいたのだ。
とある持病を抱える姫望は、『女性として』、『恋する乙女として』、『その相手と同棲(これは姫望としては譲れない認識だった)する乙女として』、備蓄を切らせられない必需品があった。
ソレを切らせようものなら、姫望の乙女心は盛大にヒビ割れる事態になりかねなかった。
姫望とユウトは、共同生活する上で、いくつか約束事を持っている。
その中の1つが、『洗濯は交代の当番制』というものだ。
洗濯をしていれば、自然とユウトの下着を目にしたし、触れたし、ユウトが近付いて来ていないか耳に極限の集中をした上で、顔を埋めた事もある。
というか、毎回そうしてる。
自分がユウトの下着を目にするという事は、当番がユウトの場合、ユウトが自分の下着を目にするという事だ。
姫望はそれも分かった上で細心の注意を払い、極力汚さない様にしている。
突発的に始まってしまい汚れた場合や、ライナーが意味を為さないくらいの状態になった場合、洗濯に出さない。
部屋に隠しておき、翌日の自分の当番の際に洗濯する。
ブラなら汗が気になるくらいだが、パンツの場合、ライナーやナプキンが欠かせない。
何度もユウトに告白して、その回数分だけ玉砕している姫望だったが、諦めてなんかない。
諦める気も無い。
その為の日々のささやかな誘惑を欠かさない。
洗濯当番の交代制だって、その為の一手だったのだから。
仲を深める同居は大歓迎だ。
でも、庁舎の『隔離都市内の暮らし』セミナーで聞いた事の1つがムクムクと、『気になる事』として大きくなっていた。
それは『家族になっていく』という事。
確かに仲も絆も深まる・・だけど、その方向性によっては、姫望の望まない方向性なのだ。
姫望の望むのは男女の絆、恋人とか夫婦とかだ。
兄妹とか姉弟とかは望んでいない。
適度に、ぃゃ、過度にでも構わない。自分を『恋愛対象』として見てくれるのならば構わない。
しかし、いま急いでいる理由は、状況によっては、これまでの数カ月全てを無にして しまいかねなかったのだ。
今日トイレで、ライナーの在庫がラスト1枚なのに気付いた姫望。
ユウトとは離れたくないが・・『綺麗な自分』を見ていてもらう為には、背に腹は代えられなかった。
最後の1枚をポケットに入れ、ユウトと離れる時間に後ろ髪引かれながら出て来たのだが。
思えばソレが不味かったのかもしれない。
気もそぞろに庁舎のドラッグストアに来た姫望は、新商品サンプルを見つけ、ポケットの中のと比べようとして気付いた。
無い。
確かにポケットに入れたハズのライナーが無い。
庁舎に来るまでの道中に落としたのならば、恥ずかしいけど、我慢出来た。
でも、ポケットに触れた覚えが無かった。
いくら記憶を辿っても・・ぃゃ、辿れば辿っただけ、ユウトの前でポケットをイジった覚えしか無かった。
マズイ。
どれだけ気もそぞろだったのか、今日は来客が・・・!
