第七章 執念 3
「はぁ……しんどい……」
これまで都合六試合こなして来た。何時もならこんな事では疲れないのだが、緊張していたのだろう、決勝が終わってから疲れがドッと肩にのしかかっていた。
「ジュースでも飲むかな」
今、紗月と松葉さんは化粧直し……というか、トイレに行っている。俺は重い腰を上げて自販機に向かおうとした――。
『ピタ……』
「うおぉ! 冷たい!」
その時だった。俺の首筋に冷たい空き缶が当てられたのは。俺は紗月が悪戯したのかと思い振り返る。
「ふふ、びっくりした?」
するとそこに居たのは可笑しそうに笑うリサだった。
「おお、何だよ」
リサが来ているのは知っていた。何度か解説席に座っていたからだ。
「あれ? 余りびっくりしないんだね?」
「いや、びっくりしてるよ」
俺が苦笑いを浮かべるとリサは人差し指で俺の頬を押した。
「疲れてるね? そう思ってジュース買ってきた。オレンジと炭酸どっちが良い?」
「じゃあ炭酸で」
俺はリサからコーラを受け取った。リサも俺の隣でジュースを飲む。
「試合見てたよ」
「おう。どうだった?」
俺が尋ねるとリサは恥ずかしそうに膝を抱える。
「格好良かった。だって埼玉大会で優勝したんだよ」
「まだ、神代を倒してないから優勝じゃないけどな」
「ふふ、そうだね」
リサと話していると不思議と体が軽くなるのを感じる。リサの仕草一つ一つが俺に力を与えている様だった。
「ねえ? 緊張してる?」
「う~ん」
俺は天井を眺める。シミが幾つもあり、お世辞にも綺麗とは言えない。
「緊張は……してない。何でだろう?」
「う~ん……何ででしょう?」
おどけた様にリサは首を傾げた。その動作が何だか笑えた。
「きっと俺は神代に勝てると思ってるんだろうな……何だろう。もう今は負ける気がしないんだ」
「ふふ、世界一相手に凄い自信だね」
そう確かに俺は何を言ってるんだろうか。相手は世界一、無敗の王者。しかし、一つ言える。確かに最強は神代かも知れない。けれど、俺達以上に最高のチームは居ない。
「確かに……そうだな」
そんな時だった。低く静かな声が響いた。
「……神代」
初めて間近で見る神代は……何というか……俺は同じ人間には見えなかった。
まるで……この世には存在してない様な……儚いのに……存在感が有る。
歴史上の英雄はこういう男だったのだろうか。まるで自分が物語の一ページに居る様なそんな錯覚をしてしまう。それほどに神代の持つオーラとか雰囲気といった物は常人とは異なっていた。
「私に勝てる……か、今まで飽きるほど聞いて来たセリフだな」
一言一言が重い。俺とは生きている密度が……違う。
「すんませんね。陰口を言うつもりは無かったんですけど」
俺はペコリと謝った。神代は特に俺に返事を求めていなかったのか、リサの方を見る。
「彼が、リーザ君が言っていた想い人だね」
「……はい」
ゆっくりとしかしはっきりとリサはそう言った。
「そうか……」
神代は俺の事をスっと鋭く見た。それはまるで俺の内面を見る様な。いや、実際こいつなら見えているだろう。
「リーザ君。はっきり言おう。彼は私を越える事は無い。彼が私に優っている所など、一つも無い」
神代は俺に近づいた。俺を見る目はどこまでも透明で……しかし、底なし沼の様に暗かった。
「君は本当に勝ちたいと願った事が有るのか? リサ君の為に勝つと思っているのだろうが、君からは勝利への渇望を感じない」
息が詰まる思いとはこういう事を言うのだろうか。安易な言葉を神代の存在は許さなかった。
「神代さん!」
そんな様子を見かねたのかリサが怒ったような声を上げた。その声で俺は正気に返る。
格好悪いな俺は……好きな女の子の前で気圧されちまって。
「リーザ君。試合の後にまた会おう」
神代はそれだけ言うと立ち去ろうとした――。
「待てよ」
しかし、その肩を俺は掴んだ。
「的場君!」
心配そうにリサは今度は俺の名前を呼んだ。俺はそれに笑顔で答える。
「大丈夫だリサ喧嘩しようってわけじゃない。ただ、言われっぱなしで帰られるのも癪だからな」
神代は詰まらなそうな顔で俺を見た。本当に俺への興味は失せているのだろう。だが、それがどうした。
「神代さん……あんた確かにすげえわ。正面に立っただけで只者じゃないって分かる。俺があんたに優ってる事なんて一つもなさそうだ」
俺は神代の肩から手を離す。そして一つだけ、言いたかった事を口にする。
「だが今日だけは俺が勝つ。これから先の人生俺が何一つ勝てなくても、今日だけはあんたに勝つ」
「願望だけでは勝てはしない。勝者とは勝つべくして勝つのだから」
俺は神代の言葉に堪えきれない様ににやっと笑った。そしてリサの方を見る。
「なら勝つのは俺だ。今日の俺は勝利の女神のおまじないが効いてるんでね。勝利を約束されてるんだよ」
神代は僅かにリサを見た。そして微かに笑う。
「勝負が始まればそれが瞞しだったと気付くだろう……」
神代の後ろ姿からは気負いも何も感じない。神代は信じているのだろう、自分の勝利を。
「怖いな~」
「ふふ、でもちゃんと言い返したね」
リサが俺の隣に寄り添ってそう言った。それだけで何だかほっとする。
「ああ、まあその格好悪い所見せたくないからな」
「それは……私に?」
期待した様な目を向けられると自分の言った台詞が凄く恥ずかしくなってくる。
「う、う~んまあ――」
『ウザイ』
俺の背筋にゾワゾワと寒気が走る。振り返るとそこには目の座った紗月が居た。
「お、おお……お帰り」
「なにぃ? おまじないって……?」
どうやら話は聞かれていたらしい。紗月は絡みつく様に俺の肩に手を置いた。
「あの……こんにちは」
するとリサが明るい顔で紗月に挨拶した。それに紗月は目を見開くと、サッと俺の背後に隠れた。
「あれ?」
「いや、リサ気にしないでくれ。紗月は初対面の人間にはこういう感じなんだ」
「そうなんだ~あ、この子が紗月さんね。いつも的場君が話してる」
紗月は警戒心丸出しの視線でリサを睨みつけている。俺は流石に不味いと思ったので、俺の背後に完全に隠した。
『ドスドスドスドス!』
背後から紗月の拳が俺の背中を叩いた……痛い。
「ふふ、仲良しなんだね。じゃあそろそろ私解説が有るから行くね?」
リサはそう言うと名残惜しそうな笑を浮かべながら歩き出した。しかし、しばらくすると振り返る。
「私、信じてるから、的場君が勝つって」
「おう……任せろ」
俺は軽く手を上げて応じる。するとリサは満面の笑を浮かべて去って行った。
『ガブッ!』
「いってえええええええええええええええええ!」
「ふがふがふが!」
油断していたのだろう……紗月が俺の首筋に噛み付いた。何だろう紗月はドンドン動物みたいになっていくな……。
その後松葉さんと紗月を離すのにかなりの時間を要した――。