来客によっては問題ないのだが、これから自宅を訪れる来客はマズかった。
願うなら、
ユウトがアレを拾っていませんように。
もし拾っていたとしても、来客の前で出しませんように。
更に願うなら、
来客が到着する前に帰宅し、アレを最速で見つけだし、何でも無い風に来客を出迎える、それが理想だ。
その為に、姫望は必死に走っていたのだ。
■
結依は、倦怠感と戦いながら ゆっくりと歩いていた。
ポケットから出した携帯端末を見て、約束の時間まで余裕がある事を確認する。
ここ最近、あの2人と頻繁に会っている気がする。
その分、華夜の方に行けないのだが、華夜は その方が良いと思っている様だった。
『外』に居た頃、『かぐら』に「私の事はいいから自分の事を優先しなさい」と言われていた。
最初の頃は疎まれているのかと思っていたが、かぐらが本心で気遣って言ってくれていると分かってからは、「自分がやりたいと思っている事を優先している」と言い かぐらに陰ながら付き添っていた。
『かぐら』が言っていた事も『華夜』が言っている事も、理解はしている。
決して自分の命を軽んじている訳では無い。
ただ、『あの人の為になら死んでも本望だ』と思っているだけだ。
『外』に居た頃、生理で苛ついていた かぐらに「いい加減にして・・!何のつもりなのっ!?」と詰め寄られた事があったが、あの時に伝えた。
かぐら本人にも、近くに居たほむらやアレッサにも理解はされなかったが、それでも構わない。
もう私は決めている、それだけ。
あの人に救われた命は あの人の為に使い切る、それで良い。
・・・。
着いた。
考え事をしている内に、ユウトと姫望の住む部屋の入る建物に着いていた。
インターホンを押すとユウトが出た。
『あれ!?今日だっけ・・?』と言いつつも開けたらしく、開いたオートロックの先に進んだ。
玄関ドアの中に入ると、結依は微かに顔をしかめた。
「・・・女臭い・・・」
姫望なら聞き取れただろうけどユウトには聞き取れない、そのくらいの微かな呟きが漏れた。
結依は姫望の持病の事を知っている。
理解もしている。
だからこそ、この部屋には来たくないのだ。
男や、女が好きな女なら、この部屋を『良い匂い』と思うのかもしれない。
『かぐら こそ全て』で生きてきた結依だけれど、恋愛に生きる人間を否定はしない。
ユウトに熱い想いを向ける姫望の姿を滑稽だとバカにする気も無い。
かぐらに助けられる前、ぅぅん・・ずっとずっと前・・・両親と共に過ごしていた時期の自分なら・・・
「ぁ」
「?」
「えっとー・・」
「何よ、ハッキリ言いなさい」
「ん〜・・ゆいなら分かるかな・・」
ユウトがポケットから何かを出した。
「コレ、何か分かる・・?」
「ダメーーーーっ!!!!!」
ユウトが差し出すモノを見て殺意が爆発しそうになるのと、
大声を上げながら姫望がドアを開けて駆け込んで来たのは同時だった。
■
「・・・このド腐れ野郎・・!なに持ってるのよ・・っ!」
「ぇ」
ユウトとしては、何の悪意も下心も性欲も一切無く純粋な疑問で尋ねただけだった。
事情と状況を知らなかった結依は、心の底からの軽蔑と侮蔑でもって答えた。
「最っ低ーね・・ここまで救い難いカス野郎だと、逆に尊敬出来そうだわ・・!」
「ゆいさん、違うの!ユウトくんは知らなかっただけなの!誤解だからっ・・!」
「何が誤解だって言うの・・!生理用品を持ってニヤけながら生理中の女に質問?死にたいらしいわね・・!!」
最悪のタイミングだったらしい。
ただでさえ不安定になりカリカリしていた結依の逆鱗に無自覚に触れ、掻きむしってしまった様だ。
自分の行動の何が結依を激怒させたか分からず、狼狽えるユウト。
「こいつはコレが何か絶対に分かって無い」と頭では分かっているが感情が「ただじゃおかない」とグシャグシャな結依。
全力疾走でギリギリ間に合わなかった上に汗だくのままの姫望。
3人の不毛な諍いは、姫望がポロポロと涙を零し泣き出すまで続いた。
そして、3人を3人共 救える女神が舞い降りる。
■
ポーーン・・♪
3人ではどうしようも無い状況になって どのくらい過ぎたか分からなくなっていた頃に、その呼び出し音が鳴り響いた。
蹲り泣きじゃくる姫望。
姫望の前に しゃがんでみたは良いものの、自分が悪いのにどうしろと途方に暮れる結依。
自然と、ユウトがインターホンに出た。
「・・はい、誰ですか」
『ユウトさん、私です、華夜です』
結依が目を見開きユウトの方に顔を向け、姫望は涙を零しながらも顔を上げた。
・
・
・
2度と こんな事態にならない様に。
苦慮の末に、華夜は即席の性教育教室を開く事にした。
華夜の前には、正座したユウトと結依と姫望が居る。
教材は、未使用の姫望の下着と姫望の備蓄するフェミニンケア用品が持ち出された。
姫望にとって これ以上無いくらい羞恥プレイだが、同居人のユウトに一切言わずにいた事にも多少は問題があったとして『説明用教材』に使われる事になった。
「ユウトさん、ユウトさんと姫望ちゃんで身体の構造が違うのは分かりますね・・!?」
コクコクコク・・・
有無を言わさぬ圧で華夜の教室は続いた。
・
・
・
「という訳で、使い方は分かりましたね?」
コクコクコクコク・・・
クロッチ部分に貼り付けられたライナーを見て、こっそりと姫望と結依を伺うユウト。
結依は若干気まずげな顔だが、姫望の顔は羞恥で赤い。
結依の反応、駆け込んで来た姫望の様子、それぞれ思い出して納得したユウトだった。
「という訳で、ユウトさん」
「ぅ、うん!」
「姫望ちゃん」
「はいっ、お姉さま・・!」
「結依さん」
「・・・はぃ」
「今回の騒動は、誰が悪いという事は無かったけど、3人共に少しずつダメな所がありました。分かりますね?」
「・・・」
気まずげに、3人共頷く。
ユウトとしては、知らなかったとはいえ何て事を聞こうとしたのか気まずい。
姫望としては、生理用品の事とかユウトには知られたく無かった・・でもユウトを守る為には仕方無かった、でも すっごく気まずいし恥ずかしくて堪らない。
結依としては、説明の最中に「生理中の女性はとっても過敏になります」と説明していた華夜の為にと「ぁ、今、そうです」と手を上げてしまった事を後悔していた。
言われずとも、亜人の華夜や姫望には匂いで分かっていただろう。結依が手を上げた時の2人の「ぇ、言うの!?」みたいな表情を見てから後悔したのだ。
正座する3人と別に、華夜は少し安堵していた。
年齢差的にも、ユウトや姫望や結依から向けられる「華夜なら」という華夜本人には全く身に覚えのない過大な期待にも、応える義務は無いのだが・・応えようとしてしまうのだ。
今回は何とかなった、と思えた。
■
「ただいま〜・・」
「おかえり〜♪」「・・おかえりなさい」
精神的に疲労困憊の華夜がトボトボと結城宅に帰宅すると、同居する雪緒とフェリスが出迎えた。
2人で玄関近くに座りオセロをしていた様だった。
「大丈夫だった?」
「ぅん・・何とかなった、と思う」
玄関の段差に座り壁に背中を預ける華夜、その近くに来て頭を撫でる雪緒。
「ごめんなさい、いきなり飛び出しちゃって・・」
「んーん・・大丈夫っ」
今日の騒動は突発的に起きた。
雪緒が張り切って料理しようとしていて、フェリスと華夜が手伝っていた・・そのタイミングだった。
ほむらの端末から連絡が来たのだ。
日課のフルマラソンをしていた ほむらが偶々通り掛かった際に、聞き覚えのある争い声が聞こえたという。
ソレを聞いた華夜が飛び出し、救済の手を差し伸べる事が出来た訳だ。
「・・・疲れた・・」
「頼られる お姉さんは大変だね・・♪」
「もぉ・・他人事だと思ってー・・」
クテッとする華夜に、雪緒なりに気遣いしつつ労う。
「・・はい」
いい匂いがすると思って匂いの方を向いた華夜、その前にフェリスからマグカップが差し出されていた。
受け取り覗き込むと、マグカップの中には美味しそうなスープが。
「・・お肉、いっぱい入れた」
「ぁりがとう・・♪」
華夜の疲れ果てた姿に、フェリスはフェリスなりに気遣っていた。
座ったままでも軽く口に運べる様にマグカップに、更にデザート用のミニフォークが入っている。
フォークで軽くかき混ぜると、フォークに当たる反応が多かった。
華夜がフォークで刺して上げると、よく煮込まれた肉が出て来た。
疲れ果てた身体は食欲に勝てず、フォークを口に運んだ。
「んっ・・♪」
「美味しい?」「・・」
「んっ、最高・・♪」
よく煮込まれたビーフシチューの牛肉から染み出す肉汁を堪能しつつ、間近の雪緒とフェリスに微笑む華夜。
今日も1日が終わっていく。